最後の恋 6
「はあ、みんな誤解してるな。そんなんじゃない。僕は彼女を一目見ただけだというのに、それを恋だなんてあり得ないだろ」
僕はぶつくさ言いながら、階段を下りていく。あんな美春のずけずけとした言い方に何か不機嫌にさせる毒が駆け巡っていた。
「は〜。しかし、今日はつかれた。いろんな事があったしな、体がだるいし、早く帰って寝るか」
僕は下駄箱で靴を取り出しつつ思った。ほんとだるいし、早く寝たい。
それから、僕ははっと携帯を取り出そうとした。最近、美春達とのつきあいが悪いから、ちょっとわびのメールを入れるか。今日もお疲れさんとと言葉とともにまた、どこかに行こうと言うことを言えばいいだろう。
「あれ?」
そう思って携帯を取り出そうと思ったが鞄の中にそれがなかった。
「あれ?ポケットに入れたかな?」
僕はポケットの中に手を突っ込んで探したが、全くそれが見当たらず、鞄の中も改めて見たが全くなかった。
「と言うことは家か?」
あちゃー、家においてきたか。時々、家においていて、それで美春に怒られることがあるんだよな。高校に入るまで友だちなんていなかったから、携帯を持ち歩くことはなかったけど、それで結構美春に迷惑をかけている。光とキャサリンはあまりメールとかしないけど、美春はしょっちゅうしていて、その時に僕が携帯を持ち歩かずに外出していたら、あとですごいメールの着信履歴と角が取れた鹿のようなぷりぷりとした怒りを放出させている美春が待っていたときがある。また、その過ちを繰り返したのか、と惨憺たる思いに一瞬沈みかけた。
しかし、すぐにそれが誤りだと知った。そうだ、今日は午後によく美春が何も言わなくても東堂院さんのことでメールしてきてくれたよな。今、友達と話しているとか、小説を読んでるとか。そんな余計なお節介を書いてくれたよな。あの時はすごく怠さ(だるさ)を感じたけど、でも今日はケータイがあったよな。それがないと言うことは教室に忘れたのか?
僕はそう思って、教室に戻ろうとしたが、一瞬音楽室が頭をよぎった。6時限目に音楽室で授業があったのだが、なぜか、そこに忘れたのでは?と思ったのだ。普通に考えれば最後で授業をした3−Cで行くのが普通だったが……………。
しかし、僕の足はもう音楽室に向かっていた。
さっさと行って調べてなかったら教室に戻ればいい。
音楽室は教室のある教棟から対になるように向かい側の教棟にある。うちの高校は1から3年生のある教室のある教棟に渡り廊下をかけている向かいの音楽室やパソコンなどの特殊な授業を使う専門の教棟と普通の教室がある教棟にわけてある。ちょうど二つの教棟が廊下で渡されているという形だ。その北西側に食堂と購買があり、北東側に体育館などがある。
そういう分ではちょっと豪華な高校だが、しかし、部屋の移動は少しめんどくさく感じているのも事実だ。その音楽室に僕は向かった。
「さっさと終わらせて、かえーろっ………………………と?」
僕は音楽室の前に来たが、そこで異常な光景に出会った。男子達の集団が、音楽室の前へ群がって音楽室を見つめていたのだ。僕はその光景にびっくりして、しかし、その群れの中へ向かった。
男子達はよく見ると5.6人ぐらいだったが、どうして群がって教室の中を見たかすぐわかった。なかで音楽部の人たちが演奏していたのだが、一人物憂い(ものうい)表情をした女神がいた。
東堂院さんがヴァイオリンを片手に演奏をしていた姿を見せていたのだ。そして、それが様になっていた。
アテナが楽器を演奏しているような、優美な美しさと、そして何故か一本芯が通ってるような凛とした気丈さをわざわざ表現しなくても、その姿でそれを如実に物語っていた。。
…………………。
僕達がその彼女が作る優美さのアルコールに酔っていたら、その時音楽室の扉がバン!と開いた。
「ちょっと!あんた達なにみてんのよ!見世物じゃないんだからさっさと出て行ってよ!」
それは一人の少女がいきなりでてきた。少女は茶髪に染まったショートヘア、何て言うんだ?ハリネズミのような針を下ろした髪をしていた。小さな156ぐらいの小柄な体。そして、見ただけで意志の強そうな眼光を飛ばす少女だった。その少女が言う。
「ここは部室なんだから、まじまじと見られたら困るわよ。こんなに見られたらみんなが集中できないから帰った、帰った!」
それに男子達が不満のガスが勢いよく漏れ(もれ)だした。どうやらここにいる男子もそう簡単に引かないようだ。
「夏木。そう言わなくても良いじゃない」
そこに東堂院さんが現れた。彼女は夏木と呼ばれた少女の横に立った。東堂院さんが現れたととたん、ミントのような可憐さのある清涼さが場に広がった。そして、男子達が南の国で燦々(さんさん)と光を受けているパイナップルの活気がある歓声を上げる。
「夏木。この練習は皆さんに見てもらうものだから、別に良いじゃない。みんなもずっと黙ってくれてたら、練習を見ても良いって、部員のみんなも言っていたわ。だから、練習を見てくれても良いじゃない?皆さんも黙ってくれると約束してくれますか?そうしたらなんでしたら部室に入ってもいいですよ」
「おおーー!!!!」
東堂院さんはまずあんみつのようなみずみずしい親しさで言い、次いで男子達に丁寧な言い方で言った。
それで男子達はにんじんを目にした馬のような活気が吹き上がった。
夏木さんも唇をへの字にして不満げに言う。
「まあ、みんながいいなら、別に私も何も言わないけどさ。でも!男子達!ちょっと音を立てたらでていってもらうからね!それは覚悟してもらうから!」
予想外な方向に話がまとまった。男子達は一も二も言わずに承諾して、部室にぞろぞろ入っていく。
そして僕もこっそりそこに入った。本当なら夏木さんか東堂院さんに事情を話さなければならないが、しかし、それはなぜかできなかった。する気が起きなかったのだ。蛾が電灯の光につられるようにふらふらと吸い寄せられるように移動した。
音楽室は普通の音楽室だった。赤いカーペットとピアノが置かれてある部屋。そして、教卓と黒板、机とは別な場所に音楽ができるスペースに音楽部の人たちが楽器を片手に椅子に座っている。東堂院さんも指定の場所に着く。
クラリネットを持った夏木さんがじろりと僕らの方を見る。
「じゃあ、静かにしといてね。ちょっとでも音を立てるとたたき出すから」
それから彼女たちは示し合わせて演奏をし始めた。彼らは8人ぐらい部員でそれぞれ最低限楽器をカバーしていた。
東堂院さんももちろん演奏に参加する、クラシックのヴァイオリンは花形のものだからな、当然だろ。
どんな物を演奏しているのか全く理解できなかったが、いくつか演奏をしたあと、曲の本番に入っていくように東堂院さんのヴァイオリンが入ってきた。
ヴァイオリンの音色は鈍い光を放つ銀色の精巧にできた針金のように芯が深く、物憂い(ものうい)音色を奏でた。
東堂院さんもどこかこの世にいないような、すぐに足場が崩れてしまうような儚い(はかない)表情をして演奏をしていた。そして、僕はその表情を見ていると………………。
ファー…………。
ホルンの音ともに演奏が終わった。演奏とは呼べない、断片化した練習だったが、物音一つ立てず黙って静聴していた男子達が静かに拍手をする。ただ、全員東堂院さんの方を見ていたが。
その男子の反応に夏木さんは不機嫌そうに鼻を鳴らし、東堂院さんは顔色を変えずに、部員のみんなに話しかけていた。
結構、東堂院さんは大物かも知れない。
あ、そうだ。
あまりに東堂院さんが美しく見とれていたが、本来の目的を思い出して、僕は歩き出した。
今は小休止になっているから早く携帯を見つけないと。
僕は授業で受けていた机を探した。え〜と、ここら辺かな?お?あった、あった。携帯発見。
机から踵を返して東堂院さんのいる方へ歩く。その横に音楽室を出る出入り口がある。そこを出ればあとは帰ればいい。目的を達成したのだから、だが…………。
僕はブナシメジをパックに収める工場に入った。別に帰っても良いが、しかし、何となく気になる。蛾が光に誘われるようになんとくミントの光に吸い寄せられていった。