最後の恋 36
僕たちは食べ歩きをしながら、なんとなく合図もせずに、文化祭のコンサートに足を向けた。
もちろん、僕の目的は東堂院さんの演奏を聴くことだ。その吹奏楽部の演奏の2,30分前にコンサート会場にたどり着いたが、そのとき、いきなり美春が駄々をこね始めた。
「あ!私、イカ焼きを食べるの忘れた!一樹、ちょっと来て!」
「行くわけないだろ。あと30分ほどで演奏が始まるんだから、一人で行って来いよ」
僕の当然の反応に、しかし美春はただの子供の表情ではなく、地蔵のような硬い意志で同行をすることを求めた。
「いや、絶対、一樹が必要なの。だから、お願い。どうか一緒に来て」
その表情は相も変わらず、地蔵の表情をしている。
「はぁ。そこまで言うんならついて行ってやるさ。早めに買って、戻ってこよう」
それに美春の眼は星の花火が散って、みるみる黄色の蜜があふれ出していた。
「うん!さあ行こう!早く行こう!もう時間の猶予はないわ!」
「わかったから!引っ張るな!そんなことしなくても行くから!」
そうして中庭のコンサート会場からすぐの一階の校内でいきなり、美春は叫んだ。
「あ!ちょっとトイレ行ってくる!一樹はそこにいてねええええ!!!!!!!」
「こら!廊下を走るな!」
しかし、僕の話を聞かず、猛ダッシュで美春はトイレに向かった。
あ~あ、仕方ねえ奴。ああいうことをするから男子の人気がそこまで高くはならんのよなあ。
僕はあきらめ口でつぶやいた。あんな狸が女性の半数を超えるということはないと思うが、もうちょっとおしとやかになれば・………いや、仮定の話をするのはやめよう。
あのげっ歯類に成長を求めてもなんか無駄な気がする。
そんなことをとめどなく妄想をしていたら横から、天上の声が聞こえた。
「笹原君?」
「東堂院さん!?」
思わぬ天使の登場に僕は知らずと声が上ずる。
天使はミントの香りを出しながら、ちょっと顔をうつむけながら聞いていた。
「何を、してるの?笹原君」
「僕ですか!あ、あ~~・………。ちょっと友人がトイレに行っているので、それを待っています」
「そう」
東堂院さんはそういって、水銀の表情を浮かべた。
そして、水銀がまた引っ込んだ。
「あ、あ、あ~~」
その言葉に窮して僕たちは何も言えなくなる。
話したいこと、話さなければならないことがあるが、二人は完全に銅鐸になって何もできない。
「…………………」
「…………………」
そして、結局僕たちはヤドカリになる。
相手の出方が怖くて動けないヤドカリに。
しかし、その吹雪の世界で火をともしたのはやはり天使のほうだった。
「あの!」
「うん」
僕がそう相槌をしたら、羽ばたき始めた鳥はまた引っ込んでヤドカリになった。
「・…………その………………」
どことなく気まずい空気間の中で、しかし、僕の痛んだ筋肉は再生を始めた。
「聞くよ。東堂院さんの演奏。今まで練習してたんだろう。ほら、早くいかなくちゃ、部員に迷惑をかけてしまう。だから言っておいで。僕は必ず聞くから」
それに天使の顔つきがみるみる桃の色になっていった。
「うん、行ってくる。ありがとう、応援してくれて。私の3年間のすべて見に来てね!」
「ああ。いくよ」
僕はコスモスの気持ちで彼女を見送った。さて………
「そこにいるんだろう?美春」
僕がそう言うと、ギクッ!とした表情で美春は出てきた。
「ほっほっほ、いや、私には何のことかわかりませんでござい…………ぎゃああああ!!!!!!!」
言い逃れをしようとしている美春に僕は問答無用で美春の頭をこぼしでぐりぐりさせた。
「お・ま・え・は!全部仕組んでいたんだろうが!楽しいか?人が恥ずかしながらおろおろしているの、た・の・し・い・か!?」
「いやーー!!!放して!頭が、頭がつぶれちゃう!!」
それで僕はこぶしを外して、中庭の会場に向かった。
そして、その僕にリスは追ってくる。
「あ!待って!一樹!香澄ちゃんの演奏を見に行くんでしょう!?私も一緒に見たい!」
僕は振り返る。
「ああ、どうぞ。人の恥ずかしい恋路を見て楽しむ人は、どうぞ、勝手にしてください」
「一樹。顔が怖いよ。まるで鬼さんみたいだよ」
「そうさせたのは誰だ?」
そういうと美春は口笛を吹きながら、顔をそむけた。
はぁ。こんなバカにいつまでも付き合っては演奏に遅れてしまう。さっさといこ。
そして、僕は美春を無視して歩き出した。
「あ!待って!」
すぐに美春はヒマワリの表情をして僕のそばに寄ってきた。
そして、僕たちは東堂院さんの吹奏楽部の演奏を、スタッフが前もって用意してくれたパイプ椅子に座り、彼女の演奏を聴くことにした。
まずはグリークの『胸のいたで』7。
荘厳な悲しみの音楽として悲恋を個人的主観とまた別の角度で悲恋を表現させていた
その悲しみに、聴衆は圧倒されつつ、次の曲へ。
もちろん、これはグリークの『過ぎた春』だが、それを展開させていった。
「『胸のいたで』は悲しみを全開に表現していたが、『過ぎた春』はちょっと違う。
悲恋の歌ではあるけれど、パートナーと一緒にいる時の喜びをノスタルジックの砂糖をかけて、悲しみを表現している。
そして、恋が終わった後の個人的な悲しみを前面に出して、寂しさと悲しみの両面を出しつつ、この曲は終わる。
僕は『過ぎた春』の時に美春に話しかけられた。
「ねえ、ほんとに一樹は香澄ちゃんに告白しないの?」
僕の考えは変わらない。
「しない」
「でも………」
僕はかぶりを振った。
「美春の言いたいことはわかる。東堂院さんに僕に気があるって言いたいんだろう?そうだよ、それは僕も感じる。だけど、できないんだ」
暗闇だから顔はよく見えなかったけど、確実に美春は訝しんだ雰囲気を漂わせた(ただよ)。
「それってどういう?」
僕の服の上から緑の皮が生えてくる。
「告白すること自体が怖いんだ。人に自分の恥ずかしいところを見せると思うとぞっとする。
特に恋の告白なんて恥ずかしさが限界に達する。
そんなものは嫌だ。僕は絶対に告白なんかしない。もう、当目で見るだけでいいんだ」
緑の皮が両手、両足に接着し背中や、腹部も緑の皮で覆われた。
「で、でも、それじゃあ。一樹は平気なの?それって生涯告白しないってことだよね?
それじゃあ、一生彼女作れないじゃん。ずっと一人じゃん。
それで、いいの?ずっと一人でもいいの?一樹?」
体中の皮がついにすべてをつなぎ、僕はさなぎになった。
「いいんだ、これでいいんだ。ずっと一人でいいんだ」
「……………」
それについに美春も説得をあきらめ、演奏を聞いていた。
局はノスタルジアいから、相手の惜別の瞬間を物悲しく場を震わせた。それに僕らはふたに栓をするようにじっと聞いていた。
そして、曲が終わる。
彼女はパーフェクトだ。しかし、僕は近寄らない。告白しない。彼女の今の演奏を頭に刻み、これからも一人で生きていくのだ。
吹奏楽部の面々は終わりのあいさつをして、会場から楽器を持って退場した。
僕たちも彼女らの退席に火の拍手で迎えた。
美春は僕のほうに顔を向けた。
「さて、私たちも退席しますか。屋台の跡形図家もあるしね。じゃあ、行こう一樹」
「ああ、もちろんだ」
もう現れないだろう。僕の人生に彼女みたいな存在は………




