最後の恋 13
すさすさ。
僕は教科書をしまい、そして席を立った。
もう、放課後になった。東堂院さんの約束をした放課後になったのだ。東堂院さんはまだ友達とおしゃべりをしている。
だが、僕は部室に行くことにした。ここで話しかけるなんてあり得ないことだ。
それではやめに教室を出ようとすると立ち塞がる(ふざ)ものが出てきた。
「おーっと!一樹!もしかして帰ろうという魂胆じゃないよね!今日はカードゲームをして帰るという男の約束をしたじゃないの!?それなのにお前は帰るのか!?その約束を破るのか!?」
ぼくは立ち塞かる猿に一言投げかけた。
「そんな約束なんてしていない。休み時間ちゃんと断ったじゃないか。それに美春は女子だし、それをいうなよ。と言うわけだから通らせてもらうぞ」
それでぼくは左の方向から美春を迂回しようとしたら、ずいっとカエルの横綱が僕の歩く方向を通せんぼした。
「………………」
僕は今度は右の方向に迂回したら、また横綱は通せんぼした。
「美春、お前な〜」
僕があきれた声を出したら、美春は銀のようなちょっと透明な感じがする硬なくな表情をした。
「やだよ。だって、4人から3人になると大富豪もできないし、ババ抜きもすっかりラストに突入するじゃん!帰っちゃだめだよ」
「それならポーカーをやれ」
僕がそういったら美春はぼかんと空砲のように頭を爆発させた。
「それだとみんなで遊べないじゃん!一樹も絶対参加なんだから、もうこれは禁則事項で決まっていることだから逆らえないんだよ!」
禁則事項とはまた古い物を持ち出してきたな。
しかし、美春は真剣だった。蛙の横綱のように表情を変えずにずずずっと僕を通せんぼしてくる。
どうやら美春も本気で邪魔しているらしい。これは各々の正義をかけた戦いか。ならば僕も本気を出そう。自分たちが信じるべき道を進み、それが相まみえることになったら全力で戦うというのが戦士の礼儀だからな。
「あ!UFO発見!」
「え!?どこどこ!」
僕は廊下の方を指さしていったら、美春は廊下の方へ飛び出した。僕はその美春が飛び出した方向とは逆の方向へ走り抜けた。
「あ!一樹!だましたな!」
「悪い!美春!この埋め合わせはあとでする!今日は外せない用事があるんだ!じゃあな!」
「卑怯者おおおぉぉぉ……………………」
美春が叫んだ言葉がどんどんか細くなって、そして消えていった。
たっ、たっ、たっ。
僕は廊下を歩いていた。もちろん行き先は音楽室だ。
今日は彼女は弾いてるかな?
そんな期待を抱えながら僕は歩いていた。彼女に会えることにたいして膨らんだ(ふくらんだ)風船のように期待がふくらみ、そして自身の手で制御できないほど一人歩きしてしまう。
その感情が何か分からない。いや、わかってるこれは恋だ。そして、この思いは止められない。
そして、音楽室のネームが見えた時僕の心の心臓がどきんと一回鳴った。
ここにいるのか?
そう期待がじっとしておらず一人で暴れていたが、僕は冷静を装って部室の窓をそっと見た。
そして、そこには誰もいなかった。
その瞬間天上にまで昇っていた期待が一気に地上の落ちてきて泥で顔を黒くしていた。正直言って美しい姿で天上で踊っていた頃と比べるとまさに雲泥の差だ。
そのままがっくしと肩を落として帰ろうとしたとき、背後から清冽な声が聞こえた。
「笹原君?」
その声に聞き覚えがあった僕は体が動く限界を越えた速さで振り向いた。
「やあ、東堂院さん。奇遇だね」
それに東堂院さんが不思議そうな顔をした。
「奇遇って、笹原君は私たちのこと、待ってくれてたんじゃないの?」
「ははは、ま、まあそうともいうね」
それに東堂院さんは柿の色合いとともに不思議そうに顔をかしげながら、懐から鍵を取り出して部室を開けた。
「まあ、いいや。一緒に入ろう。せっかくお客さんが来てくれたし、笹原君なら静かにしといてくれそうだしね」
そうって東堂院さんは部室を開けて手招きした。それに僕も素直に甘えた。
「はい。失礼しまーす」
僕が音楽室に入ると古びたカーペットの臭いがつんと鼻に突き刺さった。
僕が音楽室の中を地に足がつかず漂って(ただよって)いると、東堂院さんはミントの空気を伴い(ともない)ながら礼儀正しく微笑んだ。
「じゃあ、私はヴァイオリンを出すから、どこか椅子を持ってきて座ってて、すぐにすむから」
「はい」
それでぼくは椅子を取り出してちょこんと座った。東堂院さんは黄色い音楽室の倉庫に入った。
しばらく経つと一つのヴァイオリンを片手に飾り気なく、しかし一つ一つの動作がどこか優雅さを感じられる動作で戻ってきて、椅子に座った。そして、機械仕掛けの貴婦人がゆっくりな動作をするようにヴァイオリンを肩に乗せて、試すようにいろんな弾き方をした。
東堂院さんの顔には菊のようなあくまできりっと自分の振る舞いを規制している銀の破片の顔が映っていた。
こういう顔を見ると、自分も振る舞いを正さなければ、と言う潔白な気持ちにさせてくれる。そして、そんな気持ちにさせてくれる東堂院さんをさらに尊敬の念を抱いた。
東堂院さんが一休憩をしたときに僕はぱちぱちと拍手をした。
「うまいね。東堂院さん。ものすごく僕の琴線を引かれる音を出すね。やはりヴァイオリンは音楽の女王だね」
そういったら東堂院さんはこくりと肯いた。
「そうね。私もヴァイオリンの音色が好きで始めたの。笹原君もヴァイオリンは好き?」
それに僕は気まずそうに頭を掻く。
「いや〜、実は『トゥーランドット』のようなヴァイオリンの使い方は正直言って好きではない。でも、グリーグの『過ぎた春』とかが好きだな。ヴァイオリンのきれいさを素直に出す曲が好きだな」
それに東堂院さんは卵の殻のように肯き、蓮のようなきれいさとひよこのようなかわいい声で言った。
「そうか。『トゥーランドット』は好きではないか。私は個人的にああいうヴァイオリンも好きなんだけどな。まあ、でも嫌いになる理由も少しわかるよ。それと『過ぎた春』!かなり、濃い趣味をしてるね、笹原君。私もいろいろと人にクラシックのことを話すけど、やってない人がそれを好きだという人は初めてみたよ。そうだな、ちょっとそれをしてみる?練習してきた期間があるから何とか、できると思う……………かな?ちょっとやってみるわ」
東堂院さんは梨の音色でこれまで話していたが、しかし、柳の表情を作ってヴァイオリンに向かって、弾いた。
「……………………」
それは子どもがよく遊びに使うビー玉の音色だった。どこかくすんでいてあまりきれいとは言いがたいけど、それでも少し光が現れるときもある音色だった。
演奏が終わったときに僕は思いっきり、大きな音を出すように拍手をした。
「いや!よかったよ!感動した!何かぼこぼこした物があったけど、やはり生で聞くのは良いよね!すごくよかったよ!」
それに東堂院さんは照れくさそうに短く吐息を出した。
「やだ。そんなにほめないで。私自身、全くできて無いな。と思っていたから、そんなにほめないで。やっぱり練習をしていないとだめだね。全く上手ではないね」
東堂院さんは銀の一筋の針金の声で恥じるように穴に潜り込んだ。だが、僕はその穴に手を差し出す。
「上手にならないのは当たり前だよ。プロじゃあないし、ろくに練習をしていないのだから上手でなくて当然だよ。でも即興にしてはよく聞けた音楽だから、それに僕は感動したんだ。そんなに恥じ入ることはないと思う」
そう僕が言ったら、東堂院さんは小さくこくりと肯いた。
「うん。そうだ、ね。確かにそうかも、私が過剰反応してただけかも。ありがとうね、笹原君。きれいに演奏をしたかったけど、でも、やっぱりできなかったわ。ちょっと残念。だけど、気遣って(きづかって)くれてありがとう、笹原君」
東堂院さんはグレープフルーツのような強い酸味のある、しかし実をすっきりとした微笑みを作っていった。
そんなすらっとした微笑みを見るとまた心臓が高鳴った。
「あ、ああ!そうだね!そういえば、みんな遅いね何をしてるのかな?ちょっと様子を見てくる!」
そういって僕は立ち上がってドアに向かった。
ああ、どきどきした。ちょっと話すぐらいならまだ良いけど、ちょっと長く話すだけで、すぐどきどきしてくる。
こんなにどきどきするなんておかしいな。正直言ってきつい。でも、天に上るような気持ちになるけどすぐにきつくなる。
そういうことを考えながら僕は扉を開いた。そこにずらりと斜めに部員が固まっていた。
「ハ、ハロ〜」
夏木さんが大人からいたずらを咎め(とがめ)られた、申し訳なさそうな顔をしていった。
「何をやっているんですか?夏木さん。さ、入ってくださいよ」
「ははは、ちょっとね。親友の恋の行き先を見ようかな〜と思ってね」
「バカなことをいわないでさっさと入ってください」
「はい。入りま〜す」
それから部員達が入ってきて、また演奏を練習した。僕は音楽部の練習を聞いて、早めに切り上りあげようとして、立ち上がった。
うん、音楽部の人達も調子は良さそうだな。いらぬお世話か、邪魔者は去ろう。
東堂院さんが部の人達と話しかけている様子をちらりと見て、僕は扉に向かって歩を進めた。
そして、その時、その声が聞こえた。
「ねえ、みんな。聞いてほしいんだけど、学園祭の演奏のもう一つに『過ぎた春』を演奏しない?
学園祭って秋でしょ?『過ぎた春』の物憂い感じが非常によくあうんだと思うんだけど、それを演奏しない?」
僕は思わず振り向いた。
東堂院さんの言葉に部の人達も小川の中にある苔むした小石の表情をした。
「うん。悪くないかも。『過ぎた春』はヴァイオリンが難しいけど、東堂院さんの実力ならできると思うし、結局、今まで『ジュピター』以外なにも決まっていないし、それはいいかもしれないね。いい加減決めないといけないしな」
「うん。私もいいと思う。なんでもいいから、とにかくそれにしようよ。『過ぎた春』は少し難しいけど、学園祭のレベルなら、何とかなるでしょ。とにかく、今は早く決めて練習をしようよ」
僕が驚いている間にどんどん外堀が埋まっていき、ますます話がまとまっていった。
そして、僕の背中に衝撃が走った。
振り返ると顔を一面にどや顔の表情をした夏木さんが、キツネのような小ずるさと愛嬌でみんなに聞こえるように言った。
「みんな。『過ぎた春』の練習には笹原君も入れましょう。なんか詳しそうだし、一般的な聴者の意見も聞きたいわ。それでいいでしょ?」
夏木さんの言うことも一理あった。だが、その薄い地味などら焼きの皮にとろりと甘いあんが秘めてあることに気づいた部員の人達は、桃の花を咲かせた。
「ああ、そうしよう、そうしよう。リスナーの意見も聞かないといけないしな」
「うん、そうだね。ちょっと部外者がいた方が当日の本番の緊張を和らげる練習になるかも知れないしね。そうしよう」
部員の人達は蜂道の汁をとろりと垂らしながら言った。
何が、本番の練習に、なんだよ。本当はお前らの意図は分かっているんだ。部外者が一人ぐらいいても本番の緊張感を和らげるかよ?この部の人達はそんなに人の恋路を傍観して楽しいのか?楽しいんだよな。はぁ〜。
僕は東堂院さんのほうを見た。東堂院さんは視線をしきりに動かしながら、やがて視線を下に俯けつつ、じっと僕のほうを上目遣いで見た。
「わ、私はいいよ。笹原君。部外者なんて気にしないし。うん、私は大丈夫だよ」
「………………………東堂院さんがいいんなら、構わないです。じゃあ、毎日来ますね」
また、背中に衝撃が起こった。
「よっしゃ!じゃあ、みんな張り切って練習しましょう!『過ぎた春』はあとで譜面手に入れるから、今日は前から話していた『ジュピター』を練習しましょう!」
そして、夏木さんは僕のほうへ笑顔を向けた。
「じゃあ、笹原君も練習見てくれるといいから。最後まで残ってね」
「ははは」
その言葉に僕は乾いた笑いをして、ちらっと東堂院さんのほうを見た。東堂院さんも僕と目があった。二人とも自然に目を外した。
はは、なんだかなぁ。これで良いのか?
春の穏やかな風が、無関心そうに木を揺らしていた。




