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殺意の思考  作者: ギロン
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 人間は思考と言語というプロセスを経て自己の感情を表現する。

だが、唯一その枠組み―柵から逃れることのできる感情が存在する。われわれは不完全で歪なそれに対して余りにも無知で、そして自己の深層に潜むそれを何よりも恐れていた。










 一羽の鴉がばさばさと羽音をたてて飛び去り、あとには静寂だけが残った。

ぼくは適当にスクラップを見繕い、袋に詰めいれはじめた。スクラップは形も大きさも様々で、バラエティに富んでいる。何かの破片。機械の一部。ゴム質の得体の知れない筒。そういうものが無造作に積み上げられ、山をなしていた。


 鉛色に濁った空と、高く聳えるゴミの山。

それがぼくにとって、全てだった。ぼくの世界はこの物寂しい薄汚れた景観に縁どられていて、そこから抜け出すことなどできやしない。


 ぱんぱんになった袋を引っ提げてしばらく歩くと、なだらかな丘と側を流れる真っ黒な川が見えてくる。河原にはどこからか流れ着いたゴミや腐敗した死体がごろごろと転がっていて、打ち寄せる流れに洗われている。

 ぼくに染み付いたこの汚れも、ああして綺麗さっぱり洗い流すことができるのだろうか。


視界の端に動くものがあって、ぼくは目線をそれに向けた。

見れば、河原に打ち寄せられたゴミの中で汚れたぼろきれのようなものが微動している。

 ぼくは近寄って、足の先で軽くそれに触れてみた。ぶにゅりとした感触。手ごたえがあって、それはむくりと起き上がった。


 ぼくはぎょっとして後ずさった。

ゴミと見分けがつかないほどに汚れた布を羽織ったそれ―精悍な目つきの男だった―は、ぼくの姿を認めると枯れた喉を絞って第一声を発した。


「香樫か」


 男の表情が余りにも鬼気迫っていたから、ぼくは怖気付いてうまく言葉を発せなかった。


「ここは香樫か」

 男は怪我をしているようで、ぜえぜえと肩で息をしていた。とにかく、ぼくは思った。まずは応急処置をすべきだ。


「立てる?」

 そう言って、手を伸ばした。











 男は礼を言って、ビールを受け取った。

薄暗くて、埃っぽい室内。ゴミの山から拾ってきた様々なガラクタやそれを組み合わせて作った調度品が雑多に置かれており、ふたりでいるととても狭く感じた。


「ここはどこだ」

「ぼくがいつも寝起きしてるところだけど」

「違う、地名を聞いてる」


 ぼくはしばらく考え込んだ。

「わかんないや。生まれた時から、ずっとここにいたから」


 男はそれを聞いて、何かを懐かしむように目を細めた。


「なぁ、話を聞いてくれないか」

「話」


 男はああ、と頷いた。

「そうだな、確かおれがお前くらいの歳の頃だった」


 男はぽつぽつと、しかし力強い口調で語り始めた。













 最初に、ある事件が起きた。

犯行は真昼間に行われ、犯人と思われる男はその場で逮捕された。些細なことから友人と口論になって、気付いたら相手が死んでいた。男はそう供述した。

 実際へんな事件で、日本中で話題になった。

目撃者の証言によれば、突然、何の前触れもなく彼が弾け飛んで四散したというのだ。


 おれは信じなかったし、噂をしていたのは得てして馬鹿な奴らばかりだった。やがて誰もがそんな事件があったことすら忘れ、いつも通りの平穏な日常が戻ってくる―おれはそう信じていた。


 でもそうはならなかった。

今度は海外で、似たような事例が何件も起きたのだ。それが映像に収められたことで、おれたちは何らかの超常的な力の存在を信じずにはいられなくなった。

 口論の最中に、学校の授業中に、仕事の最中職場で、突然ひとがミンチになって絶命する。世界中が恐怖に慄き、謎解きゲームに熱中し始めた。


 やがて、事態が発現するに至るあるパターンが確立された。つまり、誰かが誰かに殺意を抱いた時。その瞬間、相手が文字通り弾け飛ぶ。


 これが明らかになった時にはおれの周りでも大騒ぎになって、急遽世界中に警告放送がなされた。


 でも、事態は既に収拾のつかないレベルにまで発展していたようで、すぐにそんなものなど無意味になった。疑心暗鬼になった人々は暗いところに閉じこもって震えて一日を過ごすようになった。


 おれは学校からも家族からも社会からも解放されて、ひとり図書館に籠るようになった。ただひたすらに本を読んで時を過ごした。


 最初にそれが起きたのがいつでどこだったのかおれは知らない。

それでも、ここ以外の国ではとっくにそれが始まっていたらしいということはわかった。暴動と殺戮は徐々に日本を蝕んでいき、ある地点で爆発した。


 世界各地で原始的な戦争が起きた。

高性能な武器も最新兵器ももはや意味を持たなくなって、放棄された。戦場では殺意が入り乱れて血みどろの争いが勃発し、あとには肉塊となって砕け散った丸腰の兵士の死体がこんもりと積もった。


 本に囲まれたささやかな平穏も終わりを告げた。

おれの住む香樫市にもそれは忍び寄ってきて、そして戦争が始まった。この戦争には有利も不利もなく、戦力は全ての人間にとって平等だった。

 だから、戦場では常に形勢が揺れ動く。歳も性別も関係なく、気を抜けば殺される。もはや皆疲れ切っていて、どうして戦争が始まったかすら把握していなかった。


 おれは愛用していた図書館を捨てた。

孤独な闘いだった。荒廃した日本には気を許せる人間などいるはずもなく、おれはひとりで流浪の旅を続けた。いつかあの図書館に戻れると信じて、歩き続けた。











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