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逢瀬は、プラットホームで。  作者: 椎名美雪
第一章
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出逢い

 前日の配属初日には、営業部の殆どの人に挨拶を終えていた。

 でも、一人だけ、まだ自己紹介が出来ていない人がいて……。出張中の営業職の男性とだけ聞いていた。それ以上の情報は無い。


 朝、昨日のように自分の席に着き、メモとペンを机に出して緊張に固まる私。当面の仕事は、電話に慣れること。いつ鳴るのか――と、電話と睨めっこをしていた。

 呼出音が鳴ったら、2回以内に取るのが鉄則。慣れない言葉づかいで、舌を噛みそうになりながら……時には本当に噛んで、ひたすら頑張った。


「おはよう」


 何気ない、ごく普通の朝の挨拶が聞こえてきた。当たり前に、皆が自然な挨拶を返す。

 ふと、私も声のした右側に顔を向けて――固まった。


 ありがちな表現で、“時が止まった”。


(――だれ!?)


 頭の中で、自分の声がする。何秒ほど、私の目はその人に釘づけだった。


「あっ、いっちゃん。昨日、新人さんが来たんだよ」


 黒田さんが私を指して、「ほら、あの子」という仕草をする。

 “いっちゃん”と呼ばれた、その男性が私に視線を向けた。


 ドキン! ――何故か解らないけれど、胸がドキドキする。意味も判らず高鳴る鼓動が、うるさくて仕方がない。


 後になって気付いた。

 〈一目惚れ〉というものを、初めて経験した瞬間だったんだ。


 彼は、ゆっくりと私に近づいて来た。

 切れ長の涼しげな目元、シャープな鼻筋と顎のライン。端正な顔立ちをしたその人は、少し目元を緩めて、ニコッと微笑んだ。


「井沢です。よろしくね」


 それを受けて、反射的にというか、身体が勝手に動いていた。慌てて立ち上がり、頭を下げる。


「椎名です。よろしくお願いします!」


 短い挨拶をした後も頬は熱を帯びていて、いつまでも鼓動が鳴りやまない。

 その日一日…いや、まさか……

 それから何十年間もの永い歳月を、想い続けるなんて、心から離れなくなるなんて、思いもしなかった。


 私は自分でも、この井沢という男性が気になって仕方がないことに気付いていた。

 今、心の中にある想いは、多分、“恋”なのだろうということも。


 だけど、それまでの私は、同級生の男子や学校の先輩、若い先生に対して、憧れの対象という感情で、友達と盛り上がったことしか無かった。

 それらは単に、アイドルを追いかけるような“憧れ”だったのかもしれないけれど。


 一瞬で恋に落ちてしまったとしても、私と井沢さんには接点が無かった。同じ課でも、会話をするようなきっかけなんて、何一つない。学校で、クラスメイトに話しかけるのとは違う。気軽に声を掛けることなど、出来るはずもなくて、チラチラと横目で窺うだけの、もどかしい毎日を過ごした。


 誰にも聞けず、まだ彼のフルネームを知らない。

 彼女の有無なんて、とんでもない。

 唯一知れたのは、6歳年上の、24歳だということ。


 彼が私の背後を通り過ぎるたび、纏っていたコロンの香りと、煙草の匂いがふわりと漂う。細身で、スラリとしたスーツ姿が素敵で、大人の男性だと思った。

 きっと、私には足元にさえ及ばない。ただ、そっと見つめることしか出来ない相手。

 井沢さんと笑顔で話している、周りの女性が羨ましかった。対等に話せる彼女たちが、羨ましかった。


 高校を卒業したばかりの少女が、大人の世界にたった一歩だけ……いや、半歩かもしれない。社会に足を踏み入れたばかりで、“対等に”なんて、おかしな話だ。


 仕事を覚える前に、“恋”を覚えてしまった。

 だらしない、というか、みっともないというか。なんとも、恥ずかしいことのようにも思う。


 でも、何をどう考えても、考えようとしても、頭の中は井沢さんのことでイッパイ。


(どうしたら、あんな風に、気軽に話せるんだろう)


 気軽に話しかけている先輩を眺め、軽くヤキモチのような、落ち着かない気持ち。


 そんなことで唇を噛むなんて、やっぱり子供だ――。

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