辞 令
ついにやってきた、運命の日!
辞令が言い渡される日だ。社会人として、ようやくスタートラインに立った瞬間。緊張しすぎて、私の心臓はバクバクと音を立て、こめかみまで上がってきた。
研修中にあった部署紹介の後、配属を希望する部署のアンケートが取られていた。第三希望まで書くことが出来たが、果たしてどうなったのか……。
私は、当たり障りのない“総務部”を希望していた。商業高校を卒業していても、経理には全くの自信がなかったし…。あとは、営業部だけはどうしても避けたかった。
それ以外なら、もう何処の部署でも良いというのが正直な気持ち。
――けれど、辞令は、残酷だった。
< 国内営業部販売課 勤務を命ずる >
辞令を読み上げられ、手渡された時、目の前が真っ暗になったのは、言うまでもない。
サーッと、全身の血の気が引くような……そんな感じだった。
*
男女合わせて14人いた新入社員のうち、営業に配属になったのは女性だけ4人。
国内営業部に、私と広野由美子。海外営業部には、松井翔子。新規開拓課に、木村栄子。
広野さんは、外回りの営業職。私と松井ちゃんは、営業事務。木村ちゃんは一般事務として配属された。
そして、すっかり仲良くなっていた淳子ちゃんは……なんと技術部! 若い男性ばかりの部署だ。羨まし過ぎる!
辞令を貰った瞬間は、あまりの衝撃に目が眩んだ。それは、呼吸の仕方を忘れるほどの、強いダメージ。
ありえない配属先に、「人事の人は何を考えて、何を見ていたんだろう!?」と、八つ当たりの如く、怒りさえ覚えた。しかし、これも人間育成みたいなもので、人事部は、それぞれの何かを見抜いたのかもしれない。
それから、各部署からの迎えがあり、新入社員14名は、また新たな世界に飛び込むことになった。
*
営業本部へ足を踏み入れるのは、社内をぐるりと見て回った説明会の時以来か。電話が鳴り響いていて、人がたくさんいたのを覚えている。
きっと、私と広野さんの顔は、緊張で引きつっていたと思う。
迎えに来てくれた、国内営業部の女性事務員・黒田さんは、2人の緊張を解こうとしてか、廊下を歩きながらも積極的に、あれこれと声を掛けてきてくれた。
営業本部は、3階にあった。他には、技術部や社長室、専務室、秘書室がある。
3階のフロアには壁がなく、一面のだだ広い床。幾つもに仕切られたパーテーションが、壁の代わりらしい。古い建物なので、何処を見渡しても薄暗いのだが、一番明るい、煌々と照明が点いた場所が営業本部だった。
ドアを開けると、たくさんの人が忙しそうに動いている。
1992年当時の営業スタイルといえば、外回り、電話、ファックスが主流。営業マンにはポケベルも持たせていなかったし、携帯電話なんて、一般普及する以前の話だ。
電話があちこちで鳴り響き、「○○さーん! 一番に、××さんから電話です」という声が、よく上がっていた。外線は、十回線位あったと記憶しているが、忙しい時には、全ての外線が埋まったことも。
営業部の中では、いくつもの細かい部署分けがされていた。
販促部門や、工場や物流などとやり取りをして、製品の出荷が滞らないように、調整する管理部。その他にも、たくさん。
営業本部の一番奥、窓際の明るい場所に、私と広野さんが配属された国内営業部はあった。男性9人、女性5人の職場。
新人だから「慣れなくて疲れたでしょう? ゆっくりと見学していてね」――と、甘い事は言われない。
配属直後から、スパルタ教育が開始された。
とにかく、“新人は電話を取る!”。与えられた仕事は、それだけ。――いや、それこそが大切な仕事なんだ。
昔も今の時代も、この基本が変わらない会社も多いのだそう。
電話応対がきちんと出来なければ、それ以上の仕事なんて、まず無理だ。泣きながら電話を取り、「鬼!」なんて、胸の内で悪態をついていたけど、基本は大切だ。
研修でも練習を重ねたが、実践となると上手くいかない。先輩にサポートをしてもらいながら、初歩から、きっちりと仕込まれた。
最初は何を言っているのか解らない相手の言葉も、繰り返し受けるうちに、聞き取れるようになる。新年度には、新人が電話に出るというのが、社会の常識的な部分もあり、先方も重々承知している様子だった。
聞き取りやすいように、ゆっくりと喋ってくれる人もいて、とても助かった。
ただ、いつも通りの口調で、「○○だけど、××さんいるー?」なんて言われると、かなり焦るけど。
配属初日は、職場の人や営業本部内の部署への挨拶、電話応対で1日が終わった。
――そして、翌日の配属2日目。
私の人生で、“一番長い片想いを抱く人”に出会うことになる。