赤ずきん忌憚
むかし、むかし、あるところに、ちいちゃいかわいい女の子がありました。
あたしはのどかな森の小道を歩いていた。
右手にぶら下げたバスケットの中は葡萄酒の瓶と焼き立てお菓子。左手には生肉を詰めた皮袋。
「あーあ……」
あたしは溜息をついて頭巾を外して、目の前に掲げる。
たれよりもかれよりも、この子のおばあさんほど、この子をかわいがっているものはなく、この子をみると、なにもかもやりたくてやりたくて、いったいなにをやっていいのかわからなくなるくらいでした。
おばあちゃんから貰った真っ赤なビロードの頭巾。
――貰った時の赤に戻せればいいのに……
「こんにちは、赤ずきん。どこへお行きだい?」
目の前にいたのは、狼さん。
狼さんは怪我をしているせいで狩りが上手くないから、今日みたいにあたしが、自分で捌いたお肉を、あたしの用事のついでに持ってくる。
「こんにちは、狼さん。はい、いつものお肉。――今日はおばあちゃんの家を訪ねるのよ」
「それは結構」
狼さんはニッコリ笑って赤々とした新鮮なお肉を食べた。
お肉を食べ終えて口を舐めた狼さんは、ふとあたしが外したままだった頭巾のニオイを嗅いだ。そして顔を顰める。古くてカビ臭くて悪かったわねっ。
「赤ずきん。その頭巾はどんな染料で染めたんだ?」
「知らない。おばあちゃんが作ったから。でもどんなにかいい染料を使ったのかしら。――なのに今は、ほら、こんなに黒く色褪せちゃって――」
「元気をお出し、赤ずきん。おばあさんに頼めばきっと元通りに染め直してくれるさ」
狼さんは慰めるように体を摺り寄せる。こういう時、友だちっていいなって思う。
村の子供たちは、あたしがあんまり頭巾の染め直しばかりしてるものだから、気味悪がって相手にしてくれない。
「狼さん、怪我は治って?」
「まだ掛かりそうだ。今も血が滲んでいる」
狼さんは二発の弾丸を受けた右前足を見せた。あたしが巻いた包帯に血が滲んでいた。
赤。赤。赤赤赤赤赤赤赤赤赤。
「――。あたしの頭巾の本当の赤、見たくない?」
「それは見たいが、どうやって?」
こうやって、とあたしはバスケットから出した葡萄酒の瓶を叩き割った。草に零れた葡萄酒の色が広がった。
あたしは瓶を握って、割れて尖った部分を狼さんに向けた。
「さあ、赤く染めましょ?」
あたまのなかが
まっかに
そまって
ソレがなぜ狼さんだったモノだと分かったんだろう?
赤、赤、ずっと求めていた一面の鮮やかな赤。なのにちっとも嬉しくない!
だってコレは狼さんなんだからっ!
「もどさなきゃ」
あたしは草に広がる赤い海に膝を突いて、バラバラに散らばった狼さんを両手で掻き集めた。
「元に戻さなきゃ、元に戻さなきゃ元に戻さなきゃ元に戻さナキゃ元に戻さナきゃ元に戻サなきゃ元に戻さなきゃ元に戻さなキャ」
けれど、狼さんはちっとも元の形にくっつかない。
ひょっとすると集めるだけじゃダメなのかも。
あたしは狼さんを積み上げたり並べたりした。だけど、やっぱり狼さんは元の形にならない。
「――無駄だよ」
声がした。
きっと、あたしの心の裏側が囁いたんだ。
無駄ってなに? バラバラになったなら元に戻せばいいだけの話なのに。
「死んだ者は生き返らない」
震える手で握った頭巾がべっとり濡れている。
――ああ、なんて、鮮やかな、赤。
顔を上げたそこには、若い猟師さんがいた。猟師さんのはずなのに、昔見た悪魔祓いさんと同じ十字架をしている。
「その頭巾はおばあさんの歪んだ愛から作られた。おばあさんはキミが愛しくて愛しくて、特別な色の頭巾をあげたいと考えた」
あるとき、おばあさんは、赤いびろうどで、この子にずきんをこしらえてやりました。
「その愛が、キミ自身さえ真っ赤に染めた」
目の前に広がる水溜りは真っ赤。狼さんを何度も持ったあたしの掌も真っ赤。
――おばあちゃんがくれた頭巾は、最初からこれと全く同じ色じゃなかったっけ?
「キミは頭巾の赤さを取り戻すためだけに、今まで狼に与えた家畜から搾った血に頭巾を浸した。だが、いつか動物の赤では満足できなくなるだろう。そして、対象が『人間』になる」
あたしは引き攣った悲鳴を上げて、もつれる腕を使って後退さる。
なぜ動物に向けるはずのライフルをあたしに向けるの!? その銀色の銃弾はなに!?
「キミは自分の名前を覚えている?」
すると、そのずきんがまたこの子によく似あうので、もうほかのものは、なんにもかぶらないと、きめてしまいました。
そこで、この子は、赤ずきんちゃん、とばかり、よばれるようになりました。
……覚え、て、ない……
あたしは――『誰』?
「その頭巾は頭だけではなく、キミの真実の名まで覆ってしまったんだ」
猟師さんのライフルがあたしの眉間にごりりと当たったけれど、今度は逃げなかった。逃げる、という意志がどんなものだったか、忘れた。
銃声。
あたしの人生は――こうして終わった。