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読めない男、恐怖する娘

昨日までネリーは何も知らなかった。


教会の周りはこんなに手入れが行き届いているのに、教会のどこを見回しても誰も人がいない事を。


確かハンス様のお話では毎日薬を求めて人が列を成しているというのに。


ネリーは裏庭の茂み伝いに隠れて表の入り口へと向かった。


教会の扉は閉まっているが鍵はかかっていなかった。


ネリーは知らなかった。


教会の古びた外装とは違い、中の廊下は塗り立てのペンキで白く綺麗に保たれていた。


だが、どんなに白く塗ってもわかる。


いくら塗っても壁や床に染み込んだ臭いまでは拭い去る事は出来ない。


聖堂の扉を開けた。


そこには一人の男が窓枠にはまっているステンドグラスを眺めていた。


そして男が振り返る。



ネリーは本当に知る由もなく、また知る術もなかった。


この教会にいるのが、牧師などではなく、吸血の悪魔だという事を。


ネリーは昨日、教会の近くまで歩いていた。


そして、教会の方を見上げると牧師がいた。


そしてそこでネリーは牧師のあの姿を見てしまった。あんなに恐ろしく、既に人ではない人間を見て、衝撃を受けた。



男はニヤけ顏でこちらの様子を伺っていた。


最初はふざけているのかと思ったが、常に目の前の男はニヤけていた。


季節は初夏だというのに昼間から厚い生地の外套を羽織っていた。


不揃いに肩の上まで伸びた白髪に帽子で顔全体が見えていないところから覗かせる一分の隙も感じさせない黒目が不気味さをより際立たせていた。


「これはこれは久しぶりの客人か。君も薬を求めてきたんだね?」


帽子も取らず挨拶した上、ニヤニヤした表情が妙にネリーを苛立たせ、冷静さを失いそうになった。


男はニヤけてはいたが、瞳の奥は笑っているどころか血の通っていない全くの冷徹な鋭い表情をしていた。ネリーは恐怖で足がすくみ出した。


「あの、牧師様はどこにいらっしゃいますか?」


「牧師?君の目の前にいるじゃないか。私が君の探し求めていた ライグ・リドリー牧師だ。」


「もし、そうだとしたら薬はあるのですか?」

「随分失礼な聞き方だな。」


牧師のニヤけ顏が更に酷く恐ろしい表情へと変貌した。


「失礼いたしました。私はあるお方から薬のお話を聞いて頂きに来たのですが、薬の方は・・・。」


「まぁ、そんなに焦らなくてもいいだろう。そもそもこの病について、君はどう思うかね?」


「随分と漠然とした質問ですね。」


牧師はニヤニヤしながら黙ったままネリーの意見を待っていたので、仕方なく答える事にした。


「そうですね。この国を内側から崩壊へと導く悪魔の病・・・といったところでしょうか。」


「おぉ!私も同意見だよ。君とはうまく付き合っていけそうだよ。どうかね?私と一緒にこの病の撲滅に向けて、手を取り合わないかい?」


「それでその撲滅のために必要な薬はどのくらいあるんですか?」


ネリーはこのニヤけた男と話をしたくなかった。

正直こんな男の作り出した薬など使いたくない。

他に方法があればこの男に頼み込む事はない。

早く話を終わらせたくて、薬の話だけを聞きたいのだが、中々答えようとしない。

牧師に更に苛立たしさを覚えた。


「まぁまぁ、私の意見も聞いてくれたまえ。あの病はまさしく悪だ。この国にあってはならない病気だ。」


牧師はまるでどこかの演説者のように力強く、ゆっくりと落ち着いた口調で話していく。


「この国は今、病に侵されている。人も政府も皆・・・。実は私はこの病の薬を持っている訳ではないんだ。しかし、この病の治療法を知っている。だが、私一人の力ではあまりに事が大き過ぎる。再度お願いしたい。どうか、私に手を貸してもらえないかね?」


この男は何か危険だ。

危険過ぎる。

底知れない何かを隠している。

直感的にネリーはそう感じていた。


同時に自分の苛立つ表情を見てどこか余裕のあるニヤニヤしている牧師に対して恐怖も感じていた。



「お断りします。私には・・・。」



顔のすぐ横を何かが飛んでいった。


ナイフ?


「残念だ。はぁ、残念だよ。」


牧師は近くに並んでいる長椅子に右足をかけると同時に姿を消した。


ネリーは聖堂の隅々まで見回したが、牧師の姿はどこにも見当たらなかった。


突然、背中に痛みが走る。今度はナイフがネリーの後ろに飛んできた。


痛みで背中を抱え、見えない敵に恐怖を覚え始めた。


「私はね、どんな客人も嬉しいが、君のような人間は歓迎できんな。君はもう『末期』だろ?更には私の話も聞こうともせず、それなのに薬の話ばかり問いてくる利己的な人間がね。」


ネリーはどこからか聞こえてくる牧師の声に耳を澄まし、牧師の隠れている位置を特定しようとした。


しかし、聖堂の中は音が反響し、位置を特定するのが難しい。その上、話してもいない自分の病の事を瞬時に見破られた。

それが更に恐怖心を煽った。


次は左腕に痛みが走った。

どこからどこへナイフが飛んでいるのか全く見当がつかない。


「どうしてそこまで知っている?って顔をしているね。そんなの見ればわかるよ。私は今まで何百人もの『感染者』を

診てきたのだからね。」


「では、そのうち何人の感染者をあなたは救ったのですか?」


ネリーは自分の後ろを見渡した。

そして背中にまた傷を作った。

牧師はネリーの前方にいたようだった。


「当然、その殆どを救ったよ。末期を過ぎて間に合わなかった者以外はね。」


ネリーは一瞬の間に一歩前に踏み出た。背中を風が吹きつけた。


「では、どうしてこの山の麓の村には人が誰もいないのですか?」


ネリーは教会の裏から回って表の入り口に入る前、麓の村を見渡し、この違和感に気が付いた。


そこは異様な光景だった。


つい、数日前まで賑やかに人が暮らしていたようなしっかりと耕された畑のある村なのに人どころか犬も猫も見当たらない。


「それは村人全員が私の治療法によって救われたからなのだよ。」


ネリーはそのままの姿勢から真上に跳躍した。高く、出来るだけ素早く跳躍をした。


ネリーは牧師の攻撃に慣れてきた。


牧師は何か話した後にナイフを投げてくると思っていた。

そのどこから来るかわからない攻撃に恐怖をし、平常心を失ったところを仕留めていくのだろう。

だが、ナイフは飛んでくるがナイフの落ちる音も壁に刺さる音もしない。

ナイフを飛ばせばどこか飛ばしたのかで牧師の位置をを突き止めやすくしてしまう。


きっと牧師の『跳躍』で攻撃を仕掛けているのだろう。牧師の『跳躍』はとても素早く、身体能力の高いこの病に感染している者でさえ目で追う事が出来ない。


そして牧師はこちらの死角を常に探して動いている。

これ程厄介な敵はいない。


肝心なのは冷静でいる事だ。


慣れてくればある程度の位置も把握できるようになってきた。

ナイフの飛び方からして、上にいる事はない。だから高く跳躍し、上から見下ろし、位置の特定をした。



牧師も見破られたとわかり、ネリーより右側の少し離れた場所に立っていた。

少し苛立っているような雰囲気を醸し出していたが、表情は相変わらずニヤけていた。



「君も中々勘がいいな。」


牧師は左手に剣を握っていた。


ネリーは着地する前に長椅子の背もたれに片足を置き、そこから牧師に向かって一直線に『跳躍』をした。


牧師は身動き一つせず、ネリーからの攻撃に備えた。


ネリーは跳躍しながら全身を背面にそらし、バネのようにしならせ、その反動で短刀を振り下ろしていく。


渾身の一太刀だった。

この一撃に全ての力を込めて一気に決着をつけるつもりだった。


牧師は汗一つかかず、涼しい顔で軽々しくネリーの一撃を受け止めた。


牧師はそんなもんか、という顔をしながら反撃の態勢に入ろうとした。


牧師の左腕に痛みが走る。


よく見るとネリーは渾身の一撃が通じないとわかると、短刀を振り下ろして左に向いている上半身を右に捻りながら刃を牧師の腕に滑らせた。


ネリーは全身の力を込めて放った攻撃の直後、力は残っていなかった。

あとは刃の重みだけで相手の体に沿わせ、少しでもダメージを与える事で、速攻の反撃を交わす狙いだった。


全部で三度仕掛けたが、後の二発は躱された。しかし、これで牧師から速攻での反撃を避ける事が出来た。


牧師と少し距離を取り、体力の回復に努めた。


「ほう、中々面白い事をしてくれるじゃないか。さて、では今度は私の方から行くとするか。」


牧師は大きく深呼吸をし、肩を目一杯上に釣り上げてから、ストンと落とした。


微動だにしない。牧師は力を抜き、剣を持つ左手までも力なく下にぶら下げた。


聖堂の中は奇妙な程に静寂に包まれていた。


こんなに落ち着いて静かなのに胸のざわつきが止まらない。


目の前の殺人鬼は何をしてくるのだろう。


どんな技を使ってくるのだろうか。


ネリーはこの静けさがたまらなく怖くなった。


だが、逃げる事は出来なかった。


恐らく、背中を向ければ一瞬で斬り殺される。牧師には全く隙がなかった。


かと言って戦っても勝てない事は目に見えていた。

だから今は相手の攻撃をどう躱すかを考え、防御姿勢をとるしかなかった。


牧師はゆっくりと、静かに歩きはじめた。なぜか足音が聞こえない。


一歩右足を前に出し、次に左足を前に出す。


足音が聞こえない以外は単なる歩行だった。


そしてまた右足を出す。


ネリーはまだ牧師から数歩程度離れている距離で牧師の全身を凝視しながら足の動きに注意を払っていた。それでも牧師がなぜ、自分の目の前にいるのか、どうやって目前まで移動してきたのか、全く視認する事が出来なかった。


「そうそう、この瞬間の顔が何ともたまらなくてだね。」


牧師の右膝がネリーの腹部に当たり、数メートル後ろの白い壁に叩きつけられた。




「こうやって一人ずつ治療していくんだよ。こうしていけばいずれこの国から病が無くなる。これが最良にして最高の治療法という訳だ。」


ネリーは意識を失っていた。

何も聞こえず、ただ、蹴り飛ばされたままの状態で壁に背をもたれて血を流していた。


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