旧友、最後の斬撃
全てが終わった。
自分もネリーも全く歯が立たない相手に向かっていった。
二人ともこれからこの吸血悪魔の餌食になる。
骨も何本も折れていて、もう戦う事なんて出来ない。
これから自分は死ぬのだ。
今、自分のいる世界はどんな色をしているのだろうか。
自分の望んだ綺麗な景色の中なのだろうか。
いや、違う。第十三地区にいた頃と全然変わらない。
結局、自分なんてこの程度だったのだろうな。
場所が変われば景色も変わるかもしれないなんて、心のどこかでそう期待していた。
でも現実は場所が変わっただけだった。
最後にネリーの方を向いた。
ネリーは生きていた。少しだけ手が動いていた。
ネリーは顔にも服にも血が付き、無残で残酷な姿をしていた。
こんな姿にさせたのは自分だ。
全て自分のせいだ。
ごめん。ネリー・・・。
ネリーはリグの方へそっと綺麗で優しさのある薄茶色の瞳を向けた。
ネリーはそっと微笑みかけた。
「大丈夫です・・・大丈夫ですよ。」
いつものネリーの口癖が聞こえてきたような気がした。
リグは痛みを堪えながらゆっくり立ち上がった。
リグは地面を握るかのように強く踏みしめて立ち、ナイフを強く、しっかりと握り直した。
そして頭の中は自己嫌悪で一杯だった。
ネリーはどうしてこんな状況なのに俺の事を気遣えるのだろうか。
自分と同じ境遇に生きて、なぜなおも希望を持ち続けていられるのだろうか。
自分には理解出来ない。
だが、一つ言える事はある。
自分が諦めたらきっとネリーも殺されるだろう。
確実に殺される。
そんな俺が綺麗な景色なんて見られる訳がないだろ!
相打ちでいい。
何としてでもあの男を倒さねば。
何とかネリーをここから生かして逃がしたい。
ここが自分の墓場だ。
男と二人で心中なんて不本意だが、この世界から汚い物が一つ減るんだ。
それなら悪くはないだろう。
リグはナイフを構え、牧師の方を睨みつけた。
牧師はニヤけた顔のまま、苛ついた様子でリグの方を見た。
あの攻撃を受けてなぜまだ立っていられるんだ?という顔をしている。
リグは走って牧師のいる場所へと猛進していく。
『跳躍』はせいぜいあと一回出来るかどうかだ。
使う機会を間違えれば確実に殺られる。
牧師は剣を右手に持ち替えた。
どうやら牧師も本気で仕留めにくる気のようだ。
体は至る所で痛みがあるが、不思議と気持ちは軽く、動きもさっきより俊敏な気がした。
リグは両手に持ったナイフで左側を牧師からの攻撃に備え防御のために構え、右側のナイフで攻撃を与えに牧師に向かって突き出した。
牧師はリグの防御側のナイフを簡単に弾き、攻撃にかけてきたナイフも軽く受け流していき、リグの右腕に傷が増えた。
斬ろうと思えばあっさり殺られていたが、わざと軽い傷を与えているようだった。
本気で殺したいのか、遊んでいるだけなのか、牧師の本心はよくわからなかった。
痛みが増えたがそれでもまた攻撃を続けた。
両手で同時に振りかざした。これも簡単に受け止められた。
次に右手のナイフで正面に突くが、防御される。
それをくぐらせるように左ナイフを繰り出す。全部簡単に止められるものの、繰り返していくうちに相手は煩わしくなってきているようだった。もちろん、こちらの傷は増える一方で、限界も近い。
リグはなおも攻撃を続けた。
だが、牧師は不思議な事に攻撃をしてこなかった。まだ、何か隠し持っているのだろうか。
牧師の顔を見る。ずっとニヤけていて分かりづらいが、疲れてきているようだった。
少し息も上がっている。
リグは少し希望を見出した。牧師の方が自分よりも遥かに強い。
だが、このまま相手の体力を削り取っていく事が出来ればもしかしたら・・・
突然、牧師はリグに蹴り込んできた。さっきよりキレがない。リグは後ろに飛び退き、蹴りを防いだ。
「遊びは終わりにしようじゃないか。」
希望を見出し始めていたリグはまた絶望の渦に飲み込まれていった。
「すまんね、見苦しい所を見せてしまって。久しぶりの客人に年甲斐もなくはしゃいてしまって、こんなに長く『治療』したのは初めてだったからな。つい呼吸が乱れてしまった。ちょっと休憩させてくれ。」
牧師は大きく息を吸い、大きく息を吐いた。
リグは驚愕した。
たった一呼吸で息が整い、牧師の体はたちまち生気に満ち溢れ、表情もニヤけたままではあるが、生き生きとしている。
「さぁ、次が最後だな。お互い楽しんでいこうじゃないか。」
そう言いながらニヤけた男はもう一本短剣を取り出した。
一本でもやっとだったのに、二本になったら・・・。
次の攻撃が本当の俺の最後になる。
リグは頭の中で牧師との戦いを想像した。
まず、自分が攻撃を仕掛ける。
それを短剣の方で軽く止められる。そしてもう片方の剣で刺される。その時俺ももう一本のナイフで突ければ相打ちでいけるか。
いや厳しいかもしれない。
「ところでそのナイフ、どこかで見た事ある気がするのだが・・・。」
「俺を育ててくれた大恩人からもらった物でね。」
リグはその問いを受け流すように牧師を遮って答えた。
きっとこっちを心理的に撹乱させる目的があるかもしれない。
出来るだけ無駄な会話は避けよう。
そして、リグは牧師に向かって最後の一撃を開始した。
素早く右のナイフを繰り出し、当然の事ながら左の短剣で受け止められる。
しかし左から剣が振られる事はなく、右の剣で防がれ、思い切り弾かれた。
そして、剣を斜めに上げ、斬り込む動作に入っていく。
頭の中では左の剣で防御されると思い込んでいたのだが、こんなに予想と大きく掛け離れるとは思ってもいなかった。
こちらの全力であれば何とか防御の体勢を保ってくれるだろうと読んでいた。
しかし、牧師の本気は段違いだった。
防御どころか、弾きとばし、攻撃に移るとは・・・。
こちらは思い切り弾かれた事で態勢を大きく崩した。
牧師は安堵の色を浮かべたようなニヤけ顏で右手の剣をリグへ向けて左へ大きく振りかかった。
リグは後悔した。
こんな簡単な思い違いで、相打ちどころか、かすり傷すら付けられずに終わってしまった。
ネリー・・・ごめん・・・。
俺・・・ネリーに何もしてやれなかった。形のない物すらあげられてないな。
いつも助けてもらってばかりで、この旅でずっと救われていた。
最後くらい俺がネリーを救いたかった。
牧師は体が真っ二つにできる程の力で剣を振り切った。
牧師の目前には体が切断され、血が吹き出る世の中で最も美しい光景が広がっているはずだった。
しかし、そこには空振りをした空気音だけが残っていた。
その時、リグは急に体が軽くなった気がした。
浮いているのかとさえ思えてしまう軽さだった。
もしかしたらこれが死ぬという事なのか。
何かに跳ね上げられたような気がした。
死とはそんな乱暴なのだろうか。
そう思えるのも無理はない。
確かにリグは聞いたのだ。
ジンの声を。
「跳べ。守りたい人がいるんだろ?だったら高く跳べ。誰よりも高くな。」
気付けばリグは牧師の頭上にいた。
斬られてはいなかった。
リグは今までで一番高い『跳躍』をしていた。
牧師は消えたリグを見回し、上を見つめた。
突然、牧師は一瞬、真顔になった。
そしてゆっくりと顔がほころんでいったような気がした。
それは純粋で子供のような屈託のない笑顔だった。
「やぁ、ジンじゃないか!久しぶりだな。どこに行ってたんだ?さぁ、決闘ごっこの続きをしよう。さぁ、続きをしよう!」
最高点に達し、落ち始めたリグは驚き、理解に苦しんだ。
なぜ、ジンの事を知っているのだろうか。
なぜ、急にあんな表情に変わったのだろう。
だが、リグもほんの一瞬ではあるが、牧師の幼い時の姿が見えた気がした。
そして、自分の横には確かにジンもいた。
ジンは牧師に優しく微笑んでいたような気がする。
リグは牧師の頭へと落下していく。
さっきの命と命のやりとりをしていた時のとは雰囲気が違い、まるで木の棒で遊ぶ子供達のような明るさを感じた。
しかし命のやりとりである事には変わりない。
お互い、持っているのは人を殺す事の出来る本物の刃だ。
「ジン、今回は俺の勝ちだ。」
どうやら牧師にはリグがジンに見えているのだろう。
リグは両手のナイフを牧師へ向けたまま逆さまに落下していった。
牧師は左の短剣でリグの攻撃を防いだ。
そして右手に持った剣でリグに斬りかかる。
リグは牧師の持つ左の刃を突破する事しか考えていなかった。
自分の刃が牧師に届けば何とか出来る。
予想以上に防御は固く身体までの距離はあとほんの少しなのに、それが凄く遠くに感じた。
それでも出せる力の全てをナイフに送り込み、全体重をかけ続けた。
少しずつ牧師の腕が下がり始めた。
ナイフが牧師の左肩へと近づいていく。
牧師も最大の力で応戦している。
考えても見れば、自分の全力と牧師の利き腕でない左腕一本に四苦八苦しているとはなんという力の差なのだろうか。
それでもリグの方が押し始めていた。
あと少し・・・あと指一本分まで迫ったが、それ以上は決死の防御で全く動かなかった。
体も大分落下してきてしまった。
体重をこれ以上乗せる事も出来ない。
相打ちまでいけると思ったが、もはやここまでか。
ネリー、俺駄目だった。何一つ成し遂げる事が出来ないまま死ぬんだ。
間もなく牧師の攻撃側の剣が届く頃だ。
ネリー、本当にごめん。
剣はいつまで待ってもリグには届かなかった。
今まで牧師の防御側しか見ていなかった。
それほどまでに集中していたリグはようやく自分の左側に目を向けた。
そこにはネリーがいた。
ネリーは壁の端からここまで跳躍してきたのか捨て身で飛び込んできたように短剣を牧師に向けて攻撃を仕掛けていた。
見ると、既にネリーの刃は牧師の右胸部へ差し込まれていた。
「リグ様ーーーー!!」
リグは我に返り、ここで死を覚悟した自分を正した。
まだ死ぬ時ではない。
リグは自分の限界を超えて、力を出し尽くし、ようやく肩に刃が届いた。




