こんな巻物はイヤだ!
生半可な装備でダンジョンをさまよっていたら、あっという間にHPゲージが減って真っ赤になってしまった。金のバターナイフと木の盾しか手に入らず、強化アイテムも何もない中、ここまで来られただけでも大したものだとミウは思う。
雑魚モンスターを倒すのにもいちいち苦労し、回復薬も残っていない。次のフロアへ行けば落ちているだろうか。まずは階段を目指すことにした。
狭い通路を歩いていると、モンスターが現れた。目が三つあり、氷の角を生やしたペンギンのモンスターだ。特殊な能力はなく、つついて攻撃してくるだけの敵だが、今の状態では一発やられただけで死んでしまう。
「何かあったかなあ」
ミウはリュックを下ろし、中をのぞいてみた。入っているのはコンビニで買った桜まんじゅうとスナック菓子、それにフルーツ牛乳だけだった。
三ツ目のペンギンは、ミウが行動するのを今か今かと待っている。このダンジョンは誰かが一度行動すると他の人も一度行動できる、公平な仕組みになっているのだ。
「俗に言うターン制ってやつね。でもどうしよう」
考える時間は無限にある。とはいえ、このままペンギンとお見合いを続けるわけにはいかない。リュックの底をあさると、羊皮紙でできた巻物が一つあった。ひもの結び目の少し上に、保食神殺害の巻物、と書いてある。
なんだか物騒な名前の上、どこで拾ったのか覚えていない。さらによく見ると、細かい字で説明書きのようなものが記されていた。
「目の前の敵に変身しようとして、フロアを真っ暗にします……って、何これ意味わかんない」
ペンギンは黒光りする体を左右に傾け、三つの目でにやにやとミウを見ている。普通に戦っても死ぬだけなので、わけのわからない巻物を読んでみることにした。
ミウはひもをほどき、巻物を広げた。象形文字とラテン語と、日本の万葉がなが混じったような呪文が書かれている。解読することはできないが、手にしているだけで自然と唇が動く。文字に込められた魔法が目から流れ込み、全身にみなぎっていく。自分のものではない力が体に宿る、たまゆらの時間だ。
詠唱を終えると、頭に強い衝撃が走った。敵が攻撃してきたのかと思ったが、前を見ても後ろを見ても、ペンギンはもういなかった。
「あれ? あれ? ここどこ?」
さっきまでは広く見渡せていたダンジョンが、自分の周囲を除いて全て暗闇になっている。一歩進んでも、さらに一歩進んでも、視界は閉ざされたままだった。
地図を持っていたはずだ。そう思ってリュックのポケットを探ると、出てきた紙は真っ白だった。
「落ち着け、落ち着くのよ。今の今まで歩いてきたんだから、こうしてああして……」
ミウは頭を抱えた。フロアの構造を思い浮かべようとするが、記憶がこんがらがって出てこない。どうやってここまで来たのか、自分は今どっちを向いているのか、考えれば考えるほどわからなくなる。
脳みそを絞るようにして、確か階段は左上のほうだったはず、と思い出した。
ミウは左の壁づたいに歩き出した。HPが減っているせいか、辺りが真っ暗なせいか、歩きづらくて何度もつまづいた。お腹がすいたせいかもしれないと思い、まんじゅうを食べてみたが治らなかった。
「ミウ、ミウ! こっちだ、早く来い」
聞き慣れた声がする。転んだり頭をぶつけたりしながら、ようやく探り当てた。黒い甲冑を着て稲妻型の剣を持った、小太りの男が階段の前で待っている。先輩の冒険者だ。
「アルさん! 待っててくれたんですね」
「そんな装備でよく助かったな。状態異常は次のフロアに行けば治るから安心しろ」
階段を下りようとした時、すぐそばの壁に何となく目をやり、ミウはぎょっとした。
人が、壁にめり込んだまま化石のように閉じ込められている。
「どうした?」
「あ、あの、これ何ですか?」
アルは壁を見て、ああ、とうなずいた。
「たまにいるんだよ。バグアイテムを使って壁に突っ込んでっちゃう奴。こうなったら終わりだ」
「バグアイテム、ですか……」
後ろ姿なので、顔はわからない。赤いジャージを着た、おそらく若い男だ。両手にはなぜか、モンスターが持つような棍棒と鉤爪を握っている。頭にも、変なかぶり物をしているようだ。
きっと自分と同じように、視界が真っ暗になり方向がわからなくなってしまったのだ。
一歩間違えば、ミウも壁の中に閉じ込められ、後続の冒険者たちに笑われていたかもしれない。そう思うと、壁に向かって手を合わせずにいられなかった。
アルに回復薬を分けてもらい、階段を下りた。体力が戻ったはずなのに、まだ歩きづらい。一段下りるたびに、足を滑らせそうになる。
「ところでミウ、何でそんな格好してるんだ」
「えっ」
自分の体を見下ろす。着ていたはずの服が消え、でっぷりとしたペンギンの着ぐるみ姿になっていた。両手はフリッパーに埋もれて動かせないし、足には靴の代わりに水泳用のフィンを履いている。道理で歩きづらいわけだ。
ふと、巻物に書いてあった説明を思い出す。
モンスターに変身しようとして、フロアを真っ暗にする。
変身するのではなく、変身しようとする。つまり、中途半端なコスプレのような姿になるということだ。あの赤ジャージ男も、おそらく同じ巻物を読んだのだろう。
「バグアイテムって珍しいんですかね」
「そりゃそうだろ。出そうとして出せるものじゃないからな。まあ、役には立たないけど」
「そうですよねえ」
使う前に、写真の一枚でも撮っておけば良かった。
ミウは後悔しながら、ぺたんぺたんと階段を下りていった。