7
猛は生み出した刀を手に、十一面観音へと襲いかかった。
十一面観音は重心を低くしている。どうやら回避よりも、防御か反撃を選んだようだ。
その考えは間違っていない。刃物を通さない身体なのだ、もし猛が彼の物の立場だとしてもそうするだろう。ただし……と付くが。
(便利な物だな……)
猛はその様子を自分とは関係ない――どこか遠くの物を見るかのように観察した。
確かに刃を通さない身体は猛にもない能力だ。けれど『便利』と思ったのはそれではない。
――【阿修羅王の経験】とでも言うべきだろうか。
それが彼の物の特質を前にして、まったく危機感を抱かない理由であった。
あの愚か者もこと戦闘の判断だけは特筆するモノがあったようだ。それゆえか、あの絶対的な防御を切り崩す打開案、それを数通り、刹那の間に導き出していた。
答えを知ってしまえば、なんだそんなことか、と言う程度の簡単な物ではあるが、それを戦闘中に見出す能力は秀逸の一言だろう。
けれどそれが真に正しいかは猛には判断がつかない。当然だろう。対人――いや、対仏と言うべきだろうか、ともあれそれをするのは初の試みなのだから。
生前はおろか、この地にやって来ても、猛が為してきたことは『蹂躙』の一言。自らの力に比肩する者は皆無であった。ここに来て初めて、猛を追い詰める事――驚異的とまで言わない――が可能な敵と出会ったのだから……。
ならば阿修羅王の経験に黙って従うべきだろうか。いいや、それは違う! と猛はその安易な衝動を否定する。
十一面観音が全ての力を出し切っているとは限らない。
(それに――まだ奥の手が残ってるかもしれないからな!)
もしそうであるならば、逆にこちらがピンチとなる可能性も否めなかった。
それらのことを、飛びかかってから接触するまでの瞬き以下の間――刹那に、推し量っていた。
思考加速。いつの間にか猛はその力さえ有していた。
そして今、目の前には十一面観音、自らの敵を倒さんと猛は刀を振り下ろす。
轟!
爆音が生じた瞬間、辺り一面は炎の海となっていた。灼熱に包まれた大地は世界を地獄に変えようと燃えさかっていた。
これを生み出したのは一振りの刀――炎の刃による物だとは誰が思うだろうか。もしその発想が出来るならば、猛と同じこと――炎だけに限らない――も再現出来るに違いない。
また、炎の刃とは言えど、それが炎のみを凝縮した物という訳ではない。全身に纏った猛の炎に浸食された刃とでも言うべきだろうか。能力で生み出された刀は猛の力を上乗せされ、『斬る』という性質を『焼き切る』に変えられていた。否、実体無き刃の鞘を装備していたのだ。
それとかつて猛が放っていた波動、その二つが織りなす協演が一時的な灼熱地獄を生み出していた。
(これなら完全に反撃は出来まい!)
そう思って繰り出した会心の一撃。点や線を通り越して、面による絨毯爆撃もかくやという攻撃は、反撃はおろか回避も不可能、防御すら無意味と思わせる物があった。
その一方でこんなやり取りが猛の中では行われていた。
【阿修羅王の経験】も攻撃する前に『反撃は不可能』と告げていた。
この刃は十一面観音が持つ独古杵、それから生み出された風と水の刃に類する物である。ならば同様に生身での防御は不可能であり、彼の物が持つ無形の刃で迎撃せねばならぬ、と。
そこにダメージの有無を問う差違はあったが、防御せざるを得ない、という意見だけは一致していた。
また直接『斬る』か否かの是非すら異なっていた。猛はもちろん『斬る』側だ。肉を切り刻みたいという衝動はあったが、そればかりでは理由ではない。そちらの方がダメージが大きいと単純に考えたからだ。
それを【阿修羅王の経験】は否定する。ならば……と猛は考えてた。
確かに猛はそれを信頼はしていない……、が、完全に否定してる訳でもない。それが通じない、無意味だ、波動を放つべきだと忠告して来るのだ。勝負の分かれ目でもない、ただの様子見の攻撃なのだから、試してみる価値は十分にあると思われる。
もしそれが間違いで失敗したとしても、大したダメージを受けないだろうと高をくくった。
つまり、猛はこの情況を【阿修羅王の経験】の試金石としたのだ。
これらの思考すら一瞬の間、猛が刀を振り下ろすまでによる物だった。そして眼前には焦熱の海が広がっている。
如何に思考加速を有しているからといって、これは驚異的な物だった。それもこれも【阿修羅王の経験】による賜物だ。
思考を加速させるだけでも驚きに値する。しかし、猛が立っている領域はそこからさらに上に行く。
これは駄目、これはいける、と事前に取捨選択を行っていたかのように、その能力がノータイムで答えを導き出すのだ。そこから彼がその情報は信頼に値するか、否か、と迷う時間すらあった。
では、何故それが可能なのか……、どうして出来るのか……と問われればこう答えるしかない。
――お前は考えて……自分の意志で心臓を動かしているのか?
と。
また、どのような感覚なのかと聞かれたら、『コピー&ペースト』のような物と言う他はない。表現を変えるならば、「天恵が降りてきた」だろうか。
どのみち感覚を言葉に表す意味はない。大事なのは言葉ではなく、その能力なのだから……。
まるで直感が働いたかのように、そうしなければいけない、と思わせる何かが【阿修羅王の経験】にはあった。しかも結果の予想つきで。
だからどちらかと言うと、それに従うよりも否定する方がむしろ困難であった。
『食べたら美味い』と分かりきっている物を目の前にして、我慢しなければいけない、そんな情況と言うべきだろうか。いや、尚且つ作り手が側にいて、「さあ、はやく食べて」とキラキラした笑顔を向けられている情況だ。
それを突っぱねるのだ、並大抵の神経ではとても出来ないに違いない。
けれど猛は違った。
彼は――。
『それに毒は混ざっていないか?』と暗殺の可能性を疑問視する。
『美味いのは材料のおかげじゃないのか?』と料理人の腕を疑問視する。
『本当に使っただけの価値はあるのか?』と料理の存在自体を疑問視する。
――という考えを付随させる男であった。
ゆえに、彼は簡単には信じない。それがたとえどんなに優れているモノであったとしても。まずは疑う。それが彼の判断基準だったのだから……。
閑話休題。
結果として反撃は来なかった。【阿修羅王の経験】が導いたイメージは間違っていなかった、とまずは判断していいだろう。
しかしながら、それだけで『正しい』とは猛は思わない。一度や二度ならばまぐれの可能性があるのだから。
ならばさらに試せばいい。その考えに行き着くのもやはり一瞬であった。
(それより奴はどうなった!?)
すると――。
《限りなく軽微、10数秒で自己治癒と言ったところ》
――とその能力が判断を下す。
(なんだとっ!?)
猛だって致命傷を与えたなどとは考えていない。意見に従ったがゆえに斬撃は当ててはいないが、それでも放った一撃は会心の出来。未だ激しく燃え上がっており、まるで太陽がそこにあるかのような現象が起きているのだ。多少なりともダメージを期待したいところであった。
それを否定される、ほぼ無意味だったと。
猛はその答えを信じられなかった。いや、信じたくなかった。瞬時に出せる全力……というのも、そうであって欲しい、と願う理由の一つ。
確かめるにしても、疑似太陽の中に覆い尽くされてしまった十一面観音の様子など、猛には分からない。それを【阿修羅王の経験】は軽傷と判断する。
見てもいないのに!
と悪態をつきたかったが、それが真実であったと分かる出来事が起きた。
――炎がまき散らされた。まるで中央部で爆発が発生したかのように……。
全てが吹き飛ばされたという訳ではないが、明らかに炎の勢いが無くなっているのが分かる。それからまもなくして轟炎――弱体した疑似太陽――は陽炎へと変わり、薄らと先が見えるようになってきた。
影が1つ。それがゆっくりとこちら側に近づいて来るが分かる。
やがて全ての焔が消沈して視界が晴れると、そこには火傷一つしていない十一面観音の姿があった。
《こちら以上に心気を込めた風の力で密度を弱め、水の力で消火した》
(……うぜぇ!)
『何故?』と考えるよりも先に答えを出す【阿修羅王の経験】に、猛は少しうんざりとしてしまう。有能ではあるがウザイ能力、と考えを改める必要があるようだ。
けれど与えられた答えは間違っていない。少なくとも状況判断は猛と一致している。
そう考えると、少しは信頼してもいいのかもしれない、と猛は思い始めた。
そして頼ると決めると、その能力に興味を抱くのが人情だ。得体が知れない物など使う気もなれないだろう。
また考えに干渉してくる現象も気に食わない。まるで意識がもう一つあるかのように感じてしまうのだ。
(もしかすると阿修羅王に憑依されたのか?)
猛は最初、そう考えてしまった。
けれどそれは違うだろう。仮にそうだとしたら、猛の意志を無視して身体を動かしていたかもしれないのだ。そんな現象は未だ起こっていない。だからあり得ないと判断した。
もちろん潜伏している可能性も考慮するべきだが、浮かび上がるイメージに感情は存在しない。それに読み取った記憶を鑑みれば、あの阿修羅王の激情ぶりを考えると、憑依はされていないと断言出来る。
(少々使いづらい道具と言ったところか……)
猛はそう思うと嫌悪感を一切合切捨て去った。道具に感情移入する者など判断に惑い、使い物にならない。そんなことをすれば、かつて見下してきた者と同じになってしまうのだから。
そして冷静になって改めて考えると、【阿修羅王の経験】はかの阿修羅王の記憶に基づく物ではないと理解出来た。
本来記憶など薄れ、やがては消え去ってしまう物。ましてや興味のない物ならば尚更だろう。もちろん神仏ならば忘れないと言われたらそれまでだが、猛の物にした以上、いずれ忘れ去ってしまう事だろう。ただしそれが『記憶』ならば……と付くが。
猛が見た記憶はどこか客観的であった。そう、まるで小説――『阿修羅王の最期』あるいは『阿修羅族の滅亡記』と猛は名付けたい――を読んでいるかのように。
だから忘れない、また引っ張られない。
それゆえに記憶というよりはむしろ、『記録』と言うべき物であった。
つまり猛が阿修羅王から奪い取った固有能力は――。
【羅刹の戦具】
・武具の無限創造、および武具の射出
・『羅刹の衣』を具現化
【炎の化身】
・炎によるダメージの無効
・火属性を帯びる
・炎の操る能力、および具現化する能力
・炎そのものとなることも可能
【阿修羅王の経験】
・阿修羅王の武術
・阿修羅王の戦術眼
(――おまけとして『阿修羅王の記録』ってところか)
随分と中二病臭い名前をつけてしまったが、存在がそのものと化しているので問題ないと猛は思い込む。そもそもそれを批評する相手もいないのだから、気にしても無駄と言う物だろう。
それにしも【炎の化身】は中途半端な能力に感じた。
火属性攻撃でも火以外の物は防げないようだ。ダメージは減少させるだろうが……。耐性ではなく属性になっている以上は弱点も持つことは間違いない。そう考えると相当に癖のある能力に思えた。
(まあ、炎の鎧――オーラを纏えば問題は無いだろうな……)
直撃しなければ、どうということはない。力業で防いでしまえば問題ないと最終的に判断する。
また炎を操る力にしても、他者の心気が込められた物は操作不可能と来ている。
他の能力は完成された――強弱はまた別――一つの力と理解出来るからか、それだけにどこか【炎の化身】に不満を覚えてしまう。
また、未だ馴染んでいないためか、能力を完全に発揮しているとは言えない状態のようだ。阿修羅王が使っていた威力と比較してもまだまだ及ばない。心気の量は倍近くあるというのに……。
(まあ、今は気にしても仕方がないな……)
使えるならばそれで良い、と猛はそこで考えを止める。目の前に十一面観音が現れたのだ。流石にこの情況で、能力の考察を続けるほどの余裕は猛にもなかった。
接近してきた十一面観音は、独古杵を振り回し水の刃を飛ばしてくる。見えはしないが、おそらく風の刃もあるのだろう。【阿修羅王の経験】もそう判断している。
刃に心気を込めているのか、先ほどの猛と同様に属性付与された波動が猛へと襲いかかる。
――防御も回避も必要無し。
その【阿修羅王の経験】の強制とも言えるイメージに逆らうことなく、身に纏う『炎のオーラ』へと心気をさらに注ぎ込む。その瞬間、荒れ狂っていた炎が金色の色を帯びて、どこか神秘的な静寂を感じさせる物へと変貌した。
それからまもなくして水が蒸発するところを見届け、数瞬の後に何かが炎に当たる感覚があった。
(――ッ!? 風の波動か!)
火属性の弱点は多分だが――水属性攻撃だ。けれど、こと隠密性においては風の方が嫌な力だと猛は判断した。否、風だけならばそう問題ないが、水が見えているのが厄介だった。
今のは大した威力ではなかったが、先ほどの猛の炎を吹き飛ばしたぐらいの心気が込められていたら……、そしてオーラがまき散らされた後に水属性攻撃を受けたならば。
――危険極まりない!
とその力を評価する。
今は『振り回す』という丸わかりの動作ゆえに簡単に識別出来たが、『突き』や何気ない動作の中に混ぜられてしまえば分からない時もあるだろう。丸わかりの動作すらフェイントに使ってくる可能性だってあるのだ。
受けに回るのは不利。そう判断した猛は果敢に攻め込む。
もはや固有能力の考察など何時でも出来る、と後回しを決め込む。ここで勝負に出る、と判断した猛は【阿修羅王の経験】に身を委ねる事すら辞さなかった。
それからは一方的、まさにその言葉に恥じない奮闘ぶりを猛は見せていた。
十一面観音すら圧倒的に及ばない戦闘経験と技術。それが彼の物の動きの一切を封殺していた。
されど、本来の――阿修羅王の肉体とは違う猛の身体ゆえに齟齬が生じ、十全に力を発揮しえなかった。他の能力すら『経験』が感じる物よりも劣り、そこからも導き出された結果に違和を生じさせる。
だから一方的にも拘わらず、彼の物を打倒するには至らなかった。
そんな状態でも十一面観音に抵抗すら許さないところが【阿修羅王の経験】の賜物か。まるで未来を見通すかのように一歩も二歩も彼の物の先を征く。猛が繰り出した攻撃はそのどれもが致命傷を感じさせる物であった。
胴は薙がれ、顔面をたたき割られ、手を切り落とされた。
――はずであった。しかし、その攻撃はことごとく弾かれてしまう。槍群の射出の時のように、猛の斬撃は彼の物に傷一つ与えることが出来なかったのだ。
武器を変え、彼の仏に対応出来ない速度で何度も切りつける。そのどれもが十一面観音の肌を傷つけること不可能だった。
もちろんこれらの動作全てが無駄だったという訳ではない。ダメージは与えられずとも、その衝撃までは防ぐことは出来ない。生み出された衝撃波に十一面観音は吹き飛ばされていた。この事からも攻撃全てを打ち消すという能力ではない事がわかる。
また、炎で火傷を負わすことは可能だったのに、武器に纏わせた状態では一切効かなくなっていた。
やはり【阿修羅王の経験】が先に指摘した推測は間違っていなかったのだ。
それはともかくとして、武器を媒介とした攻撃ではダメージだけは無効化されることがわかった。
(……『遠距離攻撃の無効化』、もしくは『完全抵抗』だったら良かったのにな)
もしそうなら既に倒せているだろう。それならば楽だったのに……と猛は手にした能力では相性が悪いと実感してしまった。
遠距離は効かず、接近戦での刃物も通さない身体。ならば……と思って試した鈍器ですらも傷一つ与えることは叶わなかった。
猛の攻撃を阻んでいる能力は『火属性攻撃耐性』と『武器によるダメージの無効化』で間違いないだろう。
これにより、初めに【阿修羅王の経験】が模索した幾つかの方法が間違いであったと判明した。当然というかデータ不足の結論ならば仕方がないことだろう。
――思った以上に使える。だが、完全に能力任せとするのもいけない。
それが分かっただけでも十分か。いや、と猛はその評価では不十分と考えを改める。
情報を得られると同時に、それを補足修正する能力は素晴らしい物があった。自分以上に的確な分析を、自分よりも早く出してくれるのだから……。
(まあ、道具は使用者次第とは言ったもんだぜ。凄い能力だからこそ振り回されないようにしないとな!)
完璧ではないけれど、要は使いよう。その言葉の通り、猛はその力の本質を理解した。
また武術に関しても随時齟齬は修正されていた。それだけではない。急速に旭人の身体に刻まれつつあった。未だ能力を使わずして十一面観音と相対するには及ばないが、もうしばらくしたら互角程度にはなると告げられた。
確実に自分を成長させる能力。それが【阿修羅王の経験】の感想だった。
さて……と猛は考えを切り替えた。能力に身を委ねていたために考える余裕が出来たが、この情況は猛の望むところではない。能力に任せきりではなく、自らも打開策を見出す必要性を感じていた。
阿修羅王の能力では十一面観音を滅ぼすことは不可能と確定した。とはいえ殺すことは容易でないだけで、倒すことだけならば簡単だった。
まず武具の射出で穴を掘る。そしてそこに落とした上で『永遠の業火炉』を作り出せば封印することはできるだろう。
死なないとはいえ、彼の物程度の存在では猛が本気でやれば問題ない。込める心気の量を増やせばそれが出来る、と【阿修羅王の経験】が告げていた。
もちろんただの炎なら抜け出される可能性もあるが、炎の拘束具として具象化すれば、その束縛からは逃れようがないだろう。
だがしかし、猛にはその気はなかった。むしろ遣りたいとも思わない。
――弱者を相手に搦め手を使う? そんなのはあり得ない!
とその手段を否定する。
あからさまに自分より弱く、まさにボーナスステージとも言わんばかりの相手。それに《アフラ・マズダー》の事を思えば、滅ぼした暁には自分を苦しめる、その多彩な能力を奪える可能性もあるのだ。これを討ち果たさず何をするというのだろうか。
また、阿修羅王の戦闘術を完全に物にするのにも役立つ相手でもある。長く戦えば戦うだけ血となり肉となる。
当然自分だけでなく、相手もその間に強くなることも考えられるが、これだけの心気総量の差は埋められない。
何も出来ない十一面観音と、何をしても無駄な猛。
だからこそ情況は膠着していると言えた。
「――無駄だ。汝の攻撃では私を倒すことなど不可能なのだ。
これは天が定めた事実である。観念して私の刃に掛かるが良い」
不意に十一面観音が声を掛けてきた。
何を言い出すのか少し興味のあった猛は、攻撃の手を緩め距離を取ることにした。
「ふんっ……そうだな。確かにお前の言う通りだ。相性の悪さもあり、それを否定は出来んな。
だからといってお前に勝てないという道理もない。第一お前も俺には傷一つ付けてないじゃないか」
前口上ではないが、こうして会話するのも悪いことではない。中には面白い事を抜かす輩もいる。頭に昇っていた血も下がったようだし、期待出来るかもしれない。
いや、落ち着いた感情を再び煽るのもおつだろうか。
――また無様な姿がみられるのだからな!
と思った猛は十一面観音を貶し、その反応を楽しむことにした。
「まあ、それも仕方ないことだろうな。お前の動きでは俺に当てることなど出来ないのだ。
圧倒的に速度が足りない! それを分かっているんだろう?」
猛は顎を斜めに上げると共に、口端をつり上げそう告げた。
「――ッ! よかろう……そこまで言うのならば見せてやる。汝を捉え得る、私の秘技をな!」
そう言うや否や、十一面観音は空へと舞い上がる。
思った以上に動揺を誘えたようだ。無様というほどの醜態は見せなかったが、自尊心を刺激されたせいか、まるで後がない借金漬けの男にすら見えた。一瞬逃げるつもりなのかと思えたほどだ。
しかし、そうではなかった。
彼の物は独古杵を天に掲げると、いつの間にか緑色のオーラを立ち昇らせていた。
「コォォォォォ」
十一面観音は息を吐き、心気を高めているようだ。
ここから遠く離れているにも拘わらず、彼の物の息吹を捉えられるとなると、相当な大音量だということが分かる。
やがて心気はそのオーラと混じり合う。そして段々と一点に――独古杵に集中していく。
そして高らかに告げた。
「私の力を見よっ! 雷・帝・招・来っ!!」
十一面観音が力ある言葉を放つと、その心気と混じり合ったオーラが何か別の物に変質した。
不意に嫌な予感を覚えた猛はその場を離れようとする。――が、動けない。いつの間にか風が纏わり付き、猛の身体を拘束していた。
――オーラが、金色の炎が役に立たないっ!!
ならば……、と猛はさらに気合いを入れる。風の束縛を打ち払おうと心気を高めていく。それに答えてか、身に纏ったオーラは更なる輝きを増していく。
しかし、それは悪手だったのかもしれない。そのことに集中してしまい、敵から目を一瞬背けてしまったのだ。
ピカッ!!
(ん? 今度は何だ!?)
何かが光ったような感じがした。光とはいえど、白い物ではない。
――むしろ黒い?
それに不吉を感じた猛は、思わず作業を中断して光源へと顔を向けてしまう。
(あれは――!?)
その時十一面観音から感じられる心気が急激に高まった。阿修羅王が持っていたそれと比肩しても遜色のないほどに。
あれはヤバイ!
そう思ったときには既に手遅れだった。独古杵から立ち昇るオーラは弓を象っており、黒く禍々しい矢も完成間際であった。
それだけならば「だからどうした?」で済むことだろう。しかし鏃に込められている心気の量が尋常ではない。
それを十一面観音はつがえ、猛へと狙いを定めていたのだ。どう見ても放たれる寸前だ。
「受けよ……、天の裁きを!」
「しまっ――」
【ルドラの咆哮】!!
まるで天から告げられたようにその怒声が世界に響き渡る。
そして十一面観音の指が開かれた瞬間、猛の視界は黒き光に包まれる。
次回決着




