3
――扉を抜けた先
そこは嗅ぎ覚えのある臭いで充満していた。
それは生前、死の間際を彷彿とさせる物があった。
つまり――血液の臭い。
猛はその記憶に嫌悪感を抱く。
人生で唯一の汚点と言っても良いだろう。
死ぬならばもっと派手に、そしてもっと歴史に名を刻んでからと考えていた。
それが捨てた女に殺される……。
(冗談じゃない!)
ふつふつとその感情がわき上がる。
これも閻魔や地獄の鬼から逃走を果たしたからこそだろう。余裕ができた事で冷静さを取り戻し、普段通りの天見猛へと切り替わる。
さらに拘束されたままの状態が、猛の苛立ちに一役買っていった。
しばらく悪態をついた後、場を移す事を考える。
あまり嗅いでいていい気分にはなれない。そう思い彼は歩を進めた。
しかし、行く先々でそれが変わるという事はなかった。血の臭いが消える事はなかったのだ。まるで自分にこびり付いているかのように……。
けれども、何処に行っても血の臭いがない場所など存在しなかった。
むしろ最初にいた場所こそ、一番臭いが薄かったような感じだった。
そんな事を考えているとき、彼は背後に人の気配を感じた。そして後ろを振り向く。
するとそこには完全武装――全身甲冑を着けた戦士といった姿の男が剣を振り上げていた。
そして抵抗するまもなく、身動きの取れない猛はその一撃を受けてしまった。
男は容赦なく剣を振り下ろす。
袈裟斬りと呼ばれるその太刀筋は、拘束具ごと猛を真っ二つにしてしまう。
――それは致命傷であった。
一度死んだからこそわかる感覚。二度目の人生……といっていいかわからないが、少なくとも二度目の死を迎えることは確実だろう。
(くっそぉ! 俺が何をしたというんだ!
俺はまだやりたい事がたくさんあるんだ。まだ死ねない! 死にたくないっ!!
――このような結末は認めるわけにはいかない!)
だが、その嘆きも虚しく、猛の身体は崩壊していくだけであった。
彼の肉体は、光の粒となり飛散してしまう。
やがてそれは一つにまとまり形を成していく。
そしてその様子を客観的に見ていた猛は疑問を覚える。
(――俺は死んだんじゃないのか……?
あれはいったい……。いやそもそも今の俺の状態は……)
猛は自分がどの様になっているかなどわからない。
そもそも、手足を動かそうとしても反応がない。むしろ最初からなかったような気もする。
けれどそれは錯覚だ。間違いなく猛には手足はあったのだ。そう思い、その考えを否定する。
すると、猛の意識はやがて集まり始めていた光へと飛び込んでいった。
光と合わさった事により、自分に手足があったという感覚を思い出す。
(これは……。先ほどの光、一粒一粒が俺を構成する因子だったのか?
それと分離している状態だったからこそ……わからなかったのか?)
おそらくその考えは間違っていないだろうと猛は思う。今もこうして光を吸収するごとに、様々な記憶や感覚を思い出して行っているのだ。
逆に言えばこの光、一粒一粒が猛自身なのだろう。
そう考えると、一粒も逃してはなるものか、と必死にかき集めようとする。
しかし、身体は動かない。感覚はあれど、それを動かす事ができないのだ。
光は集まり、既に以前の猛という姿形になりかけている。もちろん顔は見えないが……。
それでも手も足も既にある。だが、それでも無理なのだ。
今まで思い通りにならなかった事が少ないだけに、猛はこの状態にストレスを感じてしまう。
そんな猛をよそに、猛を構成する因子は全て彼に吸収されていた。
それが終わると身体が勝手に浮かび始めていた。
(おいおい、俺の身体だぞ? なんで勝手に動いてやがる……)
猛の意志をことごとく無視し、浮遊しどこかへと向かい始めるのだった。
やがて、ある場所へとたどり着く。
そこには猛のように、物理的な肉体を持たない光の人型がたむろしていた。
どうやら猛と同様に、身体を自由に動かすことはできないようだ。注意深く観察し、それがわかった。
何故そう思ったかというと、それは――。
――数個の列を作り、綺麗に並んでいるからだ。
自由に動けるならば、身じろぎをしたり、そわそわしたりしてしまうものだ。それができないとなると、動けないと判断するしかないのだ。
(整列……なんかの配給かね)
遙か先ではあるが、列に並んでいる者が何かを手に入れている。それが見えたのだ。
そうして順番を待って、いや待たされていると、次第に配給している物が把握できる距離まで近づいていた。
――武器と防具
猛を斬り殺した男が持っていたかのような物。
鎧は西洋風、東洋風違いはあれど全身鎧・甲冑といった重装備以外は存在していなかった。
武器にしても、大太刀、長槍、両刃斧、そして大鎌の様な両手武器しか存在しない。
盾の様な補助防具や、弓矢といった遠距離武器もない。また短剣や短槍といった身軽なものもなかった。
あれでは不意を突くことはできない。鎧は脱げば良いが、両手武器ではどうしても初動が遅れてしまう。おそらく打ち合いしかないのだろう。
そのことから、ここにはそういう戦術がないということが理解できた。
また、気になる点がある。
――それは配給している者たちの事だ。
その者たちは人型ではない。そもそも生物なのかどうかも定かではない。
それに配給とはいったが、配っている存在がいるわけではない。
その謎の生物が、武器や防具を口らしきものからはき出し続けている。それを各々が好きな物を勝手に持って行く、という形であった。
あれが何なのかは、興味が尽きない。とはいえ、それを気にしたところで理解できるとは思わない。
確かにセルフでも配給には違いはない。ただ、分量を必要以上与えないために人が管理しているに過ぎない。
この様に際限なく作り出せるならば、その限りではない。そのような係など必要はないだろう。
けれど猛にとって、それはありがたくない事だった。扱った事もない初心者なのだ。当然アドバイザーが欲しいところであった。
結局のところ、猛は大鎌と西洋鎧を選ぶ事にした。
これには素人考えだが、しっかりとした理由がある。
本来は両手剣が望ましかったが、猛は自分を殺した武器など使う気持ちには慣れない。
故に、次善策として大鎌を選んだのである。
大鎌とは首を刈るのに適した形をしている。ならば全身鎧しかないこの世界では頼もしい存在に思えたのだ。
もちろん、両手槍で顔を狙うという手もあった。けれど槍は、どことなく頼りがいを感じさせない物があった。
猛の感覚では棒きれに刃が付いているだけなのだ。その程度の理由で除外したのだ。
ようは気分の問題なのだ。なんとなく選んだと言われたら「その通りだ」と答えるしかない。
所詮素人なのだ。自分に適した装備など選べるはずもないのだから……。
防具に至っては簡単だ。
身に着けるのが楽そう、という考えだった。
だが、そんな考えは無意味だったようだ。
鎧は自然と纏わり付いていく。だから着こなしに関してなど心配する必要はなかったのだ。
このことからも、ここでは地球での常識は通用しない。そう考えを改めるしかなかった。
そもそも死んで蘇るなど、彼の常識にはなかった。
それを受け入れた以上、この程度で動揺する事はない。むしろ、『生き返ることができる』という可能性がわかっただけでも、ありがたいことなのだ。
この時、猛は身体の自由を完全に取り戻した。
鎧を着た途端、光が肉づいた……というべきだろうか。ともかく、身体が再構成されたということだろう。
当然、前の順番にいた、光の人型の変化を見ていた。だからそれにうろたえるような事ももはやない。
自由を取り戻した猛は、まず何をするかを考える。
ここでこうして、次々とくる光たちを眺めているのも悪くはないだろう。
理由としては簡単だ。
武器を手にした光、いや光だった人間は方々(ほうぼう)に散っていた。
だから、下手に動くとそれらの者に襲われるという可能性があった。おそらく猛を殺した男もその内の一人あろう。
けれど、目的もなく、ここでじっとしているは耐えがたい事だ。加えて、食料もない。
もっとも、食料が必要な身体なのかは不明ではある。目覚めてより、一度も空腹を覚えていない。なら必要としていない可能性の方が高いだろう。
しかし、あるならば食べたい。それが人の欲なのだから。
美味い物を食べたい。おなかいっぱいに食べたい。その気持ちに否を唱える者はいないだろう。
金がなくて食べられないというのは論外だ。奪えば食べられるのだから。
できるかできないかではなく、ようは食べたいか否かなのだ。
確かに我慢をするという者はいるが、そういった者は違う欲に駆られている。
ダイエット…………自己陶酔。
タブー…………信仰。
健康…………長寿――生存欲。
他にもあるが、違いは大差ない。どれも同じ理由でそれを否定する。
食欲以外の欲、それを求めているだけに過ぎない。ゆえに、食欲は二の次にされているだけなのだ。
そのことからもわかる事がある。人が生きるという事は――欲を露わにする事なのだと。少なくとも、猛はそう思っている。
欲とは生きる活力であり、彩りなのだ。
それを否定するという事は、死んでいる。いや、死んでしまう。
だから猛は我慢をしない。
したいようにして、したい事だけをするのだ。
そしてただ待つだけ、というのは猛のしたい事ではない。
どちらかというと、せざるを得ないという状態だ。それではどうしてもストレスがたまってしまう。
(――クソ! どうして俺がこんな目に……)
殺された驚きで忘れていたが、彼は元々苛立ちのさなかにあった。
だから消える事なく燻っていた憎しみと怒りの炎が、再び燃え上がり始めたのだ。
そこで猛はある事を思いつく。
(あの列に並んでいるのは……確か、抵抗もできないんだよな)
それを思い出すと、八つ当たりをしてストレス解消をするために動き出す。
身動きのできない者をいたぶるために……。
猛は光の人型に襲いかかる。
「うぅううぉぉぉおお!」
雄叫びを上げ、無防備な彼らに接近する。
そして手に持った大鎌を振り回していく。強引になぎ払うかのように。
抵抗がないのを良い事に、彼は好き放題暴れ回る。
しかし、その攻撃全てが光の人型をすり抜ける。
やはり、という思いはあった。物理的肉体を持っていないのだ。倒す事はできないだろうと。
だが、猛にはそんな事はどうでもよかった。ただ、心の底から暴れたかったのだ。
「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ……」
心肺の限界まで暴れた猛は、尻を地につけて息を荒らげていた。
ここまできては、血が染みこんだ大地であろうと気にする余裕はなくなっていた。
いや、気にしても無駄だと諦めたと言うべきだろう。
探してもないなら、それは無駄な労力以外何物でもない。
その事はともかくとして、猛はある事に気付いていた。
(光の数が減っている……)
だが、それは猛が斬り殺したというわけではない。そもそも当たらないのだから斬れるわけがない。
だが、それでも確実に数を減らしていた。
列が先に進んだという訳でもない。何せ、狙った者を攻撃し続けていたのだから。
しかし、狙っていた――標的は未だ健在である。居なくなったのはその近辺に浮遊している光……。
そこで猛は大鎌を地面に起き、光を確かめる事にした。
確かめると言っても触診だ。触れないという事に興味を抱いたのだ。
透過するというのはどのような感触なのか。はたまたそういった物すらない感覚なのかと。
そして勢いよく光に手を差し込んだ。
ズブリ
猛の思惑とは裏腹に、彼の手はその光に突き刺さってしまった。
軽い抵抗はあったものの、まるで豆腐のように柔らかく、猛の腕はその人型の光にめり込んでいた。
グググググアアアアアア
そして光は音にならない悲鳴を上げ、はじけ飛んだ。断末魔だったのだろう。声が出ていないにもかかわらず、猛にはその様子がはっきりとわかった。
はじけた光は粒となり、きらきらと宙を漂っている。
今度はそれが気になり、猛は手を伸ばす。そしてそっと握りしめる。
――しかし、光は消えてしまった。まるで蛍のように……。
むきになった猛はそれらを捕まえようと、何度何度も握りしめる。
苛立ちを覚えてしまう行為にもかかわらず、それを止める事はできなかった。
(クソッ! なんかここに来てから感情が制御できん!)
これは修羅道の理が作用した結果なのだが、猛がそれを知るよしもない。
何度も何度もやっている内に、ふと身体の奥底から力がわき上がってくるような感覚があった。
心なしか動きが速くなっている様な気もする。
(いや、確実に速くなっているな……)
そして、そのことに気が付いたときは、光の粒など何処にもなくなっていた。
猛は自身に起きた反応を顧みる。
力が湧いたのは何時だったか。またどんな事をした時だったか。
大まかな予想は付いた物の、『どれ』とは確信が持てなかった。だから覚えのある事を再び行う事にした。
猛は先ほどと同じように腕を差し入れる。
(……この時点では感じられないな)
次にその光を握りつぶす。
(………………これだっ!)
力がわき上がる感覚を掴み、これが原因だったと確信する。
つまりこれは――光は消えたのではなく、吸収したというのが正しいのだろう。
それに気が付かず、消えたと錯覚していたのだろう。猛はそう解釈した。
光を吸収したことによって猛は力がわき上がる。
(やることが決まったな)
猛はにやりと口端を歪ませる。そして精神を高揚させて、次の標的へと襲いかかった。
腕を振り上げ殴りつける。
突き刺したわけでもないのに、光ははじけ飛ぶ。
(脆い、脆すぎる)
おそらくだが、先ほど数が減っていたのこれが理由だと思った。大鎌でなぎ払ったときに、猛の身体に当たってしまった事で消滅してしまったのだろう。
――ちょっとした攻撃でも消滅する
それがわかると、大きい動きは無駄だと判断する。そして彼は次の獲物に――。
結局、彼は足を使った攻撃を繰り出さなかった。
蹴りは過剰な威力と判断した、というのもある。しかし、一番の理由は動きが制限されてしまうことにあった。
走りながらのラリアットで十分なのだ。なら、機動性に富んだ動きこそ重視すべき事であった。
そしてある程度光を潰すと、今度はそれを食らい尽くす番であった。
拳以外でも触れることができるのだ。なら全身で吸い尽くす事もできるはずだ。そんな考えが彼の中にはあった。
それならば、攻撃を加えたときに吸収できそうな気もするが、この状態――粒にならないと不可能なのだろう。
二度手間に感じるが、できない事は諦めるしかない。
猛は動き回り、全身で光を浴びた。その都度、力が増しているのがわかる。
それは高揚感を呼び起こす。
――そして癖になる。
おそらくこの光とは魂だろう。
それを奪い尽くすというのは実に快感であった。
――他人の物を奪い取る
それはなんと素晴らしい事か。
身体の奥底でうごめいていた物。それが『もっと手に入れろ。奪い取れ!』と存在感を示しているのがはっきりとわかる。
これこそが猛の一番の欲。
それを満たしたため、思わず笑いがこぼれ出てしまう。
「あはっ、あははは、あっはっははー。最高! たまんねぇ」
端正な顔は歪み、まるで悪鬼羅刹のような雰囲気をまとっていた。
これが彼の性根である。救いのない外道である。
猛がこのよう事が可能なのは、もちろん理由がある。
自ら修羅道へと落ちた事。それゆえに、この世界の縛りが彼には効きづらい。
そして前世、いや前前世に如来から貰った力が残っていたこと。
彼が死んだとき、与えられた能力は純粋な力として還元されていた。
先ほど魂が砕けたとき、この力によって自らの存在を確固とした存在に変異・再構成されていた。だから、なおさら理に縛られる事はない。
そして一番の理由は――閻魔に起こされた事だった。それにより前世の自我を持って存在することができた。
そうでなければ、記憶を消されて修羅道の理に染まっていた事だろう。
また、この場を離れなければいけない、という強迫観念におそわれてしまい、むき出しの魂など手に掛けることはできなかったに違いない。
だから魂を吸収する事が彼の力ではない。
彼が行っているのはこの世界の理を無視すること。それができるならば従う必要もない。
そして他の世界の概念を持ちだし、それを利用しているに過ぎなかった。
――彼本来の性質である餓鬼道の概念を。
ゆえに吸収しているのではない。奪っているのだ。
――彼らの生きる力を。
六道の理から解放される事を解脱と呼ぶ。
それに対して、彼は理から外れた異端者――外道と呼ぶに相応しい。
もちろん悪人という意味でも彼は正しく外道であった……。