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逃げ出した猛を見逃すということは、鬼たちにはあり得ない。いくら話に夢中になっていたとはいえ、その時点でクロスケは気が付いた。
「お前らっ! その話は止めだ!
今はやつを追う。逃すなっ!」
振り返る事なく走り続ける猛に対し、彼らは横一列になって追いかける。
――赤青黒緑黄鬼の順にだ。
もし猛がそれを見ていたならばこうツッコミを入れていたはずだ。『戦隊ヒーローか!』と。
普通相手を追いかけるのに整列する者などいない。捕まえなければ意味がないのだ。そんなことをしている暇はないだろう。
そもそも、人それぞれ足の速さが違うし、歩幅も違う。だから整列しながら動くには一番遅い者に合わせねばならないのだ。
また、その配列に彼らは拘りがあるのか、彼ら順番を入れ替えてから動き始めた。それにどのような理由があるのだろうか……。
しかし、猛は見ていないので、そこにツッコむということもなかった。
もちろんこれには理由がある。彼らはこの順番が一番力が発揮できるのである。
鬼たちは5人、いや5鬼編成で隊を作っている。
猛は真ん中で黒が階級が高い考えたが、実のところ違っていた。
彼らに上下はないのだ。確かにクロスケは統率に優れている人物である。さながらリーダーの役割を担っている、といったところだろう。
だが、あくまでまとめ役に過ぎないのだ。
そして各鬼には特色があった。
黒鬼は知性、青鬼は剛力、黄鬼は耐久、緑は技力、そして赤は平均であった。
全ての事を満遍なくこなせる代わりに、便利扱いをされている赤鬼。そして何事にも中途半端ゆえに嫌われやすい性質を持っていた。
それゆえ赤鬼――アカジが権力者に媚びへつらうのも無理はない事なのだ。加えて、知性があり、何事にも仲裁をしてくれるクロスケには頭が上がらないというのもあった。
つまり、猛が推測していた赤鬼に関しては、ほぼ間違っていなかったのである。
さて、何故鬼たちがこの配列をとったのかというと……。
彼らはこの配列でしかできない事があった。それは――。
――合体
そう、彼らは黒を核として一つにまとまる事が出来るのだ。
別に赤と青、そして黄色と緑が逆でも構わない。とはいえ、赤と青は左、黄と緑は右でなければいけない、という制限はあった。
では何故敢えてこの配列にしたかというと、それは単に男同士で隣り合わせにはなりたくなかったのである。それゆえ黒の両隣を女性で固めたのだ。
合体には手をつなぐ必要がある……ということもその理由の一つだろう。
つまり、この緑鬼は女性型なのである。
彼女の名前はミドリーヌ。武の一門、緑鬼の中でも由緒正しき生まれの出である。
彼女が無口であったのは、任務に愚直であったというだけのこと。
そして、合体という特殊能力を使った鬼たち。
彼らは混じり合い一つの大きな塊となっていく。だが、そのせいで少しずつ猛を追うスピードは遅くなっていく。
身体が不定形なのだ。力が入らないため速度が出せないのだろう。
それでも、形は定まらずとも彼らは走り続けている。
やがてその形が落ち着くと、そこには巨大な一匹の鬼がいた。
大きさは閻魔大王と同じくらいだろうか……。
当然巨大化した身体だからこそ歩幅は大きくなる。けれど、鬼の動きはかわらない。
それは単純に追いかける速さが増すことを意味していた。
一方。
猛は脇見もせず、ただひたすら扉に向かい走り続けていた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
身体が拘束されていて、思うように全力を出させない。腕を振る事を封じられ、全速力を出せない。その速度は猛の8割程度といったところだろうか。
(ったく。こんな歳にもなって、何故鬼ごっこをやらなきゃいけない!? 冗談じゃねぇぜ)
とはいえ、ごっこ遊びとは違い、リアルな鬼との競争であった。捕まったら後がないという点では、鬼ごっこなどと言った、遊びでは済まない結果になる。
だが、このような考えをできているのだ。彼自身にはまだ精神的に余裕があったという証拠だろう。
しばらく猛は走り続けていた。
あとわずかで扉にたどり着く。そう思い、疲れ始めた身体に鞭を打つかのように、さらなる加速をしようとした。
――そんなとき突如、地面が震動する。
(こんな時に地震か!?)
そう判断すると、腰を低くして走るようにフォームを変えた。
猛は両手が自由でないためバランスを取る事が難しい。だからこそ、安定性を確保するために中腰になったのだ。
(速度は遅くなるが、地震が収まるまでの辛抱だ。なぁに、焦る事はない)
マヌケな鬼どもも同じ情況。そう自分に言い聞かせて走り続ける。
腕さえ自由であれば……という気持ちはあった。もし万全なら既にあの扉を越えていた確信はあった。しかし、それは無い物ねだりというものだろう。
脚まで拘束されていなかった事に、むしろ感謝をするべきかもしれない。
だが、そんな猛の気持ちをあざ笑うがごとく、地震は激しくなっていった。
段々と強くなる揺れに、猛はとうとう転がってしまった。だがそれでも猛は進む事を止めない。
むしろ転がるならば転がってしまえという気持ちで、自ら回転を加えていった。
そしてぐるぐると回りながら、現在位置を扉の向きに調整していく。
そんなときだった。ふと、視界にとんでもない物が見えたのだ。
――巨大で燃えさかる鬼を。
(な、なんだ……あれはっ!?)
猛は驚愕しながらも回転運動を続けていた。いや、逆に速度が増したといった方が良いだろう。
彼は巨大な鬼に生命の危機を感じ、普段身体に抑えられている力を全開にして、引き出していた。
いわゆる火事場の馬鹿力というやつである。
猛は既に死んでいる。生命の危機というのはおかしいかもしれない。けれど、だからこそなのかもしれない。
肉体という物理的束縛から解放されたからこそ、魂だからこそ、限界まで力を引き出す事ができたのかもしれない。
とはいえ、それはまさに焼け石に水。彼とその燃えさかる巨鬼とでは速度が明らかに違ったのである。
今の猛は横回転しながらの逃走。
反して鬼は、力強く地面を踏みしめ飛ぶようにして走り続けている。
その着地による振動を猛は地震と勘違いしてしまったのだ。
扉と猛、そして鬼との距離。速度差を鑑みても、猛の逃亡は絶望的に見えた。
そんなとき、まるで猛の内心を見透かしたように巨鬼が声を上げたのだ。
『観念して逃げるのを辞めれば、悪いようにはしないぞ』
重なり合った様な声。まるで五鬼が一斉にしゃべり、調子を合わせたような声であった。
いや、どこか……。猛には黄鬼キーボウの我が強いように感じられた。
調子にのった鬼はさらに勢いづく。
『わっはっは、逃げたところで無駄無駄ッ!』
巨鬼から発せられた声は、その巨体に見合うだけの物があった。さらに人とは違う声量をもつ鬼だからこそ、力強いだけではなく吐息もまた凄まじい物であった。
――鬼の息吹が強風となり猛の身体を押し流す。
それに吹き飛ばされた猛は、まるで推進剤を得たかのように加速していく。
もはや転がると言うよりは引きずられているというべきか。地面との摩擦で身体が痛みを訴えている。
だが、それは猛にとっては喜ばしい事であった。
(ぐぅ、い、いてぇ……けど、これでまた距離は稼げたんじゃねぇか?)
その証拠に巨鬼は焦りの声を上げている。
『ゲゲェー。やべぇ、やっちまった……。
おいっ! おい、しっかりしろ!
――クソッ、仕方ない。分離するぞ!』
猛は起き上がりながら聞いていたが、途中から声の調子が変わったように感じられた。
(最後のはクロスケだろうか? キーボウに意識の優先権があったのか?)
そんなことを思ってしまった。だが、今はそんな事を考えている暇はない。
再び鬼が分裂して襲いかかってくるのだ。
それを聞き取った猛は体勢を整え、再び駆け出した。
一方。
鬼たちは合体したことは失敗であったと悟る。これも全てキーボウが図に乗ってしまったからである。
合体を果たしたとしても、意識が一つになる訳ではない。ゆえに、それぞれが自重し、冷静に事を努めねば、調子を合わせる事ができないのだ。
そもそも合体とは、鬼たちの最終手段でもある。だからこそ、それを可能とする五鬼編成なのではあるが――普段から多用しているという訳ではない。
つまり、慣れていないのだ。
そんな状態にもかかわらず、何故敢えて合体したのだろうか。もちろんそれには理由があった。
――このままでは間に合わない
クロスケは冷静にそう考えたのだ。そして指示を出した。
ここまでは良いだろう。
だが、さすがのクロスケも、キーボウがヘマをするとは思っていなかったのだ。
つい先ほどの事なのだ。彼を注意したのは……。
だからこそ、気を引き締めて事にあたるものだと思い込んでいた。
しかし、結果はこの通り。
キーボウが高揚したために、身体の制御を乗っ取られてしまう。そして発した吐息のせいで距離を稼がしてしまったのだ。
キーボウは己のミスに慌て、混乱してしまっている。
こうなってしまっては合体の制御が乱れ、まともに動く事はできない。動かそうと思っても、錯乱しているキーボウにその動きは邪魔をされてしまうのだ。
本来であれば奥の手である火の玉を放ち、逃げ道を塞げば良かったのだが……。
そこでクロスケは分離をして、キーボウを放置する決断を下した。
時間がない。こんなアホになど構っている暇はない。そんな考えが彼の頭にはあったことだろう。
分離をするのは合体とは違い、一瞬だ。だからすぐさま行動に移した。
けれど彼らは間に合わなかった。あと一歩というところで逃してしまった。
彼らはその扉をくぐり抜け、あの男――天見猛を追いかけることは許されていない。いや、許されていないというよりは、できないのだ。
あの先は地獄から隔離されていて、一方通行となっている。だからこそ閉まる事なく、開け続けていられるのだが……。
冥界の住人でもない猛には知るよしもないことだろう。
――あの空間の先、修羅道。
飽きる事なく戦い続ける、修羅の住まう世界。
怒りや悲しみが増幅され、他者の存在を許す事ができない。そんな世界である。
自分以外を認める事はできず、孤独な世界とも言える。
けれど、救いもある。たった一つだけではあるが救いはあるのだ。
――それは戦いを放棄すること……。
これはあの世界では不可能に近い事なのだ。自分が戦いを辞めたとて、他の者からしたらそれは獲物以外何物でもない。
放棄したからと言って、死んでしまっては意味がないのだ。
この場における放棄とは、周りの者に自分を諦めさせる必要があった。
それは一種の結界を張っているようなものだろう。当然生半可な事では成し遂げられない。
もちろん、死んだとしても再誕してしまう。終わりなき苦痛がその世界の理なのだから。
だからこそ逃げ場はないということにもなる。
死こそ終わりであり、永遠の安息。けれど、それすら許されないのだ。
だが、もしそれを成し遂げられたならば――。
この修羅道に救いの使者が現れるのだ。
――その存在の名は十一面観音。
彼の者が現れたときこそ、その修羅の世界から脱却することができる。
三悪道での浄化――いわゆる刑期――とは違い、この世界では直接解脱に至れるのだ。
地獄よりも地獄らしい修羅道。それが仮も三善道に数えられるのはここに理由があった。
けれど三善道に位置しながら、地獄を通ってしか行く事ができない。
つまり、そういった点でも隔離されているのだ。
修羅道とは、三悪道でも浄化しきれない存在行き着く場所。そう、最後の最後に送られる場所なのだ。
もはや、解脱の可能性のない、劣悪な魂が送り込まれる場所だったのだ。
とはいえ、そこにまでたどり着いた魂には力強さがあった。
魂とは転生の度に摩耗する。やがては擦り切れ、消滅の時を迎える。
もちろん、天道にて神仏が魂の総和をコントロールしている。だからこそ人は滅びない。
そんなひ弱な魂だが、何度も転生を繰り返しても、ほとんど摩耗しない物がときには現れる。
解脱してくれれば問題はない。けれどそういう魂に限って悪徳に陥る。
その魂が巡り巡って、やがて修羅道へと行き着いてしまうのだ。
そして殺し、殺されて少しずつ摩耗させていく……。
つまり修羅道とは、魂の摩耗するためにある消滅機関なのである。
救いは残されているが、本来の目的は魂を無に帰す事にあった。
「逃がしたか……」
「くっ、せっかくの丈夫な魂が!」
「…………無念なり」
クロスケとアカジが悪態をつく中、ここに来て初めてミドリーヌが声を発した。
久しぶりにその声を聞いた鬼たちは驚くが、今はそれどころではない。
「――この失態は……閻魔さまに報告しなくてはならぬな」
「え? マジで……?」
「仕方ないよね。これは大失態よ。誤魔化す事なんてできないわ」
その様子からアカジは内緒にしておくつもりだったのだろう。
しかし、真面目なクロスケ、アオネはそうするつもりはなかった。
ただ――。
「ああ、大マジだ。この、キーボウの失態を誤魔化すなど……とんでもない事だ」
そう、全てはキーボウに押しつけるつもりだったのである。
確かに大半のミスは彼にあったと言って良いだろう。けれど、その機会を生み出した彼らもまた、同罪なのであるが……。
「ぁー? ぁ、あ、ああ! ああ、そうだな! こ、これは誤魔化しちゃいけねぇな!」
自分の失態ではないとわかると、途端にそれに元気に賛同するアカジ。
キーボウは離れた所で、未だにうな垂れている。それを眺めながら他の四鬼は報告内容を確認していく。
「――わかったな?」
「ああ、問題ないぜ!」
「ええ、大丈夫よ」
「…………是非もなし。他に手段はない」
彼らにも生活があった。だからこのような失態を認めるわけにはいかなかった。
そこで原因となったキーボウを見捨てる事で、彼らは自身の保身を図ったのだ。
そして彼らはキーボウの元に近づき、優しげに語りかける。
「キーボウ。さあ、帰ろう」
「ええ、そうよ。きっと閻魔さまも理解してくれるわ」
「ああ、間違いない!」
「…………問題ない」
彼らの声には励ましの色が含まれていた。もちろんうわべだけだが……。
それに気づく事なく、キーボウは調子を取り戻す。
「そ、そうだよな!
一度くらいの失敗くらい、閻魔さまも許してくれるよな!」
確かに普段ならそれも許して貰えるかもしれない。しかし、あの天見猛とか言う男は、如来より力を授かっている。その力を還元しなくてはいけない存在だったのだ。
1000年の浄化とはひとえに、その力を抜き出すために必要であった時間。
もちろん、魂が消滅すれば、その力の全てを抜き出す事も可能であった。けれど修羅道とは廃棄場。つまり、還元されることはないのだ。
だからどうしても、如来の力が目減りしてしまうことは確実なのだ。
とはいえ、如来の力の総和は絶大である。ゆえに、この程度の目減りなどそう大した事もないだろう。
時が経てば元に戻るということもある。
だから、普通ならば厳罰とまではいかないが、それ相応の処罰で済む可能性があった。
だが、それでもキーボウは許されないだろう。
今回の件に加え、それまでの所行があまりに酷い物があった。
他の四鬼も何も保身を図ったという理由だけで、彼を見捨てたという事ではないのだ。
キーボウはこれまで何度も失態を繰り返してきた。そんな彼に遂にはあきれ果て、フォローするのもいい加減面倒になってきたのだ。
だから、今回の件をチャンスとばかりに彼に押しつける。
他にも昇進を志すには、彼が邪魔だというのもあった。
鬼は五鬼編隊である。また、一緒に昇進するのだ。ようはチームとしての地位なのである。
だからだろうか、人数が減らない限り追加はされず、勝手に変える事も許されていない。
つまり、運命共同体なのである。それゆえ、足を引っ張る者に救いの手をさしのべる者も少ない。
だが、それでも彼らはキーボウをフォローしてきた。
これもすべてクロスケが心を砕いていたからだ。彼は外面だけはいい。だから安易に見捨てる事などプライドが許さなかったのだ。
クールで面倒見の良い好青年。それがクロスケの作り出してきたイメージだった。
しかし、そんな彼でもついに堪忍袋の緒が切れた。加えて彼の様な無能と合体した事で、嫌悪感が増していたというのもあるだろう。
このように合理的に考えた結果、キーボウはあとわずかばかりの命となってしまった。
「へへっ、みんなの優しさが目に染みるぜぇ」
鬼にもかかわらず、その人間くさい彼の性格は、四鬼とも嫌いではなかった。だからこそ、胸に少しの痛みをもたらす。
「そ、そうだ。帰る前に、なにか食って行かないか?」
微妙な雰囲気になりかけたところ、アカジが声を出して取り繕う。
さすがに媚びへつらう事に特化した赤鬼の面目躍如といったところだろうか。それに併せて他の鬼たちも声を上げていく。
「そ、そうね。なんだったら私がおごっても良いわよ」
「さすがにアオネにおごらせるわけにはいかないな」
男のプライドとしてクロスケがそう主張する。しかし、普段ならこのような事は言ったりしない。
普段の彼ならば『まだ任務の途中だ。報告するまでが任務だぞ』と注意しただろう。けれどそれができないということは、彼もまた罪悪感に苛まれていたからに違いない。
「じゃあ、クロスケのおごりってことで」
「…………同意する」
「ごちになりまーす」
「……そうね。そうしましょ。ごちそうになります」
そういって他の鬼たちは目的地に向かって歩き始める。
それをクロスケは眺めながらつぶやいた。
「まだ……おごるとは言ってないんだけどな」
そういった彼は頭を掻き、四鬼の後に続いた。
そして彼らはカレーを食べながら、キーボウとの最期の時を過ごすのだった。
――後日
閻魔の怒りに触れたキーボウは処刑され、その生命を終える。
――享年115歳
人間に換算すれば23歳。あまりに若すぎる生涯だった。
彼の葬儀にはたくさんの人が集まった。それだけ彼の性格が愛されていたという事だろう。
前掛けを着けて、伝票を持っている鬼が多いように見えるが……おそらく気のせいだろう。
そうクロスケたちは思い込んだ。
最期くらいは良い思い出として残したいのだから……。
やがて、その後任として新たな黄鬼が彼らの元にやってきた。
「キイタニです。今後ともよろしく」
たぶん鬼はもう出てこないと思います。
次話はある程度出来ているので明日投稿できそうです。というより分けただけですね。
鬼の話は分けてたほうがキリがいいかなと。




