プロローグ
この作品は仏教用語を使っていますが、それに完全に沿っている訳ではありません。別の設定に変えているのでご了承ください。
――汝は与えられた才能で世に貢献しなかった。それは罪である。
才能を享受しながらも我欲に走り、人生を謳歌していただけである。よって汝は地獄でその罪を浄化しなければならない。
地球時間にして1000年。それが汝が新たな生を得るために、身を清めねばならぬ期間である。
それが死んだ男に下された裁可であった。
あるひとり男がいた。
その男は裕福な家庭に生まれ、何不自由なく暮らしていた。
富――生まれながらに与えられた物。だが、彼に与えられた物はそれだけではなかった。
彼には才能があった。
人より早く覚える事ができだけでなく、頭の回転も速かった。また平均に比べて強靱な肉体があった。そしてなによりも、甘い顔とカリスマ性があった……。
それらの才能を遺憾なく発揮し、利用した。それで人生を謳歌したと言っても良いだろう。
――まるで人々の頂点に立つべくして生まれた男。
けれど男は、それを人の役立つ事には利用しなかった。
男がした事と言ったら――。
まず色欲の限りを尽くす事。
いかに自分がもてるか、それだけが男の興味であった。
その時彼は学生であった。多少は仕方がないところもあっただろう。
掃いて捨てるほど寄ってくる女性を、全て食べた事はやり過ぎであっただろうが……。
その所行は当然、人の恨みを買ってしまった。だが、その全てを対処する能力が彼にはあったのだ。
次に金銭欲。
親の会社を相続する事が決められていた男は、それだけでは満足できなかった。
それゆえに大学時代に起業、自ら自由となる金銭を稼ぐ事にした。その結果、日本が誇る一大企業にまで発展し、やがては親の会社を吸収合併することになった。想像以上の結果だったといえるだろう。本人もそこまで行くとは思ってもいなかった。
これは彼の持つ容姿と、カリスマ性の為せる業であった。
大概成功を果たした実業家は、慈善事業を始める。しかし、彼はそのような事をしなかった。だからそこでも人に恨みを買ってしまう。
そして最後に彼には悪癖があったのだ。
他者の物を奪い取る……ということに快感を覚える外道であった。
物ならばまだいいだろう。それが金銭によって解決できることでもあるのだから。
しかし、人となってはそうもいかない。
その時彼が愛した女性は、他人の恋人であった。全てにパートナーがいるのだ。彼になびく事はない。
だから彼は寝取った。恋人を破滅させると脅しを掛けて自分の好きにした。
学生時代からこのような事は何度もしている。根っからのゲスだったのだ。
結果……その女性は妊娠する事になる。
これで彼女を娶れば救いがあっただろう。脅迫はともかく、このような事は世界で見れば少なくはない。けれど男は、その女性に飽きてしまった。
男は捨てるとき、手切れ金という名の慰謝料を渡し、強引に解決しようとした。
弁護士を通して事務的にそれを行ったのだ。これもいつもの事であった。
彼の頭の中にあるのは次の女性のことだけ。しかし、その日はいつもと違う事があったのだ。
それは、その女性は彼を最後まで愛さなかったということ……。
今までの女性は身体を重ねる内に、段々と絆されてしまっていた。けれど彼女は最後まで恋人を愛し続けていたのだ。だから男には悪感情しかない。
加えてつい先日、女性が浮気をしていたことを彼氏に悟られてしまった。それが原因で恋人は世をはかなんで自殺してしまっていたのだ。
そのため、女性にはおなかの子供と、悪漢なれど目の前の男――天見猛しかいなかった。
けれど猛は女性を捨てるという。
人生に絶望した女性は、もはや我慢する必要などなかったのである。
猛が暇をしようと彼女に背を向けたその瞬間、彼女は背後に隠していた包丁で一閃したのだ。
「死ね、外道!」
猛の背中に突き刺さる刃物。
それを女性は抜き出して、首を切りつけた。
飛び散る猛の血しぶき。赤に染め上げられた女性。そして腰を抜かす弁護士。
弁護士が正気に返ったときには、既に猛は虫の息であった。
通報する前に、弁護士はまず自分の心配をした。凶悪犯が目の前にいるのだ。当然のことだろう。
けれど、女性はうずくまり身動き一つ起こさない。
それに安堵してようやく通報したのだった。
それから5分後。ついに猛は力尽きる。
――享年24歳
それが天見猛の生涯であった……。