07. 友達を助けなくちゃ
部屋に戻ると、自分とその友達が過ごしていた思い出が全て炎に包まれていた。
灼熱の炎。憎らしくも全てを飲み込む紅蓮の赤は、神の裁きなのであろうか。
「この国が……ユモラルードがなにをしたというの……」
全てが燃えた。生まれ育った国も、家族も、学校も、友達も。
「神様……これはクロウが滅びる前兆なのですか?」
しかし嘆いてはいられない。ルゥ・ローズレットには探さねばならない大切な友がいるのだ。
(変な子なの。変な名前に変な服、変な性格、変な経歴。でも、とても大切な子)
寮を飛び出し、学園へと向かう。石畳の道に倒れている中年の女性がルゥの足を掴み、助けてと懇願する。
熱せられた石畳は鉄板のように熱く、女性の身体は半分が焼け焦げていた。
「ごめんなさい! 私には、助けたい別の子がいるの。おばさんは大丈夫よ、きっと、レイ様が助けてくださるから……ごめんなさい!」
あの女性は多分、助からないであろう。ルゥは罪悪感に苛まれながも、しかし自分は友達を助けるのだと言い聞かせる。
(初めて会った時、この子の友達になりたい――ならなくちゃ、と思った。だって、とても不安そうだったから。親とはぐれ、帰る家がわからなくなった迷子の子のように。だから、私が助けてあげなくちゃ、って)
学園内は、よく知っている先生や生徒たちの喰い荒らされた死体が散らばっていた。それらを見た瞬間、胃の内容物が逆流して吐き出してしまう。
「うっ……ああ」
あれがついさっきまで生きていた人たち。それが見るも無惨な成れの果てとなり、死んでいる。――セルはここにはいない。
「王宮かしら……」
(リティシアも言っていたけど、あの子は多分、この世界の子じゃない。まぁそんなこと、もう関係ないけどね――)
ルゥは走る。無防備に開け放たれた王宮の門が、この国の終わりを示していた。幾重にも重なる騎士たちの死体を跨ぎ、涙を堪えながら進む。
「セルー? どこにいるのー!」
(8日前、あの子は急に姿を消した。でも置き手紙には3日後には帰ると書いてあったから、ユモラルードに戻ってきてるはずなのよ)
ルゥは城の中を走り抜けながら、式典に参加したことや夜中にこっそり忍び込んだことなどを思い返していた。
「きゃっ!」
血で滑っていた廊下に足を取られ、転倒する。
「いったー……」
それでもすぐに立ち上がり、友の名を叫びながら廊下を疾走する。そして城の最上階にある庭へ出た。
「――空中庭園」
あの式典がここで執り行われた日は、ユモラルードとグランドティアが手を結ぶことにとても心を踊らしていたものだった。噂にしか聞いたことのなかった存在であるレイ・シャインシェザーのユモラルード訪問と滞在。そして新たなる友との出逢い――まるで一生分の運を使い切ってしまったかのような幸福な期間だった。
(その期間はすぐに崩れ去り、私は今、血の海の中にいる……。天国から地獄って、まさにこのことね)
空中庭園からユモラルードの城下町を見下ろす。轟々と燃え盛る火炎。ここから望む景色はとても美しかったはずなのに。
もはや涙も出なくなった。もう、終わりなのだ。
「あ、こんなところに!」
振り返ると、グランドティアの騎士がルゥを見て安堵の溜め息を吐いていた。
「生存者、1名確保。助けに来たぞ。さぁ、早く国の外に出るんだ」
しかしルゥは騎士を見たまま動かない。
「どうした? ここはじきに落ちる。なにも祖国と命運を共にする必要なんて無いんだぞ」
「ねぇ、あなた」
「なにかね」
「脳味噌、吹っ飛んでるわよ」
「――――」
騎士は首を傾け、自分の頭を触る。すると、そこにあるはずの髪や頭皮、骨、脳味噌がなかった。騎士は、何かに気付いたかのように全身を痙攣させる。
「おかしいわよ、あなた。そんな状態で、よく生きてるわね」
「生き……テイル? わタしは、イキ……」
様子が変だ。グランドティアの騎士は、まるで自分が死んでいることに気付いてないようで――。
「ワタしハ――そう、頭を、喰われタノです――――」
「な、なに言ってるの?」
怖い。ルゥは騎士と距離をとる。騎士の痙攣は激しくなり、千切られた頭から緑色の濁った液体を吹き飛ばす。
「イヤッ! やめて!」
ルゥは逃げる。だが騎士は瞬く間にルゥの前に立ちふさがり、手を伸ばす。
「国民ヲ護る――そレガ、れい様ノ、教え……」
「いやぁああああっ!」
「あガッ?!」
グランドティアの騎士が急にバランスを崩し、顔面から庭に倒れ込んだ。
(な、なに?)
騎士の背後に見えたのは、細くて白い足。それが騎士の背中を蹴り飛ばしていた。
「そんなバケモンみたいなやつに助けられたくないだろっ、普通!」
燃え盛る炎よりも、流れる血よりも赤い髪。
(あ――――)
「セル!」
全身に大量の血を浴びたセルが、剣を片手に空中庭園に現れた。走り寄ろうとしたルゥだが、ルゥの中で何かがそれを制止した。
(違う)
何かが違う。ルゥの知っているセルではない。セルの周りを取り巻いている、あの奇妙な色の炎はなんなのだ。紫色で、ねっとりとした粘り気がある。
「セルっ……きゃ!」
起き上がろうとしていたグランドティア騎士の首に、セルが投げつけた剣が刺さる。騎士がそれ以上動くことはなかった。セルは騎士の死亡を確認すると、片足で騎士の肩をおさえつけて固定し、剣を引き抜いてルゥの手を握った。血で、少し滑っていた。
「助けに来たぞ! 間に合って良かった」
ルゥは晴れて探していた友達と出会うことができた。それなのに、喜ぶことのできないこの気持ちはなんだろう。あれだけ必死に探していたというのに。
「セル……貴方、この騎士様を殺したの……?」
いとも容易く、僅かな迷いも見せることなく――セルは命を狩り取った。そのことについて問うてみても、セルは今この状況でこの質問をされる意図が理解できないようだった。
「こいつは人間じゃない。殺さねばならない存在だったから、殺した。ていうかそもそも最初から死んでたからな。死者を死者に返しただけ。それだけ。……なぁ、もういいだろ。早く避難しないと」
「バケモン? こいつ? 殺さねばならない存在? 最初から死んでた? ――なにそれ」
ルゥはセルの手を振り切る。
「ルゥ……っ?」
セルはその大きな目を更に大きくして、呆気にとられたようにルゥの顔を凝視する。
「仮にも、命を失ってまで私を助けに来てくれた人に向かってバケモンって何? こいつって何? 殺さねばならない存在って何? 最初から死んでるって何? 人の命は、如何なる理由があっても奪ってはならないの!」
ルゥの剣幕に、セルは押され気味だ。
「それに殺し方っていうものがあるんじゃないの? 首を刺すなんて……あんまりよ! もっと楽に死なせてあげることを考えなかったわけ?」
セルは、ただポカンと口を開けていた。
「そうか、それは悪かった……配慮が足りなかったな。謝る」
「なによ、その喋り方。あなた本当にセル? まるで男の子と喋ってるみたいたわ!」
「ルゥ、今はそんなことを言ってる場合じゃ……」
「言ってる場合よ! もう私セルなんて知らない。1人で避難できるから大丈夫!」
ルゥは、何故こんなところまで友を探しに来たのか、自分自身が馬鹿らしくなっていた。まるで別人のように変わってしまったセル。むしろ、それが本当のセルなのであろうか。ルゥは、なんだか自分が今までていよく騙されてきた気がして、無性に腹立たしかったのだ。信じてきた友に裏切られるとは、なんともやり切れないもの。
「バカ……」
セルを振り切って、1人で逃げてきてしまった。そして柱の影から現れたリデュックトラ。
「そう。私の命運も、ここで尽きるわけなのね」
(最後の最後で友達に裏切られるし、もう、最悪――)
リデュックトラの低い唸り声。なにも悪いことをしていないのに、ひどく睨みつけられている。ルゥとトラが対峙して5秒――トラの首が跳ね飛んだ。血が散布する。降り注ぐ血のシャワーの向こう、そこにセルがいた。