傀儡鬼傀儡
傀儡鬼傀儡―カイライオニクグツ―
第三回小説祭り参加作品
テーマ:剣
※参加作品一覧は後書きにあります
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アレルギーをお持ちの方は以下の成分にご注意ください。
・ファンタジー
・ネタ
・長時間閲覧仕様のデザイン
予想読了時間:80分(500文字/分)
――ふうん、塩谷が帰ってくるんだ。
――さっきちょうど僕に電話でそう言われたからさ。優梨にも伝えとこうって思って。
――塩谷かぁ。懐かしいね。もう4年ぐらい会ってないんだっけ?
――そうだね。成長した塩谷、どんな風になってるんだろうな。
――うん、今日は遅いし、詳しい話は、また。
――うん、おやすみ。
――友一おやすみ。
僕は携帯のボタンを押した。今夜もきっと熱帯夜に違いない。
*
「で、待ち合わせの時間を一時間過ぎても彼は現れない、と」
店のガラス越しに聞こえるセミの声。
おかわりのアイスコーヒーを店主からもらい、ミルクと多めの砂糖を投入。テーブルを挟んで僕の向かいに座る田守優梨――優梨は、顔立ちの整った愛嬌のある顔を頬杖で歪ませ、ムスッと不機嫌そうな表情を浮かべている。グラスに入った黒が、徐々に白と折衷していく様子を、マドラー片手につまらなそうに眺め、愚痴をこぼす。
「もう、遅れるなら連絡の一つぐらいしろっ!」
しろっ、と優梨はグラスのフチをマドラーで叩く。チン。甲高い音が響く。
「ははは。アイツ相変わらず時間にルーズだな」
「友一、これ笑い事じゃないよ。高二にもなって、その程度のことも出来ないなんて。そう、高二だよ!?」
「はは。そうだな」
優梨はようやく、アイスコーヒーの撹拌による、砂糖の溶け残り殲滅の命をマドラーに与えた。
いつもルーズで大雑把で、小学生にして遅刻常習犯だった塩谷健。優梨は彼のそういうルーズでいい加減すぎるところが嫌いなのだった。
小学校の昔話をして懐かしみながら時間を潰していた僕らだが、そろそろ僕も優梨も話すネタが尽きてきていた。
塩谷と優梨は東ノ縁小学校の頃からの友達だった。正確に言えば、遊ぶ時はいつも一緒の仲良し三人組だった。僕は、今は下の名前の「友一」で呼ばれることが多いけど、当時は、まだ姓の「高倉」で呼ばれてたっけ。互いに下の名前で呼ぶようになったのは、中学の頃だった。
当時の東ノ縁小学校の全校生徒は70人ほど。小学校卒業と同時に、ヨソへ引っ越してしまう生徒が何人かに1人ぐらいの割合でいて、塩谷はその転出組の1人だった。
東ノ縁中学校の全校生徒は、30人ほど。それだけ数が少ないと、生徒の顔も顔見知りばかり。次第に下の名前で呼ぶことが多くなり、その例に漏れず僕らも互いにそう呼ぶようになった。
「もしかしたら電車に乗り遅れたのかもしれないし、それならもうじき来てもおかしくないよね」
この町の主要な交通機関は電車だ。三方を山が、もう一方を海が囲むこの町には、バスが来ない。車でヨソへ移動しようとすると、細く険しい山道を走る必要があり、それなら電車に乗ったほうが楽なのだ。クルマは基本的に田んぼや畑、近くの漁港まで行く時に使う乗り物になっている。
僕も優梨も毎日その電車に乗って、山を超えた隣町の高校へ通っている。けど田舎町ということもあって、電車の本数は少ない。寝坊したり乗り損ねたりすると、大変な遅刻になるのだ。僕も時々やらかして先生に怒られることがある。
「友一。あと30分待っても来なかったら帰ろ。こんなところでぼーっとしているより、帰って家で本でも読んでたほうが夏休みを有意義に過ごせる。そう思わない?」
「合理主義なところは相変わらずだな、優梨も」
「自業自得って言うの。スパっと切らないと」
優梨は汗のかいたグラスをお手拭きで綺麗に拭き取ると、ストローを差し込んで口をつけた。この町に1つしかない小さな喫茶店、トロンシェ。店主のおじさんは客席に腰掛け、天井から吊り下げたテレビを見上げている。
「でも30分後って言ったら2時だろ? 一番暑い時じゃん」
「じゃあもう帰ろっか」
「いやいや、今も十分に暑いって。日が傾いてからのほうが良いんじゃない?」
「けど、夕方までここにいるわけにもいかないでしょ」
「おっちゃんは構わんよ。一人で店番するより誰か居てくれたほうが嬉しいしね。そこの棚の本、暇つぶしに読んでいいんだぞ」
店主は棚を指さしてそういった。少し色あせた漫画や雑誌が並べてある。僕が優梨と待ち合わせするときは、小学生の頃からいつもこの喫茶店が集合場所だった。だから、その棚に暇潰しの本が収納されていることは知っていたけれど、それらの本に触れたことは僕も優梨も一度もなかった。ぶっちゃけ、そんな古臭いものに興味はなかったのだ。
「あそこに置いてあるのは、おっちゃんのオススメだけだぞ?」
棚の中で堂々と存在感をアピールするピンクな雑誌も、おじさんのオススメらしい。苦笑いするしかなかった。
それから20分。もうそろそろ帰ろうかという時になって、ドアに取り付けられたベルが開閉を知らせた。背も高くなり、顔つきもだいぶ変わってはいたけれど、幼いあの時の面影をしっかり受け継いでいるその姿は、間違いなく塩谷だった。
「わりぃ、色々立て込んで遅れちまったわさ」
店に入って、唯一の客である僕と優梨を見つけるやいなや、塩谷は両手を合わせて頭を下げた。彼のこんな雰囲気も、あの頃と全く変わっていなかった。
「連絡の一つぐらいよこさんかっ! このバカ谷っ!」
「それが携帯の充電が切れちまってて、公衆電話も探したんだけどさ――」
「あらそれは大変だったね塩谷くん。駅の公衆電話が見つからなくて迷子になっちゃったの? 泣いてるところを近くの駅員に『ボクどうしたの?』ってしゃがみこんで聞かれて、答えられなくて駅長室で保護してもらったの? へえ、『赤い風船を持った17歳ぐらいの男の子"健"くんが迷子になっています』って迷子放送までしてもらったんだぁ。おとうさんとおかあさんには怒られちゃった?」
優梨。気持ちは分かるが君は一体何を言ってるんだ。
「いや、風船も持ってねえし、そんなやついたら完全にヤバい人だし……その、公衆電話は見つけたんだけど携帯番号忘れちまって――」
「おじさん! 私と友一のお代、バカ谷にツケといて!」
「うおい田守!」
「いいけど田守さん、今1500円のツケが溜まってるよ」
「今日小遣い貰えるんで、次回来た時に」
「本当か? まあ田守さんのことだから心配はしてないがね。あと塩谷くん、久しぶりだね」
おじさんは立ち上がってレジカウンター下の収納から売掛帳を何ページか遡り、ボールペンで流すように書き込むと、電卓を慣れた手つきで弾き、計算結果を塩谷に見せた。
「特大フルーツパフェ980円。4年前の3月にツケたまま未収なんだよね。塩谷くんにはこれも併せて払ってもらわないと」
「……うぇ!?」
「ははは。おっちゃんも商売してるんでね、頼むよ」
店を出た俺達は、塩谷の必死の頼みで、まだ終わっていないという引越し作業を手伝うことになった。この最も暑い時間帯に。僕達には、4年の壁なんてないも同然だった。
引っ越してきたのは、以前塩谷が住んでいた一軒家だった。年季が入っている、古い木造の一軒家。
「……塩谷、ヨソで何があったのか、聞かせてくれないか」
引っ越しの作業風景を見た僕は、まっさきに塩谷に突っ込んだ。家の前には、大型トレーラーが鎮座していたからだ。細い路地を塞いで停車しているこのトレーラー。一応隅に寄って停車はしているけど、それでも人が1人ギリギリで通れるほどの幅の狭さだった。
「この会社はこれ1台でやってるんだってよ。荷物が多い客でも対応できるよう無駄に大きいだけだとさ」
「なんだ」
「けど、こんな大きいの、よくここまで運転してこれたものね」
「すごいよな」
軽自動車で走るような道を、こんな巨大な躯体で走ってきたなんて。運転手の技量と根性に尊敬せざるを得ない……これからまた同じ道を辿って帰っていかなきゃいけないんだろうけど。頑張れ。
引っ越しの作業員に近所の男の人が混じって、荷物の搬入作業を手伝っていた。コンテナの中でダンボールを搬入組に渡していた厳つい感じのおじさんに、塩谷が挨拶した。
「おう、お前らも手伝いか。働いたってカネは出んぞ」
「お父さん、近所の人から差し入れもらったよ」
僕たちと同じ年齢ぐらいの女の子が、プラスチックのカゴにいっぱいのペットボトルのお茶と紙コップを抱え、ふらつきながらやってきた。父娘で引越し屋をやっているのだろうか。
彼女はカゴをコンテナの床に置くと、ため息をついて額の汗を拭った。華奢な身体をしていた。
「また差し入れか。ここは意外と過ごしやすいかもな」
小さい頃から近所で助けあいながら過ごしてきた僕たちにとって、この程度のことはいつものことだ。
僕たちの住むこの町は、昔から農業や漁業で生計を立てている家が多い。かく言う僕の家もコメ農家。相互の協力がないと快適に過ごしていけないのだ。町の人口は徐々に減ってきていて、助け合いの重要性はより大きくなっている。
「あ、お手伝いの方ですか?」
かわいらしい笑顔を見せ、紙コップにお茶を注ぐ。まだ手伝ってもいない僕たちに配ってくれた。僕たち三人は互いに顔を見合った。なんだか悪いと思いつつ、それに口をつけた。飲んだからには頑張らなきゃ。
「おいおい、手伝いもせずに休憩とはいいご身分じゃねえか」
「お父さん、人のこと言える口じゃないでしょ」
「おーい、ちょい休憩入れるぞー」
本当に仲のいい親子だと僕は思った。彼女のお父さんは顔つきが少し恐いけれど、優しい目をしている。
突然塩谷にシャツの袖を引っ張られ、トレーラー横の狭い通路に連れていかれた。
「なぁおい、あの子どう思う?」
「どうって?」
あの子というのは、引越し屋の娘のことを指しているのに違いなかった。僕は視線を彼のすぐ横のトレーラーに移した。
トレーラー側面には、真新しい傷跡があちこちについていた。車体が擦っているところをエンジンパワーに任せてゴリゴリしながら進んできたんだろう。普通引き返してもおかしくないだろうに、こんな傷だらけになってまで走り抜けるなんて、なんて豪快な引越し屋なんだ。
帰りはこの倍の傷をつけて帰ることになるのだろう。もうトレーラーよりむしろ道路のほうが心配だよ。
「……まあ可愛い子だなぁって」
「やっぱお前もそう思うよな!」
「……なんだよ」
「高倉。おまえちょっとカレシいるか聞いてこい」
ヒソヒソ声で囁かれた言葉に、僕は飲みかけたお茶をむせ返りそうになって一瞬背を丸めた。
「……なんで僕なんだよ。知りたいなら自分で聞きに行けよ!」
「あのおっちゃんに睨まれたらこええじゃん」
「そんなの僕だって同じだ」
僕たちがコソコソ言い合いつつき合いしていると、ふと優梨と彼女の声が聞こえてきた。
「笹村理香って言います。お父さんの仕事の手伝いできました」
「へえ、お手伝いでしてるんだ」
「はい。お駄賃をもらいながら、ですけど」
「へえ、お小遣い貰えるんだ」
「そんなに多くないです。その代わり色々な人と出会えて新鮮ですよ。好きな人にも会えました」
「へえ、付き合っているの?」
「はい。付き合って半年になる人がいます。遠距離ですけど。去年の三月に知り合ったんです」
「いいなぁ。でもあなた綺麗だもんね」
「いえいえ、そんなことないですよ――」
塩谷は苦笑いしながら残りのお茶を一息に飲み干した。ドンマイ、塩谷。塩屋の肩にそっと手を乗せて慰める。内心、同時に胸を撫で下ろしている僕がいた。
僕たちは、塩谷の家の掃除や家具設置を手伝った。家の中では塩谷のご両親にも挨拶をした。作業が終わったのは夜8時頃。両親が手伝ってくれた謝礼にと、夜ご飯を振る舞ってくれたこともあって、その夜は近所の人も駆けつけ大いに賑わった。
*
――作物の具合はどうかね。
――こうも天気が悪いと育つ作物も育たん。このままだと今年も不作の流れですわ。
――俺も何日も船を出しとるが、魚が全然獲れん。十兵衛さんや、高倉の食料はどうなってるかいな。
――へい。去年一昨年と食料を削って凌いだものの、今年は持ちそうに……
――このままじゃ今年の冬を越せない者が出ますぞ。村長。
――もしや、御二柱様がまた果たし合いを……
――何を。供物は御二柱様へそれぞれきちんと奉納したではないか。苦しいのはワシらだけじゃあるまい。ヨソもみな苦しんでおる。
――しかしこうも厳しいと……飢え死にする者が一人二人増えたところで変わりますまい。神頼みにここはひとつ……
――黙って聞いてりゃ、たわけたこと抜かすんじゃねえ! それとも、お前がやってくれるってのか?
――やめんか。それは奥の手じゃ。むやみに持ち出す話ではない――鹽屋、悪いがもう少しだけ頼まれてくれんか。
――保存食の件でしたら、お気遣いなく。ここで団結せずしていつするのか、俺は想像がつかん。幸い在庫はまだたんまりあるもんで。
――そういうことじゃ。しばらくはこのまま様子見とする。各自、最悪への備えを怠るな。
――へい!
*
青く澄んだ空。もこもこと成長する入道雲。きらめく海面、海の音。強い日差しに透ける木の葉。セミの大合唱。
東ノ縁駅の待合室は、木造駅舎の中に簡単な三面囲いを作ってそれとしている簡素な作りだ。線路の向こうに見える海の眺めも良好。潮風も肌で感じることができる。
一方で冷房設備も質素だ。水色の羽の古い壁掛けの扇風機がぎこちなく首を振るだけ。それでも、日陰と暑さを凌げるものを用意してくれるのはありがたいことだった。
――ただ、コンクリートからの強烈な照り返しは防げないけど。
「あっつい……友一、扇風機強にしてー」
「もうなってるよ……」
塩谷が戻ってきて数日後。今日の喫茶店は、昼まで臨時休業。開店は夕方頃からだ。昼食後に待ち合わせを計画していた僕たちは、喫茶店以外の場所で待ち合わせせざるを得ない事になり、ここに至る。それでなぜ駅舎で待ち合わせしているかについてだが――おっと、電車が来た。
ブザー音とともに扉が閉まる。エンジンを吹かす苦い音を響かせ、電車は滑らかに加速していった。
「で、今度は何で遅れたの?」
「いやぁ、ははは……電車が来るまで時間があったから時間つぶしに街をブラブラしてて、気がついたらその電車に乗り遅れちゃいまして。田守様申し訳ございません」
「僕への謝罪はナシかよ!」
親にお使いを頼まれて隣町で買い物へ出かけていたという塩谷は、両手にビニール袋を吊り下げたまま、器用に手を合わせて頭を下げた。彼と合流するなら駅が一番確実だろうと、そう打ち合わせていたのだ。
「高倉もホントごめん! 携帯を家に忘れてなかったら、いや、十円玉が一枚でも俺の財布に入っていれば、駅の公衆電話から連絡したものを……」
「そうなの。百円玉は?」
「はは、モッタイナイじゃないですか」
「友一、塩谷が入場料とジュース奢ってくれるって」
「お、マジ? サンキュー」
「ちょっと待ってくださいよもうー」
塩谷はうだーと上を向いて、半分泣き顔になりながら力なく腕を垂れた。
喫茶店のように冷房がついているわけでもない待合室。いくら扇風機があるといえど、この猛暑。汗だくにな
らないわけがなかった。当然水分も欲しくなる。
「あんたが百円をケチるからでしょ! それ以前に遅刻するな……って、この間も同じ話をした気が」
「はい、わたくしめの学習能力は乏しゅうございます……」
「もういいからほら、これに懲りたらもう遅刻しないこと。分かった?」
"使用後は節電のため、電源を切る!"
短冊状の白いプラスチック板。年季の入った手書きの注意書きが、扇風機の引き紐スイッチ下端にぶら下げられている。僕は紐を引く。カコン、カコン――スイッチは硬い。羽根の回転が止まった。
僕と優梨は入場券、塩谷は乗車券を改札に通す。顔なじみの駅員に軽く挨拶すると、僕達は一旦塩谷の家に向かった。
今更ながら、僕の家で待たせても良かったと気づいたことは優梨には黙っておこう。今日の待ち合わせ場所は彼女が立案した。もし僕が口にすれば、彼女はきっとその非合理性にその場で膝と両手を地面に突き、落胆を身体で示すだろうことは容易に想像できるからだ。
うん。この時期、この時間のアスファルトって灼熱だよね。彼女を火傷させるなんてマネは、僕にはできない。じゅう。
ちなみにこの東ノ縁駅。昼間は駅員が駐在しているけれど、夜になると無人駅になる。夜でも昼と同じく券売機で切符を買って改札を通すだけなんだけど……その、真っ黒の景色にぽつんと浮かぶその雰囲気は、怖い。
僕達は塩谷の家の前についた。数日前にここにいた引越しのトラッ――トレーラーの姿も、当然ない。塩谷を先頭に、彼が家の引き戸を開ける。荷物を家に置いたら、すぐその足でブラブラしよう、駅からここまでの間にそういう話でまとまっていた。
「母さーん、買ってきたもの玄関に置いとくよー」
「ああ、はいはいどうもありが……あらー、高倉くんと田守ちゃん?」
家の奥から、塩谷のお母さんが手ぬぐいで手を拭きながらやってきた。
「どうも、先日はごちそうさまでした。おばさんの料理美味しかったです」
「いえいえ、こちらこそ手伝ってもらって大助かりでしたから。またここで生活することになったので、よろしく頼みますね」
優梨がこの間の礼を述べると、おばさんは笑顔で応えた。おばさんは小さい頃からこの街に住んでいて、引っ越してからもこの地が恋しかったらしい。それで、家の事情もまとまったので、ここに戻ってきたという経緯を話してくれた。
「そういえば、あの田村さんとこの喫茶店、今日の午前中は閉まってたんじゃなかった? どこで待ち合わせしてたの?」
「駅で待ち合わせしてました。駅の待合室で僕と優梨と」
「塩谷を待つのにくたびれた~」
「あ。健、まさかまた遅刻したんじゃないでしょうね?」
「ちょっとまぁ、色々あって、へへ……へぶっ!」
おばさんは塩谷を睨みつけると、頭を掻いて苦笑いする彼の頬に、突如腰の据わった強烈な右ストレートを炸裂させた。彼は2,3歩よろめいて持ち直す。塩谷が母親に殴られる光景は、小学時代からごく稀にみることができるものだった。しかし優梨、それとなく悪女。
「いってぇ……」
「ほんっとにもう、うちのバカ息子は――二人ともごめんなさいね、こんな暑い中待たせちゃって」
おばさんは右手をブラブラさせながら、また元のにこやかな笑顔で。懐かしい、あの小学時代が帰ってきたんだと、僕はこの光景をどこか微笑ましく感じていた。
「外暑かったでしょう。麦茶でも飲んでゆっくりしていって」
当時と変わらない、強いて言えば4年分だけ古びただけの塩谷の家と、当時の面影を残す優しいおばさんの笑顔。
おばさんの誘いに、初め僕達は断った。けど結局僕達は靴を脱いだ。
「おじゃまします」
「おじゃましま~す」
リビングに通された僕達は、こたつを囲んだ。周囲には、まだ未開封のダンボールが積んであった。エアコンもない。その代わり、縁側の戸が全開になっていた。風鈴なんかも取り付けておくと、夏って感じで風流なんだろうけれど。
おばさんはグラスに入った氷入りの麦茶を3つ、お盆の上に乗せて台所から出てきた。コルクのコースターの上に、グラスが置かれる。
「戻ってきたはいいけれど、この通りまだ荷解きが済んでなくてね。まだクーラーも準備できてなくて。悪いけど扇風機で我慢してね」
「あ、いえ、お気になさらず」
おばさんが扇風機を僕達の方に向け直して電源を入れた。照り返しがなく、日陰が大きいこともあるだろう。待合室よりも涼しかった。
「お昼ごはんは食べたの?」
「はい」
「そう。でも高倉くんも田守ちゃんも、大きくなったねぇ。挨拶なんかもしっかりしてて、大人の階段をしっかり上ってるって感じ。昔見た時はまだこんなに小ちゃかったのに」
おばさんが手でこれぐらい、と胸のあたりを示した。
「それに引き換えうちのバカ息子は……図体だけ大きくなって、中身はちっとも変わりやしない」
「ちょ、母さん! それは言いすぎだって」
「文句をいうのは遅刻癖が治ってからにしなさい。あんたの一番ダメなところよ」
塩谷は顔を赤らめて口を尖らせ、そっぽを向いた。
僕達はしばらくそこで談笑していたけど、少し日が和らいできたしと、外に出ることにした。あまり長居するとおばさんにも気を使わせてしまう。
「うぅ、まだ眩しいね」
玄関を出た僕たちは、強烈な光に目を細める。日が和らいできたといっても、まだ相当の日差しがあった。セミはこんな天気の中、よく飽きずに鳴いていられるものだ。
「で、これからどうするん?」
「うーん、私達三人が集まって行動するのって久しぶりだよね」
「じゃあ、小学時代の遊び場でも巡ってみようか」
「じゃあそれで」
僕の提案は即採用され、いつも遊んでいた場所の今を確認しに行くことになった。
――僕達の遊び場は、塩谷の家はもちろんのこと、僕や優梨の家、学校の校庭、海岸の砂浜や空き地など、この町のすべてが遊び場だといってもいいぐらい広かった。
その中でも特に僕らのお気に入りの遊び場だったのは、山だ。
当時小学生だった僕達にとって、大人の監視の目が行き届かない自由な場所は、そこにしかなかったというのが大きな理由だった。
「じゃあ、当時っぽく『裏道』で行こうぜ」
塩谷は小学生の頃からやんちゃでバカだったけど、遊びに関しては天才だった。どこで見つけてきたのか、珍しいものを持ち込んできては、僕らの興味を誘った。そうでなくとも、道ばたに落ちていたありふれたゴミでさえも、彼の手にかかれば魅力的なおもちゃに早変わりさせる。彼がいたあの時代は、本当に楽しかった。
……いやまあ、本人は僕のすぐ隣にいるんだけどね。
山に行く表のルートは、山の斜面の棚田に沿って作られた農道だ。棚田は、遠目から見るとゆるやかな傾斜地にできているように見えるけれど、実際は45度近い急傾斜。この坂は本当にキツい。この坂を登るために車を買うのが納得できるほどだ。
「えっと、神社への道はこっちだったな。で、裏道は――」
「塩谷、エニシ様にちゃんと無事を祈願してからじゃないと、私山には入りたくないよ」
「えぇー。田守、あの石段登るん?」
「当時っぽく行くなら、ちゃんと祈願しないと」
裏道は、表のルートの途中で山の中へと分岐している、細い道から入る。細い道の先にはカイライ神社とエニシ神社がある。カイライ様は海の神様、エニシ様は山の神社で、それぞれ海と山の安全と、豊漁と豊作を司る神様だ。
「そういえば、入る前にいつも祈願してたっけ」
「めんどくせえな」
「塩谷クンはヨソに行ってる間に信仰が薄れちゃったのかなぁ?」
「なんかこええよ田守――はいはい、祈願すりゃいいんでしょ祈願すれば」
「塩谷だけは祈願しても守ってもらえなさそうだね」
「塩谷、君には信心が足らないね!」
「お前らなんか不気味……」
一次産業で生計を立てている家庭が多いこの町では特に大切にされている。御二柱様(つまり、カイライ様とエニシ様のことだね)に対する無礼を働けば、こってり締め上げられるのは言うまでもない。例えば境内で立ちションとか。小学時代に塩谷がやった。
「これはうちらの生活だからね」
僕達はいつも、山に入るときはエニシ様に、海に入るときはカイライ様に無事を祈願してから出かけていた。実際、漁師たちは毎朝早朝、船を出す前にカイライ様に無事を祈願している。
「……で、右がエニシ神社で、左がカイライ神社、だったっけ?」
「うん、合ってるよ。立て看板にもそう書いてあるし」
「いつの間にこんな立て看板が……やっぱ細かいところは変わってるんだな」
木を模した立て看板が立てられたのは、塩谷が引っ越した直後だったっけ。僕達にとってはすでに見慣れたものだ。
「右だな」
木のトンネルの中にある細く薄暗い道は途中でY字に分岐する。どちらへ進んでも境内へと続く長い石段が現れる。段数から石段の作り、社まで全く同じ。階段を登っているときの景色まで同じように見えるものだから、ここで間違えると境内にたどり着くまで気が付かないし、地元の人でない限り、着いても神社の立て看板がなければどちらの神社か区別がつかないだろう。
二つの神社は隣り合っていて、二つの神社の間は竹でできた柵で仕切られているのもある。
年に一回、秋になると豊漁と豊作を感謝するお祭りが中学の校庭を借りて開かれる。そこから二つの神輿が並んでそれぞれの神社へ向かい、同時に豊漁と豊作を祝う儀式をするのだ。
お祭りでは、神輿の出発から儀式、参列者の人数まで、どちらか一方が早かったり、人数が多かったりしないよう正確に分けられる。気難しい神様なのだと、親から言われている。
「久しぶりに三人が揃ったので、また山で遊ばせてほしいと思います。よろしくお願いします――」
僕達はそれぞれの財布から賽銭箱に向けて小銭を放ち、両手を合わせて祈願した。優梨の言葉のあとに僕と塩谷もよろしくお願いします、と頭を下げた。
「よし、じゃあいくか!」
「ホント塩谷は守ってもらえなさそう……」
「ちゃんと祈願はしたんだ。行っても罰は当たらないよ」
神社の階段をスルスルと降り、元のY字の分岐を通過し、小道の両脇の植え込みの切れたとある場所が、僕達が昔通っていた裏道の入り口だ。もちろん、裏道は整備なんてされていない。
「見つからない」
僕は呟く。入り口が分からなかった。植え込みの切れ目が見つからないのだ。
小学生の頃に足で踏み倒すことで作った細い裏道も、植え込みの切れ目も四年の歳月の間に自然に修復されてしまっていた。
雑草は、立ち並ぶ木々に光を遮られているおかげで多くない。植え込みさえ越えれば入れる。けれど、その先で迷子にならないとも限らない。
ごく当たり前のようにこの植え込みに入り、当たり前のように帰ってきたあの小学時代。よく迷子にならなかったものだと、今になって思う。
「どうする?」
塩谷と優梨の顔を伺うと、優梨は困り顔。塩谷は満面の笑みで親指を突き立てていた。
「勘で行きゃ何とかなる!」
「塩谷、大雑把なところも相変わらず……」
「元々俺達の遊び場だったんだ。入ってけば思い出すって!」
「迷子になったらどうすんだよ、塩谷」
「何のために神社行ったんだよ、エニシ様が守ってくれるんだろ? 行こうぜ」
良い子も悪い子も、本当に真似しちゃいけない。
塩谷は植え込みをかき分けて強引に突破すると、植え込みの向こう側から手招きした。
「優梨、どうする?」
「ほんっとにあの塩谷のバカは……」
優梨はショルダーバッグからスマートフォンを取り出し、画面を見ながら指で何かの操作を始めた。
「お前ら来ないのか?」
「塩谷はちょっと黙ってて!」
優梨は画面に目を向けたまま、呆れ声で塩谷に答えた。へーいと返す塩谷の語勢は力なく。
僕が気になって覗きこもうとすると、彼女は画面を傾けて僕にも見えるようにしてくれた。
「……GPSはちゃんと受信できてるみたい」
なるほど、スマートフォンのGPSを活用しようというわけだったのか。
白いマップが表示されている画面の中心に、赤い十字の印が表示されている。これが僕達の現在地を示すもののようだ。
優梨は地図を拡大した。地図には棚田の農道が細い線で表示されているけれど、今僕達がいるような、山の中の小道は収録されずに省かれているようだった。つまり地図上では、すでに僕たちは道を外れて山の中にいることになっていた。
「なんだか地図が心もとないけど、山の中でもGPSが使えれば帰ってはこれそう……」
「使なくなったら、その場で引き返そうか」
「引き返せれば、ね」
優梨は僕に含みのある笑顔を見せ、スマートフォンを操作した。十字の印の上に、立体的な押しピンのイラストが刺さった。
「こんな感じで現在位置を一定時間ごとに記録していけば、帰るときはその逆を通れば帰ってこれる」
「まさに文明の利器だね」
「まあね……いよっと!」
スマートフォンをカバンの中にしまいこんで、優梨は数歩後ろに下がった。彼女の足から繰り出される力強い加速。そして跳躍。ワイルドに、軽快に植え込みを飛び越えた。
……塩谷の今の舌打ちは何だったんだろう。分かるかもしれないけど分からない。うん、それがいい。優梨は塩谷を睨んだ。
「高倉、早く来いよ」
「分かったって」
女の子の優梨に、跳躍力で負けるわけにはいかなかった。男の意地。といっても、僕の運動神経は地味にいいほうなんだけど。
「そりゃっ!」
僕は優梨と同じように数歩後ろに下がって助走をつけ、植え込みの手前で踏み切った。空中で横倒しになる身体。視界正面には、今飛び越えている植え込みの青さが映る。本来なら転がるはずのところ、華麗に足で着地。
「……ふぅ」
「ベリーロール!?」
優梨以上の余裕の高さで飛び越えた。
そう、ベリーロール。学校の陸上の走り高跳びで使われる技の一つだ。実際はもっとビジュアルのいい背面跳びをしたかったけど、さすがに着地のことを考えると危険すぎてできるはずがなかった。
「体育の授業でせっかく習ったなら使わないと、技の持ち腐れだよ」
「いや俺、植え込みを超えるためにベリーロールするヤツ初めて見たわ……」
「いや、きっと世界でも友一だけだから」
優梨が僕に向ける寂しそうな目が怖かった。……なんだよ、植え込みの超え方程度で。
*
「ふざけるな! なんで菜々と次郎なんだよ!」
俺は拳でちゃぶ台を叩きつけた。ちゃぶ台の食器が音を立てた。
「兵次。こりゃ寄合で決まったことだ。お前が何を言おうと、決定は覆らん」
納得できるか。幼馴染の処刑宣告を聞かされて食い下がれねえヤツなどヒトデナシに違いない。ついさっきまで一緒にいた幼馴染の笑顔が、この村から消える。そんなことを甘んじて受け入れることなどできやしない。
「菜々と次郎が何をしたって言うんだよ!」
「兵次だって村が今どういう状況か分かってるだろ!」
「んなもん、老い先短いジジィがやりゃいいじゃねえか! なんでよりによって二人を――」
親父の握りしめられた右手が飛び、俺の鼻を潰した。反射的に目を閉じた俺はひっくり返り、その勢いでちゃぶ台もひっくり返る。僅かな食事が畳にぶちまけけられる音がした。
親父は俺の着物の襟を掴み上げた。親父の鬼のような形相が視界いっぱいに広がる。
「御二柱様のご加護を受けなければこの村も、お前も死ぬんだぞ!」
お袋は俯いて、事態が過ぎるのを黙って待つことを決め込んだようだった。
「尊い二人の命を捧げることで、村が助かる……二人の親御さんも腹をくくった。仲の良かったお前たち三人を引き裂くことになるのは、俺にとっても不本意だ。分かってくれ……耐えてくれ」
親父の目は、俺ではないどこか遠くのものを見つめていた。俺は、そんな顔されても認めねえぞ……絶対、絶対そんなの認めない…………
堪えきれず俺は慟哭を上げ、握りこぶしを畳に思い切り叩きつけた。つもりだった。一瞬感じた、畳ではない硬い異物に当たる感覚と鈍い音。首をひねると、俺の右手が畳の上に転がった親父の茶碗を叩き割っていた。右手を動かすと痛みが走る。手から血が出ていた。
「……茶碗はあとで金継ぎに頼んでおけ」
親父は俺が壊した茶碗を見ても、何もしようとしなかった。ただ着物を掴んでいた手を突き放し、淡々とした口調でお袋に命じて居間から姿を消しただけだった。
「――菜々と次郎、死ななくていい方法があればいいのにね」
「うっせえ! 親父の前でモノも言えねえくせして、同情だけは一人前か!」
顔も見せず、独り言のようにそう言いながら黙々と茶碗の破片を拾い集めるお袋に吠えた。理不尽だと分かっていても、吠えられずにいられなかった。
お袋は、黙って茶碗の破片を集め終えてようやく俺に顔を見せた。お袋も泣いていた。
「…………。」
両親はすでに起床して何処かへ行ってしまったらしい。親父は今日も僅かに穫れた魚を使っての保存食づくりだろう。きっとお袋は俺が夕べ割った茶碗を持って出かけたに違いない。
俺は今日も顔を出す強烈な太陽を、布団に寝転がったまま憎悪の念をもって睨みつけていた。蝉の声も心なしか減ったような気がする。
「最後の雨はいつだったか――」
覚えていない。強すぎる陽光に、雑草ですら枯れる有様だ。井戸水の水位も日に日に下がっている。困り果てた百姓が、なんとしても作物を枯らすまいと、海水を蒸発させて作った真水を桶に入れ、必死に稲や畑にばらまいているらしい。鹽屋をやっている俺と親父が前に教えたものだが、真水のできる量なんてたかが知れている。しかしそんなものでさえ、頼らなくてはいけないほど困っているのだ。
魚も穫れない。作物もできない。頼みだった高倉の備蓄も、今回は持ちそうにない。
「分かってんだよ、んなこと……」
それは、俺達人間にはどうしようもないことだ。
俺達は雨を降らせることはできない。神様――カイライ様とエニシ様に頼る以外に、手立てがないことぐらいは俺だって。
もし生贄になるのが菜々と次郎ではなく、比較的俺から関係の遠い奴だったなら――そんな残酷なことも考える。
俺はそいつに同情の目を向けることは間違いないだろう。しかしそれだけだ。俺はここまで感情を高ぶらせることはしない。嘆く役目は俺ではなく、他の誰かが担うのだ。そう、これは誰かが担い、耐え忍ばなければならない役目なのだ。それが偶然俺に回ってきたというだけで。
これから死ぬ菜々と次郎の気持ちを考えるとあふれ出す焦燥感にかられ、俺は布団から飛び起きた。
――だからといって、生き残るために仲間を殺すなんて……納得できない。俺は、強くない。
「クソ!」
叩きつけた握りこぶしに痛みが走った。傷口が開いたらしい。夕べお袋が黙って巻いてくれた包帯に血が滲んだ。
包帯が巻かれた手をぼんやりと眺めている今この瞬間にも、"奉納"の行われる時間は着々と近づいている。
*
塩谷の遊びに関する記憶力は、まるで当時を記録した何かを持っているかのように正確だった。優梨が裏でしっかりとっている地図のポイントマーカーも必要ないぐらいに。
マムシや野生動物に気をつけつつ、見覚えのあるようなないような、密度の高い木々の中を進んでいく。そして突如現れる、長大な金網フェンスに到着。据え付けられてからかなり年月が経った古いフェンスで、あちこちに錆が浮いている。
「あったぜ、フェンス」
こんな山の中に、しかも普通人が寄らない場所に設置されているフェンスは、当時は気にしてなかったわけじゃないけれど、今僕がフェンスを見て思っているような薄気味悪いという印象はなかった。
当時は確か、鉄壁の長城なんて呼んで親しんでいた。
鉄壁の長城は、一度「このフェンスがどこまで続いているのが辿ってみようぜ!」と塩谷が言い出して終点を目指したものの、辿れど辿れど終点にはつけず、結局時間切れになって引き返したことが由来だ。あのときは普段行かないような山の相当奥深いところまで行った記憶がある。冒険しているみたいで楽しかった思い出も。
「お、まだ抜け穴残ってる!」
このフェンスは昔から手入れされていないようだった。フェンス下部には見覚えがある破れた穴があった。当時はその穴を四つ這いで潜りぬけていたけれど、今の僕達には小さすぎた。塩谷は何の躊躇もなく足でフェンスの穴を押し広げると、自分から真っ先に潜ってみせた。
こんなことしちゃいけないんだけど……まぁ、元から穴が広がってたということで。良い子のみんなは真似しちゃだめだよ。
植え込みを超え、フェンスを潜り抜け、そこから歩くこと10分。僕達の元遊び場が、そこにあった。
僕達の遊び場は、山の傾斜が平坦になっている、階段の踊場に似た構造の小さな天然の広場にある。ここは不思議と木が生えておらず、背の低い雑草が広がる野原になっていた。昔は木が生えていたようだけれど、枯れてしまったらしい。
「あー、懐かしいー」
優梨はこの場所に来てそう言うやいなや、スマートフォンを取り出して現在位置にピンを留める。その様子を見た塩谷は、彼女に近づいた。
「そういや、さっきからちょくちょくそいつイジってっけど、何やってんの? メール?」
「バカ、迷子にならないように印つけてたの。変な場所に迷い込んで帰れなくなたら大変でしょ?」
「あぁ、要らぬ心配だな。自分で言うのもなんだが、記憶力はいいほうなんだ。俺がお前らをちゃんと家に返してやるよ」
「なんか塩谷は信用ないー」
「なっ!」
「まあ、ああも遅刻しちゃうと、どうしても信頼は薄くなるかな」
「……くっ、まだ根に持っていたのか」
「真夏の遅刻の恨みは、食べ物の恨み並だからね!」
実際、遊びに関して塩谷が天才なのは発想だけじゃない。遊びに関しての記憶力も良かった。その分野における彼の記憶力は、信頼してもいい、かな。
「やっぱり虫刺されちゃうね……」
優梨がバッグからチューブに入った薬を取り出し、虫に刺されたところに塗りはじめた。
「俺も蚊にやられたわ。田守、恵んで――」
「塩谷は我慢なさい。友一は貸したげる」
「ちょっ、それ差別!」
「さっき言ったでしょ、『真夏の遅刻の恨みは、食べ物の恨み並』って。せいぜい痒みに苦しみ悶えるといいわ」
「お、俺、超絶ハブられなう……」
塩谷が隅っこで丸まってブツブツ言いながらネットに呟いているが、それよりも優梨のオーバーキル……
この場所からの眺めは最高だ。小さな僕達の町、東ノ縁の景色が一望できる。坂に対応して作られた棚田、住宅地、学校、そしてその先の海まで。いい眺めだ。
大人たちは知らない、僕達だけの秘密の場所。
「しっかし、見覚えのあるのに混じって、『新入り』も入ってきてるな」
僕達のこの秘密基地の上には、道路がある。家電再利用法によって、不要になった家電品の廃棄は有料だ。けれど、そのお金を惜しんで家電品を山に捨てに来る人が後を経たないのだ。当然、捨てられた家電は自然に還ることなく、永遠にそこに横たわり続ける。
小学時代の僕達は、それを迷惑がる一方、積極的に遊びに利用していた。冷蔵庫2台が転がってきたときは、3人で協力してそれを立てて柱代わりにし、廃材で秘密基地を作り上げた。雨が降っても凌げる場所を自分たちの手で作り上げたことは、僕達の間での秘密の偉業だった。冷蔵庫という収納スペースもあったし、便利な基地だったね。
今もその冷蔵庫はある。倒れてしまってはいるけど、当時の基地の面影もそのまま残っていた。
……とかく、新入りという言葉の意味はそういうことだ。テレビやラジカセ、タンスにイスなど――あれ。
「あ、これエクスカリバーじゃない?」
「エクスカリバー?」
僕達がここの思い出を呼び戻しながら感傷に浸っていると、突然優梨が声を上げた。彼女は広場の隅にしゃがみこんで、僕に手招きをしていた。僕も塩谷も彼女のもとへ駆け寄った。
「ほら、この謎の鉄の塊」
近づいて優梨の指差す地面に視線を移す。赤錆びた鉄の何かがひょっこりと頭を出している。
「覚えてない? 友一が『なんか変な突起があるー』って言って、これ何なんだろねーって話してたらいきなり塩谷が『こっ、これはあの聖剣エクスカリバーではないかっ! これは俺に抜かれるために神が用意してなんちゃら』って――」
「優梨、恥ずかしいからやめろ……」
「小学生にしてビミョーに中二病が入ってたんだね塩谷」
「ませ塩谷ー」
「やめろ! 割とマジで!」
塩谷が恥ずかしそうにするのを、僕達は面白がった。
イジりが一段落したところで、僕達は真剣にこの突起についての考察を始めた。まるで小学時代に戻ったかのように。
「――でもこれ、何なんだろね」
「一回塩谷が引き抜こうとして失敗したんじゃなかった?」
「ああ、そんな記憶がある。埋まってるってことは、誰かが人為的に埋めたもので間違いないと俺は思う」
「つまり、私たちがここでエクスカリバーを見つける前に、誰かがここに来ていたってことだよね?」
「少なくとも、小学時代にはここにあったわけだし、となると、小学時代に誰かがここに来ていたか、それより前だな」
「何かの拍子に埋まったとは考えづらいし――けど、これ鉄っぽいし人工物で間違いないし、優梨の仮説で間違いない僕は思うよ」
「なあ、もしかして俺ら、ここで遊んでるのを……知らない誰かにずっと監視されてた……?」
「ちょっと気持ち悪いこと言わないでよ!」
優梨が声を上げた。
僕達だけのこの場所を、監視している人がいた……? 僕達はここで遊んでいるところを見つかった記憶はない。
「んまぁ、コイツが何なのか分からね。けどさ、当時から錆びてたじゃん? 錆びたものを埋めるとはちょっと考えづらい。俺達がここを見つける前に誰かが埋めて、それが錆びたんだと思うね」
塩谷がらしくもなく右手に顎を添えてそう推理した。それは推測の域を出ないものだ。錆びたものを埋める人だっているかもしれない。けれど、僕は彼の推測を信じることにした。誰かが監視していたなんて、そんな薄気味悪い話なんて信じたくなかった。
「で、俺思ったんだけどさ、今なら引っこ抜けそうな気がする」
「……塩谷抜いてみるの?」
「コイツが何なのか、調べてみる価値があると思う」
「そういえばあの頃は謎解き好きだったね」
僕達は、その「埋められた謎の塊」を掘り返してみることにした。当時の僕達には力不足で引っこ抜けなかった塊。
強い日差しとセミの合唱の中、塩谷が塊の頭を両手で掴んだ。塊は縦長の長方形をしていて、ちょうど人が片手で握るよりも小さいぐらいの大きさをしている。
「フゥッ!」
塩谷が顔を真っ赤にしながら引き抜こうとしたけれど、思ったよりも大きいらしく、塊は動かなかった。靴で蹴りを入れてもびくともしない。
僕も優梨も引き抜くことに挑戦したけれど、結果は塩谷と同じだった。
「なあ、そういえば、冷蔵庫にショベル入れてなかったっけ?」
「あ、入ってたかも」
「あんときはそれでほじくり返そうとして、疲れてやめちゃったんだよな」
「そうそう!」
僕達は協力して横倒しになっている冷蔵庫を転がし、ドアを開けた。冷蔵庫の気密性はまだ健在のようで、少し錆びてはいたけれど鉄のシャベルが2本、当時のまま出てきた。これも塩谷がどこからか手に入れてきたものだ。
「おぉー、あった!」
「これで塊の周囲の土を掘り返して、取り出せばいいんだね」
「うん。こういう作業は男子がやった方が絶対効率いいから。頑張って二人とも!」
「ちゃんと優梨も手伝えよ!」
「私は応援する役目ー」
シャベルを持つ僕と塩谷は顔を見合わせた。利害一致。
「よし、先に田守を埋めてから掘り返そう」
「うん。それがいいね」
「え、ちょっと!?」
シャベルを構えて近づくと、あっさりと優梨は手伝うと約束してくれた。優梨も加わってのローテーション作業は、平等に休憩できるよう進められた。
ほじくり返すこと1時間。この錆びた鉄の塊は、縦に細長いことが分かった。
「なんだこりゃ、杭にしちゃ大きすぎるよな……」
「これ、やっぱり埋められたっぽいね。こんなに深く刺さってるなんて」
そんな話をしながらさらに土を掘りつづけた。作業開始から2時間ほど経ち、太陽が傾いてきた頃になってようやくその鉄の塊を引きぬくことができた。引きぬいたのは塩谷だ。
「エクスカリバァァ――!」
……という叫び声とともに。彼にいいとこ全部持っていかれたような気分になるのはなぜだろう。
引き抜いた鉄の塊は平べったく、僅かに反っていて、長さもほどよく、まるで刀のような形……というか、本当に刀ではないかと思うような形状だった。
「なんか刀っぽい形してるけど……何だろこれ」
「うーん、分かんね」
ほじくり返してみたはいいものの、僕達はこれが一体何なのか見当がつかなかった。こんな山の中に埋められていたのだから、当然その必要があってのことだろうとは思うけれど……
「まあ、細かいことは抜きにして、せっかく抜いたんだから、当時っぽい遊びしようぜ!」
「当時っぽい遊び……何やるの?」
「チャンバラだろ! 刀っぽいし、チャンバラの雰囲気出るぜ」
妙にテンションの高い塩谷の提案で、チャンバラごっこをすることになった。手頃な木切れがあったので、対戦相手はこれを刀代わりに。せっかく引き抜いたエクスカリバー(塩谷命名)なのだからと、交代交代でエクスカリバーvs木切れでチャンバラをすることになった。
最初は「エクスカリバー塩谷」対「優梨」の対決だ。芸名っぽくしたのは、さっきのエクスカリバーでいいとこ取りされた恨みも入ってる。よし、これからしばらくは彼のことを「エクスカリバー塩谷」と呼ぶことにしよう。優梨も乗ってくれること請け負い。
優梨は、女の子だけれどこういう遊びは好きなようだった。僕にショルダーバッグを預けると、木切れを持って真剣な目をして塩谷に構えた。
「おも……」
塩谷は、鉄の棒を構えて呟いた。鉄棒が当たると危ない。気をつけるように塩谷に促した。
負け役は木切れを持つほうだ。何度かしのぎの削り合いを行い、「斬った!」とエクスカリバー側が言った直後に下ろした斬撃で、木切れ側は斬られたマネをする。倒れこむと服が汚れるので、そこは適宜アドリブで何とかしてチャンバラ終了だ。
「よーい、始めっ!」
僕の合図とともに、優梨が素早く動いた。風切り音が聞こえるのではないかと思うぐらいの素早さで木切れを振り、エクスカリバーに何度も当てた。ていっ、やぁっ、なんて健気な声が可愛らしい。
塩谷も負けてはおらず、優梨がケガしないよう慎重かつ大胆にエクスカリバーを振るう。
「斬った!」
「うわっ!」
そして決着。優梨は斬られると同時に木切れを取り落として数歩よろめいて後退し、その場でうずくまった。出来レースだけど、ふたりとも楽しそうな顔をしていた。
第二戦は「優梨」対「木切れカリバー塩谷」。つまり、木切れとエクスカリバーの立ち位置を交代したということだ。
僕は開戦の合図を下ろす。その途端。
「田守こええよ!」
「男の子なんだし運動神経いいでしょ?」
「や、危ないって田守! 俺をマジでっ殺す気だろ!」
「なに人聞きの悪い。私ちゃんと手加減してるって――人が避けられるぐらいには」
「お前は人外か!」
優梨の手加減しているかどうか分からない容赦無い攻撃が塩谷を襲った。優梨、塩谷への恨みをチャンバラで晴らす。なかなか「斬った」を言わない優梨に塩谷の息が上がる。
「斬った!」
激戦を繰り広げ、ようやく優梨はその言葉を述べた。塩屋は木切れを放り投げ、その場に倒れこんだ。本当に息が上がっていたらしく、しばらく彼は深呼吸して息を整えていた。優梨も息切れしていたので休憩。
第三戦は、僕と優梨で行われた。エクスカリバー側が僕で、木切れ側が優梨。優梨を斬るのはなんだか気が引けたけれど、優梨が楽しそうに僕に猛攻を仕掛けてくるのを見て、僕の魂に火がついた。
実は僕、中学3年の時に剣道で県大会に出たことあるんだよね。成績は――まあまあいいところまでいった、とだけ言っておこうかな。
「優梨、行くよ?」
「へっ?」
剣道モードに切り替えた僕はエクスカリバーを振るった。優梨からすれば、木切れを振るうかのような軽さに映っているかもしれない。
「ゆ、友一、剣道は卑怯!」
「ははは、木切れだと相対的に軽くて機動力があるからさ。つまらないかもしれないと思ってね。ちょっと難易度調整をしただけだよ」
「友一のバカ~!」
「ハハハ――ほら斬った!」
「わぁっ……!」
優梨は一段とリアルなやられマネをすると、近づいた僕の頭にコツンッとゲンコツを乗せた。
「……ホントに斬られるかと思ったじゃない!」
「スリルがあったろう?」
「バカ! ホントにバランス崩しちゃったじゃない」
「ははは、ごめん」
優梨戦が終わったところで、僕達は山から降りることにした。夜の山は危ない。暗くなる前に下山するのが大切だ。シャベルと発掘したエクスカリバーを冷蔵庫の中に入れて保管し、塩谷を先頭にして来た道を引き返した。しかし塩谷の記憶力はすごいね。あっという間にフェンスをくぐり抜けて、植え込みのところまで一直線で戻ったのだから。
道に迷う可能性を考えて早めに戻ったのだけれど、運良くすんなり帰ってこれたおかげで、解散するには少し早い時間だった。
そこで僕達は暑さをしのぐため、それから優梨と塩谷が溜めているツケを払うことも兼ねて、喫茶店トロンシェに向かった。
「はい、二人とも確かに領収しましたっと……」
店に入って最初にツケを支払った。売掛帳に領収済の印を書き込む店主。4年前のツケと、この間の僕と優梨の飲食代を払わされたエクスカリバー塩谷の顔は暗い。一方の優梨は計画返済。
「それで、ご注文は?」
支払いを終えると、僕達はテーブル席に座った。やっぱり僕達以外に客はいない。店主に適当な注文を出すと、僕達は久しぶりのイスに一息ついた。
最後にまとめて払ったほうが良かったけれど、おじさんが「お、払いに来てくれたのかい?」なんて言いながら売掛帳を取り出すものだから、流れで先に払っちゃったわけだ。
外の暑さで身体はまだ火照っているようで、僕の額から汗が垂れた。ハンカチで拭く。
「そういえばおじさん、今日午前中は何してたんすか?」
「ん、ああ、秋の奉納祭の準備があってね。ここ何年か自治会長を引き受けてるものだからね。そっち側にも顔を出す必要があったのさ」
「へえ……」
「午前中店が閉まってたから、私たち待ち合わせの場所に苦労したんですよー? ねえ、友一」
「そりゃぁ悪かったね」
「あ、うん。エクスカリバー塩谷を待つのにどれだけ暑さに耐えたことか」
「エクスカリバー?」
珍妙なあだ名に店主が名前を聞き返しながら、僕達の注文の品を作る。さすがに山に入って遊んだとは言えなかった。僕達は由来を塩谷の小学時代の発言ということにしてかわした。
「でも今日も暑かったね」
「いや、でも俺が前住んでたところよりは涼しいぞ。海とか山があるからかもしんないけど」
「ふうん。エクスカリバー塩谷はどこ住んでたの?」
「……あのさ、二人して名前の前に『エクスカリバー』ってつけんのやめてくんね?」
「分かったよ、エクスカリバー」
「……ごめんね、エクスカリバー」
「名前が跡形もなく消えた!?」
「ははは、二人ともあまりいじりすぎると、塩谷くん泣いちゃうぞ?」
「おじさん、俺をかばうふりして、それとなくに二人に加担してないっすか!?」
「あれ、そんな気はないんだけど?」
わざとらしくとぼけた顔をしたおじさんが、注文の品をテーブルに並べる。
「そういや、そのナントカリバーっていうの? 外国の神話に出てくる川の事だっけ?」
「エクスカリバー、剣です」
「あ、剣ね――そうだ今日偶然なんだけど、自治会に出席した老人会代表の昔話で剣っていうか、刀の話になってね。あるじいさんが昔大学でこの地域の歴史を調べてたことがあるって話しだしてな。一時その話で盛り上がったんだよ……それで会議が長引いたんだけどさ。聞く?」
「刀の話……ですか?」
「そうそう。刀」
おじさんは品を並べ終えてお盆を脇の下に挟むと、今回のお代を手書きで記した紙をテーブルに裏返して置いた。
特に話題のなかった僕らには都合がよかった。
「聞きたいです」
店主はカウンターテーブルに寄りかかると、腕組みをして話し始めた。
エニシ神社とカイライ神社にまつわる話なんだけどな。
エニシって漢字で書くと「縁」、古来より縁のある神様という名前からきてるのが由来だと言われてる。
カイライ様の詳細な由来は不明らしい。そのじいさんによると、カイライの由来は古い資料に記してあった「ウミキタル」という言葉だと考えているそうだ。ウミキタル、海来たる、海来、カイライっていう説だな。「傀儡」っていう説もあるんだが、これはどうも違うらしい。
その「ウミキタル」の解釈には2つ――地殻変動説と戦争説があるんだそうだ。
一つ目、地殻変動説。過去に地殻変動で陸が沈んで、海が近づいて今の地形になったことが調査で分かっている。つまり海が近づいてきたのを、神様がおいでなすったと見立てたとする説。民間信仰が元々は自然崇拝だったという見方をとれば、この説だろうと。
二つ目の戦争説は朝廷の時代。征夷大将軍率いる朝廷軍が、船に乗って海から来たことを示す説。
朝廷側と戦争した説でな。エニシ様とカイライ様の戦いは、実は民と朝廷側との戦いの様子が変化して伝わったものではないかという話だ。つまり、もとはエニシ神社は民を、カイライ神社は朝廷側の死者を神として別々に祀った、とする説。
おっちゃんは前者っぽいような気がするけどよく分からん。
それと昔、二柱で1つの御神刀を共有して祀っていたらしい。確か、"カイライ刀"っていう名前だったかな。御二柱をつなぐ大切なものとして祀られていたらしいよ。
それで、その刀に関する伝説っていうのがな、伝承によると、なんでもここは昔、エニシ様が治めていた地で、カイライ様は後から来たらしい。そこでエニシ様とカイライ様とが衝突して、果たし合いを始めたという話。
カイライ様もエニシ様も互いに刀で戦ったんだが、なかなか決着がつかず、ついに戦い始めてから1000日。神様が争っている間に、民の生活はどんどん荒んでいって、瀕死の状態にまで追いやられていたそうなんだ。
で結局、二柱で民を共有し、共存していくことで落ち着いて今に至るらしい。 そして二柱の繋がりの間に新しく生まれたのがカイライ刀。
それでそのカイライ刀なんだけど、御二柱様を繋ぐ、とても重要な役目を持った刀であることは言うまでもない。
その刀は実在する。これは老人会のある方が実際に見たことがあるそうで間違いない。この刀は、一年ごとに二つの神社で交代交代、厳重に保管されていたそうだ。「あること」をする時以外は、誰の手にも触れないよう厳しく管理されていたらしい。
その「あること」っていうのが、あまり大きな声では言えないんだが……生贄を差し出す儀式に使われていたらしい。
その儀式は、民が切羽詰まった状況に追い込まれ、神様に頼る以外どうにもならない時に執り行われたっていう話だ。
御神刀であるカイライ刀を、エニシ様とカイライ様の生贄がそれぞれ振るい、御二柱様の果たし合いを再現することで、御二柱様が民に目を向け、施してくださることを願ったそうだ。その二人の生贄は、一人は生きたまま海に流され、もう一人は山に放置されたらしい。後味の悪い話は君達のそれをまずくするからあまり言わんよ。
そんなカイライ刀には別の名前があってな。これを傀儡刀って呼んだらしい。生贄がこの刀を振るうと不思議と、まるで神様に操られた傀儡のように自ら進んで儀式を進めたがったらしい。
最期に執り行われた生贄の儀式――奉納祭は1836年、天保7年、ちょうど天保の大飢饉が起きていた時期だそうだ。その時の記録によると儀式は失敗、"鬼"が現れたそうだ。生贄は人殺しも同然、記録はあまり残したくなかったんだろう。それ以上の詳しい情報は見つからなかった。
それでな、今その刀は行方不明になっているらしい。カイライ刀を見たというその老人会のじいさんの話によると、第二次大戦の金属類回収令で、あらゆる金属類が根こそぎ持っていかれる中、この刀を守るために代表が一人、刀を山に埋めて隠したそうだ。
それで戦後、その刀を回収しようとしたんだが、その一人が戦中に招集されて殉死してしまったらしくてな。刀の場所が分からなくなった。総出で何度か探したそうだが、結局刀は見つからないまま。今も山のどこかに眠っているらしい。
今は、生前その村人が残した場所のヒントを頼りに、その刀があるかもしれない場所をフェンスで囲って、ヨソの誰かが誤って御神刀を持ち出さないようにしてるそうだ。特別な刀だから、誰にも触れられぬようにと――
僕達は声が出なかった。
御神刀、生贄、金属類回収令、フェンス、山、埋めた――掘り返したあの形状からしても、あの埋まっていた鉄の塊は、あのエクスカリバーは、傀儡刀でほぼ間違いない。しかも、その傀儡刀で思いっきり遊んでしまった。
「生贄とかそういう話は苦手だったかな?」
青ざめる僕達の顔を見て、店主は気まずい笑顔を見せながら頬を掻いた。いや、そういうことじゃないんだ、おじさん。
――カラン。塩谷が頼んだアイスティーの氷が音を立てた。その音に僕は刺激され、窓の外を見た。もうすぐ日が暮れようとしている。僕の向かいに座る塩谷と優梨も、僕と同じように窓を見た。
やっべ、そろそろ帰らねえと。塩谷が呟いて残りのアイスティーを一気に飲み干した。僕もそれに追従して飲み物を飲み干した。優梨も同じく。
「お、お話ありがとうございました!」
僕達はお金を払い、怪訝な顔をする店主から逃げるようにして喫茶店を飛び出した。
「…………何なんだよあれは!」
喫茶店少しから離れたところまで来て、塩谷が叫んだ。塩谷の息が荒い。
「……なぁ、生贄だけが傀儡刀を振るって話だったよな? だとしたら、刀を振った俺達は神様の生贄ってことになるよな? 生贄になったら死ぬんだよな?」
「やめてよ塩谷! 死ぬとかそんな縁起でもない! あれが傀儡刀だとは限らないじゃない!」
「でも優梨……フェンスの内側に入って遊んでいた以上、あれが傀儡刀だという可能性は十分にある。それに、山に隠すとしても、そんなに奥深くに隠すと探すのが大変だし……すると、僕達が遊んでたぐらいの位置がちょうどいい場所に……」
「もう、友一もやめてよ――」
優梨が泣きだした。
日が暮れ始めた山が、風に吹かれて不気味な黒いシルエットを蠢かせた。
「と、とりあえず二人とも。今日やってしまったことを、エニシ様とカイライ様に謝ろう。今すぐに――何かが起きる前に」
僕はそう言葉で奮い立たせたけれど、いつもに増して不気味に映る山の中にある神社なんて、行く勇気はなかった。道は真っ暗で明かりもない。
「もう山なんてやだ……神社行きたくないよ……」
優梨がそう言って泣き崩れた。僕は彼女の肩を支える――優梨の足が尋常じゃない勢いで震えていた。
「俺も、さすがに今日はちょっと――あぁ明日でよくね? ほ、ほらもう暗くなってきたし、山危ないしさ。な、な?」
塩谷も言葉が震えていた。僕だって怖い。本当にあれが傀儡刀だったとしたらなんて考えるだけでゾッとする。
「じゃあ明日集まろう。詳しいことはまた明日メールで相談。それで、真っ先に神社へ行って、今日のことを謝ろう」
そう約束を取り付けて塩谷と別れ、僕は足取りのおぼつかない優梨を送っていくことにした。
「友一……どうしよう……死にたくない……」
「大丈夫……明日絶対に謝りに行こう。許してもらおう。きっと許してくれるから」
道中何度もそう繰り返す優梨に、僕は必死に言葉を紡いだ。許してくれるなんて保証はどこにもないけれど、僕はそう言い切った。優梨のためでもあるけれど、自分のためでもあった。
僕は優梨の家の前まで送り、彼女が自分の足で家に入っていくのを見届けると、僕は家まで走った。別に時間が遅いわけじゃない。身体が走ることを求めた。
息切れして帰ってきた僕だけど、家族の前では平静を装った。けれど、自分の部屋に逃げ込んで、その日の残りの時間のほとんどをそこで過ごした。
翌朝。僕は布団の中で一睡もできなかった。自業自得だけど、不安と疲労からくる気持ち悪さが辛い。今日は神社に謝りに行って、見つけた傀儡刀らしきものをどうするのか話し合おう。そう自分に言い聞かせながら、朝食の香りがするリビングへ向かった。
「友一大丈夫? 目の下にクマができてるけど」
「ああ、うん、気にしないで」
「夏休みだからって、あんまり遅くまでゲームしてちゃダメよ?」
母さんにしかめっ面でそう言われた。僕の目に下にできているというクマが、そのために出来たものならばどれだけ良かったことか。
「今日も塩谷くんたちとどこか遊びに行くの?」
「うん、まあ」
「友一、学校の宿題はちゃんと進んでる? 塩谷くん達と一緒に出かけるのはいいけど、勉強がおろそかになってるんじゃ――」
「午前中やってるよ、宿題は。大丈夫間に合うから」
「そう? 大丈夫?」
「うん。気にしなくていいから」
普段はあまり物を言わない母親が、今日はいつにもましてうるさかった。応える言葉は生返事。僕の気持ちはそれどころじゃない。
「ごちそうさま」
わかない食欲を押さえつけ、朝食を胃袋に押し込んだ。普段は朝食後、テレビをちょっと見てから自分の部屋に戻る。けど今日は居心地が悪くてすぐに戻った。僕は携帯を取り出し、塩谷と優梨にメールを送る。
"今日の集合時刻と場所はどうする?"
僕は音楽を聞きながら二人の返事が帰ってくるのを待つ。宿題なんてとてもできる気分じゃなかった。
メールの送信から四時間以上が経ち、台所から昼食の匂いが漂ってくる時間になっても、二人からの返信は来ない。ルーズな塩谷は別として、いつも返事がマメな優梨からの返信がないことは、僕に大きな不安を与えた。
――結局、三人で謝りに行くという約束は叶わなかった。
昼食を食べ終え、僕が自室に戻ると同時に携帯が震えた。優梨からのメールだ。
"塩谷いなくなった"
感情がよく伝わってくる普段の文面とは様子が違う、淡々とした味気ないメール。僕は、その文面の意味を理解することができなかった。塩谷がいなくなったって、どういうことだ。確かに塩谷からの返信はまだない。最悪の状況が脳裏をかすめる。
優梨に詳細を求める返事を打ち始めたそのとき、母親がドアの向こうから声を上げた。
「塩谷くん、行方不明だって!」
塩谷が行方不明? 僕は夢でも見ているような気分に陥った。昨日確かに今日また集まると約束したはずなのに。
母親が僕の部屋のドアを強く叩いた。その音に頭が冴え、僕の心臓は急激に高鳴っていく。強くなっていくドアの音。僕は我に返り慌てて開けた。
「聞こえた? 今塩谷くんのお母さんから電話があって――」
開けると同時に母さんがドアから半身乗り出し、慌てた様子で話しはじめた。塩谷の母さんの話によると、塩谷は夕べから様子がおかしくて、親が今朝起きた時には家にいなかったそうだ。
「友一、塩谷くんがどこにいるか、思い当たる場所はある? 海の近くで塩谷くんを見かけたっていう人がいたらしいんだけど……」
なぜ塩谷が海に? もし塩谷が一人で出かけるとすれば、神社か山の中しか思いつかない。塩谷が海まで行く理由が分からない。
僕は首を振った。
僕は塩谷を探すため、携帯片手に家を飛び出した。既に近所の住民による捜索が始まっているらしい。何事もないかように照りつける夏の日差しと蝉の声が、妙に不気味だった。
僕達が掘り返したものは、傀儡刀で間違いなかったんだと考える自分と、本当にあれが傀儡刀なのか、まだ疑っている自分がいた。
僕は優梨の家に向かって走る。塩谷がいなくなった今、優梨までいなくなりそうで怖かった。走りながら、塩谷の携帯にダイヤルする。
"おかけになった電話番号は、現在電波の届かないところにいるか、電源が入っていないため、お繋ぎすることができません――"
「っざけんなよ塩谷!」
わけの分からない怒りが込み上がってきた。怒りを力に変えて、僕は一層地面を強く蹴った。
電波の届かないところ――もしかしたら山の中――いや、それはない。あんな山の中ででも優梨の携帯はしっかり電波を受信できていた。そのおかげで地図にピン留めすることができたわけだし、それに塩谷だってあの場所からネットに呟いていたじゃないか。
だとすると残るは電池切れか、本当に電波の届かないところにいるか――
優梨の家までの長い上り坂。息が上がる。けど優梨の家のすぐ近くまで来ている。僕は携帯を握りしめ、ツバを飲み込んで身体にムチを打った。
「はぁ……はぁ……」
インターホンを押した。優梨のお母さんが応対に出た。インターホン越しに、息も絶え絶えに彼女がいるか尋ねた。
「さっき、塩谷くんを探しに行くって言って出かけていったところだけど……ちょっと待ってね」
インターホンの接続が切れた。優梨のやつ、僕に相談もしないで一人で探しに行ったって……大丈夫だろうか。少し経って、再びインターホンが繋がった。
「高倉くんごめんね。優梨、携帯を忘れて出て行っちゃったみたいで」
「今、どこにいるか分かりますか?」
「わからないけど、カイライ様がどうのって呟いてたし……神社に行ったかも。帰ってきたら高倉くんの携帯に――」
「いいですありがとうございました!」
僕は一息に叫ぶように言い、神社に足を向けて再び走り出した。優梨、頼む。神社にいてくれ。僕の視界から優梨まで消えてなくなりそうで、怖い。
農道から神社ヘ続く小道の分岐で、小道から人が出てきた。農作業着の顔見知りのお婆ちゃんだった。お婆ちゃんは僕を見つけるやいなや駆け寄ってきた。
「ユウちゃ、大変だよ! 塩谷さんとこの息子、あんたの友達が行き方知れずになったって! あたしは今ちょうど御二柱様に息子さんの安全を祈願してきたところだよ!」
「今そのことでちょっと……おばあちゃん、神社に優梨は居ませんでしたか!?」
「優梨ちゃ、田守さんとこの娘ね? 神社にいたのはあたし一人だけだよ。優梨ちゃがどうした?」
「いえ、ありがとうございます」
「御二柱様にはあたしがしぃーっかり祈願したからね! あんたは神社に行く暇があるなら走りなさい。早いうちに見つけんと危ないからね。若いのは身体張って探すんよ!」
おばあちゃんに身体を掴まれた。半回転、走ってきた道に正面を向けさせられると、そのままトン、と背中を押された。
「頑張りな!」
おばあちゃんの気迫に押されて、僕は元きた道を走り始めた。下り坂が僕を加速する。
優梨は神社にいない。塩谷を探すならば海辺しかない。ここから見える海の景色は遠い。けれど僕は構わず坂に身を委ね走った。
道中あちこちで、塩谷の名前を呼ぶ声が聞こえた。近所の人、老人会のメンバー、町内会の腕章をつけた人――
塩谷が生きてる確証なんてどこにもない。死んでる確証もどこにもない。ならば僕は生きてるって信じる。
確かに僕達はチャンバラで遊んだ。けど僕達は正規の手順を踏んで儀式を執り行ったわけじゃない。神様は生贄として受け取ったのか怪しい。
塩谷は生贄の儀式の話を聞いて怖くなって、自分一人の判断で勝手に逃げ出したのではないか。僕はそう考え始めていた。
海岸から伸びる桟橋の上に、一人で立っている人影を見つけた。見覚えのある人影だ。僕はそれを彼女だと認識した。彼女だった。
「優梨!」
近づく僕の声に気づいて彼女は振り返った。目に涙を浮かべていた。
「……友一」
「優梨も塩谷を探しに来たんだよね」
「……うん」
「一緒に探そう。大丈夫。塩谷は絶対見つかる。海辺にいたって話だったから、海の近くを探そう」
「うん」
優梨の手を引いた。絶対に、塩谷を見つけようと約束して。
「塩谷――!」
僕達は海岸を辿って、塩谷を呼び続けた。普段僕達が行かないようなところにも行って、乾いた喉を自販機で潤しながら。
けれど。日が暮れる頃になっても、塩谷は見つからなかった。僕達は悔しさと虚無感を連れて、引き返すしかなかった。
「……静か、だね」
町には、塩谷を呼ぶ声はもうなかった。セミが寂しく鳴く声が聞こえるだけだった。
僕達が喫茶店の前を通り過ぎたとき、僕の携帯が呼び出し音が聞こえた。僕の母さんからだった――僕は淡々と要件を聞いて、通話を切った。
「……塩谷が見つかったらしい。1時間半ほど前に、漁協が出した捜索船が、沖合で仰向けになって浮かんでいる塩谷を発見したそうだ」
「そんな……」
「服を着たままだったそうだが、塩谷はまだ生きてる。ただ意識はなくて、隣町の信鳴病院にそのまま船で運ばれたらしい――」
「うぁ……」
「今日は……帰ろう。今日はもう休もう」
優梨が泣いた。僕の目からも涙が溢れてきた。それは嬉しいからなのか、悲しいからなのか、恐ろしいからなのか、自分でも分からない。
「一人で帰れるから……」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫……」
僕の家の前で、優梨はそう言った。放心気味のようにも見えた。僕はどうするべきか迷った。ここで彼女を一人にしていいのだろうかと。優梨が僕の背中を押した。
「ありがとう……もう行くね」
僕が振り返ったときには、彼女は僕に背を向けていた。僕もあまり優梨優梨と構うのも良くないのかもしれない。彼女ももう高二だ。子供じゃないんだから、一人で帰れるさ。自分を説得してそのまま家のドアを開けた。
夕食後、自室のベッドに横たわると、塩谷が海で浮かんでいた理由を考えはじめた。
傀儡刀、儀式を進めたがる生贄の話――だとしてそれらが本当に今回の事件とリンクしているのだろうか。
"一人は生きたまま海に流され、もう一人は山に放置されたらしい――"
確かに塩谷は生きたまま海に流されていた。もしかすると自分で泳いだのかもしれない。どっちにしろ、朝の時点で塩谷は海で浮かんでいた。つまり塩谷は一直線に海に入っていったということだろう。早朝一人で海に飛び込むなんて正気じゃありえない。
けど、それを安易に傀儡刀にリンクさせることはできない。現に僕は傀儡刀を振るってもまだ正気を保っているわけだし、優梨だっている。生贄になるなら、カイライ様とエニシ様にそれぞれ一人ずつだろう。傀儡刀が原因ならば、僕か優梨のどちらかがエニシ様側の生贄の役目を負う必要がある――
カチ。壁掛け時計の長針が夜9時を指した。もうこんな時間か。そう思ったところで母さんが僕の部屋のドアを叩いた。
「友一? 優梨ちゃんとは家の前で別れたのよねー?」
「あ、うん、そうだけど?」
僕が部屋の内側からそう答えると、母親は声で誰かと話しはじめた。口調からしてどうやら電話のようだった。嫌な汗が額に滲む。
「友一、優梨ちゃんが――」
嫌な予感は的中した。まだ家に帰ってきていないという。家の前で別れてから時間が経っていて、時間的に帰ってこれないはずはなかった。近所の人が捜索を始める方向でまた動きだしたという。
僕も優梨を探すと親に断って再び家を飛び出した。
傀儡刀が優梨を攫ったなら、彼女は山にいるはずだ。携帯を取り出す。昨日優梨がやっていたのと同じ方法なら、一人でも山に入って探しにいける。けれどあいにく携帯の電池は切れかかっていて、携帯で現在位置を確認しながら進んでいくだけのバッテリーはない。
「チッ……」
充電しとけばよかった。ホンネとタテマエの間で揺れ動く心。舌打ちする一方で安心感を覚えたのは、ひとえに僕が弱く卑怯だからに他ならない。
僕は電池を温存するため、携帯の電源を切った。
昨晩から寝てないせいか、頭がぼんやりとしていて気持ち悪い。携帯が使えない以上、僕は山の中に入れない。他の場所を探しに行くしかない。
山以外で優梨が行きそうなところを考えた僕が思い浮かんだのは、昼に優梨が一人でいたあの桟橋だった。再び海岸まで走る。点在する街路灯と民家の明かりの中を。
海岸に近づくにつれ、明かりはどんどん少なくなっていく。防波堤にたどり着いた時には、進んでいくには月の光か携帯の液晶に頼るしかないぐらいにまで暗くなっていた。移動するには暗すぎた。僕はやむなく携帯の電源を入れ、それを明かりとする。
防波堤を乗り越え、砂浜に降り立つ。もしかしたら優梨が砂浜にいるかもしれない。波打ち際に沿って、昼に優梨を見つけた桟橋に向かって歩いていく。
「優梨――!」
彼女の声はない。聞こえてくるのは、足元に押し寄せ、静かに白んで引いていく波の音。もう帰りたい。
砂浜に優梨は見つけられず、桟橋の根本までたどり着いてしまった。ここから海へと伸びるコンクリートの桟橋の先は暗闇。見えない。どこまでも続いているように見えた。
「優梨……」
足元が見えない中、海に落ちないよう携帯を振り回しながら桟橋の先まで歩く。
「いない――」
そこに彼女はいなかった。桟橋の先端にたどり着いても、誰とも出会うことはなかった。
僕は来た道を振り返った。遠く左前方に浮かぶ光の点が一つ。僕を取り囲むのは波の音。まるで沖合に浮かぶコンクリートの孤島に取り残されたようだ。遠くの光点は、東ノ縁駅の駅舎に違いない。
「塩谷に……会いに行こう」
優梨がいる心当たりがある場所は一応探した。塩谷は信鳴病院に運ばれたと聞いた。
彼に話を聞きに行けば、今回の一連の事件の全貌が見えるかもしれない。優梨がいなくなったヒントも得られるかもしれない。
携帯の時計は午後9時40分を指している。信鳴病院は僕も行ったことがある。一人でも行ける。
今から向かったとしても、到着は早くて1時間後。消灯時間は過ぎているはずだ。けれどどうにか事情を話して会わせてもらえるように病院の人に頼み込むしかない。
「あ――っと……」
そのまま駅舎に一直線に向かおうとして……危うく桟橋から落ちそうになった。落ちる直前で気づけてよかった。危うく第二の塩谷になるところだった――彼が桟橋から落ちたことが確定したわけじゃないけれど。少し判断力が鈍っているのかもしれない。
僕は桟橋を引き返し、さっき来た砂浜を歩きながら駅へ向かった。僕が桟橋に向かったあとで、優梨が砂浜に来ているかもしれない。歩きづらい砂浜に、体力と気力が削れるのはあまり気にならなかった。
「優梨――!」
行きと同じく返事がない。姿も見えない。結局優梨を見つけられないまま、もと来た防波堤を再び越えた。優梨はやっぱり、山に入ってしまったのだろうか。
いつ自分が攫われるかもしれない恐怖と暗闇に押し潰されそうになる気持ちを抱えたまま、駅に近づく。駅舎の光がこれほどまでに頼もしく思えたのは初めてだった。
「ふー……」
駅に着いた途端、どっと安心感に満たされた。
駅に1つだけの自動発券機と改札。2つとも不自然に新しいのは最近交換されたからだ。財布を取り出し硬貨を投入すると、液晶画面に発券できる切符が浮かび上がる。信鳴病院最寄りの駅までの料金を選択。お釣りとともに長方形の切符が吐き出された。
あとは改札に通して電車を――
"乗車券をお確かめください"
効果音。赤いランプが点いて、改札機は僕を通すのを拒んだ。穴の開いていない切符が受け取り口から飛び出している。
「あれ?」
切符を受け取って観察してみる。見た感じ普通の切符で、磁気面も損傷しているわけではない。発券に失敗したのだろうか。駅員さんがいれば、すぐ対応してもらえたのだろうけど……あいにくこの時間は無人だ。
妙な胸騒ぎを覚えつつも、僕はもう一度切符を購入することにした。無駄な出費になってしまった。目的の駅は有人のはず。これは返金してもらえるだろうか。
二枚目の切符を購入し、再び改札に通した。
"乗車券をお確かめください"
「なんだよ!」
再び赤いランプが点いて、僕を通そうとはしなかった。まるで僕をここからは出て行かせまいとするようだ。
二枚連続で発券ミスなんてあるのだろうか。少なくとも僕が見た中では、発券トラブルで改札が通してくれないなんて事はなかった。こんなタイミングで、しかも二回連続のトラブルに、僕は改札か発券機の故障を疑うしかない。
「チッ……ごめん!」
三枚目を買ってもきっと同じ結果になるだろう。僕は切符を受け取り改札機のガードを飛び越えた。改札を通していない不正乗車になるけれど、僕の手の中にはさっき発券したばかりの二枚の切符がある。電車が駅に着いたら運転士に事情を説明しよう。
改札を通らなかったという後ろめたさがさらに心にのしかかる。仕方ないんだ。ちゃんと切符を買ったのに改札を通してくれなかったんだ。
構内の時刻表によれば、次の電車が来るのは49分後だった。さっきから悪運がついてまわっているのは気のせいだ。そうだと思いたい。
僕は待合室に腰掛け、この約50分間をどう過ごすべきか悩んだ。携帯はバッテリーを持たせるためにたった今電源を切った。優梨を探しに出た僕に暇つぶしの道具はもうない。
やっぱり、ただぼーっと電車が来るのを待つしかないのか。
「始まりはここからだったんだよな……」
すべてはここで優梨と一緒に塩谷を待ちぼうけしたあの日、あの時から。僕が小学時代の遊び場を見て回ろうなんて言い出さなければ、こんな事にはならなかったのかもしれない――プラカードのぶら下がった壁掛け扇風機を見上げながらそう思う。
「優梨も塩谷も、帰ってくるさ――絶対に」
一人景気付けたはいいものの、疲れからか次の言葉が出ない。もう頭が回らなくなってしまった。少しぼーっとして休もう。何もすることがないならそうするのがいい。
――電車が、来ない。
しばらくぶりに携帯の電源を入れて時刻を確認すると、ここに座ってもう二時間になろうとしている。本当ならば、一時間ほど前に電車が到着しているはずだ。時間に正確な電車がこれほどまでに遅刻するなんて、明らかに異常事態だった。
時刻表の読み間違いも疑った。何度も確認した。けれど、何度確認しても電車が来る時間は一時間ほど前だ。
通さない改札機、時間が経っても一向に来る気配のない電車――明らかに何かが僕を東ノ縁から出させまいとしているとしか思えない。例え運行障害で来れなくなったとしても、どう考えてもタイミングが良すぎる。
もう11時を過ぎている。親も心配しているはずだ。家に帰ろう。その前に家に電話し――
「なん……」
ようとして目に映った圏外表示。通学時に電車が来るまでの時間にメールや通話をすることがあった。ここにはちゃんと電波が届くはずなのだ。
「やめてくれよ……」
僕は長イスから崩れ落ちるようにしてしゃがみこんだ。僕がおかしくなった? 周りがおかしくなった? もう分からない。発狂しそうだった。
気づかぬふりしていたものを、頭が勝手に吐き出し始める。
――駅に来るまでの間、誰とも会わなかったよね?
――家を出てからここまでの間、僕以外に優梨を探す声は聞こえた? 探す懐中電灯の光は見た?
――優梨の捜索が始まっているのに、どうして誰も海岸を探しに来なかったの?
――街の地形は山に従って傾斜しているのに、桟橋から振り返ったとき、駅以外の明かりが一つもなかったよね?
「ぅう……ぅぅぅううああああ――――……」
しゃがみ込むこともできない。コンクリートの上に転がった。めまい。視界が回る。
駅に来るまでの間、誰とも会わなかった!
家を出てからここまでの間、僕以外に優梨を探す声は聞こえなかった! 懐中電灯の光も見なかった!
優梨の捜索が始まっているのに、どうして誰も海岸を探しに来ない!
桟橋から振り返ったとき、駅以外の明かりは一つも見なかった!
気持ち悪い。上がってくるものを抑えきれず、その場にぶちまけた。むせこむ。目から涙が溢れてくる。
「はぁ……はぁ……うぁ……」
ぶちまけて、少しだけ楽になった気がする。
僕は力を振り絞って立ち上がった。足がおぼつかない。口から垂れたそれを腕で拭う。
もうここに居続けても意味はない。ここから出よう。壁を伝って改札まで歩く。乗車券を入れてください――不正に通過する僕を改札は引きとめようとする。またいで駅から脱出した。
僕の視界内に明かりが点いている建物は、今僕がいる駅以外一つもなかった。
「もう……帰ろう」
僕は歩きだした。ふらついた足取りなのが自分でも分かる。霧がかかったかのようにぼーっとする。灰色の思考。
自宅前までたどりつくのに、いつもの何倍の時間を費やしたのかわからない。家の明かりは、他の家と同様全て消えていた。
家のドアは鍵がかかっていた。手持ちの鍵を差しても回らない。
「僕の、家……じゃない」
家のドアにもたれかかった。
確かに場所、家の形どちらの面から見ても僕の家で間違いない。けれどここにあるのは"僕の家"じゃなかった。僕の両親は僕が探しに行ったまま鍵をかけて寝るような人じゃないし、僕の鍵で開錠できないのもおかしい。
僕の家を精巧に再現したかのような違和感。僕の家だけじゃない。他の家、建物、全てがそんな風に見えた。そう、映画のセットに迷いこんでしまったような――
「神社……」
この世界には誰も居ない。誰も助けに来ない世界。そして僕が向かうべき場所はそこだと、僕の直感は告げていた。
僕は再び歩きだした。行きたくない気持ちよりも、諦めの気持ちのほうが強かった。僕は既に傀儡だったのだ。もう逃げ場はない。
塩谷も、優梨も、きっと同じようにして連れていかれたのだろう。塩谷は海、優梨は山。三人目の僕はどこに消えるのか分からない。先の見えない不安を背負いながら、農道を登った。
神社へと続く小道は森の闇に消え、どこに続いているのか見えなかった。ただ、道の奥から感覚では表せない巨大な威圧感が流れてくるのを感じる。
「明かり……」
呟いて携帯を取り出す。携帯のバッテリーは、いつの間にか息絶えてしまっていた。電源を入れても、うんともすんとも言わない。風前の灯火だった僕の最後の心の拠り所は消えてしまった。
「うぁ……」
巨大な威圧感に再び身体が反応した。道の脇で背を丸める。それでも僕は行かなければならない。キリキリ痛む胃をさすりながら、僕は闇の中に足を踏み入れた。夜一人で山に入った経験はない。
小道は、完全な暗闇ではなかった。何かが地面を僅かに照らしているようで、僕の周囲だけほのかに明るかった。闇がざわめく音と、僕の足音以外、何も聞こえない。虫や鳥が死んでいるかのようだった。
道の中ほどまで進むと、僕の前と後ろは暗闇になる。僕が歩いてきた暗闇は、もう後戻りできないと暗に主張しているように思えた。
「!」
カイライ神社とエニシ神社へ向かう分岐が見えたとき、僕はそこで足を止めた。
ここから二手に分かれるはずの分岐が、三つに分かれていた。道が一本多い。分岐の中央にあったカイライ神社とエニシ神社の立て看板があった場所が、見知らぬ道になっている。
行かなければいけないのは、カイライ神社とエニシ神社――わけの分からない三本目の道に用はない。僕はカイライ神社の道を選んだ。
けれど、すぐ見えるはずの石段に行き着くことはなかった。
「なん……どうなって――」
僕の目の前には再び同じ分岐が現れた。戻ってきてしまった。今僕は確かにカイライ神社への道を歩いていた。ふらふらと森のなかに足を踏み入れるほど、僕の意識は濁っていない。
再びカイライ神社へ続くはずの分岐を選んで進んだ。
――結局また分岐まで戻ってきてしまった。
「嘘だ……」
こんなに分岐はなかった。先に進んでいるのか、それとも同じ場所をループしているのか分からない。本当に同じ場所に戻ってきているのだろうか。
道の脇にあった太い枯れ枝を道の真ん中に置いた。もし次にまた分岐に遭遇したとき、この枯れ枝が同じ状態であれば、僕は同じ道をループしていることになる。今度はエニシ神社の方へ向かった。
――道の先に分岐と枯れ枝を見つけた。
「一択……」
僕を嘲笑うかのように木々が揺れた。カイライ神社にも、エニシ神社にも行けない。
謎の三本目の道の先からは、低く唸る何かが聞こえる。声なのか、音なのか分からない何か。嫌だ。行きたくない。僕の背中を押すように風が吹いた。まるで行けと命じているかのように。
道を見るのもためらわれてふと足元の枯れ枝を見下ろ――
「うひぃっ!?」
僕は腰を抜かして尻餅をつく。頓狂な声なんか気にしている場合じゃなかった。
「なんで……なんでこんなところに……」
赤錆びた傀儡刀が一つ転がっていた。さっきまでまぎれもなく枯れ枝だったそれが、いつの間にかあの忌々しい刀に。
……も、持っていけということ、なのか。
もうこの刀を触りたくなかった。見たくもない。僕はそれを押し殺しながら、それでも震える手で刀を掴み立ち上がった。
「行くよ……」
下唇を血が出そうなほどに強く噛んで。三番目の道を。
次第に歩いていくうちに、僕の周りをほのかに照らしていた光さえも見失って、僕の身体は完全に闇と同化した。自分の体が見えない。それでも僕は足で道を探りながら進む。どこからかほのかに神社の匂いがする。
――ようやく来たか、鬼。
――我の手を煩わせるとは、大したものよのう、縁。
――何を。我らの刀で戯れる者に、並の者はおらぬだろうて、乙。
――その呼びは気に食わぬと何度も言うておろうが、縁。
どこからともなく声が聞こえた。
僕が……鬼? 僕のことが鬼と呼ばれていることに間違いはなさそうだった。エニシと呼ぶ声。オツと呼ぶ声――御二柱様の声に違いないと思った。
僕は声の場所を探した。そして見つけた二つの人影。
「塩谷! 優梨!」
――動くでない! 鬼!
動くな以前に、そもそも身体が動かなかった。
遠目に見えたのは塩谷と優梨の立ち姿だった。二人の服装は、行方不明当時の服装をしていた。塩谷は、あの日僕達と山に入った服装。優梨は一緒に塩谷を探しに出た時の服装。二人はその場に直立したまま、僕の名前を叫んだ。
――かの魂は我とカイライに捧げられた信仰。鬼のものにあらず。
「そんな……違うんだ!」
――こは神の世。わきまえよ。
「…………。」
――"かの刀、去る戦の世にて失すところ、ある村人に助け給う。その名を源一郎と言ふ。村人、山に入りて袖を濡らし刀を隠し去る。かの場所、としつき経て子供の戯れる場となりて、かを見つけし。さて引き抜かんと挑み、力果てて思ひ切れど、またとしつき経て引き抜かれん――"我とカイライはこの地の移り変わりをしかと見届けてきた――カイライ。
――鬼。神刀を弄ぶなど冒涜甚だしい。許すまじ。常なら鬼の魂もまた、生贄として受け取らん、エニシ。
――されど鬼。我とエニシは暇を持て余しておる。我々は、日ごろの信仰とその刀を引きぬいた恩を顧みる――
御二柱様は、僕が天保の鬼と1000日戦って、鬼に勝てたら僕達三人を現世に返すと提案した。負ければ、僕達は御二柱様の生贄として消える――つまり、死んでもらうという。
天保の鬼とは、天保7年に執り行われた生贄の儀式で出た三人目の生贄のことを言うらしい。生贄にされた幼馴染を救いたい一心で自らを三人目の生贄とし、神様を混乱させたという。つまり、鬼とは三人目の生贄のことを指し、もし僕が負ける――天保の鬼が勝てば、天保の鬼とその幼馴染は当時の時代に生きて帰れる。そして僕が勝てば彼らが生贄として消える。
ここは神の世。僕達のいる世界とは異なる世界。天保の鬼と戦えるのは、僕達の世界の時間の流れに影響しないからだと御二柱様は言った。
先方は戦う意志があるらしい。もしここで僕が参加しなければ、即ち僕達が死を受け入れたとみなすと、神様は言った。
「……やります」
"友一……どうしよう……死にたくない……"
一昨日の優梨の言葉が頭に響いた。誰だって死にたくない。塩谷だってそうに違いない。生きるため。僕は1000日の戦いを決意した。
――ならばその刀を武器として戦え。先方が持つは同じ刀。立場は平等。文句はあるまい、鬼。
僕が握っていた赤鰯の傀儡刀は、いつの間にか柄や鍔までついて、赤錆びたあの様子からは想像もできないような、白銀の立派な刀になっていた。
――進め、鬼。
「わっ!?」
押し出されるように体が動き、僕は闇の中で刀を持った一人のみすぼらしい姿の少年と出会った。僕より背の低い、優梨と同じぐらいなんじゃないかと思うほどの背丈の彼は、右手に血の滲んだ跡のある包帯を巻いている。彼が天保の鬼。その少年の先には、優梨と塩谷の姿。僕の背後には、着物姿を着た二人の男女の姿があった。僕達と違って、顔がやつれて痩せている。
天保7年。天保の大飢饉。苦しい状況の中で、村が願うことは一つしかない。生贄を出すということは、村にとって断腸の思いだったに違いない。
その苦渋の決断を潰してまで、彼は仲間を選んだのだ。その勇気や根性たるや、遊びで刀を振ってしまったがためにここにいる僕とは、平等な立場にいることが申し訳なく感じるほど次元が違う。
それでも僕は、この傀儡刀で相手に勝たなければいけない。優梨と塩谷を守るために。相手を潰さなければならない。
「俺は……鹽屋の息子、兵次」
「僕は……高倉友一」
「後の世から来た平成の鬼と聞く。お前は、高倉の十兵衛の末の娘、菜々の子孫か?」
「僕の先祖に菜々という人がいるという話は聞いたことがない。けれど、もしかしたらそうなのかもしれない。君は……塩谷建の先祖、なのか?」
「知らん。俺がお前の友人の先祖かどうかは、ここで決まる」
兵次と名乗ったその少年は、刀を構えた。とっさに僕も慌てて構える。
――始まったな、カイライ。
御二柱様は僕達が刀を構えたことを開戦の合図としたようだった。
ゆっくり移動しつつ、相手の様子を窺う。勝てればいいんだ。勝つだけで。緊張で高鳴る鼓動を隠しつつ、僕は相手の隙を願う。
「!」
先に仕掛けてきたのは彼の方だった。小柄ながら思い切り良く踏み込んで、僕の胴めがけて振り下ろす。反射的に僕はその動きを捉え、刀で受け流す。刃が甲高い音を立てた。
――懐かしい、エニシ。
――あの時を思い出さずにはいられぬ、カイライ。
御二柱様は僕達が戦う様子を見ながら会話を始めた。見るといっても、僕には神様の姿が見えない。本当に見ているかどうかは分からない。
「ヤァッ!」
疲れている影響があるのかもしれない。つばぜり合いの最中に一瞬バランスを崩したところを狙われた。狙われたのは、再び胴、左から。斜めに斬りこむ刃を止める手立てはない。やっぱりここで死ぬんだ。刃は、いつの間にか僕の右側にあった。
直後お腹に感じる何とも言えない感覚。僕は斬られたのだった。
――始め。
気がつけば、僕の身体は元通りになっていた。
――目に見える姿は、その魂が映したものに過ぎぬ。他人も、己も。故に魂の身体は、斬られても簡単に戻る。さあ舞え、鬼。
僕にとってそれは、地獄のような宣言だった。いくら相手を斬ってもその身体は簡単に戻る。つまり1000日が経過するまで、僕達は延々と戦い続けなくてはならないということだ。けれど。
「うわっ!」
僕も心置きなく相手を切れる。僕は彼を切り落とした。魂の身体から、血が出ることはなかった。
*
どれほど時が経ったのか分からねぇ。俺の向こうでじっと立っている菜々と次郎は、最初こそ声を上げたり悲鳴を上げたりしたが、今じゃ黙って俺やアイツが斬られるのを黙って見ている。もう、慣れちまったらしい。
何度目なのか覚えていない。俺は、彼に穴を開けた。
*
目的さえ見失いそうになる。何百回も、何千回も斬って斬られてを繰り返して、それでもなお終わりの見えない出口を目指して戦い続ける。塩谷と優梨を見る度に気づくそれが僕の今の心の支え。止まることは許されない。辛い。けれど、これが僕達のやったことなんだ。神罰なのだ。
数えきれないほどの回数。僕は、彼の首に刃を近づけた。
*
俺が今振り回しているものの名前は何だった? 戦いを始めた頃の記憶さえも遠く、おぼろげになっていく。だが俺は、彼をひたすらに斬る。彼は見た目以上に強かったが、それでも俺と互角。菜々と次郎を助け出すためなら、俺はコイツを殺す。御二柱様が与えてくれた好機を、無駄にするわけにはいかない。
*
もう、僕はこの刀を振るだけの存在だと断言してもいいと思う。振るった刀が当たるか当たらないか、ただそれだけ。彼はやり古された手法で僕の意表をつき、斬りこんだ。どうせすぐまた元に戻るのだ。無駄な抵抗はしない。
*
もう1000日経ったのではと思える。このまま永遠に戦わされるような気さえする。もう、刀を降るのも辛い。きっと……頭が回んねぇんだ。
*
こんなことをするぐらいなら、いっそ死んでしまったほうがマシだ。こんなことをしてまで生きることに執着する意味、あるのだろうか。塩谷、優梨、言ってくれよ。もう死んだほうがいいって。
*
――1000日が経ったか、エニシ。
――1000日が経ったな、カイライ。
――鬼、もうよい。
久しぶりに聞いた気がする御二柱様の声。僕も彼も、きっと同じことを思っているに違いなかった。死ぬのは僕たちなのだと。僕達は終始一貫してメリハリのある戦いをすることはできなかった。僕はおかしくなっているのかもしれない。もう1000日、なんて考えだしたなんて。
僕は傀儡刀を、そっと足元に置いた。それを見て、彼も同じように傀儡刀を置いた。
――天保、平成の鬼。この戦い、引き分けにて終了とする。故にこれより鬼は鬼ではなく、傀儡は傀儡ではない。それぞれよくぞ耐えた。次の神罰はより重いと思え。
それぞれよく耐えた、という言葉の意味を頭の中で何回も問い合わせ、ようやくその意味を理解したとき、僕は気力を使い果たし崩れ落ちた。僕も彼も、みな罪から開放されたのだ。
「まったく、てめぇもか……」
彼もまた、仰向けになって倒れていた。
「兵次、だっけ……何度も斬ってごめん」
「俺も……悪かった」
僕と兵次は、手を握った。握った手は温かかった。
――いやぁ、堅苦しくするのも気を使うな、カイライ。
――まったく、久しぶりに神様らしいお前を見られたと思った途端これだ。神の威厳が微塵も感じられん、エニシ。
――なあに、出雲さんとこ行ったら同じような神はたくさんおったろう。
――民の前でかような醜態を見せていることに気づかんか。
――これは失念しておった。ふむ。民よ、今の我の粗相、直ちに忘れること――
――カイライ、手遅れだ。
御二柱様の声色が一変した。
「友一!」
「兵次!」
僕と彼、それぞれを呼ぶ声がした。塩谷と優梨、それから菜々と次郎と名乗る男女が僕達の前に集まってきた。
「辛い思いさせてごめん……次郎も」
兵次は僕と手をつないだまま、菜々に顔を向けた。
神様は、罪を犯した僕達に、現世に帰還するまでの時間に猶予をくれた。その理由が"1000日と思っていたら間違えて6日ほど多く罰を与えすぎてしまった"から。結構神様大雑把なんですね。
僕達は猶予の間、普段なら話すことのできないご先祖様と話をした。
菜々は山の生贄として、目隠しをされ、縄で縛られたのち、山奥深くに放置されたらしい。次郎も同じく、船に乗って沖まで連れて行かれたそうだ。二人とも気がつけばここにいたというい。
菜々は、高倉の十兵衛の末の娘という。僕――高倉友一の先祖だと思われる。十兵衛は村の高倉を管理しているらしい。
棚田守の次郎は、優梨――田守優梨の先祖だと推測された。次郎の親は、棚田の水の管理という重要な役割を任されているらしい。
そして、僕が戦った鹽屋の兵次は塩谷健の先祖でほぼ間違いない。塩谷は昔、親から塩屋を営んでいたという話を聞いていたらしい。兵次の親の職業は鹽屋。塩谷と兵次は確実に血が繋がっていた。
「僕達は、君たちの生まれ変わりなのかもしれないね」
「違いねえや。一八〇年後も俺達は同じようにつるんで、同じことをやって。生まれ変わりじゃないほうがおかしい」
――人、そろそろ時間だ。
僕と兵次は起き上がった。現世に帰らなければならないときがやってきた。僕達は互いに握手をし、最後の挨拶をした。
暗闇の世界に、二つの光点ができた。あの光点の向こうは、それぞれの現世だと御二柱様は言った。右が江戸時代への出口、左が現代への出口だという。
――民、一つ頼みがある。今年の奉納祭の供物は、秋刀魚を多めに頼みたい。そればかり捧げられても飽きるが、秋刀魚が一番の楽しみなのだ。
――カイライが頼むなら、我も頼もう。平成の民にはウオツカという酒がどんなものか一つ気になっている。今年の奉納祭にて、一つお供えしてくれんか。
神様は慈愛に満ちていた。神様は最初から僕達に罰を与え、返すつもりだったのだと悟った。そうでなければ、少なくとも僕が神様だったら、こんな頼みなんてしない。
僕達は頼みをしかと受け取った。柔らかく暖かい風が、出口から吹き込んでいた。
――二度とするでないぞ、民。
――我らはいつも見ておる。平成のシオヤ。境内で用を足したこと、忘れておらんぞ。
「言われてやんの塩谷」
「御二柱様の境内でなんてことを……せ、先祖として恥ずかしく思うぞ!」
塩谷は鹽屋から頭に一発ゲンコツを食らった。自分より背の低い彼に叱られ頭を抱えている様子は滑稽だった。
僕達は、御二柱様に改めて謝罪して、それぞれの出口へ歩いた。江戸時代の東ノ縁の様子も気になったけれど、僕はそれぞれ元いた時代の出口を目指す。白の世界に足を踏み入れたとき、鹽屋兵次の声がした。
達者でな――!
*
……目が覚めると、見知らぬ天井が映っていた。天井に吊り下げられたカーテン。あの独特の匂い。どうやらここは信鳴病院らしかった。いつの間にか見覚えのあるパジャマを着ている。あれは、夢だったのだろうか。夢だとしたら、僕はあの夜何をしていたんだろう。どうして僕は病院にいるのだろう。夢と現実の境界が分からなかった。
「友一、起きた?」
隣から聞き慣れた声がして首を向けた。僕の隣のベッドで優梨が寝ていた。彼女も同じように顔だけをこちらに向けている。心臓が一瞬高鳴った。
「起きた」
淡白に、簡潔に。僕は混乱を頭の片隅に押しやった。あとで考えよう。
僕の答えに、優梨はありがとうと言った。その言葉の意味が分からなくてその意味を問い返す。
「友一がね、ふらっと山に入っていった私を探しだしてくれたって」
「……覚えてない」
「……実は私も」
さっきお見舞いに来て帰ったという優梨の家族の話では、僕は一人山に入り、翌早朝優梨を肩に担いで帰ってきたらしい。夜通し捜索に当たっていた住民に預けたところで僕は力尽き、二人仲良く病院に運ばれ今に至るということだった。預けた当時、僕は傀儡刀を持っていたらしく、刀を知るお年寄りが大変驚いたという。
"高倉友一"がかっこいい。もちろん彼は僕じゃない。
眺めた僕の両手には、赤錆びたものを触った跡が残っていた。
「……あれは夢だったのかな。それとも、現実だったのかな。友一がね、私と塩谷のために刀を持って男の子と戦う夢を見たの」
「優梨……その男の子の名前、シオヤのヘイジじゃなかった?」
「ゆういっ――なんで知ってるの!?」
「僕もきっと同じ夢を見たんだ。1000日とちょっとの――長い夢」
「一緒……友一が壊れちゃうって怖かった。けど私……あの場から動けなかった」
「あのとき優梨は神様の傀儡だったんだ。傀儡は自分の意志では動けやしない。僕は、鬼だったから」
「……友一、辛い思いをさせてごめんね。私があそこであの刀を見つけなければ――」
「それを言うなら、僕があそこに行こうって言い出さなければ良かったんだ」
「俺もまさかご先祖様に殴られるとは思わなかったわー」
「塩谷!?」
「塩谷、いつの間に起きてたの!?」
僕を挟んで反対側は、塩谷のベッドだった……塩屋も同じ夢を見たらしい。
優梨ばかりに気が向いて、反対側に誰がいるのかちっとも気にしていなかった。優梨と二人きりだと思っていた僕は心臓が飛び上がった。顔も赤くなっているかもしれない。
これは偶然じゃない。僕達は神様に連れられてあの世に行ったのだ。
「ご先祖様は生還できたのかな」
「できたよ、きっと」
「そういえば、神様から頼まれたお使いの中身、覚えてる?」
「あ、えっとそれはね友一、確か秋刀魚と……?」
「ウォッカな!」
流行なんて気にしない! 我は我が道を突き進む!
と、意気込んで設計した結果、短編とは思えぬほどの濃密さに計算上80000文字オーバーになることが判明し、制作の具合を見ながら話の半分以上を削ってもなお小説祭りの規定40000文字を豪快にぶっちぎり、さらにダイエットを行って押し込んだという前代未聞の奇行と苦行を成し遂げ、それだけでは飽き足らず読者に最後まで読ませる苦行を課すという、滝に打たれる坊さんも驚くアクロバティックおバカとは私のことを言いますOrz
えー、今回も若干リアリティを追求した形にはなりますが、私の頭の12割ぐらいがファンタジーとネタで出来ているため、どうしても製造の過程でそれらの成分が混入してしまうことは否めず、よって前書きにアレルギー成分表示を表示してみる試みと相成ったわけです……と、お遊びはこのぐらいにして。
短編小説という定義に何とか収まったこの物語は、新たな物語の始まりであり、前作の続きでもあります。
前作の続きということで、サブテーマ「始まりと終わり」も受け継がれています。
生贄として死ぬことを運命づけられた6人を世界から断ち切り、神の手によって創造された新しく明るい世界へと旅立つ描写は「始まりと終わり」の最たるもので、塩谷健が例の引越センターで帰ってきたとき、不思議なそのバトンは前作P.E.A.C.H.からこの物語へ渡されたと言っても過言ではありません。
傀儡鬼傀儡の読みは傀儡鬼傀儡となります。
傀儡鬼傀儡という単語は作中では登場しませんが、傀儡鬼傀儡となる場面は存在します。探してみてください。案外近くにあったりするものです。
今回は勧善懲悪の体裁を取りつつも、懐古、蘇生、決断、選択など、様々なものが散りばめられています。
また、見立ても存分に含まれているのですが、ここではあえて言いません。
読んで、その後物語についてじっくり考えてみるのも、物語を読むことの醍醐味だと思います――それほどのものが作れたとは私自身思っていませんが(・・*←
読めば読むほど味が出る――そんな物語になれたらなと思っています。
(文字数なんて言うもんじゃありません)
*ここからはみんな大好き裏話*
今回はまた当社比約1.6倍の文量、私の持っている連載の8話分近い量という文量になりまして、力尽きてしまいました。
前回も力尽きて「次参加する気力なんてもうないわ」と呟いていた気がしますが、やはり執筆は好きらしく、しばらくすると不思議とまた意欲が湧いてくるものです。
次参加できる気力があるかは分からないです。
傀儡鬼傀儡はまったくの創作であり、登場する地名、地形、神様、店、地元に伝わる伝承なども全て架空のものであることは言うに及びません。
駅のイメージから秘密基地から望む景色なども頭に思い浮かべながら執筆していまして、良くも悪くも私の世界観が出たかなと。
私の頭の中では、アニメ調というより写実的なイメージで執筆していましたが、みなさんの傀儡鬼傀儡はどんな世界だったでしょうか(・・*
気になっちゃいますね。
以上、「40000文字小説を書いたんだから」と、あとがきでフリーダムした電式でした。
最後になりましたが、最後まで読了いただき、本当にありがとうございましたm(_ _)m
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第三回小説祭り参加作品一覧(敬称略)
作者:靉靆
作品:僕のお気に入り(http://ncode.syosetu.com/n6217bt/)
作者:月華 翆月
作品:ある鍛冶師と少女の約束(http://ncode.syosetu.com/n5987br/)
作者:栢野すばる
作品:喉元に剣(http://ncode.syosetu.com/n6024bt/)
作者:はのれ
作品:現代勇者の決別と旅立ち(http://ncode.syosetu.com/n6098bt/)
作者:唄種詩人(立花詩歌)
作品:姫の王剣と氷眼の魔女(http://ncode.syosetu.com/n6240br/)
作者:一葉楓
作品:自己犠牲ナイフ(http://ncode.syosetu.com/n1173bt/)
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作者:ルパソ酸性
作品:我が心は護りの剣〜怨嗟の少女は幸福を知る〜(http://ncode.syosetu.com/n6048bt/)
作者:三河 悟
作品:復讐スルハ誰ニアリ(http://ncode.syosetu.com/n6105bt/)