100円の行き先
私が実際に見つけた100円を元にして作ってみた、駄作です。
私はいつも利用している公営の電車に、いつもの位置に、いつもと違う時間帯に乗った。
私がいつも乗っている位置―――車椅子専用の座席のない広めの窓際のスペースに立つ。
もちろん車椅子の乗客が乗ってくれば場所を空けるのは当然のことだが、
それ以外のときはいつもここで到着駅までただひたすら待つ。
私は電車の中で音楽は聴かない。
人前でイヤホンをするということは人とのつながり、少なくとも音声的に切断することだ。
「私と関わるな」そう言っているようで私は嫌いだ。
ふと視線を下に降ろすと、銀色の金属光沢を放つ小円盤が一枚。
それを拾い上げると、政府鋳造の100円硬貨である印がついている。
100円。
道端に100円が落ちていれば、誰かが拾うだろう。
それが、私の場合は電車の中だった。
誰かが落としたその100円は、誰を幸せにするのだろうか。
この小さな幸運は、本当に必要としている人の手に渡るべきだ。
最善の策は、落とし主に戻ることであろう。
しかし、100円の主は既にどこかの駅で降りてしまったらしい。
主をなくした100円は、誰かに引き取ってもらわなければならない。
少なくとも、私にはその時、この幸運を享受するには大きな引け目を感じていた。
そこで私はその100円を窓際に置いた。
幸い、電車の中には人は大勢いる。
この中に本当に必要にしている人はいるだろう。
私は100円を置いた窓際から離れた。
誰がこの100円を必要としているのか、そして、100円の行き先をこの目で確かめてみたかったからだ。
途中、40代後半と思われる女性3人組が電車に乗ってきた。
彼女達はその幸運を認識したようだったが、そこに視線を投じるだけで手を伸ばそうとはしない。
周囲の視線がやはり気になるのか。
しばらくして三人は電車を降りていった。
もしも100円を誰も取らなければ、乗務員が車内点検時にそれを発見するだろう。
その乗務員は、それを「忘れ物」として回収するはずだ。
もしかしたら、その乗務員が100円を懐にコッソリと入れるかもしれない。
懐に入った100円は、雑誌の購入費の一部になるかもしれない。
生活の糧にもなりうる。
それもそれで100円をお金のサイクルの中に再び戻るまでの、一つのルートだ。
その乗務員が100円をきちんと忘れ物として回収したのなら―――そうでなくては道徳上いけないのだが、
その100円は忘れ物センターなりどこかでしばらくの間の休暇を与えられる。
そして誰も引取りに来なければ、公共の所有物になり、公共のために使われる。
みんなの100円になる。
100円の終着駅までの道のりには、いくつもの分岐点があるのだ。
そんなことを私が考えていると、
また、別の駅で一人の若い男性が乗車してきてその幸運に目を留めた。
彼はその時それに目を留めただけでなく、それに手を伸ばし、手に取った。
しかし彼はそれをポケットには入れなかった。
ポケットに入れるのはたやすいことだ。
だがしかし、彼はそうしなかった。
彼は一瞬微笑んでそれをまた元の窓際に戻すと、窓際に腰掛けてその100円を隠した。
100円は彼の手に渡るのか?
二つ過ぎた駅で、彼は電車を降りた。
100円は窓際に置かれたままだ。
彼が何を考えて窓際に腰掛けたのか私には理解できなかった。
もしかしたら、その行動と100円は独立していたのかもしれない。
そうであるならばこれ以上その行動と100円を連動させて考えても無駄なことだ。
おっと、この駅で私は電車を降りなければいけない。
私はこの幸運の行き先を最後まで見届けることは出来なさそうだ。
私は100円に別れを告げ、電車を降りた。
電車の発車を告げるベルが鳴る。
ふと振り返ると、電車の窓からその100円の存在をちらりと、ちらりとだが確認することが出来た。
空気の抜ける音とともに電車のドアが閉まる。
私と小さな幸運とのつながりは、ここで途絶えた。
電車は加速しながらホームを滑っていく。
最後尾の赤いテールランプを眺めながら、幸運は誰の手に渡るのだろうか、と想像を膨らませる。
小さな幸運を手にするのは老人だろうか、学生だろうか、ブランド物で全身をかためたマダムだろうか。
それを知る術を私は知らない。
連載小説のほうもよろしくお願いします。
連載のほうはもっと楽しい小説……のはずです。