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 始業式から一週間がたった。

 私が生徒たちの実力テストを採点を終えたばかりで、休憩に一服していたところに塚原先生が声をかけてきた。彼はヘビースモーカーなのだろう、私がたまにしか来ないこの喫煙所でいつも煙草を吸っていた。

 「馬渕先生、二組の生徒はどうですか」

 威圧感のあるどっしりとした声。そして巨大な体。私は若干身を引いた。受験のことを聞いているのだろうと思い答えた。

 「しっかりとやっているみたいです。今回の実力テストの結果もとても良かったですし」 そうか、と煙を大袈裟に吐き出し、そして、大あくびをして立ち去っていった。

 私はひとつ忘れていたことを思い出した。二組には一人だけ問題児と呼べる生徒がいたのだ。塚原先生はきっと、その生徒についてなにか聞きたかったのかもしれない。

 その生徒は〝吉井和将〟。そういえば今学期一度も顔をみていない。とりあえず自宅に電話しよう。そう思い、吸い始めたばかりの二本目の煙草を灰皿に押しつけ職員室に戻った。


 誰も出なかった。この場合家にいくしか方法がない。このパターンで家に向かうのは、もう数え切れないほどになっていた。校長に一言告げ、授業を受け持っていない昼からの時間を使い、吉井の家へと向かった。

 吉井の家は金持ちである。殺風景なこの平地にひとつ大きく目立つ別荘、これが吉井の家だ。鉄製の門の前に設置されたインターホンを押す。そこから流れたのは、私が来ることがわかっていたかのように、面倒くさそうな返事であった。

 「和将か。馬渕だぞ」

 そう告げると、今日は風邪だ。という見事に仮病らしい、いや、仮病だと知らせるようなはっきりとした口調で和将は答えた。

 和将の父親は石油会社の社長であり、基本的にその妻も日中、家にはいない。和将はこの別荘を自分の部屋のように自由に使っていた。もちろん学校に足を運ぶことは滅多にない。両親も息子には無関心のようで、学校に来るよう説得してもまったく聞く耳を持たない。私はほとんど諦めてはいる。しかし中学校は義務教育なのだ。欠席日数が多すぎる。担任の私が面倒をみなければならない。

 「和将、お前受験はどうするんだ」

 「関係ねえよ。親の金で食っていく」

 「いつまでも親に頼ってばかりでいいのか」

 「うるせえ、馬鹿野郎」

 そのときだった、私の脳裏から私を支配する声が聞こえたのは。

 《俺が馬鹿野郎……?ふざけるな。お前の体を貸せ》

 そのまま私は、私ではない誰かに支配された。

 勝手に鉄製の重い扉を私の手で開く。この支配に私は負けている。この足が、その扉に確実に近づいていく。

 「先生っ!なに勝手にあがりこんでんだよ!」

 和将の慌てた声。もう私は、私ではなかった。

 広い玄関に置いてある高級そうな花瓶をたたき割る。目の前で止める和将を押し倒し、リビングに土足のまま入り込む。椅子を蹴飛ばす。大型テレビもグランドピアノも、目に入るものすべてを蹴ったぐる。まるで猛獣のように、いや、それはもう猛獣と化していた。

 ふと、窓を見た。いつからか降ってきていた雪が赤く見えた。パトカー……直感でわかった。和将が通報したのだ。こちらに近づいてくるサイレン。脳は叫んだ。逃げろ!と。

 気付いた時には、私は元の私となっていた。しかし私は、コンビニで買った帽子を深々とかぶり、一緒に買ったマスクを付け、暗闇を一人歩いていた。脳は覚えていた。私は犯罪を犯したのだ。逃げる際、和将を刺していた。心臓に突き刺さった。一瞬だ。一瞬で私は、生徒を殺した。私ではない私が、犯罪を犯した。

 道は一つしか与えられなかった。脳の命令だ。私は逃げる。逃げ続ける。車に置いていたラジオとコートの内ポケットに入れている財布だけを持ち、すべてを捨ててきた。面倒を見てくれた弟、まだまだ可愛らしさが残る純粋な生徒たち。私は教師としての役割を捨て去り、一人の生徒の命を奪い、たくさんの生徒の受験に向けた努力を踏みにじった。保健室で生徒が見せてくれた心配する顔が蘇る。私は愛されていた、そう心から思えたのに。申し訳ない気持ちが込み上げ、嗚咽が漏れる。しかし、もう戻れはしない。そう。私は、犯罪者―。


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