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 「兄さん、朝だよ」

 義男の声で目を覚ます。いつだったか、目覚まし時計を使わなくても僕が起こすよ、とこいつが言い出してから、それに頼っている。いったい、どこまで私の世話をするのだろうか。

 「いいにおいがするな」

 「今日から兄さん、また生徒を相手にするから、朝飯はりきったんだ」

 「そうか」

 体を起こす。水が落ちる音が聞こえる。窓を見ると、上の方に氷柱ができていた。着替えを済ませ、リビングへと向かう。

 「朝から天ぷらかい、義男」

 「兄さんの好物だからね。腕によりをかけたよ」

 「ほお。なら食わせてもらうぞ」

 一口。いつもの味だ。甘みがにじみ出る。義男の料理はいつも最高級の美味さだった。小さい頃から母親の料理に興味を持っていた義男。私は台所で手伝ったこともなかった。私は基本、外で遊んでいたが、義男は家で真面目に宿題をし、終わるといつも母親を手伝っていた。そんな弟だったから、母親は義男ばかりを可愛がっていた。まだ小さかった私は、小さいながら傷つき、よくちょっかいを出し義男を泣かせていた。そして私が高校三年の時、母親が病気で死んだ。誰よりも泣き叫んだのは弟だった。私もつられて泣いた。それからは父親と私と弟の男三人で暮らした。父親は教師だったから、金には困らなかった。そして金よりも助かったのは、弟の完璧に近いほどの家事だった。朝から朝食を作り、洗濯をし、中学校から帰ると、掃除をし、夕食を作った。そんなわけで父親もまた、義男をよく可愛がった。父親に私が教師になりたい思いを告げても、あまり喜んではくれなかった。きっと弟が教師を目指していたら、相当喜んだに違いない。


 「美味かった。じゃあ行ってくる。留守番頼むぞ」

 「行ってらっしゃい。留守番任せて」

 しっかり着込んだつもりだったが、予想以上に外は寒かった。この別荘に越してから買った4WDに乗り、山道を下る。いつも見る野ウサギも、さすがに冬眠をしているのだろう、一匹も見ることがなかった。

 車で約二十分、山の麓に山野中学校はあった。

 「おはようございます」

 すでに職員室にいた校長に声をかける。今日の始業式の言葉だろうか、紙切れを真剣に読んでいる。その顔をあげ、おはようと一言返事をし、また紙切れに目を落とす。

 私のデスクはちょうど真ん中あたりにあった。腰をかけ、インターネットを繋ぐ。今日のニュース……たいしたことは書かれていなかった。ニュースチェックはいつもこのようにしてやっていた。

 「馬渕先生」

 声をかけられ回転式の椅子を180度声の方へ向ける。

 「おはようございます。今日の学年集会、どうしましょうか」

「そうですね……。一応私が受験に向けた話をしますので、他に先生方から何かあれば、話をしてもらうことにしましょうか」

 私は三年生の学年主任を務めていた。残りわずかな時間でどれだけ集中できるか、それによって自分の進路が決まる……くらいのベターな話でもするか。

 八時を回ったころ、席を立ち教室へ向かう。遅刻ぎりぎりの生徒たちが廊下を走り抜けていく。

 「起立。礼」

 私が教室に入ると、学級委員の吉岡が号令をかける。それに合わせ生徒が挨拶をする。

 「あけましておめでとうございます。この冬休み、みんな勉強は頑張ったか」

 そう言いながら生徒の顔を見る。うん、頑張ったようだな。ほとんどの生徒が活き活きとした顔をしていた。

 「いよいよ今年は君たちの進路を決める受験があるな。これからが本番だ。しっかり自分を高めて最後まで気を引き締め頑張っていこう」

 今日の日程を説明し、始業式が行われる体育館に向かわせる。生徒はお年玉の話でもしているのだろうか、びっくりした顔や、勝ち誇ったような顔など、様々な様子で体育館に足を運んでいた。

 さて、いったん職員室に戻るか。


 校長の話は長かった。受験勉強だとか、人生だとか、いまいち何を言いたいのかわからない。生徒の中にも下を向いている者が多数いた。そんな生徒の頭を叩いている、鬼教師がいる。四十歳くらいの塚原先生だ。教師の間でも近寄りがたい存在だ。

 ふと、耳鳴りがした。

 《俺はどこにいるんだ……》

 またきた。なんなんだいったい。ひとり考え込むように頭を抑える。

 「馬渕先生、どうかされましたか」

 いえ、大丈夫です。と答えながら、激しい頭痛が私を襲っていた。

 《苦しい……苦しい……》

 目の前が真っ暗になるのが自分でもわかった。


 気付くと私は保健室に寝かされていた。

 「大丈夫ですか」

 保健室の小野先生がカーテンを開け心配そうに見ている。

 「私はなぜここに……」

 始業式中に倒れたんですよ、と言いながら頭に置いていた濡れタオルを氷水で絞ってくれた。そうか、私は倒れたのか。

 チャイムが聞こえた。とほぼ同時にダダダッと足音がこちらへ向かう。

 「馬渕先生!大丈夫ですか」

 二組の生徒たちだ。素直に嬉しかった。私は生徒に愛されていたのだ、と初めて実感できた。こういう生徒の存在が、教師のやりがいであろう。そして生徒たちに夢や希望を与え、その道を照らしてやるのが教師の目的ではなかろうか。

 「すまんな、お前らに迷惑をかけてしまった。帰りの会までには教室に戻るからな」 

 生徒は満面の笑みで保健室を出て行った。小野先生もまた、にっこりと笑い、いい生徒たちですねと言った。本当にいい生徒だ、と私は胸を張って答えた。

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