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私が生まれたこの街に、新たな一歩を踏み入れる。
かなり見慣れたこの家に、新たな一歩を踏み入れる。
あの時の私の背丈に合わせたこのドアノブ、腰を曲げてゆっくりと開く。
そこに、私の知らない真実がある。
思考が止まっていた。すきま風が今年の寒冬を知らせる。ストーブの火をつけ、ソファに腰掛ける。また思考を開始させる。
《なぜ俺は、ここにいるのか……》
「幸男兄さん、さっきから何を考えてるの?」
弟の存在に気付き、はっとする。時々、訳もわからない自分が、私の中に出てきては質問をぶつける。
《俺は、誰なのか……》
「ミルクでもいれようか」
頼む。そう言い、昔のにおいがするテーブルの上から新聞を取る。最近ニュースがないからか、その活字が寂しく見えた。
「ここに置いておくよ。熱いから気をつけてね」
私はミルクに手をつける。弟は昔から私の世話をしたがった。嫌ではなかったが、疑問は今でも消えていない。私〝馬渕幸男〟の中にいる、何者かの存在とともに、疑問が脳を旋回する。
三十を越えた私は、五歳下の弟〝義男〟と、亡き祖父が残してくれた別荘で、二人暮らしをしている。静岡の山の中にあり、私が勤めている山野中学校までの道のりが大変だが、この場所をとても気に入っていた。ここに引っ越したときは、義男とともに、はしゃいで朝まで飲んだほどだ。明日で生徒は冬休みが終わる。この冬休み、私が受け持っている三年二組の生徒は、しっかり受験勉強に励んだのだろうかと、毎日心配していた。初めて三年生の担任を任され、最初は戸惑ったが、三年生の生徒は皆、目標を見つけ落ち着いていた。それを見て、しっかり支えようと心に決めていた自分が、今では懐かしい。ミルクを飲み終えると、明日の準備に取りかかる。義男はすぐ近くの工場で働いており、冬の間はしばらく仕事がないそうだ。テレビを見ながらのんびりとする義男を羨む。
「明日から生徒が登校なんだっけ?」
「そうだ」
「がんばってね」
そう言い、すぐにテレビに突っ込む我が弟がバカバカしく見えてくる。準備が終わり、次は風呂に入る。これは教師になってから、私の中の決まりになっていた。
「風呂に入ってくる」
「はあい」
義男の気のない返事を聞くのも、お決まりだ。壁がヒノキでできた風呂が、この別荘での一番のお気に入りだった。ひとつ深い呼吸をし、どっぷり肩までつかる。足を伸ばし天井を見る。天窓も設けられているこの風呂、星が見える夜は、長風呂していた。今日は……雪か。雪が天窓に積もり、白く光っていた。またひとつ、呼吸をし、頭を洗う。義男が買うシャンプーは、センスがあるらしい。いつも生徒に、いいにおいと言われていた。冷えた頭をしっかり洗う。浴びるお湯が気持ちいい。
「あがったぞ」
次に義男が風呂に行く。その間に、酒のつまみを用意する。義男があがると、二人で酒を飲む。たわいない会話をし、晩酌を楽しむ。そして、針がてっぺんで重なるになる前に就寝する。これもお決まりのパターンだった。






