第四章 背景描写
第四章 背景描写
「まったく……。こみちはひどい奴だよね」
ベランダのような、屋上のような、そんな微妙な造りをした校舎三階の屋外で、二人の少女が会話をしていた。
コンクリートでできた天窓の縁に彼女等は座り、その膝の上には弁当が置かれている。
「そんなことないよ、径君は……」
否定をしようとしたその言葉も、風によってかき消される。
普段の騒がしい昼休みから離れ、今は、彼女等の間には悲しげな空気が流れている。
「いや、あいつは、本当にひどい奴だよ」
「だから、そんなことないって……」
二人の間には、絶えず微妙な空気が流れている。
「あの振り方はないでしょ……。あんたはその本人なんだから、わかるでしょ?」
「それでも! あれが、径君なんだもん」
少女が、今までになかった大きな声を出した。それにほんの少し驚いた桑井は、一つの疑問を彼女に投げかける。
「もしかして、あんた、まだこみちのことが……?」
「そうだよ、まだ径君のことは好きだよ! あれだけで、諦められるはずがないよ!」
さっきに増して、彼女の感情は激しくなっている。
遂に涙まで流して、弁当を食べることすらできていない。
桑井と、今日の朝に松川に振られた少女は、一年の時からの知り合いだった。クラスこそ違うが、いつの間にか仲良くなっていた。それは、彼女らには一点、共通するものがあったからだ。
「むーちゃんも分かるでしょ! あなただって、径君のこと好きなんだから」
だが、その共通点は、事実として存在していても、
「あたしが? そ、そんなわけないでしょ!」
桑井は否定しているのだが。
「だから、さっきから言ってるでしょ。こみちはひどい奴だって」
「じゃあなんで、そんなに径君と関わろうとしてるの……?」
しかし、少女には分かる。彼女も、自分と同じ思いを抱いていると。
「そ、それは……。同じ部活だからに決まってるじゃない」
そして少女は、彼女の口から、本当の事を聞き出した事が無い。彼女は未だに素直に言えないのだ。それとも、そんな自分を否定しているのだろうか。そこのところは詳しくは分からないが、少女は、確信を持って言えるのだった。
「適当にあしらわないでよ! 分かってるんだから……。むーちゃんが径君の事を好きだってことくらい、そんなの簡単に分かるよ!」
頬を真っ赤に染めて、涙を流し、俯き、少女は悲しみの底から、桑井を持ち上げようと、助けようとしていた。
「違う、違うよ……。そんなこと、あり得ないんだから……」
しかし、少女の思いに反して、桑井は未だに否定し続ける。
いつしか涙は、双方から流れる物となっていた。
「私は、えくっ、駄目だったんだから。……ぐすん。だから、代わりに、むぅ、むーちゃんが径君を、捕まえてよ……」
少女は、弁当の卵焼きを見つめながら、小さな声で言った。嗚咽の混じったその声は、非常に聞きとりづらい物だったが、桑井にははっきりと聞こえた。
「そんな、こと……。言われたって……」
内心、彼女も理解をしていたのかも知れない。少女の言うことも事実で、自分がどこまでも素直でないと。
しかし、彼女にはそれを、行動という形で、そして言葉いう形でさえも、表現することは出来なかった。
この場所に来てから、既に二十分は経過している。いつもなら、昼食を食べ終わっている頃だろうか。しかし、彼女等の弁当は、一口二口つつかれた程度で、殆ど残っている。
彼女等の心にも、残っている物は数多くあるのだろう。
彼女等は、その場には自分達二人しかいないと思い込んでいた。
しかし、残念ながら、この場にはもう一人の人間がいた。
一人寂しく、無言で、彼女等からは見えない位置で、昼食を食べに来ていた。
別に、彼女等を追ってきたわけではない。いつも自分がここで食べているだけであり、しかも自分の方が先にここに来たのだ。
そうして彼女等が来て、あんな話をし出した。これではもう、その場から離れることもできず、ましてや余計な物音を立てることもできない。
だから、二人の会話を聞いてしまったのは不可抗力だ。
さらにその人物には、その話を聞いてしまった理由があった。
――先輩……。
二人の人物のうち、片方はよく知っている人物であり、そしてその二人の口から揃って、自分の良く知る先輩の名前が出てきたのだから。
彼女はつい、その話に聞き入ってしまった。
その話の内容が、自分にとって知るべきではなかったものだと、途中で気が付いても。彼女は、聞いてしまった。
弁当を食べることも忘れて、聞き入ってしまった。
「そんなにあんたにお願いされちゃあ、断ることもできないわ」
昼休み終了まであと五分ほど。
なんとか半分は昼ご飯を食べた二人の会話は、ほとんどまとめに向かっていた。
「でも、自分があいつに面と向かった時になんて言えるかは分からない。まあ、善処するわ」
「お願い……します」
そう言って桑井は、自分の弁当箱を閉じた。勿論食べきってはいない。
「まあ、あいつのことだし。その先の結果は見えてるも同然よね。あいつも、あんたとは仲良くしていたいって言ってたし、もっと気楽になって良いんじゃないの?」
そしてその場から立ち上がった。昼休み初めの時よりも、その動きには活力が見られる。
「う……ん。そうだね。頑張ってみる」
少女もそれに倣う。ただ、彼女はまだあまり元気がないようだ。
――この子が立ち直るのには時間がかかりそうだけど、眺めてるしかないわね。
「じゃ、あたしは教室に戻るわ」
桑井は、少女を待つこともせずに颯爽とその場から立ち去った。
「……うん」
桑井が居なくなってから、少女は小さく返事をした。
そうして、少女は一人その場に残される。
一人――
「……その話、本当ですか?」
すると突然、少女は自分の背後から声を聞いた。
か細い、それでも透き通るような声。儚さも感じられる。
「えっ……?」
少女は振り返る。
するとそこには、自分よりもさらに身長の小さい女の子が、自分をまっすぐに見ながら立っていた。
「本当だとしたら、わたしはすごく悲しいです……」
「ど、どういう……こと?」
しかし、その子は自分の言葉に対して返答をしない。
そして、
「先輩、人気者なんですね……」
それだけ言って、少女の目の前から去って行ってしまった。
「え……」
少女は、何を言われているのか、自分が何を言えばいいのか、さっぱりわからずに立ちつくしている。それでも、生来心配性である少女の心には、不安だけがあった。
――なんで、どうして、なにが……。
←↙↓↘→↗↑↖←
若い女教師の元に、彼女よりも遥かに年上の男老教師が歩いてくる。とはいっても、ほんの少しの距離で、すぐに到着する。
それに気が付いた女教師は、回転する椅子を用途通りに使って、その男老教師の方を見る。
「どうしました?」
自分が話しかけるよりも先に声をかけられた教師は、気が効く若い女性に満足し、咳払いをしてから話を始める。
「昨日の一件は聞いてますよね? 放課後の話です」
少々しわがれた声の老教師。いかにも上司の声とも言えるものだったが、話し方を聞く限りでは、遠慮をしているようにも見受けられる。
「ええ」
彼がなぜ遠慮をしているのか、その理由は簡単だった。
たった二文字だけの女教師の声は、凛と響く、鋭い声だったのだ。女性のものにしては低く感じられる、威圧のある声。女王という表現もあながち間違ってはいない。
「そこで、なんですが。現在部活動にあまり顔を出していない顧問の教師を、なるだけ参加させるという話が出まして……」
「ああ、それは良い考えですね」
「で、先ほど校長の方からの命令と言う形で、決定したんですよ」
「つまり、私が部活に行けってことですね?」
「え、ええ……」
女教師の方は、背もたれに背を預けて、さらに腕を組み、上を見ながら言った。
「面倒だったから、殆ど顔を出して無かったけど、行ってみたら行ってみたで楽しいのよね、あの部活。分かりました、その通りにしますよ」
「ありがとうございます……」
つい安堵の息を吐いてしまった老教師を咎めることもなく、女教師は再び机に向かった。
――あいつらか……。
――楽しみだ。
妖艶な笑みを浮かべて、自分が顧問を務める部活の生徒の顔を思う。個性的な六人が彼女の頭の中にいる。
――ま、まさかあいつらにあんなことする奴はいないよな。
と、昨日の放課後に起きたらしい事を思い出す。
――あったとしても、私はそれを使って楽しむだけだろうし。
と、教師として間違ったことを思う。
←↙↓↘→↗↑↖←
二時間目終了後の休憩時間
「次が体育だなんて、聞いてねぇぞ……」
教室の後ろのドアで、森田が立ちつくしていた。
彼は今まで、下の階にある自動販売機の所にいた。ジュースを買うついでに、偶然出くわした友人と喋ったりもしており、それから教室に戻ってきたのだ。
「あと三分……。あいつら、どんだけ体育やる気あるんだ」
そう言って、彼はロッカーから自分の体操着を取り出し、着替えを始めた。教室前方の、授業予定を書き込む為の黒板には、三時間目の欄に赤のチョークで体育と大きく書かれている。どうやら授業変更があったようだ。勿論昨日の時点で書かれていた筈なのだが、彼は把握していなかった。
「おし」
早くも着替えを済ませ、森田は下の階へと走って行った。途中で覗いた窓からは、同じクラスの生徒が校庭で喋っているのが見えた。
次の授業が始めるまで一分半といったところだろうか。なんとか間に合いそうだ。
そして、階段を降り切って右に曲がろうとしたその時――
「ひやっ!」
「うおう!」
一昔前の漫画のごとく、小さな女の子と衝突した。衝突したと言っても、身長的な関係で、森田の胸元に少女の頭がぶつかったような形だ。
そして森田は走っていたので、少女が後ろに飛ばされてしまった。それを、横から左手を差し出し、肩に添える事によって、完全に転倒するのを森田は防いだ。
――我ながら、ファインプレーだ……。
なんとか体勢を取り戻した少女から少し離れ、軽く謝ってからすぐにその場を去ろうとした森田は、一つの事に気が付いた。
「ぁあ、君は!」
「え……?」
何の事だかさっぱり分からず、首をかしげる少女。
「君、もしかして亀谷さん?」
「え、ええ……。そうです……けど」
さらに突然自分の名前を言われてしまい、完全に困惑する亀谷。
「ほう……君が亀谷さんか……」
そして森田は、友人から話を聞いている、友人の好みの後輩である少女を、じっくりと眺めだした。自分よりも背が低く、短めの髪の中に見える顔は人形のごとく整っており、自分を上目遣いで見るその表情は、非常に可愛らしいのもだった。
「な、なんで……しょう?」
そんなことをされて何とも思わない訳もなく、亀谷は自分の身を隠すような仕草をした。
「ああ、ごめんごめん。佐竹から君の事は良く聞いてるんだ。まあ、松川と桑井もそうだが」
「あ、ああ……。そういうことですか」
すると、一応安心したのか、亀谷は警戒を解いた。
「ということは、噂の森田さんですか?」
「ああ、うん。どう噂なのかは知らないけど、そうだ」
亀谷の方も、森田については二年生の部員からよく話を聞いている。なにやら変なことをしているらしい、と。とは言っても、その現場を目撃したことのある亀谷は、何をやっているのか大体想像がついた。それゆえに、彼に質問したい事がいくらかあったのだが――
「ううんと、今から体育で、早く行かなきゃならないから。ごめんね、機会があったらもっと話そうじゃないか!」
「え、ええ……」
そう言って、森田は会話を強制的に終了させてしまった。
――そうか、あれが噂の亀谷さんか……。
――結構可愛いじゃん。
――佐竹の気持ちも分かるね。
と、森田が考えている中、亀谷は、
――まあ、次会った時に、自然に話を持っていけば、分かるよね。
今後の事を考えていた。