第三章 平常描写
第三章 平常描写
「ああ、佐竹なら、森田と遊んでから来るって言ってましたよ」
文芸部は今日も活動日である。しかし、今日の文芸部室は、人間が一人だけいつもより少なかった。
「へぇ、クラスの子?」
「ええ、そうです」
いつも二年生は三人で固まって来るのに、今日は松川と桑井の二人しかいなかったのだ。
「まあ、この部活は特に遅刻とかそういうのは無いから良いけど……。友達と遊ぶから遅れて来るってのはどうなのかしら」
佐竹のその理由に不満を感じ、白城は眉を顰めてそう言った。
「でも、たまにはそういうのだって良いんじゃないんですか?」
「ううん……」
白城は考え込むような姿勢をとった。
今度はそれに代わって、桑井が松川に質問をする。
「あいつ、たまに同じ理由で部活に遅れるけど、森田と何をしてるの?」
松川、佐竹、桑井の三人はクラスが同じなので、つまり皆森田の事も知っている。
「あんたと佐竹と森田の三人が揃うと、基本的に悪いイメージが思い浮かばないのよね」
「失礼な。僕たちは純粋なオタ三人組だよ」
「まず確実に純粋ではないと思うわ」
桑井が深い溜息を吐き、冷たい目で松川を見た。
「まあ一応、あいつらが何をしてるのかは、知ってるよ」
すると、意外にも、松川は彼女の質問に素直に答えた。
しかし、松川はわざとらしく桑井から目を反らしつつ、
「でも、詳しくは言えないかな」
と、その質問の回答を拒否した。
「うわぁ、怪しい……」
それに心の底からのドン引きの声を出した桑井。しかし彼女は、彼らの隠しているという行動以上に、一つの、してはいけない妄想をした。
「あ、でも……(ニヤリ)」
怪しげな笑みを浮かべた桑井のその姿に、松川は既視感を覚えた。いや、違う。これは実際に見たことがある。いつのことだったろうか。
――そんなに昔じゃない。
確か、彼女が何かを見たときに、この表情を浮かべた。
――きっと、自分にとっては喜ばしくない内容だ。
そうして、松川は思い出した。
「まてまてまてまてまてまてまてまて、まてぇえええええええええええい!」
思い出したその瞬間、松川の口から全力の叫びが発せられた。
「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ! 佐竹と森田を、結ぶなぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
二度目の叫びが放たれ、その声は、ドアを閉めているにもかかわらず廊下まで響いた。
「はっ! つい妄想がはびこってしまった☆」
失態をしてしまったと自覚しているにも関わらず、桑井の声には雲りが見当たらず、むしろ生き生きとしている。
彼女が何を妄想していたか、そんなのは簡単である。
松川の話によると、佐竹と森田は二人で遊んでいる。そしてその内容は言えないらしい。部活に戻ってくるとしたら、学校内で遊んでいることになる。学校内で二人きりで遊ぶと言われると、なんとなく嫌な響きがする。
そして何よりの理由として――桑井は腐っていた。
「佐竹が猛烈にエロティックで積極的な攻めで、森田がそれをクールにしかも全てを許容する受け。そんな妄想をついしてしまったわ!」
「や、やめてくれ……。そんな、現実的にある得るかもしれないと思わせるような解説をしないでくれ……!」
そんな桑井の声に、松川は頭と耳を押さえてうずくまってしまった。
そして、今まで状況が殆ど理解できていなかった白城が、既に自分の頭の中での考え事を打ち切り、桑井に確信を狙う質問をした。
「紫。今なんで径君が突然に騒ぎだしたのか、私には確固とした自信はなんだけど……」
「はい、どうしました?」
「あなたってもしかして……腐女子?」
その質問を聞いた桑井は、夢に浸った表情から、花咲かんばかりの笑みを植えた表情へと変え、振り向く。振り向いて、快く答える。
「はい」
この日、もう一人の人間の本性が暴かれた。
なんやかんや言って、佐竹は三十分もしない内にやってきた。
文芸部員六人が揃って、全員が自分の席に座っている。
「じゃあ、今日の部活を始めるわ」
「どうしたんだい、そんなに改まって」
自分がいなかった間に何があったのかをさっぱり知らない佐竹は、彼女に早速疑問を投げかけた。
「いいから、それはすぐに分かるから」
しかし、白城はそれを受け流す。
「で、今日はみんなで話し合いたいことがあるの。まあ、分かってると思うけど……」
そして、一息吐いて。
「BLについてよ」
先ほどまでの流れを聞いていた二人と、元凶である一人、常に無口な一人の計四名は、特に驚くこともなく聞いていた。しかし佐竹は、眉間にしわを寄せ、口がぽかんと開いた状態で静止している。
「ど、どういう流れで……」
しばらくしてから発せられた声にもあまり活気がない。
その佐竹に、白城は簡潔な説明をする。
「さっき発覚したのよ。紫って、腐女子だったのよ」
「ああ……知ってます。そういうことですか。……って! もしやらもしや! 俺と森田でこいつは夢に浸りやがったのか!?」
「あら、察しがいいのね、和希君」
「ぐ、ぐぁぁ……」
そして、佐竹のテンションはさらに下がった。
「そんなわけで、今日はBLについて話し合いましょう。何か意見がある人!」
白城は、そんな佐竹に全く構わず、快活に問いを投げかけた。
すると、手は即座に上がった。桑井から。
「BLは素晴らしいと思います! 以上!」
「待てぃや!」
しかし、抗議の声もすぐに上がった。松川から。
「まあまあ、確かにBLという文化があって、それを愛する人間がいるということは認める、理解する。だがな、それを現実の男に反映させるのはどうかと思うんだ!」
そして、それに賛同する声もすぐに上がった。一気に調子を取り戻した佐竹から。
「そうだ! 百合ならまだしも、薔薇は駄目だ!」
「待ってよ! なんで百合は大丈夫なのよ気持ち悪い」
しかし、それに対する反対の声もまた出てくる。結局、これの繰り返しとなるのがオチなのだが、暫くして、意外な人物から声が上がった。
小さな手が挙がり、小さな瞳が白城を見つめた。それを白城は見逃さず、名を言った。
「はい、幽香」
「あの、私は……。性的な描写さえなければ、百合も薔薇も大丈夫です」
その発言で、一気に教室の中は静まりかえる。
中心となって話をしていた三人は、一つ大事な事に気が付いたのだ。
――俺(僕、私)、同性愛にはエロが入っていること前提で考えてる!
しかし、松川はその考えを否定する。
「まて、BLにエロが一切なかったら、それは単なる熱血青春小説じゃないか!」
「確かに、爽やかなBLって、何か違う気がするわ」
「でも、エロのない異性愛は普通にあるよな……」
そして、BL小説の善悪の話から、BL小説とエロについての議論となってしまった。
「だいたい、どうして腐女子はBLにそこまでエロを求めた?」
「いや、作者が勝手にそうしただけかと思うけど……」
「でも、エロがないBLだって、あるにはあるだろ?」
「でも、エロシーンが含まれるイメージがすごく強いよね」
「悔しいけど、反論できないわ」
「というかそもそも、男同士でエロとか、気持ち悪くないのか?」
「そうだよね、考えられない」
「……女同士の方が考えられないわ」
「お前は男同士平気なのかよ……」
と、さらに議論を続ける三人に対して、今日は珍しくアクティブな亀谷が、机から立ち上がって白城の元へと向かった。
「どうしたの、幽香?」
「先輩。こんなことを聞くのもあれですけど、男の子の身体に興味はありますか?」
彼女の声は小さく、喚いている三人には聞こえてはいないが、白城にはしっかりとその言葉は聞こえた。
「え、と、突然どうして?」
それにあからさまに動揺して、頬を赤くした白城。
「興味、あるでしょう?」
「ま、まあ……少しは」
それに、おずおずといった形で肯定する。
そして亀谷は、右手の人差指をピンと立て、自分の意見を呈した。
「でも、自分の身体、つまり女子の身体には興味がない、むしろあまり見たいと思わないでしょう?」
「ええ、まあ」
「それは、男の子もきっと同じなんですよ」
「同じ?」
その言葉に白城は首を傾げ、亀谷の目をまっすぐに見つめる。すると亀谷はおもむろに視線を彼女の目から逸らし、話を続けた。
「女子の身体は、自分と違うから見たいと思う。でも、男の子のほうは、自分のものだから嫌だ。そこが男女互いに同じなんですよ」
「ああ……確かに」
男二人対女一人という形状になって議論を続けているかのように見える三人を横目に、白城は納得した風に頷いた。
「だから、男の子は女同士を、女子は男の子同士を夢見るんですよ」
「う~ん、なかなか不思議な話だけど、それもそうね」
見事この話に早くもオチを付けてしまった少女は、まとめとして、話を続けた。
「だから、女子は薔薇が好き。男の子は――」
しかし、その最後に発しようとしたその台詞は、偶然、三人の騒ぎが収まった為に、教室内にいた全員に聞かれることとなった。そして、不遇にも、最後の所だけが。
「百合が好きなんです」
一瞬だけを想定して起こった三人静寂は、未だに継続している。そして、彼女の台詞はまだ続いた。
「先輩も、そうでしょう? 女の子ですし、最低限嫌いではないでしょう?」
そして、三人の静寂を気にも留めないこの二人の会話は普通に成立し、白城も亀谷の質問に答えた。頬を紅潮させて。
「ええ、まあ。別に嫌いでも……ないかな?」
そして――
「「「えええええええええええええええええええええええええええ!」」」
三人による叫びの大合唱が発生した。
「わぁあ! え、ど、どうしたの?」
「ふぇ? な、何があったんですか?」
当の二人は、何が起こったのか分からず、ただ純粋に驚いていた。
部屋にいる六人中五人が驚き騒ぎ、混乱した。
その混乱が解決することも無く、今日の部活動は終わってしまうのだった。
真面目に部活動をして、パソコンの前に無言で居座り、かつ、五人の話を全部聞いていた梅沢は、
「はぁ……」
と、溜息を吐いたのみだった。
←↙↓↘→↗↑↖←
帰り道。
今日は森田の部活が放課後の後半にあったため、彼は学校を閉める時間まで部活をしている佐竹と、一緒に帰ることができた。また、放課後に行った例の作戦も、彼の部活の時間帯のおかげで可能だったのである。
「時に佐竹よ」
「なんだい森田よ」
その二人は現在、下駄箱から歩きだして、校門へと向かっている。
「お前は松川と帰ってるわけじゃあなかったのか?」
「ああ、別で帰ってる。方向が見事に違うからな」
すると森田が突然、なんの宣言もなしに、佐竹の胸倉を掴んだ。ただ、身長が佐竹の方が断然に高いため、実に奇妙な光景をしている。
「ん、どうした」
対する佐竹も実に冷静で、恐怖など微塵も見当たらない。
「で、松川は一人で帰ってるのか?」
「ああ、そうじゃないか?」
さらにそんな大仰な行動をした森田の台詞もまた、それに伴っていないものだった。
「本当に、一人なのか?」
しかし、森田は異様に『一人』というものを強調して、再び問いをぶつけた。
「よくは知らん。一人だと思うぞ」
「そうか……」
彼は、まるで探偵のように、手であごを支えるポーズをとった。
「じゃあ、非常に残念なことを教えてやろう」
「なんだ」
「さっき見たんだがな。あいつ、先に帰って行った部活の後輩の女子の後を追うかのように、急ぎ足で帰って行ったぞ」
その言葉に佐竹は一瞬理解が追い付かず、森田と似たポーズをした。そして――
「なんだと?」
低い声で、真顔でそう言った。
「これは事実だ。さあどうする」
森田のこの言葉は、『さて、追いかけるか』と翻訳できることを佐竹は知っており、自らもそうする気満々でいた。
「追うぞ」
こうして、彼らの楽しみは増えた。
「おいおい、なんだか仲よさそうじゃねぇか」
と、森田。
いつもの調子のクールな声。
「あいつが結構女の子に好かれるのは知ってたけど、まさか幽香ちゃんにまでとは……」
と、佐竹。
いつも以上に苦しそうな声だった。
「今回はさすがに出しゃばらなくてもいいよな?」
「ああ」
短い確認の後、彼らは尾行を続けた。
だが、彼らに不審な点は全くなく、亀谷の事を良く知らない森田にとっては、少々つまらなく感じられた。
「なあ、あの二人、付き合ってはいないよな?」
「勿論のことそんなはずがない。あいつが彼女を作る気が全く無いの、分かってるだろ?」
「そうか……」
森田はさらに落胆し、完全に飽きているように見えた。
「お前、随分と楽しんでるな」
そして遂に、彼はそう言った。
対して佐竹は、その言葉に怒ることもなく、正直な事を口にした。
「ああ、楽しんでるさ」
「そんなに正直に言われてもな……」
そう言って頭をかく森田に、佐竹はさらに言葉を付け足した。
「俺さ、なんやかんや言って……」
しかし、その言葉は途中で途切れる。
「……? どうした?」
そして、森田からの訝しみの声を待っていたかのようなタイミングで、その先を言う。
「幽香ちゃんの事が好きなんだよね」
「……そう来たか」
「そう行くさ」
森田は特に追及するでもなく、あくまでクールでいた。
だが、そんな気づかいも虚しく、佐竹は自ら話し出した。
「部活前に見た奴とかもそうだけど、きゃぴきゃぴしたような女しかいないこの時代。俺は彼女を見て驚愕したよ。ここまで、ここまで可愛くて無口な娘が、この世にはまだ残ってたんだなってね。身長が小さくて、今にも折れそうな程に細くて、それなのにある程度の柔らかさを持たせる肉がある。肩にも掛からない短めの髪なのに、さらさらと流れるように見える髪。これで、口数の少ない微笑みと来た。これはもう、やばいだろ。エロを愛すると言っても過言ではない俺でさえ、エロ妄想をしなくて済む。ただ見てるだけでも満足なんだ。なんなんだろうな、この必要以上の保護欲は……」
ゆっくりながらも、確実に自分の思いを表現した佐竹。
「そうか……。そうだよな。お前は松川と違って彼女を作らないわけでもないからな」
「は、まあな」
すると佐竹は、突然立ち止まった。
「どうした? 行かないのか?」
森田が呼び掛けるも、動こうとしない。
「幽香ちゃんの家がどこなのかはいらない。だけど、これ以上行くと完全なストーカーになりそうだからな。ここらへんで自重するよ」
「ああ、そうか。お前って結構、優しいんだな」
「優しいとか、そういう問題じゃあ……はっ!」
突然佐竹は、この感動的なシーンを壊す音を発した。
「な、なんだ、どうした!」
そして、
「俺と森田は、違うからな……くそっ」
道路の端で頭と耳を押さえてうずくまってしまった。