クララは美味しい話がお好き~没落を回避した伯爵令嬢と元婚約者のお茶会の話~
「クララ。実は僕には……初恋の人がいるんだ」
「ほほう!」
二人っきりのお茶会の最中に、婚約者が大好物のドーナツにも手を付けずにそう切り出してきたものだから、クララは思わずテーブルに身を乗り出した。
そういう話題に仕事柄、大変興味があるからだ。
クララは伯爵家の末娘だが、二年前から小説を書いてお金を稼いでいる。
執筆を始めたきっかけは貧乏さで家が没落しかけたからだ。
お人好しな両親が借金の連帯保証人になったとか、一発逆転を狙う兄が詐欺師に騙されたとか。
理由は色々あるけれど、クララの家はあっという間に没落一直線だった。
しかしクララは自分の家に思い入れがある。それはそうだ、生まれてからずっと家族と一緒に暮らしている家なのだ。
だから何とか家を手放さず、一家離散もしなくて良い方法を考えて――とりあえず出来ることから始めた。それが小説だ。
彼女は物心ついた頃から趣味で小説を書いていた。
これが少しでも家計の足しにならないかと出版社に持ち込んだところ、身の上話を面白が……もとい親身になって聞いてくれた社長に気に入られ、あれよあれよという間に出版。
クララの小説は彼女の不幸と共に広がって、なかなかの売れ行きを見せた。
そうして今では十七歳のご令嬢が、一人で稼げるような額じゃない数字が、魔導通帳にずらりと記載されるほどになったのだ。
おかげで無事に家を建て直せたし、何なら似た理由で没落しかけていた婚約者の家も助けることが出来た。
芸は身を助けると言うが、本当なのだなぁとクララはしみじみ思ったものだ。
とは言えクララはそれなりに現実も見られる少女だった。
通帳に並ぶ数字を見れば、今後の人生は安泰だ――などとはまったく思わなかったのである。
お金なんて水のようなものだ。いつ、どこで、何があって自分の手から零れ落ち、流れて行ってしまうか分からない。
そういうわけで彼女は執筆を続けていて、ネタになりそうな話には大変食いつきが良いのだ。
「それで、ついこの間、町へ出かけた時に――再会してしまったんだ!」
「フランシス、その辺りの流れをもっと詳しく!」
クララはポーチから手帳とペンをサッと取り出すと、フランシスの話をさらさらとメモし始めた。
そして目を輝かせて――と表現するにはちょっと爛々とし過ぎな気が否めないが、そんな調子で続きを促す。
早く聞きたい。もっと聞きたい。どんとこい、さあどうぞ!
……と前のめりなクララに、フランシスはちょっとだけ引いていた。
「…………クララ。次回作のネタとしてメモをするのはやめようか」
「何を仰います、このおかげでうちとフランシスの家は貧乏から持ち直したんですよ。ネタはあるだけほしいです」
「それはとても感謝しているのだが、そうじゃなくて」
「大丈夫ですよ。原型が分からないくらいに、ちゃーんとアレンジしますから」
取材したものを取材したまま――もちろん精査した上でだが――は新聞だけ。
クララの仕事は人に読んでもらう物語を紡ぐことなのだ。
そのまま書けば、必ずどこかで弊害が起こる。だからこそネタはネタとして、他人が気付かないくらいにアレンジする方が良い。
……というのはクララの持論だが、今まではそれでトラブルを起こしていないので、あながち間違っていないはずである。
だから胸を張ってクララは主張する。するとフランシスは軽く首を傾げた。
「それは安心……安心なのか?」
「もちろんです。創作といえど、肖像権やプライバシーは守られるべきですから。あ、著作権はもちろんです」
「それはそう……そうだね……?」
「疑問形にしないでください。喧嘩を売っていますか、買いますよ」
いまいち納得していなさそうなフランシスの態度に、クララの目に剣呑な光が宿る。
普段は大らかで争いごとを好まない彼女だが、この手の話題に関しては別だ。
顔から表情の消えたクララを見て、フランシスはサッと青ざめて、大慌てで両手を振って否定する。
「売ってない売ってない売ってない!」
「そうですか、良かったです。それでは、続きをどうぞ!」
スンッ、と表情が戻るクララ。
怒りは長続きしないと言うが、それにしても切り替えが早い少女である。
そんなクララに、フランシスはホッと息を吐いた。
「促されてもどうかと思うけれど……まぁいいや、あのね」
「はい!」
「返事が良い……ええと、その人も僕のことを覚えていてね。それで何度か会っているうちに思ってしまったんだ。いつか彼女と結婚したいって」
「なるほど! つまり婚約破棄ですね! いいですねいいですね!」
「破棄じゃなくて解消ね!?」
「おや、浮気したのはそちらですよ。婚約解消なんて生ぬるいことを言えるのはどの口です?」
「ごめんなさい、すべて僕が悪いです! ですがどうか解消でお願い出来ないでしょうか!」
クララが指摘すると、フランシスはテーブルに額がつきそうなほどに深く頭を下げた。
フランシスも貴族だが、一度没落しかけたためか、自分に非があると理解した時は、相手が誰であれ謝罪の速度が凄まじく早い。
プライドが低いと嫌味を言う人間もいるが、クララからすれば彼のこういうところは美点だ。
だから「はい、ちゃんと言えたのでいいですよ」と苦笑しながら返す。
「ただ、条件がありますよ。婚約者ということで、フランシスの家の立て直しに出したお金を、きっちりお返しください」
婚約者を辞めるからお金が惜しい――という理由ではなく、これはお互いに後腐れがないようにするためだ。
もちろんお金は大事だが、貴族にとって評判というものは重要な力である。
今のままではフランシスは、家を建て直してもらった婚約者を捨てて他の女になびいた浮気者だ。
一字一句間違ってはいないが、クララはフランシスのことは結構好きなので、そういう立場になってほしくないなと思ったのである。
(今のフランシスの家なら返してもらっても余裕があるはずだし)
フランシスを見ていると、最近は妙に羽振りが良い。
だから何とかなるだろうなとクララは思いながら、そんな条件を提示した。
「分かった!」
するとフランシスは一瞬も悩むことなく承諾した。
大丈夫だろうと想像はしていたが、即答だったのでクララは若干心配になる。
「あまりにも速いお返事にびっくりしておりますが、本当に大丈夫ですね?」
「ああ! 実は最近、宝くじを当ててね!」
「うらやましい! だから妙に羽振りが良かったんですね。それなら納得です、分かりました。では返済と婚約解消を同時に行うならば、私に異論はありませんよ」
「本当か! ありがとう、クララ……!」
「いえいえ。私もまだまだ結婚したくないなーってなっていたので」
「そうなのかい?」
「ええ。だって、こんなに楽しいことがあるんですもの!」
クララは手帳を見せながら、満面の笑みを浮かべる。
正直案ところフランシスとの結婚は嫌ではないが、今の仕事が楽しすぎて結婚はまだいいかなーと彼女は思っていたのだ。
だから渡りに船……とは少し違うが、婚約解消については特に問題はなかった。
もちろん五年も婚約者同士で過ごしていたので、寂しさは少しはあるけれど。
「あ、そうそう。もっとお話を聞かせていただけたら、お礼をお渡ししますよ」
「えっ? いいよ、そんな……」
「良くありませんよ。こういうところをちゃんとしないとこじれるんですから」
「そうなのかい?」
「ええ。それに、フランシスが後で絶対に困るでしょうからね」
「僕が困る?」
きょとんとした顔のフランシス。
ああ、まだまだ危機感が足りない。クララは「そうです」と肯定すると、教師がするように人差し指を立て説明する。
「降って湧いたお金で、生活がおかしくなる人がいるらしいので。破滅したくなければ、十分気を付けてください」
「……わ、分かった!」
破滅という言葉が響いたのか、フランシスはちょっとだけ悪くなった顔色で、こくこくと頷いた。
こんなところも今日で見納めか……などと感慨深く思いながら、クララは右手を差し出す。
「フランシス。前向きなあなたのこと、結構好きですよ」
「僕も……芯の強くて優しい君のこと、結構好きだったよ」
フランシスはクララの手を握る。
ぎゅっ、と強く握って、二人の五年間の婚約者関係は幕を閉じたのだった。
◇ ◇ ◇
「――というわけで円満に婚約解消したはずですが……早くないですか、別れるの」
婚約解消から二週間経ったある日のこと。
フランシスから話を聞いてほしいと頼まれたクララは、久しぶりにお茶会をすることになった。
場所はクララの家のガゼボだ。鮮やかで、私を見てと主張の強い夏の花々を眺めながら、クララは薔薇の香りのする紅茶に口をつける。
そして、さあどんな話があるのだろうかと待っていれば、ずんと沈んだ様子のフランシスの口から「初恋の人と別れた」という言葉が飛び出したのである。
クララは思わずポカンと口を開けてしまった。あまりにも早すぎたからだ。
「ええっと……交際期間は」
「一週間……」
「同じクラスのジョンさんより早い……。ちなみに理由は」
「彼女……僕以外にも恋人がいたんだ……」
「見る目がないですね、フランシス」
そう言いながらクララはティーカップをテーブルを置いて、ポーチから手帳とペンを取り出した。
そして毎度のことながら、さらさらとメモし始める。
「景気の良いペンの音が聞える……」
「お気になさらず。それで、はい、ネタもとい愚痴をどうぞ!」
「ぐう、楽しんでいるね!?」
「大事な収入源ですからね! それで初恋の人は?」
「う、うん……。彼女、どうやら僕以外にも、大勢の貴族男性に声をかけていたらしいんだ。しかも全員の初恋の人ポジションでね」
「わお! それはまた度胸がありますね」
「ちなみに本当に全員の初恋の人なんだって」
「えっ、どういうことです?」
さすがのクララにもすぐに理解出来なくて、首を傾げて訊き返す。
するとフランシスはぶるぶる震えだし、両手で頭を抱えてしまった。
「幼い頃に、意図的に全員と会っていたらしくて……」
「怖……どんな幼少期を過ごしてらっしゃったのか知りたいですね」
「僕もだよ……。没落した貴族の家の子とは聞いていたんだけど、その頃からお金持ちの相手と結婚すると決めていたらしい……」
「ははーん。つまりお金でフラれましたね、あなた」
「うぐっ!」
フランシスは胸を抑えて、ぱたんとテーブルに倒れ込んだ。
クララの一言が、彼の心にぐさりと刺さったらしい。
(気を利かせて、お金を返してくださいねって言わなければ良かったかも……)
恐らく羽振りが良かった頃のフランシスだったら、彼女と結婚――まではいかずとも、もう数か月くらいはお付き合いしていたかもしれない。
けれども彼はクララとの約束通り、家の建て直しにと援助したお金をきっちりと返してくれた。
そうなればいくら宝くじに当たったとしても貯金はごっそり減る。それで少し前のように、羽振りの良い振る舞いを控えるようになったのだろう。
結果的に初恋の人はフランシスを見限ったというわけだ。
「金の切れ目が縁の切れ目……次のテーマはこれで行きましょう」
「参考になって何よりだよ……」
「それで、フランシスはその愚痴を言いにこちらへ?」
「クララにこのネタを話せば、前みたいに報酬をもらえるかなと思って……。僕の家を貧乏貴族だと馬鹿にした彼女を見返してやりたいんだ!」
「ははーん。いいですね、その着眼点は素晴らしいですよ、フランシス。もちろんですとも、もっと詳しく!」
「ああ!」
フランシスも強くなったものだ。
クララは何となく微笑ましさを感じつつ、彼の愚痴兼話のネタを手帳にカリカリとメモしたのだった。
◇ ◇ ◇
あれから二か月ほど経った頃。
クララは自宅のガゼボで、今日も今日とて元婚約者のフランシスとお茶をしていた。
テーブルに突っ伏すフランシスの口からは「ドウシテ……」という棒読みの言葉が、まるで呪文のようにぶつぶつと繰り返されている。
彼がどうしてこんな状態なのかと言うと――また女性に手のひらでころころと転がされて別れたからである。
初恋の人事件から今回で五人目だ。クララとしてはネタに事欠かないのでありがたいが、さすがにこれは酷すぎる。
「フランシスはどうしてそうも簡単に騙されるんです? おかげで私は大助かりですけれど」
「こっちが教えてほしいよ……次から次へ、どうして僕はこうも見る目がないんだ……」
「自覚しているなら幸いですが、何でしたっけ。顔は良いけどお金がないならいいやで振られるんでしたっけ」
「そうです……」
「見る目というか、見た目で選ばれてる……」
「僕は顔がいいから……」
「自己肯定感が高い。確かにフランシスはお顔がいいですけど、あなたの面白いところは中身ですよ」
クララがそう言えば、フランシスは顔を少し上げた。
その瞳は昏くて、じとっとしている。まるで保護したての野良猫が、人間など信用出来るかと言っている時のような目だ。
「デートしていても面白くないって言われたけど……」
「あー……まぁフランシスって、甘い言葉が言えませんもんね」
「えっ」
クララの言葉に、フランシスは驚いたように起き上がった。
「言ってないっけ……」
「私の時だって言われたことないですよ。結婚するかどうかはともかく、恋を期待して近付いて来た人からすれば、美形から放たれる甘い言葉が聞きたいって思うのは当然ですよ」
「そういうものなの?」
「そういうものです」
「う、うーん……そうか……よく分からないけど……」
「では、そうですね、例えば……」
こういう場合は実践した方が早いだろう。
クララは席を立ちあがると、スッとフランシスのところへ近付く。
「え? クララ?」
「失礼」
短く断って、クララはフランシスの顎を指でくいっと持ち上げた。
そして顔を近付ければ、フランシスがぎょっと目を剥く。
「く、クララ!? 何を……」
「深くて優しい森の色の瞳。ああ、何て綺麗なんでしょう。吸い込まれそうで――」
蜂蜜のように甘ったるく。毒を流し込むようにゆっくりとクララは言葉を紡ぐ。
硬直するフランシス。そんな彼の反応を楽しみながら、クララはそっと耳に唇を近付けて、吐息混じりにこうささやいた。
「――好き、ですよ」
「~~~~っ!?」
とたんにフランシスは、椅子ごと後ろに倒れるような勢いでクララから離れた。
そして茹でダコのように真っ赤になった顔で耳を抑えて、もう片方の手の指をクララに突きつけた。
「は、は、破廉恥っ!」
「何を仰る。これが世間で人気なんですよ。ささやき魔導ボイス知りません?」
「し、し、し、知らないぞ、そんなの!」
「初心だ……ちょっとキュンとしました。そのままでいてください」
何となくときめいてしまったクララが素直にそう言えば、フランシスの目が驚いたように丸くなった。
「あ、ああ……ええっと……クララもそう思うことはあるんだな……」
「ありますよ。そういうの経験してみたいなとも思いますし。でも現実はそうはいきませんので、だからこそ私は想像しているんです」
にっこりと笑って手帳を見せれば、フランシスは一瞬だけ呆けた顔になって、
「……そうか」
と小さくつぶやいたのだった。
◇ ◇ ◇
あれからさらに二週間ほど経った頃、相変わらずクララとフランシスはお茶会をしていた。
もう婚約者同士ではないのだが、当時と似た頻度で会っている気がして、クララはどうしたものかなと思った。
フランシスのことは嫌いじゃないし、話をするのは楽しい。けれどもいつまでもこうやって会っていては、ただでさえ振られやすいフランシスに、もっと相手が出来なくなりそうだ。
――などと思っていたところ、今日のフランシスは様子が違った。
陰鬱な顔で目の下にくっきりとしたクマを作った彼は、お茶会を始める前にクララに向かって封筒を差し出してきたのである。
「フランシス、この封筒は何ですか?」
「お金です」
「なにゆえ」
シンプルだがまるで意図が分からない答えが返ってきてしまった。
クララが頭の中に疑問符を浮かべながら訊き返すと、彼は疲れたように息を吐いて話し始める。
「実は……先日の君のささやき魔導ボイスが頭から離れず、あれからずっと眠れないんだ……」
クララはぴしりと固まった。軽い気持ちでやったことだが、どうやらフランシスには刺激が強すぎたらしい。
「それは大変失礼を……」
「いや、別に嫌ではなかったから……。だがあまりにも眠れなくて、ひとまず医師に相談したら、とりあえず同じ体験をしてみたらどうですかと言われた」
「相談したんですか……医師に……」
「ああ、包み隠さず話した」
「…………何か言われませんでした?」
クララは背筋に冷たいものが走るのを感じながら、恐る恐る訊ねてみた。
するとフランシスは「言われた」とゆっくり頷く。
「婚約者じゃないのに距離感が近いなって」
「その通りです。ごめんなさい! 出来れば二度と外で言わないでいただけると嬉しいです!」
「やっぱり破廉恥なものだったんじゃないか!?」
「違います。問題なのは距離感です!」
さすがに元婚約者の顎をくいっとして、耳元でささやくのはやり過ぎた気がする。
調子に乗ってしまったとクララは反省しながら、深々と頭を下げた。
「お詫びします……。だからお金はいいですよ。かなり罪悪感を覚えましたので、今回はタダです」
「ひいっ! タダより高いものはないんだぞっ!?」
「それは私もよく分かっておりますが、人助けなら別ですよ」
「……いいのか? 僕は浮気をして、婚約解消までした男だぞ」
「私はそのネタのおかげで懐が豊かです。それに円満解消でしたからね。私にもメリットはありました」
ですから、とクララはフランシスの手をそっと握って、封筒ごと彼の胸に押し当てる。
フランシスは目をぱちぱちと瞬いて、自分の胸を見つめた後「……分かった」と頷いて、封筒を鞄にしまった。
「そ、それでは……頼んでいいか……?」
「ええ、構いませんよ。始めますね」
クララは念のため声をかけて、そっとフランシスに近付く。
そして同じように顎を持ち上げ――ようとして、もう少し刺激が控えめの方が良いかと考え、フランシスの左の頬にそっと手をあてた。
びくりとフランシスの肩がわずかに跳ねる。
「……フランシス。本当に顔色、優れませんね。眠れないなんてお辛いでしょう」
親指で、彼のクマをそっと撫でる。
フランシスがぷるぷると小刻みに震えるのを見て、クララはふっと微笑んで「大丈夫ですよ、フランシス」と優しく声をかける。
すると彼はびっくりしたように目を見開いた。
「――っ、く、クララ……」
クララは彼の深緑色の瞳を見つめながら、この間と同じように耳へ唇を近付ける。
そして、
「深呼吸して、そう……良い子。良い子ですね、フランシス」
吐息たっぷりに、慈しむようにそうささやいてみせると、フランシスの顔がボンッと真っ赤に染まった。
しかし今度は逃げたりしない。体はガチガチに固まりはしたものの、倒れることなくフランシスはその場に立っていた。
「た、た、耐えた……ぞ!」
「顔が真っ赤ですよ」
「君のせいだよ……あああ、もう……売れるんじゃないか、このボイス……」
「いいですねぇ!」
褒められたので嬉しくなって、クララは明るくそう返す。
「でも、売りませんよ。こういうのは好きな人だけにするものですからね」
「えっ」
するとフランシスは驚いたような声を出した。
「好きな人にだけ?」
「そうです」
「……待って。君、僕のことが好きなの?」
「おや、何を今さら。言ったでしょう、結構好きですよって。過去形じゃないところが伏線ですね。気付きました?」
「今……も?」
「そうじゃなきゃお茶もしませんよ」
「…………」
クララがあっさり答えると、フランシスは口をポカンと開けたまま、しばらく動かなくなってしまった。
「フランシス?」
「――あっ、いや、えっと」
声をかけると、フランシスはハッと我に返り、露骨に動揺し始めた。
どうしたのかしら、とクララが思っていると、彼はバッと顔を反らして、
「……出直して、くる」
そう言って、パタパタと足早に帰ってしまった。
◇ ◇ ◇
婚約解消から数年が経ち、クララもあっという間に二十歳を過ぎた。
何だかんだで新たな婚約をすることもなく、毎月の収入も安定しているため、一生独り身でもいいかなと思うようになったある日。
三か月ぶりくらいにフランシスからお茶会の誘いがあった。
結局、婚約解消した日からずっと、クララとフランシスの二人っきりのお茶会は続いていた。
元婚約者同士のお茶会がこうも頻繁に開かれるのは、世間から見てもあまり良くは思われない――はずなのだが、なぜか悪評が立つことはなかった。
それどころか、仲が良くて何よりだというような明るい評判まで耳にするくらいである。
自分たちは周囲から見てどういう立ち位置なのかと、クララは多少疑問を抱いたが、咎められないならまあいいかと思うことにした。
そうしてクララはフランシスの家を訪ねたのだが……。
「今日はどうされましたフランシス。また新しいネタをご提供いただけるのですか?」
「ある意味ではそうかも」
すっかり大人の顔つきになったフランシスは、どこか緊張したような面持ちでそう言った。
ある意味では、という言葉は気になるが、ネタをもらえるならありがたい。
クララがわくわくしながら席に着くと、
「クララ。これを受け取ってほしい」
言って、フランシスはテーブルの上に、小切手を置いた。
えっ、と思いいながらクララが視線を向けると、そこには見覚えのある金額が綺麗な筆跡で書かれていた。
かつてクララがフランシスの家を援助して、そして婚約解消と共に返ってきた金額だ。
「……これは?」
困惑しながら、クララはちらりとフランシスを見上げる。
彼はひと言「稼いだ」と言った。
「自分の領地で事業を一から考えて、ちゃんと育てて、僕の力で稼いだお金だ」
「おお……!」
クララは思わず拍手したくなった。この金額を、地道に稼ぐのは相当大変だったはずだ。
事業だって軌道に乗せるまで、かなりの努力と時間が必要になると聞く。
「もしかして最近忙しそうにしていたのは、それが理由ですか?」
「うん、そうだよ。ようやくちゃんと君に話せるようなくらい安定したから」
「すごいですよ、フランシス。おめでとうございます!」
「ありがとう」
そう言ってフランシスはふわっと微笑むと、椅子から立ち上がった。
そしてクララの近くまでやって来ると、おもむろに跪く。
「――クララ。どうか……どうかもう一度、僕と婚約してもらえないだろうか」
「……フランシス?」
「自分で婚約解消を頼んでおいて、本当にどの口が言うんだといのは分かってる。分かっているけれど、どうかほんの少しでもいいから、考えてもらえないだろうか」
フランシスは真剣な眼差しでクララを見上げる。
他人の話として聞く分には美味しいが、当事者となるとクララでもどう反応して良いか分からなくなってしまう。
「ええっと……理由をお伺いしても?」
「クララのことが好きだから」
シンプルでストレートな答えがクララの胸をつく。
目を丸くするクララを見て、フランシスは気まずそうに目を伏せた。
「クララは情けない僕の話を、ずっと楽しそうに聞いてくれたでしょう。それにすごく救われたんだ」
「いえ、あれは本当に楽しんでいましたし。趣味と実益を兼ねていたので、ありがたく思われるわけには」
「おかげで僕も懐が豊かになったから、そういう意味でもありがたかったんだ。ありがとう」
フランシスはにこっと笑う。
もともと彼は優しかったが、こういう気遣いもスマートに出来るようになったのだなと、クララは少しだけ感慨深く思った。
「僕の勝手なけじめとして、あの時君に助けてもらった金額を稼いで、そこへたどり着くまでに君が結婚したら諦めるつもりだったんだ」
「……フランシスに焦がれていたからじゃないですよ。ただ、自分の趣味を優先しただけです」
「知ってる。そうやっていつも正直に話をしてくれる君が好きなんだ。本当に今さらで、気持ち悪くて、みっともなくてごめん」
「…………」
クララはフランシスをじっと見下ろす。
それから、テーブルの上に置かれたままの小切手を、すっと手に取った。
「言いましたね。私も結構好きですって。まだまだ過去形じゃないんです」
「……っ、それじゃあ……!」
フランシスがパッと顔を綻ばせる。
クララはにこっと笑ってみせて、それから小切手を彼に返すように差し出した。
とたんにフランシスの表情が絶望のそれに代わる。一瞬で泣きそうになった彼の顔を見て、クララは慌てて首を横に振った。
「あ、違います違います。婚約者となるならば、この小切手はご自分で持っていてください」
「でも……」
「でもじゃないですよ。将来必要になるでしょう? 子供のためにも」
「えっあっえっ」
クララがウィンクしながらそう言えば、とたんにフランシスの顔が真っ赤になった。
どうやら大人にはなったものの、恋愛関係はまだまだ初心のようである。
「好きですよ、フランシス」
「僕も好きだよ、クララ」
二人の言葉に過去形はない。
「それでは呆れられるでしょうが、もう一度婚約しましょうか」
「ああっ! ありがとう……!」
「あとせっかくなのでネタにします」
「やっぱりするんだ……」
フランシスの顔は複雑だ。
しかし、これだけはクララは譲れない。
だってこのおかげで家は建て直せたし、紆余曲折あってもこうやって、再び婚約者同士になれたのだから。
「もちろんですよ。だって大事なことですからね!」




