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瀬戸内、刺繍男子部

作者: 織子
掲載日:2026/08/29


「嘘だろ……」


利汰(りた)はバス停の時刻表を見て絶望した。現在、午後1時ちょうど。バス停の時刻表には、8:00、10:00、15:00、17:00、20:00。バスの出発時刻の表示が五つだけ提示してある。


「1時間に1本もないのかよ……」


本日の気温は38度。汗が滝のように背中から流れていく。


「――暑い。無理だ、帰ろう」



山に囲まれたこの土地へ、利汰が家族と共に越してきて一週間。都心に近い場所で暮らしていた利汰にとって、ここは未知の世界だった。


「田舎は静か…なんて誰が言ったんだ」


とにかく煩い。カエルの声が。蝉なら聞き覚えがあるが、けたたましく鳴くカエルの大絶叫を聞き続けるのは辛い。


バス停から歩くこと30分。ようやく家にたどり着き、利汰は玄関に倒れこんだ。どろどろに汗をかいて寝そべる兄に妹が喚く。


「うわ!りぃちゃん、汗やばいよ!」

「なんか、眠い……」

「熱中症じゃないの?おかあさーん!」


利汰はそのまま瞼を閉じた。





『えー!引っ越し?やだぁ!めっちゃ田舎じゃん!』

『お母さんも嫌だけど、仕方ないでしょ』

『友達出来るかな……』

『大丈夫よ。蘭子はすぐ出来るでしょ』


(蘭はすぐ出来るだろうね。でも俺は無理だろうな)



――ピヨロロ


聞き覚えのある電子音で目が覚めた。辺りを見渡すと真っ暗だ。利汰は自分のベッドで寝かされていた。


(父さんが運んでくれたのかな)


利汰は14歳にしては背が高い方だ。母や妹は運ぶことは出来ない。


しん…とした部屋で冷房の音だけが響いている。時計を見ると、まだ午後9時だ。

(ここの9時はこんなに静かなのか)


スマホの画面が点滅しながら主張している。見るとメッセージが入っていた。前の学校の友達だ。




――ひと月前。唯一の友人の咲人(さきと)が言った。


『引っ越し?まじかよ。しかも遠いな―…大丈夫か?』

『何が』

『いや、普通に心配だよ。こっちでもお前、小3で引っ越してきて5年間、俺しか友達いないじゃん』


心配そうに眉をしかめる咲人に、安心するように頷いてみせる。


『それはまあ…大丈夫だろ』

『おお!どうした?自信ありそうな返事だな』


咲人が利汰の返事に顔を輝かせる。利汰は誤解させないように言い直した。


『友達は無理だろうけど、慣れてるから。ぼっち』


咲人は分かりやすく肩を落とした。





スマホの画面を開いて、咲人からのメッセージを確認する。


『どうだ?買いに行けた?』


(買 い に いけなかった。――と)


指を滑らせ、返事を送る。



人見知りで、ぼっち生活の決まった利汰の唯一の趣味。

針と、糸と、布さえあれば出来るのだが、糸を持って来なかった。



ピヨロロ。

スマホの通知も静かな空間にいつもより響く。


『残念。また明日行ってみろ』


「ふ」

ふいに笑いが漏れた。


(知ってるか?咲人。明日は土曜だからバスの本数が2本になってたんだよ……)


返事を後回しにし、窓を開けた。


「うわ」


驚くほどのカエルの合唱。アパートの隣は田んぼである。


「いや、やっぱり煩いよ田舎……」


数分前の自分の発言を訂正し、利汰はしばらく爆音に耳を傾けた。





「おはよう!今日はバス停行かないでよ。倒れたりしたら大変だから。自転車買ってあげるまでもう少し待って」


母はそう言うと、テーブルにトーストとバナナと牛乳を置いて玄関へ走って行く。


「蘭は?」


背中を追うように問うと、玄関から母が覗き込む。


「遊びに行ったよ。お昼は冷凍何かあるから、食べてね!じゃっ!」


「行ってらっしゃい」

(蘭、もう遊ぶ友達出来たのか。こわ)


理解できない妹の社交性に心中で引き、冷めたトーストをかじった。




自分の部屋に戻り、コピー用紙を1枚机に置く。針の様に尖らせた鉛筆を右手でくるくると回しながら、何を考えるでもなくぼーっとする。


気付けば、紙に模様が出来ていた。描こう。と思っている時には描けないのに、ぼうっとしている時には良いものが描ける。


(誰かこの法則を解明してくれないかな)


とりとめのない事を考えながら、道具箱を開いた。


(あ、そうか。糸がないんだった)


――利汰の趣味は刺繍だ。図案も自分で描き、好きな布に好きな糸で自由に刺す。

この趣味を理解してくれたのは、咲人だけだった。咲人も物を作るのが好きだったからだ。


思わずため息を吐く。

「はぁ‥‥日暮里行きたい」


こっちにもお店くらいあるだろうと、最低限のものしか持って来なかった。その最低限のものは、最初の三日でなくなった。


「うーん‥‥」


利汰は思案する。

「唯一のコンビニが近くにあったな」 


白い糸くらいなら、コンビニにもあるはずだ。利汰は財布をポケットに突っ込んで家を出た。


利汰が住むアパートは、少し高台に建っている。田舎なので、一軒家が多くアパートのような賃貸の家は少ない。


車で何度か通ったので、コンビニの場所はだいたい分かる。脇に流れる沢のような、溝のような水路を眺めながら歩いた。


(全然車が通らないな)


車とも人ともすれ違わずに目的地が見えてきた。


(あの看板だな。……見たことないコンビニだけど。げ。人がいる)


コンビニの駐車場に中学生らしき男の子が数人。


(中学生?高校生か?一人でかい奴がいるな)


目が合わない様、下を向く。


すれ違いざまに声が聞こえた。

「だれ?」

「知らん。帰省しとる子じゃない?」

「ああー」


ちらりと見ると、髪の毛が茶色い。利汰も色素が薄い方だが、あんなに明らかな茶髪ではない。

(おお。田舎のヤンキー?)


利汰は帽子を深く被り、足早に店内へ入った。


店内を見渡すと、少しの違和感。

(ここ、コンビニ……?なんか違うような)


雑貨、ジュース、お菓子、野菜。などなど。利汰の知っているコンビニではない。


「糸って置いてますか?」

一通り見回ったが、見つけれなかったので店員さんに聞いてみた。奥で飲み物の整理をしていたお婆さんが、振り向いて目を少し見開いた。


「あら、どこの子かね?見ん顔じゃ」

「あ、えっと……最近引っ越してきて……」

逆に質問を返され、利汰は戸惑う。


「引っ越し?ああ。アパートの」

「はい。あの、糸……」

「ああ、糸ね。糸はないねえ。何に使うん?うちにあるやつあげようか?」


(えっ)

「あ、いえ。いいです。ありがとうございます」

利汰は慌てて頭を下げて店を出た。距離感の近さにただただ狼狽える。


店を出ると、慌てて出たせいで一人の男子学生とぶつかった。さっきまで屯していた一人で、利汰より頭一つ大きい。


「……!すいません」

「いや、大丈夫」


他の子たちも集まってきた。

「どした?」

「あ、さっきの」


でかい子と、茶髪の子。一人は女の子かと思った。髪が長いから。しかし男の子だ。


(な、なんかこいつらチャラい)


利汰は踵を返して走るように元の道を戻る。

(あー、店員さんも善意で言ってくれたのに)


こういう時、上手に返事が出来ないのはもどかしい。



「おい!ちょっと待って」


背後に声が聞こえ、肩越しに振り返る。すると、さっきぶつかった男の子が追いかけてきているではないか。


(えっ?な、なんだ?)


さらに後ろを見ると、残りの二人も追って来ている。


(え?絡まれる?)


利汰は前を向きひたすら走った。


「ちょっ、待てぇ言うとろーが!」


後ろに怒号が聞こえた。利汰は坂を上がり切り、肩で息をしながら振りむいた。すると自転車のブレーキ音が聞こえ、とっさに前を向く。


茶髪の男の子が自転車で、前方を塞いだ。


「びっくりした。なんで逃げるん?」


利汰は息を整えながら、呟く。


「いや、知らない人に追いかけられたら怖いよ」


後ろから追いついて来た男の子が、これまた肩で息をしながら言った。


「この坂、走れるんすごいな。ほら、落とし物」


そう言いながら差し出しされたのは、利汰の財布に付けていたチャームだった。引っ越す前、咲人がくれたお守りを模したストラップだ。


利汰は驚いて受け取った。

「あ、ありがとう……!」


刺繍は苦手な咲人が、手刺繍で「おまもり」と刺してくれた、利汰にとって大事なもの。


「ごめん、俺逃げちゃって」


髪の長い男の子が、明るく答えた。

「いいよ。仕方ない。(すい)葉介(ようすけ)でかいしチャラいし、怖いもん」


どちらが翠でどちらが葉介なのか分からないが、二人は口を揃えて言った。

「いや、しのの方が怖いわ。前髪長すぎ」


大きい子が利汰を見た。目が少し鋭い。

「それ、紐がちぎれとる」


「えっ」

利汰はストラップに視線を移した。

「本当だ」

引っかけるところの紐が切れている。思わず肩を落とす。


(この部分は刺繍糸じゃなくても、普通の糸があれば…母さんにネットで買ってもらうか……)


しょんぼりと考えていると、茶髪の子が言った。


「それ、直そうか?」

「え?」

「ああ。それはええね」

「どうやって?」


「うち、すぐそこ」

大きい子が指した方向に、古民家風の家がある。古民家風というか、古民家なのだろう。利汰のアパートと、水路と空き地を挟んでいるが、実質隣の家だった。







大きい子が()だった。翠は()()()()を連れて、大きい母屋ではなく、空き地の端にある納屋に入って行く。利汰も手で招かれ付いて行く。納屋は、引き戸を開くとすぐに畳が敷いてあった。靴を石段で脱ぎ、「よいしょ」と言いながら高低差のある入口へ入る。室内は冷房が効いていて八畳くらいの広さがあった。


「貸して」

利汰は言われるがまま翠にストラップを渡したが、すぐに後悔した。


(壊されたらどうしよう……!)

テープで張られたり、切れた紐を結ぼうと乱暴に扱われたら?咲人のしてくれた刺繍が台無しになってしまう。


「あの……」

利汰は翠が座った学習机に近づき、手元に注視した。


(えっ)

翠は大きな手で細い針を持ち、慣れた手つきで糸を通した。ちぎれた少し先の箇所から、ちぎれた糸を掬いながら編み込んでいく。


(はや……)

見惚れていると、あっという間に紐が治った。似た色で直してくれたので、ぱっと見ちぎれた所も分からない。



「はい。どんな?」


(どんな?)

利汰は受け取り、心からお礼を言った。


「ありがとう……!きみ、上手だね」


お礼を言うと、翠はニヤリと微笑って言った。


「まあね」


ふと、残りの二人の座ったテーブルを見て、利汰は叫んだ。

「えっ……!」



テーブルに、刺繍枠が置いてある。一つは布が張ってあり、刺繍が完成したもの。一つは刺繍が途中のもの。一つは枠のみ。どれも枠に端切れが巻かれている。


「こ、これ誰の?」


「ん?」

翠がテーブルに視線を落とす。

「ああ、これ?」

ペットボトルの蓋を開けつつ、葉介が刺繍枠を見る。


三人は声を揃えて言った。


「「「俺の」」」



利汰は頭が追い付かない。

「え?俺のって?なんで…?」


「え?何でって……趣味だから?」

しのが鞄から四角い缶を取り出した。中には色とりどりの刺繍糸が入っている。しかももつれない様に三つ編みにされて。


「まじか……」

思わず感嘆の声が漏れる。


「なに?そんなん女子がやるもんって偏見持っとん?」

翠が声を低くして言った。


「てか君は誰なん?」

葉介も絡むように口を開く。


利汰はその言葉のどの嫌味も受け取れず、ただ驚いていた。


(いや、嘘だ。嘘だろ。前の学校、生徒1000人いて刺繍する男子生徒、俺だけだったのに)


入部した家庭科部でもいなかった。ハンドメイドで鞄を作っている咲人ですら、刺繍をする利汰を初めて見た時は驚いていた。


利汰は思わず、納屋を飛び出した。


「お、おいっ」

翠が叫び、後の二人も唖然としていた。


「えっ、何なん?あの子」



5分と経たず戻ってきた利汰に3人はまた驚く。


「いや、君も相当怖い。何なん、まじで?」

「どこの孫なん?」


利汰は肩で息をしながら、持ってきたものをテーブルに並べた。

3人はそれを見て、顔を合わせて目を見開く。


「嘘?あんたも刺繍するん?」

「まじかよー!」

「そんなことある?珍し!俺らも自分らが珍しい自覚あるけど!」


「いやっ、俺も……俺も驚い…」

利汰は口籠った。油断すると涙が出そうだ。前の学校でも、散々言われたことだから。


「自分の他に、いると思わなかったから……」


3人はまた顔を見合わせた。


「で、君はほんまに誰なん?」

葉介の問いはさっきと同じはずなのに、トーンが違った。


「俺、汐見利汰。隣のアパートに越してきた……」


「ああ!あんたが。母さんが言っとったわ」


「えぇ。この時期の引っ越し珍し。なんか訳ありなん?」

「いや、ないよ。ただ父さんの仕事。ここの電力会社の……」


「何歳?」

「14。中2」

「一緒じゃん!俺らも中2!」


利汰含め四人はまた湧き上がった。


「俺、桜尾葉介。商店街に住んどるよ」


「俺は桜尾しのぶ。そこの川沿いに家がある」


「俺は桜尾翠。ここに住んどる。よろしく利汰。お隣さんじゃ」


(いきなり呼び捨て……てか)


嬉しいが、気になることがあり過ぎる。利汰はそのまま聞いた。


「いきなり名前呼び……みんな苗字一緒なの?兄弟?……いや親戚?」


翠は何を聞かれているのか、分かっておらず首を傾けた。

思い至ったようで葉介が答える。


「……ああ!違うよ。親戚じゃない。俺はみつみ屋の桜尾で…」

翠も気づいて口を開く。

「俺は中島の桜尾」


(……??)

利汰は混乱した。


「ちょっと……何言ってるか分かんない」


しのが呆れたように説明してくれた。

「ここは同じ苗字が多いんよ。この辺の人はほとんど桜尾。学校も学年ごとに1クラスしかないけど、三分の二は桜尾よ。だから苗字で呼ばん。名前とか、屋号で呼ぶんよ。うちは屋号が川の屋。店じゃないけど」


「そ、そうなんだ?」

やっぱり未知の世界だ。


翠がそわそわして言った。

「それより、利汰の刺繍見せてくれよ」

「俺も見たい。ちょっと中学生にしては良いリネン使ってない?」

しのもずいずいと近付いて来る。


「誰に教わったん?自己流?」

葉介がにこにこと聞く。


「ああ、刺繍はばあちゃんに。このリネンも貰ったんだ」





――ピヨロロ。


利汰は話に夢中で気付かなかったが、スマホが鳴った。家に帰ってから気付き、利汰は咲人に報告をする。


『友達が出来た』と。






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― 新着の感想 ―
刺繍男子四人組。 楽しそうです。 続くといいなあ……
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