瀬戸内、刺繍男子部
「嘘だろ……」
利汰はバス停の時刻表を見て絶望した。現在、午後1時ちょうど。バス停の時刻表には、8:00、10:00、15:00、17:00、20:00。バスの出発時刻の表示が五つだけ提示してある。
「1時間に1本もないのかよ……」
本日の気温は38度。汗が滝のように背中から流れていく。
「――暑い。無理だ、帰ろう」
山に囲まれたこの土地へ、利汰が家族と共に越してきて一週間。都心に近い場所で暮らしていた利汰にとって、ここは未知の世界だった。
「田舎は静か…なんて誰が言ったんだ」
とにかく煩い。カエルの声が。蝉なら聞き覚えがあるが、けたたましく鳴くカエルの大絶叫を聞き続けるのは辛い。
バス停から歩くこと30分。ようやく家にたどり着き、利汰は玄関に倒れこんだ。どろどろに汗をかいて寝そべる兄に妹が喚く。
「うわ!りぃちゃん、汗やばいよ!」
「なんか、眠い……」
「熱中症じゃないの?おかあさーん!」
利汰はそのまま瞼を閉じた。
『えー!引っ越し?やだぁ!めっちゃ田舎じゃん!』
『お母さんも嫌だけど、仕方ないでしょ』
『友達出来るかな……』
『大丈夫よ。蘭子はすぐ出来るでしょ』
(蘭はすぐ出来るだろうね。でも俺は無理だろうな)
――ピヨロロ
聞き覚えのある電子音で目が覚めた。辺りを見渡すと真っ暗だ。利汰は自分のベッドで寝かされていた。
(父さんが運んでくれたのかな)
利汰は14歳にしては背が高い方だ。母や妹は運ぶことは出来ない。
しん…とした部屋で冷房の音だけが響いている。時計を見ると、まだ午後9時だ。
(ここの9時はこんなに静かなのか)
スマホの画面が点滅しながら主張している。見るとメッセージが入っていた。前の学校の友達だ。
――ひと月前。唯一の友人の咲人が言った。
『引っ越し?まじかよ。しかも遠いな―…大丈夫か?』
『何が』
『いや、普通に心配だよ。こっちでもお前、小3で引っ越してきて5年間、俺しか友達いないじゃん』
心配そうに眉をしかめる咲人に、安心するように頷いてみせる。
『それはまあ…大丈夫だろ』
『おお!どうした?自信ありそうな返事だな』
咲人が利汰の返事に顔を輝かせる。利汰は誤解させないように言い直した。
『友達は無理だろうけど、慣れてるから。ぼっち』
咲人は分かりやすく肩を落とした。
スマホの画面を開いて、咲人からのメッセージを確認する。
『どうだ?買いに行けた?』
(買 い に いけなかった。――と)
指を滑らせ、返事を送る。
人見知りで、ぼっち生活の決まった利汰の唯一の趣味。
針と、糸と、布さえあれば出来るのだが、糸を持って来なかった。
ピヨロロ。
スマホの通知も静かな空間にいつもより響く。
『残念。また明日行ってみろ』
「ふ」
ふいに笑いが漏れた。
(知ってるか?咲人。明日は土曜だからバスの本数が2本になってたんだよ……)
返事を後回しにし、窓を開けた。
「うわ」
驚くほどのカエルの合唱。アパートの隣は田んぼである。
「いや、やっぱり煩いよ田舎……」
数分前の自分の発言を訂正し、利汰はしばらく爆音に耳を傾けた。
◇
「おはよう!今日はバス停行かないでよ。倒れたりしたら大変だから。自転車買ってあげるまでもう少し待って」
母はそう言うと、テーブルにトーストとバナナと牛乳を置いて玄関へ走って行く。
「蘭は?」
背中を追うように問うと、玄関から母が覗き込む。
「遊びに行ったよ。お昼は冷凍何かあるから、食べてね!じゃっ!」
「行ってらっしゃい」
(蘭、もう遊ぶ友達出来たのか。こわ)
理解できない妹の社交性に心中で引き、冷めたトーストをかじった。
自分の部屋に戻り、コピー用紙を1枚机に置く。針の様に尖らせた鉛筆を右手でくるくると回しながら、何を考えるでもなくぼーっとする。
気付けば、紙に模様が出来ていた。描こう。と思っている時には描けないのに、ぼうっとしている時には良いものが描ける。
(誰かこの法則を解明してくれないかな)
とりとめのない事を考えながら、道具箱を開いた。
(あ、そうか。糸がないんだった)
――利汰の趣味は刺繍だ。図案も自分で描き、好きな布に好きな糸で自由に刺す。
この趣味を理解してくれたのは、咲人だけだった。咲人も物を作るのが好きだったからだ。
思わずため息を吐く。
「はぁ‥‥日暮里行きたい」
こっちにもお店くらいあるだろうと、最低限のものしか持って来なかった。その最低限のものは、最初の三日でなくなった。
「うーん‥‥」
利汰は思案する。
「唯一のコンビニが近くにあったな」
白い糸くらいなら、コンビニにもあるはずだ。利汰は財布をポケットに突っ込んで家を出た。
利汰が住むアパートは、少し高台に建っている。田舎なので、一軒家が多くアパートのような賃貸の家は少ない。
車で何度か通ったので、コンビニの場所はだいたい分かる。脇に流れる沢のような、溝のような水路を眺めながら歩いた。
(全然車が通らないな)
車とも人ともすれ違わずに目的地が見えてきた。
(あの看板だな。……見たことないコンビニだけど。げ。人がいる)
コンビニの駐車場に中学生らしき男の子が数人。
(中学生?高校生か?一人でかい奴がいるな)
目が合わない様、下を向く。
すれ違いざまに声が聞こえた。
「だれ?」
「知らん。帰省しとる子じゃない?」
「ああー」
ちらりと見ると、髪の毛が茶色い。利汰も色素が薄い方だが、あんなに明らかな茶髪ではない。
(おお。田舎のヤンキー?)
利汰は帽子を深く被り、足早に店内へ入った。
店内を見渡すと、少しの違和感。
(ここ、コンビニ……?なんか違うような)
雑貨、ジュース、お菓子、野菜。などなど。利汰の知っているコンビニではない。
「糸って置いてますか?」
一通り見回ったが、見つけれなかったので店員さんに聞いてみた。奥で飲み物の整理をしていたお婆さんが、振り向いて目を少し見開いた。
「あら、どこの子かね?見ん顔じゃ」
「あ、えっと……最近引っ越してきて……」
逆に質問を返され、利汰は戸惑う。
「引っ越し?ああ。アパートの」
「はい。あの、糸……」
「ああ、糸ね。糸はないねえ。何に使うん?うちにあるやつあげようか?」
(えっ)
「あ、いえ。いいです。ありがとうございます」
利汰は慌てて頭を下げて店を出た。距離感の近さにただただ狼狽える。
店を出ると、慌てて出たせいで一人の男子学生とぶつかった。さっきまで屯していた一人で、利汰より頭一つ大きい。
「……!すいません」
「いや、大丈夫」
他の子たちも集まってきた。
「どした?」
「あ、さっきの」
でかい子と、茶髪の子。一人は女の子かと思った。髪が長いから。しかし男の子だ。
(な、なんかこいつらチャラい)
利汰は踵を返して走るように元の道を戻る。
(あー、店員さんも善意で言ってくれたのに)
こういう時、上手に返事が出来ないのはもどかしい。
「おい!ちょっと待って」
背後に声が聞こえ、肩越しに振り返る。すると、さっきぶつかった男の子が追いかけてきているではないか。
(えっ?な、なんだ?)
さらに後ろを見ると、残りの二人も追って来ている。
(え?絡まれる?)
利汰は前を向きひたすら走った。
「ちょっ、待てぇ言うとろーが!」
後ろに怒号が聞こえた。利汰は坂を上がり切り、肩で息をしながら振りむいた。すると自転車のブレーキ音が聞こえ、とっさに前を向く。
茶髪の男の子が自転車で、前方を塞いだ。
「びっくりした。なんで逃げるん?」
利汰は息を整えながら、呟く。
「いや、知らない人に追いかけられたら怖いよ」
後ろから追いついて来た男の子が、これまた肩で息をしながら言った。
「この坂、走れるんすごいな。ほら、落とし物」
そう言いながら差し出しされたのは、利汰の財布に付けていたチャームだった。引っ越す前、咲人がくれたお守りを模したストラップだ。
利汰は驚いて受け取った。
「あ、ありがとう……!」
刺繍は苦手な咲人が、手刺繍で「おまもり」と刺してくれた、利汰にとって大事なもの。
「ごめん、俺逃げちゃって」
髪の長い男の子が、明るく答えた。
「いいよ。仕方ない。翠と葉介でかいしチャラいし、怖いもん」
どちらが翠でどちらが葉介なのか分からないが、二人は口を揃えて言った。
「いや、しのの方が怖いわ。前髪長すぎ」
大きい子が利汰を見た。目が少し鋭い。
「それ、紐がちぎれとる」
「えっ」
利汰はストラップに視線を移した。
「本当だ」
引っかけるところの紐が切れている。思わず肩を落とす。
(この部分は刺繍糸じゃなくても、普通の糸があれば…母さんにネットで買ってもらうか……)
しょんぼりと考えていると、茶髪の子が言った。
「それ、直そうか?」
「え?」
「ああ。それはええね」
「どうやって?」
「うち、すぐそこ」
大きい子が指した方向に、古民家風の家がある。古民家風というか、古民家なのだろう。利汰のアパートと、水路と空き地を挟んでいるが、実質隣の家だった。
大きい子が翠だった。翠は葉介としのを連れて、大きい母屋ではなく、空き地の端にある納屋に入って行く。利汰も手で招かれ付いて行く。納屋は、引き戸を開くとすぐに畳が敷いてあった。靴を石段で脱ぎ、「よいしょ」と言いながら高低差のある入口へ入る。室内は冷房が効いていて八畳くらいの広さがあった。
「貸して」
利汰は言われるがまま翠にストラップを渡したが、すぐに後悔した。
(壊されたらどうしよう……!)
テープで張られたり、切れた紐を結ぼうと乱暴に扱われたら?咲人のしてくれた刺繍が台無しになってしまう。
「あの……」
利汰は翠が座った学習机に近づき、手元に注視した。
(えっ)
翠は大きな手で細い針を持ち、慣れた手つきで糸を通した。ちぎれた少し先の箇所から、ちぎれた糸を掬いながら編み込んでいく。
(はや……)
見惚れていると、あっという間に紐が治った。似た色で直してくれたので、ぱっと見ちぎれた所も分からない。
「はい。どんな?」
(どんな?)
利汰は受け取り、心からお礼を言った。
「ありがとう……!きみ、上手だね」
お礼を言うと、翠はニヤリと微笑って言った。
「まあね」
ふと、残りの二人の座ったテーブルを見て、利汰は叫んだ。
「えっ……!」
テーブルに、刺繍枠が置いてある。一つは布が張ってあり、刺繍が完成したもの。一つは刺繍が途中のもの。一つは枠のみ。どれも枠に端切れが巻かれている。
「こ、これ誰の?」
「ん?」
翠がテーブルに視線を落とす。
「ああ、これ?」
ペットボトルの蓋を開けつつ、葉介が刺繍枠を見る。
三人は声を揃えて言った。
「「「俺の」」」
利汰は頭が追い付かない。
「え?俺のって?なんで…?」
「え?何でって……趣味だから?」
しのが鞄から四角い缶を取り出した。中には色とりどりの刺繍糸が入っている。しかももつれない様に三つ編みにされて。
「まじか……」
思わず感嘆の声が漏れる。
「なに?そんなん女子がやるもんって偏見持っとん?」
翠が声を低くして言った。
「てか君は誰なん?」
葉介も絡むように口を開く。
利汰はその言葉のどの嫌味も受け取れず、ただ驚いていた。
(いや、嘘だ。嘘だろ。前の学校、生徒1000人いて刺繍する男子生徒、俺だけだったのに)
入部した家庭科部でもいなかった。ハンドメイドで鞄を作っている咲人ですら、刺繍をする利汰を初めて見た時は驚いていた。
利汰は思わず、納屋を飛び出した。
「お、おいっ」
翠が叫び、後の二人も唖然としていた。
「えっ、何なん?あの子」
5分と経たず戻ってきた利汰に3人はまた驚く。
「いや、君も相当怖い。何なん、まじで?」
「どこの孫なん?」
利汰は肩で息をしながら、持ってきたものをテーブルに並べた。
3人はそれを見て、顔を合わせて目を見開く。
「嘘?あんたも刺繍するん?」
「まじかよー!」
「そんなことある?珍し!俺らも自分らが珍しい自覚あるけど!」
「いやっ、俺も……俺も驚い…」
利汰は口籠った。油断すると涙が出そうだ。前の学校でも、散々言われたことだから。
「自分の他に、いると思わなかったから……」
3人はまた顔を見合わせた。
「で、君はほんまに誰なん?」
葉介の問いはさっきと同じはずなのに、トーンが違った。
「俺、汐見利汰。隣のアパートに越してきた……」
「ああ!あんたが。母さんが言っとったわ」
「えぇ。この時期の引っ越し珍し。なんか訳ありなん?」
「いや、ないよ。ただ父さんの仕事。ここの電力会社の……」
「何歳?」
「14。中2」
「一緒じゃん!俺らも中2!」
利汰含め四人はまた湧き上がった。
「俺、桜尾葉介。商店街に住んどるよ」
「俺は桜尾しのぶ。そこの川沿いに家がある」
「俺は桜尾翠。ここに住んどる。よろしく利汰。お隣さんじゃ」
(いきなり呼び捨て……てか)
嬉しいが、気になることがあり過ぎる。利汰はそのまま聞いた。
「いきなり名前呼び……みんな苗字一緒なの?兄弟?……いや親戚?」
翠は何を聞かれているのか、分かっておらず首を傾けた。
思い至ったようで葉介が答える。
「……ああ!違うよ。親戚じゃない。俺はみつみ屋の桜尾で…」
翠も気づいて口を開く。
「俺は中島の桜尾」
(……??)
利汰は混乱した。
「ちょっと……何言ってるか分かんない」
しのが呆れたように説明してくれた。
「ここは同じ苗字が多いんよ。この辺の人はほとんど桜尾。学校も学年ごとに1クラスしかないけど、三分の二は桜尾よ。だから苗字で呼ばん。名前とか、屋号で呼ぶんよ。うちは屋号が川の屋。店じゃないけど」
「そ、そうなんだ?」
やっぱり未知の世界だ。
翠がそわそわして言った。
「それより、利汰の刺繍見せてくれよ」
「俺も見たい。ちょっと中学生にしては良いリネン使ってない?」
しのもずいずいと近付いて来る。
「誰に教わったん?自己流?」
葉介がにこにこと聞く。
「ああ、刺繍はばあちゃんに。このリネンも貰ったんだ」
――ピヨロロ。
利汰は話に夢中で気付かなかったが、スマホが鳴った。家に帰ってから気付き、利汰は咲人に報告をする。
『友達が出来た』と。




