公爵令嬢は天使の夢を見る
公爵令嬢、アイリス・モンタギューは、夢遊病であった。彼女は寝るたび毎夜外へと出歩いた。アイリス・モンタギューの夢遊病は、一般的なものと異なるところがあった。それは、夢遊病中に天使の夢を見ることだ。通常、夢遊病中の記憶はあいまいになる。しかし、アイリス・モンタギューは、はっきりと記憶に残るほどの天使の夢を見た。それはどこか現実的で、アイリス・モンタギューの公爵家の令嬢という肩書を忘れさせるほどだ。しかし、若い娘が毎夜外へと出かけてしまうことを、モンタギュー家は良く思わなかった。善良な親ならば心配して当然だ。モンタギュー家は、アイリスの寝ている間侍女を付けた。しかし、アイリスの起き上がって外へと出ていく力は強く、侍女はついていくのでやっとで、止めることはかなわなかった。そんなアイリスだが、結婚を約束した相手がいる。ヘンリー・ラッセル。公爵家の令息で、親同士が決めた婚姻だったが、ヘンリーはアイリスのことを気に入っていた。アイリスも天使と出会うまでは、ヘンリーのことを気に入っていた。ヘンリーは天使と出会って変わってしまったアイリスを、それでも愛していた。
ある舞踏会の夜の事である。アイリスは父親にエスコートされ、舞踏会に現れる。ヘンリーがすぐさま、アイリスの元による。変な虫がつかないようにだ。ヘンリーはアイリスをダンスに誘う。それを受けたアイリスはオーケストラの演奏の中で、ヘンリーと喉が渇くまで踊った。喉が渇いて、水を欲しがったアイリスに、ヘンリーが水を取ってきた後だった。アイリスは、貴族令嬢数人に囲まれ、誇らしそうに羽根を見せていた。コルセットの隠しポケットにでも隠していたのだろう。それは白い羽根だった。
「天使様から頂いたの。」
大鷲の白い部分の羽根じゃなかろうか?モンタギュー家にはよく、大鷲が飛んでいるのが見えた。モンタギューの当主の趣味で、よく大鷲を飛ばしカラスなどを追い払っていた。
「私の元にも天使様が現れてほしいわ。」
茶化すように、一人の令嬢が言った。
「そうね、そうしたらアイリスのように自慢できるものね。鳥の羽根をもって天使様だなんて。」
笑いが起こる。アイリスも笑う。からかわれていることに、まったくと言っていいほど気づいていない。ヘンリーが間に入って、アイリスを連れ去る。
「ヘンリー様も変わった女が好きね。」
誰かが言ったのを無視してアイリスに水の入ったグラスを渡す。
「ありがとう。ヘンリー様。」
「アイリス。あまりそういうのは、見せつけるものじゃない。」
「それもそうね。私と天使様とのつながりだものね。」
ヘンリーは顔をしかめた。天使の話をするようになったアイリスは、ずっとこの調子だ。
「喉を潤したら、もう一度踊らないか?」
「ええ、喜んで。」
グラスを置いたアイリスの手を取り、ヘンリーは優雅にステップを踏む。
「かわいい僕のアイリス。愛しているよ。」
ヘンリーがアイリスの耳元でささやく。
「ありがとう。」
アイリスの返答は素っ気無いものだ。それでもヘンリーは構わなかった。ヘンリーの愛は本物だったから、アイリスもそのうち気づくだろうと思っていた。天使のことは気に入らないが、それもしばらくの辛抱だろうと思っていた。思春期特有の一時の夢だと思っていたから。
舞踏会が終わった夜。アイリスは焦がれてベッドに横になった。侍女がそばに座り、蠟燭の明かりで本を読んでいる。アイリスはゆっくりとまどろんだ。
(天使様、早く会いに来て。)
そう願いながら。
天使が会いに来た。白い翼に長く薄い金髪、真っ赤な目がこちらを見つめる。
「天使様、今日も来てくれたのね!」
アイリスの胸の中は喜びでいっぱいだった。天使に差し出された手をつなぎ、歩き出す。モンタギュー家をでて、ネモフィラの花畑を超える。遠くに家々の明かりが見える。崖に来た。下を覗くと暗い。天使が浮いて、手を引っ張る。思い切って、アイリスは崖に飛び込んだ。体が宙に浮く。星々が近い。手に取れそうだ。手を伸ばすと、星をつかんだ。キラキラと輝くそれは、脆く簡単に崩れてしまった。
「お嬢様!」
現実では、侍女が叫んでいた。アイリスが崖から落ちたのだ。パニックになった侍女は崖の周りをうろつき、考える。侍女は助けを呼ぶことにして、急いで家へと引き返す。アイリスは、自分のベッドで目覚めた。目をぱちくりする。起き上がると、両親が声を漏らした。
「ああ、アイリス!よかった。目が覚めたのね。打ち所が悪かったらどうしようかと・・・。」
母親がアイリスに抱き着く。父親が、アイリスに尋ねる。
「足の調子はどうだ?」
足を見る。すると、あるはずの足がない。
「お父様、私の足はどこに行ってしまったの?」
痛みは幸いなかった。足を動かすと、不思議な感覚だ。
「崖から落ちたのは覚えているか?」
「天使様が、お空に飛ばしてくださったことは覚えています。」
父親が首を振る。
「切断するしかなくなったんだ・・・。ごめんよアイリス。縛り付けておいてでも、君をベッドから出歩かせるんじゃなかった。」
「謝らないで、お父様。これも天使様のお導きよ。」
狂気的ともいえる天使への妄信っぷりに父親と母親は顔を見合わせる。
アイリス・モンタギューの足が、事故で切断せざる負えなかったことは社交界から、ラッセル家にも伝わった。ラッセル家の当主は、最近のアイリスの行動を不気味がったのもあって、婚約を破棄する旨の手紙を、モンタギュー家に送った。それをたまたまヘンリーが見てしまう。ふつふつと怒りが湧いてきた。天使に愛しい人の足が持ってかれたばかりか、婚約破棄だなんて・・・。許しがたいとヘンリーは思った。ヘンリーは、モンタギュー家の両親が出払っている隙を狙って、眠っているアイリスをさらった。侍女には両親からの許可を得ていると嘘をついた。自分の部屋に着くと、アイリスをベッドに寝かした。目覚めるのを待つ。
アイリスが目覚めると、見知った顔が飛び込んできた。赤髪に緑の大きな目、良く通った鼻筋。
「ヘンリー?」
「アイリス。僕は怒ったぞ。」
アイリスは何のことだかわからないようだった。そんなアイリスの腕を握る。
「僕は愛を証明して見せる。」
アイリスの指にエメラルドのついた、指輪をはめ、手の甲にキスをする。それから、額、頬、最後に唇にキスをする。唇には情熱的なキスを。アイリスの腹をゆっくりとなでる。腰にキスをした。
「ヘンリー様くすぐったいわ。」
「君が悪いんだ。」
指を絡ませ、覆いかぶさる。
「わかったかい?君は僕から逃れられない。」
くすくすと、鈴のようにアイリスが笑う。
「天使様もね、キスをしてくれたわ。」
ヘンリーは愕然とする。彼女はどこまで天使に籠絡されているのか。ベッドに座り込み、頭を抱える。
「アイリス、君は・・・。僕は愛しているんだ。一番は僕だ。一番君を愛しているのに。」
ヘンリーは街中のこじんまりとした家の前に立っていた。ヘンリーは、アイリスのことをどうしたらいいかわからなかった。扉をノックすると、
「どうぞ。」
という声が聞こえてきた。中に入ると、暗い。酸っぱい匂いがした。不快になって顔をゆがめるヘンリー。
「何の用かね?」
正面には机と椅子があり、醜い老婆が座っていた。椅子を引き座る。ヘンリーは街で一番有名な呪術師を頼ったのであった。
「恋人が毎晩夢を見るんだ。天使の夢だ。彼女は天使に囚われている。」
「見てやろう。」
老婆は目を閉じる。しばらくすると、目を引ん剝く。
「その令嬢は、呪われているようだ。すぐに解決してやる必要がある。」
「呪い?誰かにかけられたとかか?」
「答えはこれに乗っているよ。値段は・・・。」
呪術師が聖書のようなものを見せる。指で示された値段は高すぎる!
「馬鹿馬鹿しい。」
そういって、立ち上がり小屋を後にする。帰り道、教会が見えた。ついでに寄ってみる。十字架像の前で跪く。神に祈りをささげる。
(天使が僕のアイリスをかどわかしているのです。どうかアイリスから天使を引きはがしてください。)
「熱心ですね。」
後ろを振り向くと、ここの神父が歩いてきていた。
「恋人のために祈っていたのです。彼女は不慮の事故で、両足を失いました。」
「そうでしたか。祈りはきっと神に届いていますよ。そうだ、これを差し上げましょう。」
神父が懐から、ロザリオを取り出す。十字架がついている。
「ありがとうございます。」
受け取る。ほんのり温かい気がする。モンタギュー家に寄る。アイリスの父親は怒っていた。
「娘を勝手に連れ出すとは、見損なったぞ!」
「すみません。どうしても、アイリスには僕がいるということをわかってほしかったのです。」
「まあ、あなた。彼も反省しているようですしね。ヘンリー程、アイリスを愛してくださる方もいないわ。アイリスがあんなことになってから、なおさら。」
「奥様、これをアイリスに。」
「まあ、ロザリオね。アイリスに渡しておくわ。」
その夜、母親が寝る前のアイリスの元に、ロザリオを届けに来る。
「ヘンリーからよ。大切にするのよ。」
十字架のついたロザリオを手にアイリスは眠りにつく。天使がやってきた。天使は別れの言葉を言った。
「どうして?私に至らぬところがあったのですか?」
天使は首を振る。神のみもとに帰らねばという。
「連れて行ってくださいませ。」
それはできないといわれる。アイリスは泣いた。目覚めても、涙は止まらなかった。アイリスは来る日も来る日も泣いた。そこに侍女が、バラの花を花瓶に入れて持ってきて窓辺に飾る。泣く度、バラは増えていった。ある朝、花びんいっぱいのバラ。
「もう一つ花びんが要りそうですね。」
侍女が言った。疑問に思って、聞いてみる。
「誰が送ってきているの?」
「ヘンリー様です。お手紙もありますよ。」
侍女に渡され、手紙を受け取る。手紙を開くとこう書いてあった。
(愛しのアイリス。君が天使と別れられることを祈っているよ。バラの花を見るたびに君のことを思い出して胸が苦しくなるよ。バラの花弁の一つ一つが僕の愛。君をいつでも包み込めるように甘い匂いを発して誘っているんだよ。いつかこの愛に君が包まれて、あのころのような笑顔を見せてくれると嬉しいよ。)
アイリスはその日から泣くのをやめた。
そして、久しぶりの社交界。アイリスは車いすで父親にエスコートされながら、会場に入った。
「天使令嬢が来た。」
ささやき声が聞こえた。
「アイリス、ごきげんよう。今日はどんな羽根を見せてくれるの?カモメの羽根かしら?」
笑い声が響き渡る。そこにヘンリーがやって来る。赤いバラを一本持って、アイリスの前に跪く。
「アイリス。やっと顔を見せてくれたね。今日も美しいよ。」
アイリスの青色の目を見つめ、金髪をなでる。アイリスにはそれがなんだかくすぐったくて、くすくす笑う。
「さあ、こっちに来て。少し踊らないか?」
「ええ、もちろん。」
車いすを優しく揺らしながら、ヘンリーがアイリスを見つめる。
「どうしてそんなに・・・?」
その先の言葉を察して、ヘンリーが言葉を紡ぐ。
「君を愛しているから。」
ダンスが終わると、バルコニーに出た。誰もいなくて静かだ。アイリスが話し出す。
「天使に初めて会ったとき、美しさに目を奪われたわ。それに私は、公爵家に生まれたことを負担に思っていたから、いい夢を見せてくれる天使に、のめり込んでいったの。カーテシーやその他のマナーを守ることも窮屈だった。」
ヘンリーが静かにうなずく。
「天使と別れた時、すごく悲しかったの。ずっと泣いてた。でもね、あなたが送ってくれたバラと、手紙で元気が出たの。」
「僕には、バラを送るぐらいしか選択肢がなかった。」
二人で星を眺める。てんびん座が見える。
「この世界で生きている間は、僕のそばにいてほしい。星となったとき、天使の元へ君をエスコートしよう。」
アイリスが笑いだす。
「なんてロマンチックなの。」
ヘンリーの顔をまじまじと見る。
「こんなにもそばにいるのにちゃんと見えていなかった。」
ヘンリーの手を取る。
「あなたの好きなものを教えて。」
アイリスは、ヘンリーと結婚した。式は盛大に祝われた。ラッセル家もアイリスがまともになると、喜んで受け入れた。モンタギュー家はアイリスがヘンリーの元にお嫁に行って、安心した。
月日は流れ、二人は生まれた子供と共に、モンタギュー家でピクニックをしていた。息子に昔話を語り聞かせる。
「私とお父様の出会いは、社交界で、両方の父が意気投合したところから始まったの。私は、ヘンリーと会ってすぐ気に入ったわ。」
「お父様も?」
「ああ、ひとめぼれだった。必ずこの人を妻にすると思った。」
「私が天使の夢を見るようになってからは、ヘンリーとはすれ違いの日々が続いたわ。それでも彼は愛してくれた。」
「天使様は?」
「ロザリオをもらった日、神様の元にあわてて帰ったわ。きっと、長くいすぎて、神様の元へ帰ることを忘れてたのね。」
「アイリスは、かわいかったからな。天使すら釘づけにしてしまった。」
「もう、あなたったら!」
「いつか天使様の元に行くの?」
「いいえ、ヘンリーの元にずっといるわ。死に分かれたとしてもずっとね。」
ヘンリーがアイリスに優しくキスをする。




