忌み髪の魔女は魔獣の王子と結ばれる
古く汚い馬車の中、私は激しい揺れに耐える。
顔を顰めるほどの悪臭は、主に私自身から漂うものだった。
全身が爛れて膿に塗れており、そのせいでドレスも酷い有様である。
「……気持ち悪い」
思わず呟くも、今日ばかりは我慢しないといけない。
これから私とルーラン侯爵の披露宴があるのだ。
侯爵とは手紙で交流した後、何度か会ったがとても穏やかで聡明な人物だった。
(こんな私にも優しいなんて……)
穢れ祓いを生業とする私の家は、汚れ仕事を専門としている。
地方の弱小貴族の娘である私など使い捨て同然の扱いだった。
この醜い容姿も、穢れを取り込んできた影響である。
(それなのに、まさか侯爵から婚約を申し込まれるなんて思ってなかった)
以前、婚約の理由を訊いたことがある。
その際、ルーラン侯爵は爽やかな笑顔で答えた。
「王国の穢れを請け負うなど、誰にでもできることではありません。僕は貴女の高潔な精神に惚れてしまったのですよ」
私は生まれつき穢れへの耐性が高く、やりたくもない家業を強いられてきた。
そうして無茶を繰り返した結果、こんな姿になってしまった。
医者によると余命数年らしい。
穢れが内臓まで蝕んでおり、肉体が限界を迎えているのだ。
こんな身体じゃ子供も産めない。
跡継ぎは侯爵の妾に任せるしかないだろう。
それでも私は、誇らしい気持ちだった。
(ただ人並みに尊重され、愛されるだけでいい。残りの人生を幸せに過ごすんだ)
決意する私の思考は、壁を叩く音で中断された。
こちらを見る御者が迷惑そうに言う。
「着いたぞ。臭いから早く出て行ってくれ」
「はい……」
私はうつむいたまま馬車を降りる。
使用人からも粗雑に扱われているが、慣れたものなので気にしない。
到着したのは侯爵の屋敷の前だった。
従者のいない私は一人で進む。
こちらに気付いた周囲の貴族がざわめき、嫌悪の視線を向けてきた。
道を開けた彼らは遠巻きに陰口を囁き合う。
「忌み髪の魔女だ……」
「離れろ。穢れがうつるぞ」
忌み髪の魔女――私の綽名である。
穢れを取り込む体質や腐り果てた肉体、烏のように黒い髪からそう呼ばれていた。
元々、髪は金色だった。
黒く染まったのは穢れが浸透した影響だろう。
私はそそくさと屋敷の中へと向かう。
建物内に入ったその時、吐血して膝をついた。
意識が朦朧として動けなくなる。
(穢れによる体調不良……! よりによってこんな所で……っ)
苦しむ私に誰かが寄り添ってくる。
そして、ぎこちない声が聞こえてきた。
「大丈夫、か」
私はなんとか相手の顔を確認する。
そこにいたのは、騎士服を着た毛むくじゃらの怪物だった。
(魔獣王子……!)
それは第一王子レイクの綽名である。
幼い頃、呪いを受けて魔獣の姿になったレイクは、王位継承権を弟に譲って騎士になったらしい。
この場にいるのも警備の任務なのだろう。
息を整えた私は、口元の血を拭って立ち上がる。
「すみません……もう平気です……」
「そう、か」
レイクはガラス瓶を取り出し、それを私に差し出す。
こちらを気遣う、真摯な目だった。
「清めた水、だ。よけれ、ば……飲んで、くれ」
「いいのですか?」
「安心、しろ。毒は、入ってい、ない」
私は恐る恐る瓶を受け取る。
その際、互いの指が触れてしまった。
私は反射的に後ずさる。
「あっ、穢れが」
「気にす、るな……美しい、手だ……」
そう言ってレイクは立ち去る。
残された私は、驚きと戸惑いで呆然としていた。
(美しいなんて、初めて言われた……)
◆
私が披露宴の会場の扉を開けた時、明るい雰囲気から一瞬で静まり返った。
嫌悪の視線と共にあちこちから囁き声が聞こえてくる。
「忌み髪……」
「おぞましい姿だ」
「同じ人間なのか?」
「本当に魔女なのかもしれない」
この場から逃げたくなるも、私はなんとか堪える。
胸に手を当てて自分に言い聞かせた。
(大丈夫、私にはルーラン侯爵が……)
会場の中央から侯爵が歩いてくる。
その隣には、私の妹のフィオナがいた。
穢れ祓いの仕事を私に押し付けてきたフィオナは、端整な美貌を保っている。
芸術めいた微笑みには、己の容姿に対する自信がありありと表れていた。
(なぜ二人が一緒にいるの?)
なんだか嫌な予感がする。
困惑と戸惑いを覚えながらも、私は侯爵に声をかけた。
「あの……」
「近寄るな、穢らわしい魔女め!」
侯爵がいきなり怒鳴ってきた。
冷酷な眼差しに私は凍り付いてしまう。
侯爵は私を指差して宣告した。
「アデラ・メリン。貴様との婚約を破棄する!」
私は予想外の言葉に驚愕し、震える声で言った。
「そ、そんな……嘘ですよね」
「愚か者が。嘘なわけないだろう。我が妻はフィオナ・メリンだ!」
披露宴に参加する貴族達が割れんばかりの拍手を送る。
フィオナは優雅に進み出ると、蔑みの態度を隠さず私に言う。
「まさかお姉様が王国を陥れる大罪人とは思いませんでしたわぁ」
「大罪人? 何のこと……?」
「しらばっくれないで。証拠はすべて揃っていますのよ」
フィオナが羊皮紙の束を足元に投げ捨てる。
そこには数々の犯罪に関する証拠が羅列されていた。
「賄賂に人身売買! 違法薬物の栽培! 機密情報の流出! それに反王権派との癒着! いちいち挙げていたらキリがないわね」
「し、知らない。私はこんなことしてない……」
「見苦しい真似をするな! 貴様の悪事は既に暴いているのだ!」
侯爵が羊皮紙を踏み躙って私を罵倒する。
周囲の貴族達も一斉に声を上げた。
その勢いに呑まれて私は何も言えなくなる。
「何なのこれ……冤罪なのに……」
罵声と嘲笑が渦巻く中、私は侯爵とフィオナの表情に気付く。
二人の顔は愉悦に満ちていた。
その瞬間、私は悟る。
(茶番だ……二人は初めから繋がってたんだ)
形ばかりの婚約で浮かれる私を弄び、両家が抱える罪を私に押し付けた。
つまりはそういうことなのだろう。
絶望する私に対し、フィオナは楽しげに提案する。
「お姉様の所業は、本来なら極刑が妥当……だけど今回は特別に免罪の機会を差し上げますわ」
フィオナの合図に合わせて、私の目の前に一本の黒い剣が運び込まれた。
台座に乗った剣を指し示して侯爵は述べる。
「百年前、魔獣の王を倒した聖剣だ。この剣に宿る呪いを解けたら免罪としよう」
「私に魔獣の王の呪いを取り込めと……仰るのですね」
「方法は指定していない。貴様の好きにするといい」
「お姉様ならやり遂げると信じていますわ」
私は呪われた聖剣の前に立つ。
夥しい質量の穢れを感じた。
命などあっけなく枯れそうな、禍々しい気配が伝わってくる。
(死にたくない……やるしかないんだ)
私は恐る恐る剣の柄を握る。
次の瞬間、膨大な穢れが体内に流れ込んできた。
その不快感、身体が芯まで凍て付く感覚に襲われて崩れ落ちる。
私は黒い泥のような血を吐きながらも、必死に意識を保って耐え続けた。
気が付くと再び周囲で拍手が巻き起こっていた。
私の握る聖剣が黄金に輝いている。
代わりに私の肉体の腐蝕は、直前の数倍ほど悪化していた。
末端なんて今にも腐り落ちそうだった。
私を見下ろす伯爵は嬉しそうに言う。
「素晴らしい! 百年間、誰も解呪できなかった宝物だというのに! 魔女にも使い道があるものだな」
「こ、これで……免罪ですね……」
「いや、まだ早い」
伯爵が首を振る。
彼の背後のテーブルには、穢れを纏う物品が大量に積み上げられていた。
悪意に満ちた笑みで伯爵は言う。
「残り九十九の呪物。これらすべての穢れを祓えれば免罪とする」
「そんな……」
「お姉様、頑張ってくださいまし!」
フィオナはケタケタと大笑いする。
貴族達も似たような様子だった。
誰も、私を助けてくれる人なんていなかった。
(初めから……私を生かす気がない……余興の道具として使い潰すつもりなんだ……)
私は涙を流して絶望する。
悲しみと恐怖が満ちて……それを押し退けるように怒りが湧き上がる。
私の変化に気付かない侯爵が、下卑た笑みで話しかけてきた。
「さあ、早くしろ。それとも大罪人として裁かれるのが望み――」
「うるさい」
私は聖剣を突き出して、侯爵の胸を刺す。
刹那、柄から穢れが這い出てきた。
穢れは刃、切っ先へと進み、侯爵の体内へと潜り込む。
「な……ッ!?」
侯爵が戦慄し、その肌がグズグズに溶け始めた。
嗅ぎ慣れた悪臭を発しながら、侯爵が頭を抱えて転げ回る。
「ぐわああああああああぁぁぁっ!」
穢れを注入された侯爵が、瞬く間に醜い姿へと変貌していく。
私は立ち上がり、憎き妹をじっと見つめた。
「フィオナ……」
「ひっ」
怯えるフィオナが逃げようとする。
私はその背中に向けて聖剣を振るった。
どす黒い穢れが飛散し、フィオナにへばりついた。
「ああああああああぁぁぁっ!?」
転倒したフィオナが凄まじい悲鳴を上げる。
王国一と謳われた美貌が、見るも無残に爛れて膿だらけになっていく。
「……いい気味ね」
心が晴れる感覚と共に、私の身体に異変が生じる。
侯爵やフィオナとは対照的に、腐蝕や爛れ、膿が急速に蒸発して消えていった。
戸惑う間に全身が陶器のように白く美しい肌となる。
(身体が辛くない……蓄積した穢れを消費したから?)
ただし髪は黒いままなので、完全に影響が消えたわけではなさそうだ。
私が自分の状態を確認する一方、会場はパニックだった。
穢れを恐れる貴族達は、我先にと出入り口に殺到して逃げ出している。
そのうち駆け付けた兵士が私を包囲した。
「魔女だ!」
「包囲して殺せ!」
私は剣を握るが何も起こらない。
そこにあるのは、ただの黄金の剣だった。
(放出できる穢れを使い切ったんだ……)
兵士が私を攻撃しようとした瞬間、一人の騎士が割り込んできた。
その騎士はあっという間に兵士を薙ぎ払うと、私を庇うように立つ。
「大丈夫ですか?」
「あ、あなたは……」
「分かりませんか。先ほどお会いしたばかりですがね」
その騎士は少し困ったように笑う。
あまりに整った顔に見惚れそうだが、真摯な目には既視感があった。
「まさか……魔獣王子!?」
「はい。なぜかいきなり呪いが消えまして。どうやら貴女のおかげのようですね」
レイクは私の持つ聖剣を一瞥する。
魔獣の王の呪いを解いたことで、連動して彼の姿も戻ったらしい。
「さて、分析は後回しです。ひとまず場を収めましょう」
レイクは凛々しい顔で周囲を見ると、息を吸って叫んだ。
「静粛にッ!」
倒れた兵士、逃げ惑う貴族達がぴたりと止まる。
レイクは堂々と名乗る。
「我が名は騎士レイク! お前達が魔獣王子と呼ぶ者だ!」
人々は動揺する。
目の前の美男子が魔獣王子だとは信じられないのだろう。
場の混乱をよそに、レイクは私の肩に手を置いた。
「この身に宿った呪いはアデラ・メリンによって浄化された! 恩義に従い、私はアデラを妻として迎えるつもりだ!」
「……え?」
「意義のある者は前に出よ! 私がじきじきに話を聞こう!」
レイクの発言で会場内は静寂に包まれる。
彼の気迫を前に、反論できる者などいないのだ。
唯一、侯爵とフィオナだけが苦しげにのたうち回っていた。
逆らう者がいないのを見て、レイクは誰にも聞こえない声で私に告げる。
「恩義というのは建前で……その、よければ友人からお付き合いいただけないでしょうか?」
私は呆気に取られた後、涙を流して頷いた。
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