「スマフォ2時間条例」で子供のスマフォ依存症は解消できるのか?
◇スマフォ依存症の問題
筆者:
本日は当エッセイをご覧いただきありがとうございます。
今回は愛知県豊明市が提案した『全住民スマフォ1日2時間条例案』
について個人的な意見を述べていこうと思います。
義務ではない上に罰則規定もありませんが、ネットではこの案について騒然となっています。
質問者:
今やスマートフォンと言えば生活に欠かせないものなのでそれが2時間だなんて信じられません……。
筆者:
皆さん少し誤解があるようなので、豊明市のサイトを見てきた僕が追加で解説しておきますと、
スマートフォン等の使用時間の目安を2時間以内としている対象は、
生活、仕事、家事、学校、学習時間等を「除いた」市民一人ひとりが自由に使える「余暇時間」についてです。
市のサイトでは、通勤・通学時間は余暇時間に含まないそうで、料理や運動時にスマホの動画を参考にするのも余暇時間に含まないそうです。
オンライン学習も含みませんし、eスポーツの大会を目指して練習する時間は他のスポーツと同様、含まないそうです。
質問者:
そこまで厳しいものでは無いとすると一体どういう意図があるのでしょうか? ? ? ?
筆者:
恐らくは「スマフォ依存症」と言われるものに対する対策だと思います。
初めて見られる方からしたら「何かの冗談か?」と思われるかもしれませんが、
正式名称では無いもののクリニックなどでは「ゲーム行動症」「インターネット依存症」などとして診断されるもののようです。
依存症かどうかの境界線としてWHO(世界保健機関)の診断基準でいうと、
①スマフォの使用をコントロールできない
②他の楽しみよりも、スマフォを使うが一番である
③社会生活に支障をきたしている
この3つが12カ月以上続いている状態なら依存症という診断名が付くほどのレベルになるようです。
日本で20歳未満のスマフォ依存症が疑われる割合は2割もいると言われており非常に大きな社会問題だと言えるでしょう。
依存症でなくとも、睡眠障害、運動不足や視力低下、通知が多すぎることによる仕事の効率低下、「ながらスマフォ」による事故など様々な社会問題を発生させているために、制限した方が良いのでは? と言う意見が医学的見地からも出ているのです。
質問者:
でしたら、実際にこれらの多くの問題解決のために、
余暇のスマフォを2時間に制限する条例ってどの程度効果があると思われますか?
筆者:
スマートフォンは依存症やさまざまな問題があるよね――と問題提起にはなると思うのですが、実際に「2時間に制限しよう!」とはならないと思います。
特に一番制限して欲しい依存症レベルに近いお子さんは例えスマートフォンを取り上げても親のスマートフォンを奪ってでも抵抗してくるに違いありません。
これは子供用スマートフォンを作って2時間でシャットダウンするような機能を持たせても同様だと思います。
それであれば、義務でも罰則も無い条例は「無意味」と言ってもいいです。
質問者:
香川県の「ゲーム1時間条例」とかいうのも以前ありましたが、本質的な問題解決には遠く及ばないという感じはしますよね……。
筆者:
これらで社会問題が解決できると勘違いした政治家の自己満足で成り立った条例であると言えますね。
◇子供の「スマフォ中毒」を解消と勉強へ注意を向けさせるためには?
質問者:
特にお子さんのスマフォ中毒は将来もあるので勉強などにも支障が出て大きな問題だと思うんですけど……。
条例で解決しないとなるとどうしたら良いと思いますか?
筆者:
この問題の深刻性は子供に対する指導をする際に「親の方もスマフォ依存症」になっていることです。
お子さん側から
「お父さんやお母さんもスマートフォンに熱中してるよね?」
と切り返されてしまうと
「説得力が無い」ということは要素として大きいでしょう。
このようなことから中々無くなることが出来ないのではないのかな? と思います。
質問者:
親御さんの方も見直した方が良さそうな話ですよね……。少なくともお子さんの前ではやめておくとか……。
筆者:
特にSNSが問題だということで「1週間SNS断ち」をすることで健康、うつ病、不安に良い影響があることは分かっています。
ですが、「現代社会から強制隔離」でもない限りそんなことは難しいですし、そういうキャンプみたいなのがあったとしても参加しないでしょう。
質問者:
物理的に遮断は障壁が高そうですね……。
筆者:
そうなると、「奪い取る」「制限する」よりも、「もっと他のことの方が魅力的だよ」みたいな啓発の方が有効なのかなと思います。
市などの行政が取り組むのだとしたなら、自然の中でのアクティビティの推進や、
博物館や美術館などの体験型の魅力を教えるといったことです。
スキマ時間にやることとしてはSNSをスクロールすることよりも、英単語を一つでも覚えた方が良いということです。
質問者:
勉強が大事なのは昔も今も変わらないことは間違いない感じですか……
でも、今の世の中ってAIとかが解決してくれる風潮ってありませんか?
AI搭載のロボットが人間を淘汰してしまう可能性もあるかもしれませんし、
そうなると中々勉強に身が入らないのではありませんか?
筆者:
確かにそういう見方があってもおかしくは無いように思います。
ただ、世間が懸念しているような「ロボットやAIに人間が完全に置き換わる」みたいな様相にはなかなかならないのかなと個人的には思います。
と言うのも“判断“の上では精度は上がってきていますが、ハイスペックなロボットと言うのは開発が可能だとしてもそれだけお金がかかります。
例えば「年収500万の人間分の仕事を1億円のAIロボットでこなす」とかだと全然置き換わることは無いわけです。
従業員をロボットに置き換えるにしても、ローンなどで支払うにしたって1000万円ぐらいのAI搭載ロボットで人間の仕事を担えるぐらいじゃないと人間は簡単には淘汰されませんよ。
質問者:
確かにそういう「お手頃価格」になるのはちょっと先な気がしますね……。
ただやっぱり、SNSをやっているだけではAIの時代には飲み込まれるような気もしますよね……。
今後はどういった能力が問われてくるのでしょうか?
筆者:
これは私見ですが、これから先勉強をする際に考慮するべき点は「質問の仕方」と「深堀りして調べること」です。
AIは質問に対して最善の答えを出すのは得意ですが「質問の質」が低いと、間違った回答をしがちです。
また、基本的にAIは否定してこないので、その解答があっているのかデマを妄想として書いているのか精査することが困難になります。
そのために様々な概念を広く浅く知ることで、質問の仕方を改善したり、程度のジャッジはできるようになります。
質問者:
なるほど、今普及し尽くしている検索エンジンでも「検索の仕方」で結果が違ってくるのと同じということですか……。
筆者:
むしろ、「基礎学力の差」は「質問力」において差が出てくるのではないかと思います。
「IQ20差があると会話がかみ合わなくなる」ということは有名ですが、
これはIQが高い側の「質問の意味」をIQが低い側が理解できないために更なる質問を返さないためだと思います。
これを「AIとの対話」として考えると基礎学力が無いとどう質問していいかわからず、
またAIの言う意味が分からずコピペするだけで間違ったことばかりを覚えるといった事態になりかねません。
あくまでも「アシスタント」としてAIの立場があることは忘れてはいけないと思います。
質問者:
そう言った意味で勉強はこれからも大事になるんですね……。
筆者:
勉強嫌いのお子さんが周りにいらっしゃるのでしたらそう言った言葉をかけてみると効果的かもしれませんね。
◇スマフォ依存度があまりにも強い場合
質問者:
仮に、スマフォから7日離れることや勉強の意義や実体験などを訴えてもスマフォ依存症から抜け出さない場合はどうしたら良いんでしょうか……。
筆者:
もうそれは完全に「中毒化」してしまっている場合ですよね。
そこまで嵌まってしまっているのはある意味「SNSがとんでもなく好きなこと」なのかもしれません。
親御さんとしてはお子さんの「適正」とみて
「炎上」以外でアテンションエコノミーで収入を得る方法を一緒に考えてあげるとかそういう方向性にシフトしてしまったほうが良いように思えます。
質問者:
あぁ、もう開き直って“得意“として伸ばしてあげるということですか……。
筆者:
「仕事として没頭」であればそれは「依存症」とはまた違った性質になりますからね。
社会にとって有益な活動をしているのであればそれが元が「中毒」だったとしても良いんじゃないかと思いますよ。
ただ、「炎上商法」になると周りの迷惑になることも多くなってくるので、それだけは親御さんが注意していかなくてはいけないでしょうね。
質問者:
確かに「迷惑系」とかになったら問題過ぎですからね……。
筆者:
いずれにせよ、スマフォにしろAIにしろ「ツール」であることを忘れてはいけないと思います。
ツールは乗りこなすものであって「支配される」ものでは無いと僕は思います。
AIをツールとして乗りこなした方が次の時代を担っていくのかなと思いますね。
これからもこうした政治や社会問題について個人的な意見を述べていきますのでどうぞご覧ください。