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虚飾の万華鏡  作者: Ohtori
第7章「ドライビング・データドリブン・ディシジョン・メイキング」
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第63話「合理性の罠」

日曜の朝、いつもより少し重たい気分で相川守は教室へ向かった。資料はすでに読み込んでいたが、今回のケース「チャレンジャー号の打ち上げ決定のグループプロセス」は、単なるビジネス意思決定の失敗ではなかった。1986年1月28日、アメリカの宇宙開発史に刻まれたこの悲劇には、明確な技術データと、見過ごされたリスク、そして何よりも“決め方”の歪みがあった。


「このケースは、ただの過去の失敗ではない。今の私たち自身に跳ね返ってくる問いなんだ」


相川はそう考えながら、グループディスカッションの輪に加わった。


今日のメンバーは、財務畑の矢島、理系出身の小田、HR分野に強い古澤、そして相川の4人。テーマは「なぜチャレンジャー号の打ち上げが強行されたのか?」「データは揃っていたのに、なぜ止められなかったのか?」という問いに迫ることだった。


最初に口火を切ったのは小田だった。


「オーリングの損傷リスクに関する気温依存性のデータ、あれ、完全に示唆的だったよな。データは“そこにあった”。でもそれが“解釈されなかった”。合理的な判断をしたつもりで、結果的に非合理な選択をしてる」


矢島がすかさず補足する。


「NASA上層部は、“スケジュール遵守”という前提が支配していた。要するに、リスク評価の基準が、現場と経営でズレていた。だから、データは見られていても、“使われていなかった”んだよな」


相川は、手元の資料を見ながら静かに語った。


「合理的なデータ分析をしているつもりが、実は都合のいいデータだけを使って、結論に“合わせて”いくプロセスになっていたのかもしれない。リスクの存在を“定量化できない”という理由で無視してしまったのでは?」


古澤が少し眉をひそめて口を開いた。


「でも、それは意思決定を“グループ”でやっていたことにも関係してる気がする。“誰も強く反対しなかった”から、“やる”方向に動いたのでは? 一人ひとりが違和感を抱いていたとしても、集団になると声が出せなくなる」


この一言が、議論の空気を一変させた。


集団意思決定。そこに潜む“集団浅慮(Groupthink)”の罠。反対意見を出しにくい空気。明確な根拠があっても、それを場に出すリスクを避ける心理。相川は、前職で幾度となく見た「なんとなく決まる」経営会議の光景を思い出していた。


「反対する側に、論理的な武器がなければ、いくら正しくても潰される。いや、そもそもその声が“発されない”ことすらある」


グループは静まり返った。重苦しい沈黙が流れる中、矢島が呟いた。


「これ、今の自分たちの会社でも起こり得るな……」


相川も同意した。


「僕も、数字を出して正論を語っていたつもりが、実は“空気を読んだ分析”になっていたことがあった。何をもって“合理的”とするかは、その場の文化に依存するんだ」


この日のディスカッションは、単なる過去の検証ではなく、自分たちの現在と未来に突きつけられる問いそのものだった。事前レポートにまとめたはずの「分析結果」よりも、むしろ「なぜ気づけなかったのか」「なぜ言えなかったのか」に重きが置かれていく。


最後に古澤が、こんな一言でまとめた。


「合理性を追求することが、非合理な結果につながることもある。特に“合意形成”という名のもとに、“反対意見の消失”が起きる構造は本当に怖い」


グループ全員が深く頷いた。


ディスカッションを終えた相川は、再びチャレンジャー号事故の報告書を開きながら、自分のレポートに一行を追加した。


「データは、意思決定の“材料”でしかない。判断の責任は、いつだって人間にある」


そう書きながら、翌日の午後に予定されているクラスディスカッションでは、この「合理性の罠」をいかに解体できるか、自らの問いとして深めていこうと決意していた。

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