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虚飾の万華鏡  作者: Ohtori
第6章「オーガナイゼーショナル・ビへビアー&リーダーシップ」
58/70

第58話「リーダーにとっての危機管理」

週末の朝、相川守は前夜遅くまでかかって仕上げたレポートを読み返していた。今回のケースは、アメリカ政府による「ピッグズ湾事件」。冷戦下、キューバの政権転覆を目的とした作戦が大失敗に終わったこの出来事は、国家レベルの危機管理の欠如を如実に示すものであり、リーダーシップと意思決定の本質を問う題材であった。


いつものように土曜のキャンパスは静かだが、討論の熱量はいつにも増して高かった。森田教授の指導のもと、相川たちは複数の視点から事件を分析した。


森田教授は冒頭で、次のように問いを投げかけた。


「なぜ、誰も『この作戦は危ない』と明確に反対できなかったのか?それは、組織の中で『空気』が意思決定を支配したからではないだろうか?」


この指摘に、グループ内では即座に反応が起きた。


「グループシンクの典型ですね」と語ったのは杉山千夏。PRコンサルタントである彼女は、企業におけるブランド危機の際にも、同様の構造がしばしば見られると補足した。


「メンバーが互いに迎合し、上位者の期待に応えようとすることで、批判的な思考が消えるんです。私もクライアントの会議で、似たような場面に遭遇したことがあります。」


「でも、あの規模の失敗は、単なる“空気”では説明しきれない気がするな」と異を唱えたのは長谷川翔。大手メーカーの技術開発部門にいる彼は、組織内部の構造的な問題を指摘した。


「情報のボトルネックがあったはずだ。現場の声がリーダーに届いていなかったか、意図的に隠蔽されていたか。つまり、正しい情報が意図的に歪められた可能性もある。」


相川はそれを受けて、自身のレポートの中でも触れていた点に話を広げた。


「まさにそこです。情報共有の構造に問題があると、リーダーは『正しい判断』を下しようがない。今回のケースでは、現場のフィードバックがホワイトハウスの意思決定プロセスに組み込まれていなかった。その結果、ケネディ大統領は誤った前提に基づいて承認を与えてしまった。」


藤堂啓介はその分析にさらに角度を加える。


「確かに情報の非対称性はあったと思うが、仮に正確な情報があっても、政治的圧力や“メンツ”が意思決定を歪めた可能性も否定できない。リーダーにとって、間違った判断を回避するには『聞く力』と同時に、『撤退する勇気』が必要なんだ。」


「撤退する勇気…それは本当に難しいことですね」と香坂美月が静かに言った。


「私の職業柄、感情的な判断を下すリーダーをたくさん見てきました。倫理や正しさを理解していても、自分の立場を守るために誤った方向へ進むケースが少なくない。最終的に信頼を失うのは、そのような“自分を守る”リーダーたちです。」


この言葉に、相川は深くうなずいた。まさに前回の「診療所の不可解な出来事」と重なる部分でもあった。リーダーの資質とは、知識やカリスマ性ではなく、正義感と、組織を守る“矜持”にあるのではないか。


グループ内で次に話題となったのは、「危機管理のためにリーダーが備えるべきものとは何か?」という問いである。


矢吹大輔が真っ先に手を挙げた。


「予測不能な状況では、“計画通り進まない”という前提を持つことが重要だと思います。その上で、“代替案”を常に用意しておくリーダーこそが、本当に有能な指導者です。」


「危機管理の本質って、“先手を打つこと”に尽きるのかもしれませんね」と香坂が続けた。


「現実は“想定外”の連続。でも、想定外が起こったときにどう動くかが、リーダーの真価。これは私のカウンセリングにも通じます。」


話題は「現代企業における危機管理の適用可能性」へと移っていった。


相川はふと、Netflixがコロナ禍に直面しながらも迅速にプロダクション体制を転換し、サブスクリプションの維持・拡大に成功した事例を思い出した。


「情報収集能力と意思決定のスピード。これが現代の危機管理では最大の武器になる。ピッグズ湾の教訓は、過去の話ではなく、むしろ今にこそ活かされるべきではないか?」


森田教授は静かに板書を止め、参加者のやり取りを眺めていた。そして、最後に一言だけこう述べた。


「危機管理とは、“誰のために判断するのか”を問い続ける行為です。自分のためではない。他者のため、組織のため、社会のため。その原点を見失ったとき、リーダーは最も大きな失敗をするのです。」


相川は、その言葉を胸に刻んだ。危機に直面したとき、人は本性を問われる。だからこそ、リーダーには“原点に立ち返る力”が必要なのだ。


授業が終わり、午後のディスカッションに向けての準備を始めながら、相川は深く考え込んでいた。自分がリーダーの立場に立ったとき、果たして誤りを恐れず、組織の未来を見据えて行動できるだろうか。


この問いに答えを出すために、彼の学びはまだ続く。

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