第12話「プラットフォームが変える力学」
土曜の午後、講義室には緊張感が漂っていた。マーケティング・マネジメントの授業を終え、新たな戦場となる「チェンジング・ザ・ゲーム」のクラスディスカッションが始まる。
テーマは ビズリーチ――転職市場に革命を起こしたダイレクトリクルーティング・プラットフォーム。
相川守は、午前のグループディスカッションで整理した論点をノートに書き出しながら、教授の登場を待っていた。
この授業の担当は 神崎亮教授。
50代前半、元コンサルタントでありながら、テック企業の幹部としても経験を積んできた実務派だ。クラス内でも「実践的で鋭い質問を投げかける」と評判の教授だった。
神崎は、マーケティングの授業とは違い、 ディスカッションの流れをあえて混沌とさせるスタイル をとるという。正解を与えるのではなく、学生同士の議論をぶつけさせることで、考えを深めさせるのが彼のやり方だ。
「俺は正しい答えを教えるつもりはない。」
初回の授業でそう語った神崎の言葉を思い出しながら、相川は心の準備を整えた。
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1. 議論のスタート——市場を変えたのは何か?
教壇に立った神崎は、ホワイトボードに 「ビズリーチ」 と書き、クラスを見渡した。
「さて、まず皆さんに問いたい。ビズリーチは、転職市場にどのような変革をもたらしたのか?」
すぐに数人が手を挙げる。
最初に指名されたのは 五十嵐俊介(外資系コンサルタント)。
「ビズリーチは、従来の転職市場が持っていた 情報の非対称性 を解消しました。企業が直接求職者にアプローチできることで、エージェントに依存しない採用が可能になり、市場が透明化した点が大きな変革です。」
神崎は頷く。
「なるほど。では、情報の透明化が市場全体にどのような影響を与えたのか、考えてみましょう。」
次に指名されたのは 水野恵(スタートアップCFO)。
「情報の透明化は、求職者と企業の パワーバランスを変えた と思います。これまでは企業が主導権を握っていましたが、ビズリーチでは求職者が市場価値を把握し、主体的に動けるようになりました。」
「興味深いですね。」神崎はホワイトボードに 「市場のパワーバランス」 と書き込んだ。
「では、その変化は企業側にとって本当にメリットがあったのか?」
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2. 企業にとってのリスク——本当に良い人材を確保できるのか?
相川は、このタイミングを狙って手を挙げた。神崎が指名する。
「ビズリーチは企業の採用コストを最適化したと言われますが、一方で 企業側にとってのリスク もあるのではないでしょうか?」
「どういうことですか?」
「例えば、企業がダイレクトリクルーティングに依存しすぎると、 本当に適した人材を見極めるプロセスが欠ける可能性があります。 求職者のレジュメ情報だけでは、仕事の適性や企業文化とのフィットは分かりにくい。従来のエージェントが持っていた『人材を見極めるノウハウ』が失われるリスクがあるのでは?」
「なるほど。」神崎は頷いた。「つまり、情報の透明化が進んだからといって、それが必ずしも採用の成功率を高めるわけではない、ということですね。」
ここで、IT企業のプロダクトマネージャー 坂口大地 が発言する。
「でも、それを言うなら、既存のエージェントが本当に良いマッチングをしていたのかも疑問ですよね? 人材エージェントは手数料ビジネスなので、企業と求職者の最適なマッチングよりも、 いかに多くの成約を生むか に偏るリスクもある。」
神崎は少し笑い、「つまり、どちらのモデルにも問題があるということですね。」とまとめた。
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3. プラットフォーム戦略の核心——市場全体を変える力はあるのか?
議論が深まる中、神崎は新たな問いを投げかけた。
「では、もう一つ考えてみましょう。ビズリーチのプラットフォーム戦略は、転職市場全体を変える力を持っているのか? それとも、あくまで一部のセグメントにしか適用できないのか?」
これは、午前のグループディスカッションで話し合ったテーマだった。相川は手を挙げ、慎重に言葉を選びながら答えた。
「ビズリーチの成功は、 ターゲット市場の選定 によるものだと思います。すべての転職市場を変えるのではなく、 ハイクラス人材の転職に特化することで成功した。これは、プラットフォーム戦略において重要なポイントです。」
「具体的には?」神崎がさらに問いを重ねる。
「たとえば、エンジニアやクリエイティブ職は、スカウト型の採用と相性が良い。しかし、営業職や一般職の採用には、エージェントが持つネットワークや交渉力がまだ重要です。つまり、プラットフォームが成功するには、市場全体を変えるのではなく、どの部分にフォーカスするかが鍵になる ということです。」
神崎は満足そうに頷きながら、ホワイトボードに 「プラットフォームのターゲティング」 と書き込んだ。
「素晴らしい視点ですね。つまり、プラットフォームは市場全体を一気に変えるのではなく、まず特定の市場で優位性を築き、そこから拡大するのが現実的な戦略ということですね。」
議論はさらに続いたが、相川は今日の発言に手応えを感じていた。
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4. 次の戦いへ
授業終了後、相川は隣にいた五十嵐と軽く談笑した。
「今日はいい議論だったな。」
「ああ。プラットフォーム戦略の成功には、単に市場を透明化するだけじゃなくて、 どの市場に切り込むかの戦略が重要 ってのがよく分かったよ。」
「次のケースはネットプロテクションズか……『信用を売るビジネス』、面白くなりそうだ。」
相川は、次の戦いに向けて新たな準備を始めるのだった。