095.四人揃った
三笠の深緑色の瞳に映るなにか――その輪郭はぼんやりとしていて、ホテルの廊下の僅かな明かりのもとに影をくゆらせていた。
「……呪鬼っ」
気配でわかる、この影の正体。やはりこのホテルは今、呪詛結界の中にあるのだ。そして三笠以外の人間を排除……というよりかは、三笠だけを異空間の中に取り込んだ。――なんのために? その目的も、すぐに理解する。
「『声主』である私を消すため、かしら……」
アキが前にも言っていた――『声主』を狙って呪鬼がお前のもとに来るかもしれないと。現に、早乙女ヒメカは『白虎』が遣わした刺客であったし、大呪四天王『玄武』の北羅銀だって、少数精鋭として来た三笠たちを確実に殺そうとしていた。きっと今回も――。
「でも、これくらいの呪鬼なら、私一人でやれる」
自分に言い聞かせるように呟く。そして三笠は影から片時も目を離さずに御札を天井に掲げた。右足を一歩踏み出し、戦闘態勢を取る。
『和歌呪法・天の原 ふりさけ見れば 春日なる』
御札がみるみる淡い緑色に染まっていく。はるか昔に阿部仲麻呂が詠んだ想い――それが今は天乃三笠の言の葉となって、御札に力を宿らせる。
『三笠の山に 出でし月かも――!!』
下の句が詠われると同時に、三笠はその影に向かって跳んだ。呪鬼は彼女の動きに反応して攻撃を避けようとするが――。
「遅いわよ!」
ただでさえ『声主』の声音の力によって動きが無意識のうちにほんの少し鈍くなっているというのに、それでは遅いのだ。そう、三笠の動きを『見てから』動いているようでは――。
三笠の、御札を指先に挟んだ右手が、影を凪いだ。まるで、薄い刃物で斜めに斬るように。音もなく、陰陽師の身体と影が交錯する。
迸る緑色の閃光――刹那。
〈ギャッァァァァ……!〉
影の背後に三笠が着地すると同時に、呪鬼は叫びとともにその姿を消していく。御札が斬り裂いた部分からポロポロと剥がれ落ちるように、影が霧散する――そして、また廊下に静けさが訪れた。
『呪鬼滅殺』
『除の声主』の凛とした声が、誰も居ない空間に響く。三笠は暫く着地体勢のまま固まっていたが、完全に背後の気配が無くなるのを感知して立ち上がった。振り返っても、敵の姿は跡形もなく消えている――ふと漏れる、安堵の息。
(よ、よかったぁ……私一人で倒せた!)
しかし……雑魚呪鬼一体を倒したところで、三笠がこの得体のしれない呪詛結界の中に一人ぼっちであることに変わりはない。
「……じゃあ、まずはこの結界がどんなものなのか調べて、必要なら助けを呼ぶなり自分で祓うなりなんとかしなきゃ……」
パジャマとして着ていた学校ジャージのポケットから、携帯端末を取り出す。本当は修学旅行にスマホを持ってくるのは禁止だが、密かに坂井と賀茂双子と三笠は持ってきていたのだ……もしものとき、つまり呪鬼討伐の任務が出たとき、『祓』の連絡を受け取れるように。
なにか連絡は来ていないかと、画面を見てみる。時刻は零時二十分。トークアプリからの通知は無かった――それもそのはず。
「け、圏外……」
三笠は端末を握りしめた。画面右上、通信状況を表す表示のところには、その二文字が点滅していた。
(術式的遮断だけじゃなくて……電波も遮断しているの!? ハイテク結界ね!)
心の中でツッコんでみるが、状況は変わらない。これで他の陰陽師はおろか、『祓』本部からの連絡も受け取れないことがわかった。
「だったら……行きあたりばったりね。仕方ないわ。とにかく私なりに出来ることを!」
三笠はその瞳に力強い光を宿して歩き出す。未だ怖い気持ちは消えていない。先程の呪鬼出現によって、この違和感がやはり呪詛結界によるものであることが明白になってしまった……つまり、いつ、どこから呪鬼が出てくるか分からないというのが今の状態なのだ。
廊下を歩いて、階段まで辿り着いた。三笠たちが割り当てられた部屋はホテルの五階だったから、ここは五階……とりあえず、ダメ元で四階を目指すことにする。なぜならそこには、ハルたちの部屋があった筈だから。だから、もしかしたら。
淡い期待を抱いて、早足で階段を駆け下りる。四階のフロアが見えてきた――その瞬間。
「だーっ! まじかよ、囲まれた!」
「ハル落ち着け。よく見ればこいつら雑魚呪鬼レベル。僕たちなら三秒で倒せるぞ」
「ちなみにおれなら百分の一秒」
「坂井うるせぇ! だったらお前が今倒せよ」
「えー、めんど! パスで!」
「だったら妙な自慢すんな半熟野郎」
「おれは半熟じゃなくて半呪鬼だっつーの!」
「黙れバカども」
何やらにぎやかな声が聞こえる。その聞き覚えのある声たちの会話に、三笠の顔がパッと明るくなった。
(やっぱり……呪詛結界に閉じ込められたのは私だけじゃなかった!)
そう、この馬鹿な会話しかしていない彼らは――。
「ハル! アキ! 坂井くん!」
名前を呼びながら、三笠は飛び出した。賀茂晴、明、坂井歩人の三人は、突如響く知った声に驚きながらも喜びの叫びをあげる。
「天乃!」
「ミカサ!」
「よし、四人になったぞ」
アキの一言とともに、一斉に半呪鬼を含む陰陽師たちは地を蹴った。そして、三人を囲んでいた呪鬼複数体を同時に滅殺する。ハルは纏めて二体へ向けて光線を放ち、アキは雑魚呪鬼の中でもリーダー格らしき一体に御札を貼り付け、坂井はその長い脚で三体を蹴り凪いで、飛んできたそいつらを三笠が祓った。
淡い黄色と水色と緑色の光が混じって、清らかな風が吹く。次の瞬間には――断末魔を上げる暇もなく呪鬼たちが此の世から消滅していくところだった。
『呪鬼、滅殺』
四人の声が揃う。同時に訪れた沈黙――それを破って。
「天乃三笠、」
アキが三笠の名を呼んだ。
「今の状況がどうなってるか、そしてこの結界はなんなのか、わかるか……?」




