094.巨大監獄へようこそ
つかの間の幸福。近畿地方というこの地で過ごす、楽しい日々――そこに今、忌まわしいなにかの足音が近づいてきている。
「んじゃぁ、柚琉くん。今日は本当にありがとう。八坂神社も、あんまり回ったことのなかった鴨川エリアも回れて凄く楽しかったよ!」
「それはこちらこそ、峻佑くん。今日はホテル泊まり?」
「あ、うん。でもまだどこにするか決めてなくて」
「じゃあぼくの家に泊まっていかない?」
一条柚琉と佐々木峻佑の京都名所巡りも終わり。
「ハルー、坂井ー、それと他のお前らも寝ろ」
「えー?」
「アキー」
「きーびーしーいー」
「まだ十時だぜ?」
「消灯時間は厳守だ、バカども。消すぞ」
「うっわ、カモアキ本当に消しやがったぞコイツ。枕投げの的刑に処すっ!!」
「……殺されたいのか?」
「すーみませんでしたっ!」
賀茂明、賀茂晴、坂井歩人もそれぞれ――おそらく、だが――眠りにつき。
「じゃあ、キリカ。そろそろ寝ようか」
「えーまだ恋バナしーたーいー!」
「また春過先生にグチグチ言われるだけよ」
「つれないなぁミカサ」
「おやすみ」
「……おやすみ」
少し遅れて天乃三笠も瞼を閉じて。
「華白、また電話してきてな。なんなら毎夜のコールでもええで」
『丁重にお断りするよ、じゃあな蜜葉』
「えぇ……おやすみな」
「瑠音くーん、またねー」
「ああ、今日の任務ではありがとう。おかげで助かったよ」
「それはこちらこそだよー。またよろしくー」
「ん、じゃあな」
その他の近畿所属の陰陽師たちも、それぞれの夜を迎えて――今日という日が、終わろうとしている。
終わりは始まり。
今日の終わりは明日の始まり。
平穏な日々の終わりは、不穏な戦いの――。
秒針が、進んで。
二十三時五十九分を長い針と短い針が指す。
秒針が、動いて。
カチ、カチ、カチ、カチ、カチ。
零時零分零秒。また新たな『今日』が来た瞬間。
――白虎の宣言どおり『帳は下ろされた。』
とぷん、と微かな音がした。京都上空に生まれる小さい円状のブラックホール。そこからなにか、黒い液体のようなものが溢れて、それは近畿全土を包み込む。そしてそれは町並みに溶け込み――やがて見えなくなる。何ら変わらない世界、夜の闇に包まれた街。
しかし、それは見かけだけ。その『帳』は……つまり『結界』は、確かに世界を『切り取った』のだ。陰陽師たちだけを、近畿地方全土に被さるように展開された呪詛結界の内に閉じ込めるかのように。
それはまるで、陰陽師を捕らえる為だけにつくられた脱出不可能な巨大監獄――。
十月二十四日 零時過ぎ。
陰陽師たちが異変に気付き始める。
*
「……なに、これ」
天乃三笠は微かな違和感を感じて目を開けた。布団から上体を起こして気づく。此処は修学旅行先のホテルで――。
「あれ、キリカは……」
隣で寝ていたはずの村雨霧花だったが、三笠の左隣に敷かれた布団はシーツがきれいに折りたたんでおいてあり、人のいる気配がない。
「……キリカ、どこ……」
三笠はよろよろと起き上がって他の布団もめくってみる。しかし、どの布団も熱が残っていることもなく、人が消えてしまったかのように……いや、最初から居なかったかのような雰囲気を醸し出していた。
しかし、そんなわけはないはず――。
(確かに寝る前までは……キリカと私は起きてて、他の班員の加藤さんと小野っちは向こうの布団で寝ていたはずだよね……?)
だがその三人が居ない。
部屋のどこにも居ないのだ。
(やーだ、絶対ドッキリとかじゃないの?)
そう思いながら、三笠は部屋の入口へと歩き出す。ガチャリとドアを開け、ホテルの廊下へ出る。柔らかい絨毯が敷かれた、暗い廊下。夜のひんやりとした空気が三笠を包み込み、天井から吊るされた非常口を示す標識だけが緑色の光を放っている。
夜のホテル。それだけでなんだか怪談話が始まってしまう予感がするのに、さらになんだかよくわからない『違和感』がある。何が違うのか、何がおかしいのかわからない。だけど、たしかに感じるのは――『なにかが変わってしまった』ということ。
(……なにか、空気が暗くて重い。まさか結界……?)
三笠の陰陽師としての勘が警鐘を鳴らす。
(廊下にもキリカたちは……というか、人の気配が殆どしない。ってことは、仮になんらかの結界が張られているとすると、私も結界と一緒に元の空間から『切り離された』ってことなの……?)
呼吸が苦しくなる。それは、結界による場の変化がもたらしたものであると同時に。
(……怖い、息が出来ない。重い空気が苦しい……でも私は今一人だから誰も助けてはくれない)
孤独が生み出す恐怖心。それが三笠を支配する。
(でも、行かなきゃよね……仮にこれが呪詛結界だったとしたら、それを祓うのは陰陽師の役目だから)
決心して、歩き出す。暗い廊下、チカチカと点滅を続ける蛍光灯。閉められた客室のドア。なんだか両側の壁が迫ってくるような圧迫感すら感じる。夜の闇は、三笠のあざ笑うかのように暗く黒く――。
三笠の足音だけが響く空間。
(本当に嫌だ……今すぐ部屋に戻りたい。だけどそこでも一人だし……誰か、いないのかしら)
いつも持ち歩いている御札を取り出す。仄かな光に照らし出される「呪鬼滅殺」の四文字。これを持っていれば、そして声が出せれば一人でも戦える――そう思った瞬間。
コツ、コツ、コツ、コツ。
急に何者かの足音が聞こえ始めた。
それも、三笠の直ぐ側で。
背後にヌルリと感じる気配。
反射で振り向く。
その瞳に映ったのは、ぼんやりとした黒い人影。
三笠の目が見開かれた。
〈声主、見ぃィィツケタァァァァ〉
――未曾有の大戦が、幕を開けた。




