090.拾われた陰陽師
無気力な男を引きずりながら一条がやって来たのは、小さな茶屋だった。そこの古びたガラス戸を開け放ち、早朝にも関わらず彼は思い切り叫ぶ。
「おばちゃーん! もう店開いとるか?」
すると聞こえてきたのは、明らかに茶屋のおばちゃんの声ではない、冷たい台詞――。
「開いてるわけないですよね? 今は朝五時、いくら朝から開いているとはいえ、流石に早すぎます。そんなこともわからないんですか、馬鹿『流』さん」
和風の内装の店内に奥から姿を現したのは、後ろで髪を一つに束ねた少女だった。その切れ長の目には、呆れたような冷たい光が浮かんでいる。彼女の姿を見て一条は目を見開いた。
「な、なんで……」
思わず後ずさりする京都府『流』。
「北山さんがここにおるん……?」
「一条さん、方言出てますよ?」
慌てる一条とは裏腹に、少女――北山音羽の口元には余裕の笑みが浮かんでいた。
「なぜ私がここに居るか? 簡単な話です、実はここの茶屋、祖母が切り盛りしてるんです。今日みたいな休日はよく開店準備のお手伝いをしていまして」
「なっ……お茶屋のおばちゃんが北山さんのおばあさま? 道理でいつもどなたかに似てると思っとったが……まさか親戚とは」
「で、ソレは何ですか?」
北山の冷徹な一言が、一条の思考をぶった切った。
「……ソレ?」
「はい。ソレです。あなたが今、後ろに引きずっている“ソレ”ですよ」
「あぁ」
一条は背後を振り返った。そこには、どんよりとした顔の先程の男――佐々木峻佑が片腕を彼に掴まれたままの姿勢で突っ立っている。
「この人はさっき、道で拾っ」
「変なモノ拾ってこないでください」
「北山さん、彼はモノじゃあないよ」
「失礼いたしました。では、どなたですか?」
北山の問いに、一条の口がニイッと弧を描く。
「佐々木、峻佑くん」
すると背後の峻佑もまた驚いたような顔をした。
「ど、どうして僕の名前……」
「もちろん知ってるさ。祓会のとき新幹線で会ったもんね。京大生の記憶力、甘く見ないでくれるかな」
不敵だと自分で思っている笑みを浮かべてみせる一条。そのなんとも言えない微妙な表情から目をそらし、北山音羽は峻佑の方を向いた。
「佐々木さん、ですか」
「あっ、はい、そうです」
「話は聞いています。千葉の方、ですよね」
「……話は、聞いている? 千葉ですけど、なんで知っているんですか……?」
「ええ、全て事情はこの御方から聞きました」
ポケットからスマホを出し、通話履歴を開く北山。彼女の指差す画面には、今の峻佑にとっては心の痛くなる名前が書いてあった。
「千葉の、夜鑑さん。実は数日前に電話があり、どうやら佐々木さんという方が教育実習に遅れて出禁みたいになってだいぶ落ち込んで、京都で放浪するみたいなこと言ってたから、もし発見したら保護してやってくれと」
「ぐ、ぐはっ」
過去の傷をえぐられ、悶える陰陽師。
「そ、その通りなんですが……。いや、出禁じゃないんですけどね、まあ、はい、そんな感じで。僕が人間のクズに成り下がったんで、まあ、放浪を」
峻佑にまた、どんよりとした雰囲気が戻ってきた。
「はぁ、華白さん……京都の人に連絡したのかぁ。ほんっと、僕ってなんて馬鹿なんだろ……。華白さんに一方的な電話かけて、それで迷惑かけて……はぁ」
「はいはい、落ち込むのはそこでストーップ!」
パンパンと一条が手を叩く。
「せっかく京都まで来たんだから、放浪じゃなくてちゃんと案内するよ。その前に一息だ。お店のお手伝いの北山さんも居ることだし、まだ開店してない言ってたけど……お茶くらい用意できるよね?」
「開店前です」
「え、だからお茶……」
「佐々木さんになら、お出しします」
「ぼくには?」
「出しません」
涙を流す一条をよそに、北山は峻佑のためにお茶を淹れる。
「どうぞ、急須で淹れたただのほうじ茶ですが」
「あ……ありがとう、ございます」
「ねぇ、北山さん、ぼくのは?」
「ありません」
一条に向けて営業スマイルを浮かべながら、北山は改めて自己紹介を始めた。
「私は北山音羽といいます。おそらく祓会へ向かう途中の新幹線の中で一度お会いしたかと。京都府の陰陽師です……そして、この人が一条柚琉。一応『流』です」
「い、一応の部分強調しなくてもいいんだけど……」
一条の発言は完全に無視される。
「佐々木さんも、とりあえず自己紹介お願いします」
「あ、はい。えっと……名前は佐々木峻佑。千葉所属の陰陽師です、あ、僕の方こそ『一応』ですけど」
峻佑は自嘲の笑みを浮かべながら続けた。
「北山さんの言う通り、教育実習に遅れて、まあ色々あってそのお話がなくなっちゃったので……そのうえ華白さんに怒られて、呆れられて……。ああ、僕何やってんだろって思ったら、家を飛び出すしかないような気がして」
「そうだったんですね」
ふっ、と北山音羽が優しい笑みを零した。峻佑はハッとして顔を上げる。その目に映ったのは、何かを悟ったようにただ微笑む、女子高生の姿だった。
「人間、時にはそんなこともあります。良いことばかりではないのが人生ですから……佐々木さん、きっとこの経験が、生きるときが来ますよ。だから元気出してください」
彼女らしく淡々とした、あたたかみのない声。それでも、目の前のこの人から掛けられた励ましの言葉は、峻佑の心の深いところに響いた。
(そう……だよな。良いこともあれば、悪いこともある。たった一つの失敗でクヨクヨしちゃだめだ)
静かに、息を吸って、口を開く。
「ありがとう、北山音羽さん」
佐々木峻佑は、今できる精一杯の笑顔を返した。
「なんか、元気出てき」
『あのぉ』
――そんな彼の声を遮ったのは、何やら怨念のこもったような、ドスをきかせている風の低い声。しかしここで大事なのは、この声が『ドスのきいている』ものではなく『きかせている風の』というところだ。もちろん、その主語は一条柚琉である。
「なんか二人で解決した感じになっちゃってますけど、ぼくは仲間外れですか?」
「はい」
北山の即答。崩れ落ちる一条。
「き、き、きたや、北山さん……」
「はい」
「さっき、君が峻佑くんにかけた温かぁい言葉があったよね」
「はい」
「そういう言葉、ぼく、かけてもらったことないんだけど」
「はい」
「ねぇ、なんか悲しくなってくるよ」
「はい」
「流石に塩対応過ぎて全コメが泣くよ?」
「コメ……? なんですかそれ」
「ほら、よく言うじゃん。映画の広告とかで『全』部の『米』が泣くくらい感動! みたいな」
「ゼンベイ、ですね」
「せんべい?」
「……」
「あっ、無視しないでぇ……」
(なんなんだ一条さんと北山さんは……)
そんなこんなで、京都府にも朝が来る。




