089.一条柚琉の試練
奈良県で最強の修学旅行行動班が結成されたその次の日。つまり天乃三笠たちの修学旅行二日目に当たる日のこと。舞台は変わって京都府――。まだ日が昇り始めたばかりの早朝、とある男がとあるルーティーンをこなすためにとある寺院へとやって来た。
「天気良し、ビジュアル良し、人通り良し」
電車の運転手や車掌がやるような指差し確認を、彼は寺院の正面の門の前に立って行う。天気の時はもちろん上を指し、朝日に照らされる快晴の空をその山吹色の瞳に映して、満足そうに頷く。
「今日もいい天気。まさに自撮り日和や」
しかしここで間違えないでほしいのは、彼の言うビジュアルが自身の見た目のことではなく、その寺院の門のビジュアルが良いと言う話であるということだ。早朝の空に映える門の姿に目を細めながら、彼は周辺に人が居ないことを入念に確認する。そして――呟き始める。
「いやぁ、やっぱり西本願寺の門って言ったら一般的には国宝の唐門が有名やけど、ぼくは阿弥陀堂門の方が好みというか……なんだろう、この唐門と比べての少し質素な感じの雰囲気。やっぱり新選組ファンとしては、屯所として使っていた阿弥陀堂へ続く此方の門のほうがロマンを感じるというか……」
男の口元には、仄かな笑み。説明しよう、彼の名は不審者男(21)。周辺に人気がないことを確認した上で何やら怪しげな独り言を呟き、ニヤニヤニヤニヤとこれまた怪しい笑みを浮かべている正真正銘の不審者――
――であるわけがなく。きちんと説明しよう、彼の名前は一条柚琉。京都府『流』を務める大学生陰陽師であり、かつ生粋の新選組オタク。
冒頭で述べた「とある男」とは一条のことであり「とあるルーティーン」というのは彼の、早朝に行う新選組聖地での自撮りの習慣のことである。
そして「とある寺院」というのがここ、西本願寺――浄土真宗本願寺派の本山。親鸞聖人の教えを受け継ぐ歴史ある寺院であるということと共に知られているのが、幕末の京都を騒がせた幕府の浪士隊「新選組」が屯所、つまり拠点を置いていたという史実。
「八木邸とかさ、もちろん他の聖地もええけど……やっぱり寺院としての歴史も持つ西本願寺しか勝たんって」
改めて阿弥陀堂門と呼ばれるその門を見上げ、嬉しそうな声を上げる一条。彼は早朝で人がいないのをいいことに、毎朝新選組及びその聖地への愛を心のうちに留めておかずに、だだ漏れにさせているのである。
「よーし、新選組パワーで今日も一日頑張るぞ!」
彼は笑顔でそう決意を口にし、同時にインカメに向かって最高のピースを向けた。
パシャリ。
無機質なシャッター音が、淡い色の空と、阿弥陀堂門と、一条柚琉を切り取る。これでモーニングルーティーンは終了。同時に彼の一日が始まる。
「さて、帰ろか」
一条は踵を返しかけ、しかしまたくるりと向きを戻す。再度、門を見てから深く一礼。
(今日も……どうか、ぼくらを見守っていて下さい。平穏な日々でありますように……)
別に仏教徒では無いのだが、どうしてもこう願ってしまう。今の幸せな日常が、もしこのお寺の阿弥陀如来様が見守ってくれているからこそ続いているものだと考えたら――このルーティーンは、簡単にやめられないものなのである、少なくとも、一条にとっては。
上体を戻した一条は、今度こそ歩き出した。
しかし、彼の願った平穏な日々は、次の瞬間崩れ去るのである。西本願寺を発ち、通りを右に曲がったところで。
ドンッ。
一条の肩と、向こうから歩いてきた何者かの肩がぶつかった。思わず双方よろけて、反射で謝る。
「ご、ごめんなさい!」
すると相手は、一条の方をゆっくりと振り返った。小さいナップザックを背負って、黒髪ショートカットに、ダークオレンジの丸眼鏡をかけた若い男。
「あ、えっと……君は……」
一条が名前を思い出す前に、向こうが口を開く。
「……僕の方こそ、ぶつかってごめんなさい。僕ってクズですよね……。ハァ。時間も守れないし、ただ歩いてるだけで通行人に迷惑かけちゃうし……ほんとこの世から消えたほうが……」
「そ、そんなことないと思うけどな!」
「華白さんからもおこちゃま認定もらっちゃったし……大人失格だって言われちゃったし。ああ、ほんとに二次関数のグラフの上を滑るだけで試験問題となり存在意義がある動点Pになりたい。人間やめたいよもう……まさに人間失格……」
「……えっとぉ」
一条柚琉に、未だかつてない試練が訪れた。たまたま通りでぶつかったこの男――どうにも見覚えがある。しかしこの完全に病んでしまっている彼に、どう対処すれば良いのか、天下の京大生の頭脳を持ってしても判断がつかないのである。
「と、とりあえず君、今時間ある?」
「……今、死んだりしなければ」
「いや死なないでね!? んーっと、んじゃ、気分転換にお、お茶でもしようか!」
「……ぁ、きみ、どこかで……」
彼はなにか言いかけたが、一条はお構いなしだ。
「さ、行くで。早朝からでも開いてる近所のカフェ! っていうか、お茶屋さん!」
「……ぇ、今から?」
「そうや! ぼくも丁度寄ろうと思ってたから、タイミング良かったよ。ちょっと君、見てて危なっかしいから一旦落ち着こう!」
「僕は大丈夫……」
「大丈夫じゃないって! それに君のことはなぜか知ってる気がするんや。聞きたいこともあるし、とにかく行こな!」
一条は、眼鏡の彼の腕を取ってズンズンと歩き出した。この出会いが、これから起こる奇跡の発端の一つとなることを、未だ彼らは知り得ない。




