086.過去の呪い
千葉県内、自宅のアパートで一人崩れ落ちる峻佑。彼は大学に入ってから一人暮らしを始めており、誰も今の峻佑の状態を知らないし、慰めることも叱ることも出来ないのである――そこで彼は。
「う、うう……華白さん……」
とりあえず身近な大人に教示をいただこうと、電話をかけ始めたのである。その相手は、夜鑑華白――千葉県『流』の女性陰陽師。つまり峻佑の職場の先輩的な立ち位置の人。
プルルル、プルルル。
五回目くらいのコール音のあと、電話の向こうから不機嫌そうな声が聞こえた。
『なんだ峻佑』
華白の、聞き慣れた声が峻佑の耳に響く。
「あ、華白、さん……」
『此方は今任務中なんだよ。用が無いなら切るぞ』
「あっ、あの……僕どうしたらいいんですか」
『は?』
突然人生相談のような切り口で話し始めた峻佑に、華白は少し苛つきながら問う。
『どういうことだ』
「あの、実は……」
峻佑は今日の朝――ついさっき起こったことを一つ残らず華白に打ち明けた。本当は教育実習に行くはずだったこと、しかし寝坊してすっぽかしてしまったこと、そしてあろうことか先方に話を断られてしまったこと。
「ぼ、僕……もうオトナ失格ですよね!? ダメ人間ですよね!? ……うう、わかってるんですよそんなこと……」
マイナスな言葉ばかり吐いて自責の念に駆られる峻佑。そんな彼に華白は。
『大丈夫だ、安心しろ。お前のことは元々オトナだと思っていないから』
「は、ええ……?」
『中高生に入り混じって台所で鍋をぶっ壊す二十一歳が何処に居るんだ、馬鹿者。駄目人間なのも了承済みだ』
フォローになっていない慰めの言葉をかけるばかり。彼女の言葉は剣となり矢となり槍となり、峻佑の心を滅多刺しにした。
「うっ……」
その傷の痛みに悶える峻佑。華白の方も任務が少々上手く行っていないのだろうか、柄にもなくお怒りモードに入っている。
『いいか、峻佑。お前はそもそも時間を守るという社会人としての常識の前に、二十歳を過ぎている――つまり大人だという自覚が無』
「わかってますってばぁぁ!!!」
大学生の悲鳴が空気を切り裂いた。
「ハイハイ、分かってますよ! 僕はまだまだ子供です! 時間も守れない馬鹿ですよぉ!」
『……峻佑?』
「台所をめちゃくちゃにしたのは悪いと思ってます! あれは舞桜くんに加担した僕が悪うございました! ってことで暫く放浪の旅に出ようと思います! さよーならっ!」
『放浪の旅……? 何故そうなる?』
「とにかく行ってきます! 僕のことは探さないでください、京都に行ってきます! あ、行き先言っちゃっt」
『おまっ……それ、ただの旅行じゃないか?』
華白の全身全霊のツッコミは峻佑には届かず――彼女の手の中でツーツーと無情な音を響かせる携帯電話。
(探さないで下さいって言っておきながら京都に行きますって……うっかり言っちゃったという感じだったな。そういうところが、まだ子供だっていうのに……)
はぁ、と深くため息をつく華白。――しかし彼女は今、呪鬼討伐任務の最中なのである。自身の結界の闇で、辺りは夜のように真っ暗。華白の前方に浮かんでいる人型の呪鬼は、携帯電話を握りしめてため息ばかりついている陰陽師を不思議そうに眺めていた。
〈ハナシハ、オワッタノカ〉
辿々しく人語を操る呪鬼。華白はその声に顔を上げて、答えた。
「嗚呼終わったよ。悪いね、待ってもらって」
〈……〉
「そうだお前、わたしが電話に気を取られている間に殺しに来ればよかったのに。何故ずっと待っていたんだい?」
〈――ソレハ、〉
答えを聞いた華白の唇に、妖艶な笑みが浮かぶ。
「なるほどね。つまりお前は自分の御主人様に忠実な呪鬼なんだね……実に素晴らしい」
華白の足元から、闇がさらに這い出した。
「だけどその実力じゃ、わたしは殺せないよ
――『和歌呪法・瀬をはやみ』」
その後は刹那の出来事だった。華白が跳び、彼女の持つ御札から放たれた紫色の閃光が人型呪鬼を包み込む。
『呪鬼滅殺』
お決まりの詠唱と共に断末魔を此の世に残して、塵と消え去る呪鬼。叫びが虚空に消えゆく頃、華白はストンと着地した。
『解結界』
指で簡単な印を結び、結界『崇徳ノ呪』を解く華白。その異空間を構成していた闇がハラリと散る――それと同時に差し込む陽光。現実世界に戻ったのだ。
「まったく、『結城』はどういうつもりなんだろうね」
歩き出した華白の口から、思わず零れた本音。
「わたしを殺したければ、もっと強い呪鬼を遣わしてくれば良いのに……彼奴の手駒になら、四天王眷属レベルだって吐いて捨てる程居るだろうに」
電話中の華白を急襲しなかった理由。先程の呪鬼は、こう答えていた。
〈ソレハ、ユイキサマ ガ、ヨカガミカハク トハ ショウメン カラ タタカエ ト〉
「それは負けに行けってことじゃないか……? “我が弟ながら”考えてることがいつも読めない奴だ……わたしのことは自分で処分すると云うことなのかね」
華白がニタリと笑う。
「まったく、だから『禊』は嫌いなんだよ。何考えているか分からない頭おかしい奴らしか居ないから。本当に過去の呪いは面倒くさい」
華白の独り言を聞いている者は――
誰一人として居ない。
(おお、そうだ。峻佑は少し心配だから京都の方に一応助けの連絡をかけておくか)
華白の白い指先が、携帯端末を流れるように操作する。その人差し指が、下手な柚子のイラストのアイコンをタップした。
「ああ、柚琉。すまんな急に電話かけて。実は――」




