082.賀茂夏行は
「さかい、あゆとぉ?」
「さては三笠、新しい友達だな?」
舞花と華白が口々に言う。三笠は華白の言葉に頷いて口を開いた。
「はい、席替えをして……前まではハルの隣だったんですけど、新しいお隣さんが、その坂井くんで」
「え、ウケる。ミカサちゃんってハルと隣の席だったの?」
「そうだったんですよね」
「じゃあ、あれじゃない? ハルのことだから授業中は」
「はい、爆睡していましたね」
「ミカサちゃんは、ハルを起こしてあげたりは……」
「そんな親切心あいにく持ち合わせていなくて」
てへへ、と照れて見せる三笠。舞花もニヒヒヒと一緒になって笑う。二人の女子学生が意地の悪い笑みを浮かべる横で、華白がもう一度、彼の名を呟いていた。
「坂井、か……。何処かで聞いた気がするが、気の所為かな」
華白が零した言葉に、三笠はドキリとする。――坂井は“半呪鬼”、すなわち呪鬼と人間のハーフ。しかも片親が呪鬼の祖とも言われている大呪四天王『朱雀』であるという紛れもない事実が此処にある。それは、まだ三笠しか知らないはず……。
「あ、あの」
「どうした三笠」
「坂井くんの名前、……聞いたことあるんですか?」
三笠は額に浮かんだ汗をぬぐいながら、試すように華白に尋ねてみる。千葉県『流』はその美しい瞳を横に流して小さく呟いた。
「聞いたことある、というか……まあ、“あの人”が口にしていたのを偶然聞いた……気もしなくもない」
そこに口を挟んだのは、桜咲舞花。
「あの人……? それって、誰です?」
華白が、“あの人”という名称を口にする時、少しだけ彼女から哀愁の匂いが感じられた。何処か懐かしむような、そして愛おしんでいるような。まるで――二度と戻らない過去を回想しているかのような、そんな諦めに近い表情。
華白は舞花を見て目を細めた。
「……誰だと、思う?」
「あたしの予想では」
「うん」
「夏行さん、じゃないですか?」
舞花の口から知らない人名が飛び出すのを、三笠の耳は捉えた。そして次に彼女は、華白の肯定の言葉を聞くことになる。
「正解だ、よくわかったな」
「だって華白さん……『巴』の琴白さんのことまで呼び捨てで呼ぶのに、そんな貴女が大切そうに名前を口にする人って、やっぱり夏行さんしか思い浮かばないですもん」
「舞花、面識はあるんだったかな?」
「三年ほど前に……一度だけ、うちで県内会合が開かれたときに。でも次の年には……もう」
舞花が目を伏せた。華白も言葉を選んで先を続ける。
「……そうか。まぁ、そんなとこだ。夏行さんが坂井という名を口にしていたかもしれないな。それこそ誰かと電話している時だった」
「そう、なんですか」
三笠は戸惑いながら頷いた――それもそうである。仮に“ナツユキさん”という人が坂井の名を出して誰かと電話をしていたとすれば、それは半呪鬼【境】の存在が既に知られていたということではないだろうか。……いや、そもそも。
「あの、」
三笠は、今一番わからないことを聞いた。
「ナツユキさんって、どなたですか?」
華白と舞花が意味深に顔を見合わせた。
「……え、ちょっと、あの、」
三笠は空になったカップを置いて小さく頭を下げる。
「聞いちゃダメな事だったらすみません、何も聞かなかったことにしてください」
「……いや、大丈夫だよ」
舞花はそう励ましながら、首を傾げた。
「ミカサちゃん、賀茂兄弟から何も聞いていないの?」
「……ハルとアキから? いいえ、なにも」
「そうなのか……意図的に話してないのか、それともただ単に言うタイミングを逃しているのか……」
華白が舞花を見た。『流』から困ったような目を向けられた彼女は、スッと目を逸らしながら答える。
「知りませーん。でもあのバカ兄弟のことですよ? 絶対、心の内で日和って話し出せてないだけだと思いますけど」
「それもそうだな。いざという時以外、度胸なさそうだもんな」
「ハルアキ、不器用ですもんね」
「おお、三笠もそう思うか」
千葉県組女性陣から、とてつもなく糾弾されている賀茂兄弟。だがしかし、“その場に居ない”ということはつくづく恐ろしいものである。彼らも、この三人から「不器用」「バカ」「度胸無し」という悪口レッテルをペタペタ貼られまくっても預かり知らないのだから。
「話を戻すけど、じゃあ、あたしたちの口から簡単に伝えちゃうね――夏行さんについて」
「……はい」
舞花が小さく息を吐いて続けた。
「夏行さん……賀茂、夏行さん。名字からもわかる通り、陰陽師で、ハルとアキのお父さんよ。でも、もしかしてミカサちゃん、賀茂兄弟からそんな話聞いたこと無いでしょう?」
「はい。ハルとアキからは一度も家族の話を聞いたことはないです」
「やっぱり。あのね、……実は今、夏行さんは“行方不明”なの。二年前の四月頃からね」
「ゆくえ、ふめい……?」
三笠は目を見開いた。
「え、じゃあハルとアキは……二年間近く、父親が行方不明な状態で」
「そうなる」
華白が話を引き継いだ。
「あいつらは、よくやっていると思うよ。母親は小さい頃に病別してしまったらしいから、……残った片親である父親がいなくなって、二年間、二人だけで過ごしてきたんだから」
「二年間ってことは……小学六年のときから?」
「そうなるな。アキは賀茂家を十二歳で継いだんだ」
三笠は二人の陰陽師の口から語られる新たな事実――知らなかった出来事に驚くばかりだった。散々一緒に過ごしてきて、時には言い争って、時には助けてもらって、引っ越してきてからというものずっと一緒に過ごしてきた双子の彼らが“こんな過去を、事情を抱えていたなんて”。
知らなかったし、彼らは教えてくれる素振りも見せなかった。それは舞花が言う通り「言うタイミングを逃していただけ」なのか――それとも?
「……知りません、でした」
三笠が絞り出すような声で言う。
「もっとそのお話聞かせてください」
ハルとアキの父親だという夏行の話を。
そして三笠が千葉へ来る前の話を。
三笠の頼みに、華白は少し考えるようなようすを見せていたが、いいだろうというように首肯した。そして舞花の方へ向き直って頷く。
「舞花は知っている部分もあるかもしれないが……いい機会だから。夏行さんがいなくなる前後の千葉の話を、伝えておこうと思う」




