080.先生、陰陽師ですよね?
「なんだー、カモアキ。もしかして今日配った入試問題集に、もう手を付けたのかー?」
春過夏来は、のんびりとした声を出しながら席を立つ。片手には教科書を持ったまま。ゆっくりとアキのいる方――職員室の入口へ向かう。
「まあ、あの問題集はいくら方程式が得意とはいえど、図形的センスも無きゃ解けないからな。バンバン質問してくれていいぞ? カモアキ」
学級担任と、アキの目が合う。
「先生、いつも思ってたんですけど、そうやって僕らのこと苗字と名前くっつけて呼ぶの、やめてもらえませんかね」
「だって四文字呼びやすいんだもん」
「なんかカモ鍋みたいじゃないですか。カモネギとも聞こえる」
「ははっ、たしかにな。桜咲家のヤツにイジられてるの、気にしてんのか?」
その言葉を聞いて、アキの目が少しだけ歪む。対して春過の口元には、半ば諦めたような、それでいて余裕ともとれる笑みが浮かんでいた。
「んで、本題の質問なんですけど」
廊下に出る二人。
アキがもう一度――今度は「賀茂家当主」としての目で、春過夏来を見つめた。
「先生、陰陽師ですよね?」
*
「いつからわかってた?」
春過の無表情な声が、廊下にひっそり響く。それに対して淡々と答えるアキ。
「確信したのは、つい最近です。玄武戦の後、『療』で治療を受けていた時。時間があったので少し古い書物に目を通していたんですよ」
アキの双眸は、ずっと目の前の男に向いている。彼の反応を、挙動を、一つも見逃すまいとして。
「それで?」
「アキラさんが取り寄せてくれた琴白家文書の複製版に、書いてあったんです。『陰陽十二家』について」
その名称を出した途端、春過の瞳は少し動揺の色を見せた。そして小さく呟く。
「全く、アキラも何考えてんだか……」
「何考えてんだか? それはどういう意味でしょうか」
「いや何でもない。それで、十二家がどうした」
先を促す春過。あくまでアキに全て喋らせるつもりのようだ。
「先生のほうがよく知っているでしょうに……まあいいです。そう、その『陰陽十二家』は、今でこそ特別扱いされることは少なくなりましたし、他の家柄の陰陽師でも実力者が出てきましたが。昔――平安から幕末にかけてなんかは、『十二家』に数えられる家の出の陰陽師が重宝されていたそうなんです」
琴白家文書――代々『祓』のリーダーを務めてきた琴白家当主が残してきた手記という一面も持つ古文書。最初は万葉仮名で書かれていたが、次第に文化の変遷に伴って漢字仮名交じり文で記され始めた。そして今も――琴白星哉が(密かにめんどくさいと思いながら)書き続けているものである。
アキがそこから得た知識は、彼に膨大な情報を与え、かつ影響も少なからず受けたようだった。
「その『十二家』には、琴白家、賀茂家、桜咲家、竈猫家、一条家などなどの今も陰陽師を続けている家系が多く挙げられていました。そしてその中に……あったんですよ、あなたのその名字。『春過家』がね」
アキの冷たい目が瞬く。その視線は、春過夏来を貫いて離そうとしない。さあ、どう出る? 何を話してくれる? 賀茂家当主の眼は、春過を通り越して違うモノを見ていた――それは、父・賀茂夏行の残像。
(僕の年齢推測が間違っていなければ……恐らく春過先生は父と同じ年。琴白星哉や、アキラ=クレメンティと同世代だ……なにか知っていても可笑しくはない)
しばらくの沈黙の後。
「いや、参ったね」
白旗を揚げたのは春過だった。
「降参降参。さすがナッツの息子だ。気づかれるとは思っていたけれど、俺の予測だともっと遅いと思っていたんだ。この話をすることになるのはね」
「ナッツというのは」
「お前らの父親、賀茂夏行のことだよ。ピーナッツとナツユキから取って、ナッツ」
「別に父はピーナッツ好きではなかったと思いますが」
「いいんだよ。それに千葉って言ったらピーナッツの生産量多いだろ?」
春過は笑いながら言った。
「いやぁ、カモアキ。大正解だよ。俺は数学教師の傍ら陰陽師もやっている。古来より続く名家『十二家』の一つ、春過家の当主としてね」
此処で明かされた新たな事実――春過夏来は陰陽師だった。すなわちアキたちのクラスには、ハル、アキ、三笠、そして春過の四人の陰陽師が居たことになる。
「先生、あと一つ聞きたいです」
「なんだ?」
「その名前――夏来、という名前。春過夏来って、襲名制ですよね? 琴白家文書にそう記述がありました」
「……そのとおりだよ」
春過はまた笑う。
「ほんとにアキラのやつ、カモアキに変な本貸しやがって……今度会ったとき問い詰めてやる。ってのは置いといて、そう、この名前は当主の座を継ぐことになったときに襲名したんだ」
そう言って、彼は首から下げている教員名札をピラピラと振った。綺麗な明朝体で印刷されているフルネームを、もてあそぶ。その様子を見て、アキは首をかしげた。
「でも襲名したからと言っても、その名前を使うのは陰陽師としての時だけでよくないですか? 何故日常生活でも使っているのか、僕には分かりません。その名前じゃなかったら、僕も貴方が陰陽師だと気づかなかったかもしれないのに」
「それはな」
春過の目が細められた。
「ナッツにそう言われたから」
「……今、なんて?」
「だから、お前の父にそう言われたからだって。春過夏来として学校勤務しろ、そうすればいずれ、ハルかアキが気付くはずだからと」
「……父と、そんな話をしたってことですか」
アキが春過の言葉に噛みついてきた。
「……いつっ! どこで、なんのタイミングで! そんな話を……いつの間に。じゃあ父さんは僕らが先生の正体に辿り着くことを見越していた……?」
明らかに取り乱すアキ。春過は彼のそんな様子を穏やかな目で見つめた。
「それはいずれ、判る時が来る」
「……その口調、先生はもしかして……今父が何処で何をしているか知ってるってことですか!?」
「まさか。……ナッツは二年前に消息を断ったんだろう? それ以上のことは知らないさ」
「……そうですか」
珍しくアキの顔には感情が色濃くでていた。二年前に跡形もなく消えた父親を、本気で探している眼――華白から聞いた父の姿、アキラが見せてくれた賀茂家についての記述、そして春過の正体。次々に明らかになる過去の事実に、アキは正直困惑していた。
(何故今になって、こんなに情報量が……? ずっと、この二年間探してきて、全然尻尾も掴めなかったのに。……誰かが“情報操作”しているのか?――どのタイミングで僕らにどの情報を与えるのか。だとしたら、それをやっているのは誰なんだ……)
「カモアキ、これで質問は終わりか?」
春過の声に、アキは我に返った。
「あっ、はい」
「じゃあ俺は未だ仕事があるから、職員室戻るぞ」「はい……あ、先生。あと一つだけ。先生は千葉所属ではないですよね?」
それはそうだ。華白、舞桜、舞花、峻佑、三笠、ハル、アキの七人の筈なのだから。
「千葉ではないな。茨城だ」
「茨城ですか」
「そう、越境して通勤してきてる感じかな」
春過は、それだけ言うと踵を返した。
「じゃ、またな、カモアキ。それと一次方程式の応用問題、分からなかったから聞きに来るんだぞー」
「はい、ありがとうございます」
今日は、本人の口から新たな事実を聞くことができただけでも万々歳だ。今は焦るべきではない。春は過ぎれば夏が来る。夏が過ぎれば秋が来て冬が来る。その季節の巡りと同じように――きっといつか、父親について、そして今残る謎について、全て解決される日が来るはずだ。
アキは、職員室へと去っていく担任に――そして陰陽師としての先輩に、深く深く頭を下げた。
(ありがとうございました……っと)
そういえば――『巴』の一人・古闇真白の和歌呪法は「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山」という持統天皇の歌だった。
賀茂明は、この事実を知らない。




