076.となりの坂井くん
学校の近くの雑木林から、蝉の大合唱が聞こえる。ジリジリと太陽に照りつけられる校庭の砂。窓の外に見えるのは、思わず目を瞑りたくなるくらい眩しい青空。あの長い夏休みは終わってしまったというのに、まだ。
「夏は終わってないみたい」
ふと心の声が零れ落ちて、天乃三笠は我に返った。視線を感じて自分の左を向く。そこにはキョトンとした顔の親友が一人。
「ミカサ、急にどうしたん?」
「ああ、キリカ。なんでもないよ」
「何でもなくないでしょ? ちゃんと言ってたわよ。『夏が終わってない』みたいなこと」
「ちょっ、恥ずかしいってば!」
三笠は暑さと恥ずかしさで頬を真っ赤にしながら、身振り手振りで言い訳をし始めた。
「いや、あのね、なんか夏休みは終わっちゃったのに……夏はまだ終わってくれないんだなぁって」
「それは確かに。でも私、夏は嫌いじゃないけどな」
「えっ、そうなのキリカ? こんなに暑いのに?」
霧花の言葉に、三笠は眉をひそめる。
「こんなクーラーもろくに効かない教室で六時間も授業受けなきゃいけないのよ?」
「まあそれは、きついけど」
霧花がニッと笑う。
「じゃあミカサは夏じゃなくて、どの季節が好きなわけ?」
「んー……特に好きな季節はないよぉ」
更に尋ねてくる霧花。
「じゃあ、春と秋なら? 強いて言うならどっち?」
(春は暖かくて桜も咲いてくる頃……秋は涼しくて快適。どっちもどっちね。でも強いて言うなら私が選ぶのは……)
「春が好きかな。暖かくて優しいイメージだし」
三笠がそう答えた瞬間だった。
「だってよ、賀茂晴クン」
霧花が素早く後ろを振り向いてニカッと笑った。彼女の視線の先には、こちらを凝視して固まっている賀茂晴――こと、ハルが居た。
「え、ちょ、なんで私の好きな季節をハルに言う必要があるわけ?」
三笠は戸惑い気味に霧花とハルの方を見る。
「いやぁ〜、別に何となく〜ぅ?」
ニヤニヤしながら三笠の目を覗き込む霧花。親友の不可解な言動に慌てる三笠。その少し離れたところでは。
「俺が、温かくて、優しいイメージ……」
悲しいかな、妄想のあまり主語まで置き換えた勘違いを起こしているハル。
そしてそんな彼の肩を同情するように叩く賀茂明ことアキ。
「ハル、強く生きろよ」
何故自分が励まされているのか分かっていないであろう目で、ハルは双子の兄に向かって頷く。それを見てニヤつく霧花。さらに戸惑う三笠――――愉快な四人組の日常が、夏休みが明けて戻ってきたのだ。
暑いけれど、平和な空間。霧花という親友が居て、賀茂双子という仲間も居て、他のクラスメイトも部活仲間も居る――天乃三笠の大切な日々。
そんな平穏な日常に、不穏な足音が近づいてきている。
*
「夏休みが明けて一週間経ちましたね? 生活リズムはきちんと取り戻せたか? 課題はきちんと出してるか?」
とある日の朝の会。元気な挨拶の後、担任の春過夏来がいつものように話し出す。彼が課題や生活リズムに言及したその途端に、顔を背けだすのは数名の男子。
「おーい、今そっぽ向いたやつー、怪しいぞー」
春過が笑いながら目を細める。クラスの皆もつられて笑う。
「坂井に、田本に、相沢? カモハルもか! 全く、お前はカモアキを見習って提出物くらいきちんと出せよ。二学期の成績どうなっても知らんぞー」
担任のおどけたような口調の脅しに、ふざけた返事を返すハル。
「はぁい、頑張りまぁす」
クラスはまた笑いに包まれる。
「ところで、だ」
春過が話を変えた。
「二学期も始まったことだし、心機一転――席替えでもしようかと、先生は考えているんだ」
その突然投げ込まれた爆弾発言に、クラス中は先程の笑い声とは比にならないほど騒がしくなる。
「席替え!? やっとか!」
「ええ、今の席がいいなぁ」
「前になったら授業寝れないじゃん」
「いや授業で寝るなし」
ざわめく教室に、パンパンと手を叩く音が響いた。
「はいはい、静粛に! もうクジ引きは作ってきてあるから、今から引いていくぞー。この朝の会終わったら席移動しろよー」
さすがは先生、仕事が速い。
「えー、ミカサと離れちゃうの?」
「ハル、またね」
「えっ、なんか塩対応。アキも俺と離れちゃ寂しいよねぇ」
「僕は別に」
「つれないなぁ」
大げさに頬を膨らませて見せるハルに、アキは冷たい一瞥をくれるだけ。三笠は凸凹双子のやり取りを見て、クスクスと笑いをこらえている。
そんなこんなで騒いでいるうちに、三人のところまでクジ引きの箱が回ってきた。ハルが引き、アキが引き、三笠が引き。
そっと、折りたたまれた小さな紙を開く。
(一番窓側の列の、一番前。
なかなかいい席なんじゃない?)
黒板も見にくくないし、窓から景色が見えるし。三笠は一人喜ぶ。ハルはそんな三笠の様子を見て、ふてくされる。
「なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
「え、なんとなくいい席引けたから」
「どこ?」
「窓側の席の、最前列」
三笠がそういったところで、ハルが「うわぁ」と頭を抱えた。
「くっそー!真反対じゃねーかよ! 俺、廊下側の一番うしろ!」
まさに教室という正方形を結ぶ対角線の位置である。
「ハル、ドンマイだな」
「そういうアキは何処なんだよ」
「天乃三笠の三つ後ろの右隣の席。まあ、近くはないな」
「それでも羨ましいよー!」
キーッと悔しそうな顔を見せるハル。しかしクジ引きは絶対であり、視力が悪くない限り変更はできない。
「くっそぉ。視力2.5のこの目を恨むぜ」
「ゴチャゴチャ言ってないで早く机移動しないと」
「へぇい」
アキの言葉に、ハルはすごすごと自分の机を次の席の位置に移動させ始める。そんな弟の様子を見て肩をすくめながら、アキも椅子を机の上にあげて準備をし始めた。
「席替え……。何かが起こる気がするのは僕だけか? 杞憂ならいいんだけど」
賀茂家当主の呟きは、教室の雑踏の中に吸い込まれていく。
「よーいしょっ、と」
三笠はようやく、教室の端の席に辿り着いた。左を見ると夏の風景が広がる窓側の席。明るくて、少々暑いが居心地がよかった。
(いい席を引いたんじゃない? 私)
音を立てて椅子を引き、座る。そろそろ他の皆も新しい席に辿り着き始めたようで、机の引きずられる音で騒がしかった教室も段々と静かになっていった。
(一時間目は……春過先生の数学ね。ノート準備しないと)
三笠がそう思って、机の右のフックにかけたリュックサックに手を伸ばした――その瞬間だった。
ガタン!
彼女の右の席に、机の置かれる音がした。
「へぇ、ココなんだ。おれの席」
思わず顔をあげる。
視界に映ったのは、長い前髪で額と片目を少し隠した一人の男子。
その藍色の髪と同じ様な色をした瞳が、“彼”の左隣――天乃三笠の方へと向けられる。
「お、」
“彼”は此方を向いて、
「“偶然”って凄いんだね」
意味ありげな笑顔を浮かべる。
(……凄いって、どうして?)
三笠がそう聞く前に、目の前の“彼”は明るく名乗った。
「おれ、坂井歩人。よろしく」




