074.竈猫柊月はアキラ=クレメンティに青森県産とれたてリンゴを渡したい! 【下】
アキラの後ろに付いて、白い建物の中を歩く。外見に反さず、此処はやはり病棟のようだ。病室と思しき綺麗な扉には、無機質なネームプレートがかかっている。
「夜条蒼空様」
「氷室雪吹様」
「夜鑑華白様」
見知った名前を見つけ少し驚くが、柊月は思い出した。一昨日深夜の連絡――厳島神社に現れた大呪四天王『玄武』を、フブキや華白、夜条、そして千葉県陰陽師数名によって討伐したという朗報だ。大きな損害は無かったと聞いたが……やはり経過観察する必要があるのだろうか。
すべてのドアは閉められている。廊下の真っ白な両側の壁から感じる少しの圧迫感。
ジジ、ジジジ。天井の蛍光灯が音を立てている。最初は新しく出来た病院のような清潔なつくりだったのに、廊下を歩くうちに病院の怪談の舞台になりそうな古めかしい雰囲気になってきた。
(何か出そう……)
そんなことを考えながら歩く柊月の目に、異質な物が映った。思わず足を止め、凝視してしまう。
「これ、は……」
「どうかしましたか、竈猫様」
アキラが振り返る。柊月は“それ”から少しも目を離さぬまま尋ねた。
「アキラさん。この部屋は何」
彼女の視線の先には――非常線のような黄色と黒の縞模様のテープが一面に貼られ、至るところに御札がついている一つの扉があった。その仰々しいまでの外見に、思わず怖気がする。
「嗚呼、そこは」
アキラの目が細く歪んだ。
「――だいぶまずい呪いをかけられた方の病室です」
「だいぶまずい呪い」
思わず復唱してしまう。
「と、言うと……四天王とかですか」
アキラの今の表情からは、感情が読み取れない。彼の無機質な声が柊月の耳に届く。
「御名答。そう、『白虎』から直接呪いを受けてしまった被呪詛体の方が」
「『白虎』――西京明石だっけ、名前」
「そうです」
アキラが頷いた。
「『白虎』の名がわかったのも、実はその御方が呪いにかかってしまったからなんですよね。今から、およそ四年前でしょうか」
そう言ってのけた後、アキラは再び踵を返して歩き出す。もうこれ以上は踏み込むな――。勘違いかもしれないが、彼の微妙な表情がそう言っている気がした柊月は、何も聞かずに一歩を踏み出す。
そんな彼らを、扉にかかったネームプレートだけが静かに見つめていた。年月が経ったせいだろうか、プレートの文字は消えかけ二文字しか読み取れない。
『…花 ……里…』
これが明らかになるのは、また少し先のお話。
*
「で、話って?」
竈猫柊月は、アキラに案内され一つの大きな部屋に通されていた。彼の研究室なのだろうか、研究機器と思しき器具がたくさん置かれ、デスクにはモニターやキーボードが見える。
インスタントコーヒーを淹れてきたアキラは、テーブルの柊月の前にカップを置き、自分は彼女の向かいの椅子に座った。少し不安そうな顔をする柊月に、彼は苦笑する。
「気になりますよね。早速本題に入ってしまいましょうか」
「……はい」
「実はですね……新しい和歌呪法を使わないかという提案なんですよ」
白衣の男の優しい瞳に、試すような光が浮かぶ。
「今、竈猫様は『陸奥の』の歌を使われていますよね」
「あ、はい」
柊月の脳裏に自分の和歌呪法が蘇る。
(「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
乱れそめにし 我ならなくに」――河原左大臣)
「東北の方って『陸奥』って言ったりするじゃないですか。だから何となく選んだんですけど、その和歌が自分に合っていたみたいで」
それでそのまま使っています、と柊月。
陰陽師の和歌呪法は、通常最初は自分で選ぶ。そして鍛錬や実戦を重ねる中で、その歌が本当に自分に合っているのかを見極め、必要であれば変更する。想いを載せて戦わなければいけないからこそ、和歌選びは大切なのだ。
「そうなんですね」
「思い入れは、無くはないけど。新しい和歌を使ってみるのもいいなぁとは思います」
「では――琴白様と、僕からの提案として一つだけ示させていただいてもよろしいでしょうか」
アキラの指が、カタカタッと軽快な音を立ててパソコンのキーボードを叩いた。その液晶に表示された三十一文字を、柊月の方へ向ける。
『他所にても 風の便りに 吾ぞ問ふ
枝離れたる 花の宿りを 』――平将門
「たいらの、まさかど……って」
高校時代の遠い記憶を思い出す柊月。
「日本史の先生が、言ってたような……。あれですよね、確か初期の有名な武士」
「そうなりますね」
アキラが首肯する。
「どうです、この歌。少し試してみませんか?」
「もちろん。アキラさんと琴白くんの頼みとあらば、やってみますよ。でも一つだけ聞きたい」
竈猫柊月は立ち上がり、アキラに詰め寄った。
「何故私なんだ? そして何故、平将門なの」
「……どうしてだと思います?」
真顔の柊月とは対称的に、優雅な笑みを浮かべて見せるアキラ=クレメンティ。
「って、聞いても良いんですけどね、言っちゃいます。理由は二つ……一つは、勢いのある実力者である貴女にぴったりだと判断したからです。竈猫様ならきっと、平安の世に生きた勇ましい武士の想いを自分と重ねて、使いこなせるはず」
「私に、合っている……か」
柊月は目を伏せ、再度問うた。
「なら、もう一つは?」
アキラは答えない。
ただ、デスクトップパソコンをカタカタと弄りながら、薄く微笑みを浮かべている。
「さあ、僕の口からは“今は”言えません。
まだ試験段階なのでね」
「……どういう、こと?」
「一つだけ言えるのは」
白衣の男の手が印を結び始めた。
「あの方は…………琴白様は。
ずっと先の景色を見ていらっしゃるということ」
「先の景色? 貴方何を言って……」
「これ以上はご勘弁を。それでは竈猫様、本日は遠いところご足労いただき誠にありがとうございました。これにて失礼」
アキラ=クレメンティの両手から、白い光が漏れる。その輝きは段々大きくなって――最初、此処に来たときのように柊月の全身を包み込む。
「ちょっ、待って! まだ聞きたいことが」
「また今度、会いましょう。それまでお元気で」
彼女の叫びは、医師の微笑みに一刀両断される。
白い光に目が眩む。
*
柊月が再び目を開けると――そこはもとの住宅街だった。まるで今までの出来事はそらごとだったのではないかと思うほど、妙に身体がフワフワとしている。
「他所にても 風の便りに 吾ぞ問ふ、か」
ふとアキラから教えてもらった和歌が口をつく。
どんな意味なのだろうか。
武士の時代の夜明け前、「平将門の乱」と呼ばれる大戦を巻き起こし朝廷をも凌ごうとした男は、何を思ってこの歌を詠んだのだろう。
帰ったら調べよう。
そう決めた柊月は足取り軽やかに歩き出した。
このあと、柊月がせっかく持ってきたリンゴをアキラに渡し忘れたことに気づき、帰り道の大阪駅で降りて同僚の龍宮蜜葉に青森県産とれたてリンゴを三十六個押し付けることになるのは、また別の話――。




