073.竈猫柊月はアキラ=クレメンティに青森県産とれたてリンゴを渡したい! 【上】
一条柚琉が北山音羽にこっぴどく叱られ、琴白星哉が氷室雪吹に軽蔑の目を向けられ、古闇真白と夜条蒼空が日本列島の地質学的境界で再会を果たしていた一方その頃……ではなく。
少し時を遡り、玄武戦終結の二日後――。
兵庫県神戸市郊外にて。
「……琴白くんのバッカ野郎」
某最強陰陽師のことを悪びれもせず罵り倒しながら、道端を往く者が一名。
「全く、なんなのよアイツは。『柊月ちゃぁん、アキラさんにりんごを持ってってやってくれない? 彼、一気に四天王の残留呪詛をたくさん祓わなきゃいけない大変な仕事やってるからさ。きっと疲れてると思うんだよ。ね、だからお願い?』とかなんとか言ってたけど」
その目が呆れと怒りの混じった色を浮かべる。
「琴白くん、私のことリンゴ農家としか思ってないだろ絶対。『流』であること忘れてる気がする」
後ろで緩く編み、くるっと巻いて大きなピンで留めてある深紅のような黒髪。黒目がちで艷やかな瞳。恐らく一般的に「超美人」に分類されるであろう外見をした少し気の強そうな彼女の名は――竈猫柊月。青森県『流』を務める実力者であると同時に、リンゴ農家も営む凄い陰陽師である。
呪鬼生息最北端の地、青森県。その地に住まう陰陽師には大切な役目がある。それは「呪鬼の蝦夷地への進出を食い止めること」。
蝦夷地――北海道。古くから「日本国」とは別の世界だとされ、江戸幕府の半支配的政治が始まるまで基本「倭国」ないし「日本国」の範囲は現在の青森県から鹿児島県までとされていた。
そのせいなのか、呪鬼は北海道と沖縄県には生息していないのである。琉球と蝦夷地――異なる文化圏であったことから、古代に生まれた呪鬼の遺伝子を引き継ぐ今の呪鬼たちは、もしかしたら「今の日本」の範囲を認識していないのかもしれない――――これが、祓直属医療研究機関『療』が立てた仮説。
真偽の程は分からないが、もしそうだとしたとき、呪鬼が新たな地の存在概念を知り、更に呪鬼を増やそうと海を渡ってしまえば陰陽師たちにとっては大きな痛手である。そこで、青森県と鹿児島県の陰陽師たちには比較的実力のある者が任命され、「呪鬼を本州から九州のうちに留めておく」という特別任務があるのだ。
そんな「実力者」の一人である竈猫柊月。琴白星哉がそんな彼女に出した指令。それこそ先程柊月が散々愚痴っていた――『療』のアキラ=クレメンティにリンゴを届けろ。すなわち、柊月に『療』のトップに会いに行けと暗に示している。
(アキラさん、ねぇ。大きな怪我とかしたことないから治療してもらったことも、直接話したことも無いけど。琴白くんが私と彼を会わせるってどういうつもりなんだろう)
悶々と考えながら歩いていた美女陰陽師だったが、その足が突然ピタリと止まった。『療』の建物が見えた訳では無い――というより、彼女が今いるのは車通りの少ない道であり、近くには何の変哲もない住宅街が広がっているのだが。
柊月は“感じたのだ”。
ついさっき踏み出した自分の一歩で、“異空間に入り込んだという感触”を。
「なんだ、結界? しかも強力な。空間が重なり合っているみたい……」
柊月の形の良い唇が、その疑問をぽろりと零したその瞬間だった。
『いやぁ、お見事、お見事でございますよ。さすがは青森県の流を務めていらっしゃるだけある』
知らない男の声が響き、辺りの景色が白く光り始めた。眩い閃光に包まれる住宅街――柊月は思わず目を瞑る。
『もしこの建物を守る結界に気づかない程度のお力でしたら、か……ゴホン。琴白様の頼みとはいえ、このお話は無かったことにするつもりでした。まあ、要は貴女が気づいてくださって一安心ってことです』
男の声がだんだん近づいてきた。コツコツという足音が大きくなる度に、周りの白い靄も晴れていく。その向こうから姿を現したのは……大学のキャンパスのような広い敷地と、病棟を思わせる白い建物群。
そして。
『ようこそ、竈猫柊月様――祓直属医療研究機関・療へ』
爽やかに短く整えてあるミルクティー色の髪に、優しいグレーの瞳。白衣に身を包んだ色素の薄い長身の、この男――。
『僕は、療の医師長を務めさせていただいている者です。性別は見ての通りですが、本名年齢共に伏せさせていただいているので、皆様からはこう呼ばれております。
……アキラ=クレメンティ、と』
祓を陰から支える秘密機関『療』のトップ。呪いを解く術式においては、最強の『巴』たちをも凌ぐ腕前を誇る凄腕の医師であり、しかし同時に彼の詳細を知る者は居ない程の秘密主義であるという陰陽師界きっての謎の男である。
いきなり現れた巨大結界に少し驚きを見せる柊月。そんな彼女にアキラ=クレメンティは笑いかける。
「竈猫様、緊張していらっしゃいますか?」
「まあ……。此処に来るのも、貴方に会ったのも初めてなので」
「それはごもっとも。初めて『療』に来られる陰陽師の皆様は大抵目を丸くされます」
「そりゃ急にこんな巨大結界の中に連れてこられちゃぁ、ねぇ」
柊月は、改めて辺りを見渡す。兵庫県神戸市郊外にあるということだけしか知らなかったが……こんなに大きな処だったなんて。しかもそれを守る結界は、普通の住宅地に重なって存在している――“まるで、出雲大社みたいに”。
「んで、アキラさん」
竈猫柊月は白衣の男の顔を見上げる。
「話があるって、琴白くんから言付かってんだけど」
「そうでした」
「どういう、話なんですか……?」
眉をひそめる柊月に、アキラは頷いて見せた。
「続きは僕の研究室で。付いてきてください」




