055.晴れ渡る空に
暗がりは時に、人を過去に連れてゆく。
*
「ごめんなハル、アキ。父さん行かなくちゃいけないところがあるんだ」
――どうして、ねぇ、とうさん! どこへいくの!?
「近くて遠い場所。そこでやらなきゃいけないことがある」
――やらなきゃ、いけないこと……?
「そう。秩序と安泰を守るために」
――だからって、おれたちをおいていくの?
ねぇ、とうさん、なんで。
どこに、いったの……?
*
「おい、ハル」
聞き慣れた女性の声に、ハッと顔を上げた。視界に入ってきたのは、絹のような髪をおろした黒マント姿の陰陽師――夜鑑華白。
「ハルの方こそボーっとしてるぞ。大丈夫なのか?」
「え、お、俺ボーっとしてました!?」
「してた。それこそさっきまでのわたしのように」
「まじですか……」
ハルは頭をかきながら、あたりを見渡す。黒い海に浮かぶ、灰色の社建築。本当は絶景であるはずの廻廊からの景色も、色のないモノクロになってしまっている。
「なんだか……ここに居ると昔のことを思い出すんですよね」
ハルがボソリと言った。
「いや、思い出すっていうより、無理やり過去を思い起こさせる……みたいな」
「無理やり……?」
「はい。自分では思い出したくないのに、何故か歩いていると頭に浮かんでくるんです。そしてボーっとしてしまう」
華白にも、それは憶えがある。
「確かにな。呪鬼術だったりするのか?」
二人で首を傾げたその瞬間だった。
〈御名答〜!〉
甲高い愉快な笑い声が廻廊にこだました。相変わらず、何処から聞こえてくるのか分からない声だ。
〈正解だよ、御札の少年と薙刀のお嬢さん。過去を想起してしまうのは、ボクの呪鬼術さ。よく気づいたね〉
「わたしはお嬢さんっていう年じゃあないだろう」
華白は軽口で返しながらも、薙刀を握りしめて様子を伺う。さっきの戦い……結界内で済ませたはずなのに見られていた。こちらの手の内がバレている。
(操り人形とは視覚を共有してるのか……厄介だな)
華白は小さく舌打ちする。玄武は足を止めた華白とハルをあざ笑うように続けた。
〈ボクは大呪四天王『玄武』――であると同時にね、時を操る呪鬼なんだよ。キミたちがどんな道を歩んでここまでやってきたのか、ボクは知らない。だがその過去を見ることでキミたちが絶望するのなら――喜んでボクは、その過去を突きつける〉
更に高らかな笑い声を上げる北羅銀。それを遮るのは賀茂晴の声。
「ちょっと何言ってるかよくわからないんだが」
ハルは背中に隠していた御札を取り出した。
「俺は過去なんかに惑わされねぇ。時間を操る呪鬼だか何だか知らないが、お前の術中にある廊下を通るだけで、その人の記憶が蘇るって仕掛けか? そんなんだったら俺には効かねーぞ」
〈まさか〉
北羅は嘲笑った。
〈侮ってもらっちゃ困るよ。誰が自分の記憶だけを突きつけると言った? もちろん“他の人間の記憶も”だよ〉
「どういうことだ?」
聞き返したのは華白。
「他人の過去を、わたしたちに突きつけてどうするんだ。それで絶望させられるとでも? だったら助言するようで悪いが、自分の過去を見させられたほうが影響あると思うがな」
〈さて、それはどうかな……おっと三人目の“観客”が来た〉
北羅が嬉しそうに笑う。ハルと華白が後ろを振り向くとそこには――血に塗れた夜条蒼空が立っていた。
「蒼空!」
華白が駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「だ、大丈夫です。これは返り血なので」
「それならいいが……」
どうやらマネキンたちの群れを全て振り払い、やっとハルと華白へと追いついたようだった。しかしハルは蒼空の方をちらりと見やるだけで、すぐに北羅へと注意を向ける。
「おい、玄武。三人目の観客――ってどういうことだ。俺と華白さん、夜条蒼空で三人ってことか」
〈そうさ――今からキミたちには、とある過去を見せようと思う〉
「はあ!? そんなこと言ってんだったらその前にお前が姿を現したらどうだ。何処かわからん場所から高みの見物なんて卑怯だぞ!」
〈ボクは、そうだね。キミたちがこの過去を知ったうえで尚、戦う気力があるのだったら現れてあげるよ……ふふっ、先が楽しみだね。それじゃあ、過去の世界へようこそ〉
北羅の囁き声が、響く。
〈『呪鬼術・北羅伝 呪縛ノ巻』
――過去の呪いに、苦しむがいいよ〉
暗転。
*
次にハルと華白と蒼空が目を開けると……先程の暗闇からは打って変わって、眩しいほどの青空が広がっていた。三人が立ち尽くしているのは、ありふれた住宅街の中のT字路。春の終わりの暖かな日差しに照らされたアスファルトが、優しく反射している。
「ここは……?」
ハルが晴れ渡る空を見上げ、首を傾げる。
「北羅が作り出した世界って感じなのかな」
蒼空はそう答えはながらも、呪鬼の気配が感じられないことに奇妙な違和感を覚えていた。
(これが北羅の言っていた“過去の世界”なのか……? でもまったく邪悪な雰囲気は感じられない)
ここは、どこだ。
誰の、過去だ。
華白とハルも見知らぬ土地らしい。二人してキョロキョロとあたりを見渡しているところを見ると、どうやら場にいる三人の記憶ではないようだ。
――ってことは、氷室さんか賀茂明か、天乃さんの記憶の可能性が高い。
そう言いかけた蒼空の視界の端に、人影が映った。道路を元気に駆けていく少女――その背中には、黒いテニスラケットのケースが背負われている。
彼女の姿を見て、目を見開く三人。
「三笠……」
「ミカサ!?」
「天乃さんか」
口々にその名を呟いた彼らに、北羅の声が届く。
〈そう、ここは、天乃三笠サンの過去だ。日付は今年の五月一日。これが何を意味しているかは――そこの『流』のキミがよく知ってるよね?〉
ニイッと嗤う呪鬼。
〈では改めて――天乃三笠の過去の世界へ、ようこそ〉




