054.白い華咲く
新潟県『流』・夜条蒼空がマネキンの群れを撃破した頃、フブキたち一行から分かれた二人の陰陽師は困惑していた。
「晴、コイツとはどうやって戦えばいいのかね」
「……どうしても人間の姿を留めているのが気になってしまいますね」
厳島神社の東廻廊の途中で、とある操り人形の足止めをくらっていた――そう、酷いなりをした元神官の男性である。黒マントに絹のような白髪をたなびかせた千葉県『流』・夜鑑華白、そして茶色がかった癖っ毛の少年・賀茂晴。ある程度の実力を持ち合わせている二人が躊躇っているのは、神官傀儡とどう戦うか、ではない。“如何にして彼の身体を綺麗に残すか”である。
厳島神社のこの神官は、おそらく一時間ほど前に無惨な方法で北羅銀に殺された。そして呪いをかけられ、北羅の操り人形となった。つまり完全に呪鬼になったわけではなく、人間てしての身体は未だ保っているということだ。
「……この人にかかっている傀儡の呪いを祓っても、身体は消えないってか」
二人の術式を持ってして暴力手段に出るのは簡単だ――普通の呪鬼相手ならそうするだろう――が、相手は生身の人間。呪いを祓えたあかつきには、埋葬したり後始末をしたり遺族に届けたりしたい。だから“彼をこれ以上傷つけたくない”。
「できるだけ手短に終わらせますか」
「だが、相手に物理攻撃をしてはいけない。必ず和歌の力を持って呪いを制す」
「了解です」
ハルと華白は薄暗い廊下で、戦闘態勢を取った。
「よし、行くぞ」
「はい」
地を蹴る――と同時に神官も跳躍する。
ヒュッ。
血に濡れた袖がハルの眼の前で旋回する。体をのけぞらせて避ける陰陽師――しかし傀儡は早くも次の蹴りを放ってきていた。
(腕でガードだ……)
体の前で両腕を交差するハルめがけて、人外のスピードの蹴りが迫ったそのとき。
『和歌呪法・瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われてもすゑに 逢はむとぞ思ふ』
詠唱と同時に――華白の放った闇の帯が、ハルと神官の間の空間を断絶した。神官の蹴りが、華白のバリアで止まる。大きなダメージを覚悟していたハルは、思わず目を見張った。
「華白さん!?」
「わたしがコイツの相手をする。晴は背後から回って奇襲の時を見極めろ!」
「わ、わかりました!」
戦線を一旦離脱するハル。そして神官の左をすり抜けると、華白とソイツを挟んで相対する形を取る。華白は横目で中学生陰陽師の動きを見届けながら、その紫の瞳を敵に向けた。
(飛び出た眼球、折れた腕……か。酷いな)
神官から音もなく繰り出される打撃を華麗に躱しながら、相手を観察する。さすがは大呪四天王のつくった操り人形。そこらへんの呪鬼より遥かに強く、速い。
華白は考える。
(向こうは操られているだけ……つまり疲れの感覚がない。このまま物理攻撃を避け続けるだけなら、不利になるのはこちらだ)
神官の血走った片目が華白を捉える。それと同時に右手が繰り出される――左に体をさばいて、避ける。
(この速い動きの中でわたしは、ハルがとどめを刺せるようにコイツの気を引きつけなければならない)
華白は御札を握りしめた。
(どうする? こちらからも反撃するか? だがそれが有効なのは最初の一撃だけ。わたしも攻撃してくるのだと神官が覚えてしまえば、次からは後方のハルとわたし両方に注意を向けてしまうはず……)
なら、これを出すしか。
――新しい術式で傀儡の気を引き付ける。
『和歌呪法・瀬をはやみ』
詠いながら華白は後方に跳んで、御札を掲げた。紫が揺らめき、輝く。
『呪鬼滅殺・「紫雲ノ薙刀」』
それは一瞬の出来事だった。華白の和歌呪法が放つ紫色の光の狭間から、さらに強烈な光線が放射されたかと思うと……次の瞬間にはもう、彼女の手に“それ”は握られていた。
彼女の目の色と同じ煌めきを持った、一振りの薙刀。
「さあ、これはどうだい? 玄武さんよ」
ブオンと、華白がその長い武器を回す。花びらのよう散る紫の光――これが“紫雲ノ薙刀”。和歌呪法から生み出した華白専用の武器であり、これの遣い手であることが彼女の強さの秘密である。例えるなら、桜咲舞桜の“桜刀”と同じようなものだ。
華白の専用結界“崇徳ノ呪”の闇色と、薙刀が放つ紫が溶け合い幻想的な風景を描き出している。目にしたことのない新たな脅威を前に、戸惑いを見せる操り人形。
「ほらほら、どうしたんだい? かかってきな」
さっきの勢いはどこに行ったんだよ、と挑発してみせる。傀儡に言葉が伝わるのかは分からないが、心理戦に持ち込むのも戦闘においては非常に優れた戦術だ。
さて、この長物を相手に、どう出てくるか。
華白の瞳が、神官の僅かな動きを捉えた。
(来る……っ)
操り人形が動くと同時に、華白もまた口を開いた。
「晴っ! 今だ!」
千葉県『流』の鋭い声は、後方で待機していたハルにも確かに聞こえた。
「了解です、華白さん」
小さくつぶやき、御札を取り出す。
『和歌呪法・ひさかたの 光のどけき 春の日に』
ハルの手元で淡い黄色が弾けたと同時に、神官のほうが大きく動きを見せた。長い獲物を持つ華白への恐れが生み出した、単調な物理攻撃。
〈ウアオオオオオオオオオオオ〉
ざらついた傀儡の声が、華白に迫る。神官の千切れかけた腕が彼女の脇腹を狙う――“その瞬間を、華白は待っていた”。
「ごめんよ、神社の御方。あとでちゃんと葬儀は執り行うから」
華白の瞳に哀愁が漂う。
(だから今は、大人しく祓われて――)
『しづ心なく 花の散るらむ!』
華白の直ぐ前方で響く声。ハルの御札が黄色く輝き、神官の首筋に貼り付けられた。
『呪鬼 滅殺――!』
前方に注意をひきつけさせた上で、背後から挟み撃ちにする。卑怯なやり方だと、自分でも思う。仮にも戦う者――戦士なのだとしたら、一対一で実力勝負をすべきなのかもしれない。
(だが――)
ハルがストンと着地する。それと同時に、神官の体が崩れ落ち、黒い煙が彼の身体から抜けていく。
(わたしは“償い”の為に戦っているのだから……必ず全ての呪鬼を滅する、たとえどんな手を使おうとも)
スローモーションのように床に崩れ落ちる神官の死体を見下ろしながらぼんやりと立つ華白――その脳裏に或る声が響いた。
『償い……? やめてよ、そんなこと言うのは』
嗚呼、この声は。
『せめて僕への“恩返し”として陰陽師をやってほしいものだけどね』
此の人は。
久しぶりにハルと共闘したせいか、彼の真っ直ぐな眼差しを見たせいか。華白の頭の中に、一人の陰陽師の顔が浮かんだ。
(わたしを地獄から救い出してくれた人であり、この世界へと誘ってくれた恩人……よりによって、こんなときに思い出してしまうとは)
一人苦笑しながら、彼の名を想う。
賀茂夏行――現在行方不明となっている、ハルとアキの父親。
彼こそが華白を陰陽師の世界へと連れて行った張本人。呪鬼を滅殺するという償いの方法を教えてくれた――そして今は“いない”人。
「華白さん……? どうしました?」
はっと気づくと、ハルが華白の直ぐ目の前に立って顔を覗き込んできていた。
「晴……」
「なんかぼーっとしてましたけど。あ、呪いの解けた神官さんは廊下の脇に寝かせてあります……損傷、酷いですけどね」
「ああ、ありがとう」
かろうじてお礼だけを言う。そんな彼女を見て、ハルが心配そうに聞いてきた。
「ほんとに大丈夫ですか……?」
「大丈夫。少し昔のことを思い出していただけだから」
「ならいいですけど」
ハルは華白の前に立って歩き出した。
「じゃ、ミカサたちの応援に行きましょう。俺の勘だと氷室さんたち、そろそろ玄武本体と相対してるんじゃないでしょうか……?」
「そうかもな、先を急ごう」
華白も一歩踏み出す――目の前を歩いてゆく少年に、かつての恩人の面影を重ねながら……。




