053.蒼空の彼方
最初に一行から脱落することとなってしまった新潟県『流』の夜条蒼空は――未だ東廻廊の入口近くに居た。彼の五メートルほど先には、例のマネキンが三体構えている。
「一対三かよ……めんどくさいな」
その整った顔を気怠そうに歪め、小さく舌打ちする。先程彼らの突然の攻撃によって壁に強打した背中に、ジリジリと痛みが出てきた……が、しかし。
「ま、しょーがねーな。ここで立ち止まるわけにも行かないし」
蒼空は想いを込めて御札を持ち直した。
『和歌呪法・夜をこめて 鳥の空音は はかるとも』
和歌を唱えながら、蒼空は地面に踏み込む。そして。
『結界展開・逢坂の関!』
結界展開の詠唱と同時に、蒼空の右足の置かれた部分から淡い青色の光が飛び出した。それは蒼空を中心として蜘蛛の巣状に拡散する。元は朱色だったはずの廻廊の柱は、無機質なグレー。そこに広がる空の色、蒼空の青色。
「この世から抹消してやるよ、操り人形どもめが」
蒼空の言葉とともに空中に山影の幻像が出現した。それは古の世に名を轟かせていた日本一の関所――逢坂山。京都を守る「三関」の一つにも数えられ、和歌にもよく詠まれた場所である。
彼の専用結界である「逢坂の関」。つまりそれが展開されたここは、蒼空の支配下にある。
「いくら四天王が操ってるといえど、所詮は傀儡。結界合戦すらできないようじゃ俺の敵じゃない」
夜条蒼空と三体のマネキンは同時に床を蹴って跳躍した。陰陽師の左側のマネキンが先に拳を作り、此方に放ってくる。その黒い影が蒼空に迫る前に。
「おせーよ」
そう、遅いのだ。五月に相見えた“アイツ”とは決定的に速さが違う。青い瞳がマネキンの拳を捉えた。蒼空はそのまま攻撃を受け流しながら片腕を突き出す。虚空を切り裂く音とともに――。
ドンッ!
件のマネキンが蒼空の攻撃によって吹き飛ばされた。一体にダメージを与えることができた……が、あと二体残っている。
「次は……上からか」
蒼空は一旦床に着地し、濃い気配を感じ取った頭上を見上げた――案の定、黒いマネキンが二体、降ってきている最中だった。左側の先制攻撃を仕掛けてきたマネキンに蒼空が気を取られている隙に、上からの物理攻撃で潰せという命令だったのだろう。
頭上という視野の外からの急襲――しかし、夜条蒼空は『流』だった。未だ彼が『流』に就任してから三ヶ月……年齢も十五歳と若い。だがその実力は本物だ。
「お前らの動きなんてな、完全に見えてるんだよ」
ため息をつきながら御札を掲げる。
蒼が頭上に煌めいた。
「呪鬼 滅殺」
静かな声とともに。
〈キャイァァァァァイァァァァ!〉
耳をつんざく叫び声。三体の操りマネキンたちは黒い煙をあげた。そのまま蒼空の青い光によって、姿を次々と消していく。
『解結界』
夜条蒼空が呟く頃には、もう彼らの痕跡は此の世のどこにも残っていなかった。逢坂の関が消えていくと同時に、あたりの黒い靄も完全に晴れる。
終わった。ここまで僅か数十秒。
これが新潟県『流』の力だ。
「よし、じゃあ後援に行きますか」
夜条蒼空は幾分明るくなった廻廊の床を、軽やかに走ってゆく。途中同じような傀儡のマネキンが行く手を阻んできたり、呪詛結界らしきものを張ってきたりしたが――蒼空の相手ではなかった。
(なんなんだ、このマネキンたちは……。本当に四天王の操り人形か? だとしたら弱すぎる)
敵が弱いのならば大いに結構なのだが。
何体目か分からないマネキンを蹴り飛ばしたとき、夜条蒼空の脳内に、ある可能性が閃いた。
(まさか、マネキンが弱いのは四天王が弱いからじゃなくて……“意図的に”なのか?)
マネキンに回していない“強さ”を他の傀儡に回していたとしたら? 四天王本人が力を温存しているのだとしたら? ……いや、したら、ではない。その可能性が極めて高い。というかそれしか考えられない。
(マネキンはテキトーな強さにしといて俺の体力を消耗させる、そして他の所へマネキン以上の力を回しているのか……。だとしたら天乃さんが危ない)
蒼空の脳裏に、かの少女の笑顔が浮かんでは消えた。――天乃三笠。かつて新潟県糸魚川市の某公立中学校で、蒼空と同じテニス部に所属していた後輩であり、今は『除の声主』として陰陽師界に少なからず名を渡らしめている十三歳。
「俺がずっと側に居られたら……こんなことには、巻き込まなかったのに」
蒼空の本音が、虚空に溶けていった。天乃三笠を、“何よりも大切な”アイツを人外の魔物との命がけの戦いの世界に巻き込むだなんて――絶対に俺なら、しないだろう。
そのうえ彼女は呪鬼に関して、既に心に深い傷を負っているのだ。あの日――“糸魚川市が壊滅の危機に晒されたあの日”に。それでも何事もなかったかのような、ふにゃりとした笑みを浮かべて彼女は千葉へと引っ越していった。
――さよなら、夜条先輩。
俺は陰陽師であることを隠してきたから、誰にも言っていなかったから、天乃さんの背中を黙って見送ることしかできなかったが……それでも彼女が住む場所を変えることによって平穏な日々を送れるのなら、もう二度と会えなくてもいいと思った。
それなのに、なんなんだこの運命の悪戯は。
「転校先にも陰陽師が居たなんて」
蒼空の御札が青い光を放つと同時に、操り人形が後方へ飛んでいく。踵を返してお決まりの言葉――『呪鬼滅殺』と呟き、確実に一体一体滅する。
その間も頭の中を廻る疑問。
「なぜアイツらは、天乃さんをこの世界に巻き込んだんだ……?」
俺だったら絶対に“好きなひと”を、危険な目に遭わせたりしないのに。
――本当は出会ったその日から分かっていた。天乃三笠の声は、もしかしたら呪鬼滅殺に多大なる影響を与えられるのかもしれないと。『除の声主』なのかもしれないと。
知っていたのだ。
だからこそ俺は、可愛い後輩を巻き込むまいと誓った。悲しい思いをするのは、怖い目を見るのは、俺たちだけでいい。慣れない制服に身を包み、一年前の四月に突然俺の目の前に現れた少女は――いつしか俺の目を惹くようになって。心から離れなくなって。
守りたいと思った。
なのに賀茂晴と賀茂明とやらは、天乃三笠を『除の声主』に祭り上げてこの世界へと誘った。
絶対に許せない、いや、許さない。




