050.開戦
天乃三笠は、目の前の風景に戸惑っていた
(なにこれ……よく教科書に載っている厳島神社よね……? 天気も悪いし、波も荒い……しかもモノクロ)
そう、今三笠たちの前に広がる厳島神社には、色がなかった。灰色、黒、かろうじて元々は朱色だったであろう赤黒い部分が見受けられるが、しかしそれだけだ。あとは全て白黒。日本三景に数えられるという絶景は、そこにはない。
「ねぇ、アキ……どういう事?」
思わず隣りにいたアキの袖を引っ張っる。
「なんでこんなに、おかしいの? 全部呪鬼のせいなの?」
「おそらくな」
アキの左手が眼鏡フレームを押さえた。
「呪鬼が居ると周りのモノも影響を受ける……アオゲサの時なんかが良い例だ。だが、」
「あまりにも影響を受けすぎている、か」
ハルがアキの言葉を継いだ。周辺の情景からも色を失くしてしまうほどの呪力――もとい、負の感情。おそらく三笠やハルやアキが、今まで対峙したことのないようなレベルの敵が、この厳島神社の中には居るのだろう。
「お前ら、準備はいいか」
フブキが他の五人を振り返った。華白が頷く。蒼空も三笠たちも続いてコクリと頷いた。
「行きましょう、氷室さん」
夜条蒼空が静かに言う。
「嫌な匂いがしますけどね。それでも俺らは退けない――だって、この一年で“終わらせる”んですもんね。命の一つや二つ、惜しんでいられない」
「悪いな、付き合わせて。琴白には何か考えがあるらしいんだが」
「いえ……」
応えたのは華白だった。
「呪鬼滅殺の思いは、わたしたちも同じ――ですから」
その紫の瞳に、憎しみの色が揺らめく。彼女は歩き出した。それにつられて他の陰陽師も歩き出す。
しばらくして六人は揃って足を止めた。
「ここが、入り口か……」
フブキがつぶやく。彼らの目の前には、奥へと長く伸びている通路があった。海の上に浮かんでいるように建っている厳島神社は、いくつかの神社を廻廊と呼ばれる通路で繋げた造りになっている。
いつもなら、青空のもとに映える朱塗りの廻廊と海に映る神社を楽しむことができるはずだが――今は、呪鬼のせいで曇天。そして厳島神社自体が呪詛結界になっているため、通路の先が闇で見通せない。
「それでも、入るしかない、か」
蒼空が哀しく呟き、微笑んだ。御札を取り出して小さく和歌呪法を唱える。
『和歌呪法・夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関は許さじ』
じわじわと御札の色が青く、蒼く、変わっていく。これが夜条蒼空の歌――清少納言が中国の故事を踏まえて詠んだと言われている、知性溢れる和歌である。
「俺が先陣を切ります。後ろのフォローは頼みま」
「なぜお前が先に行く?」
かっこよく言ってのけた蒼空を遮ったのは、華白だった。彼女は心配そうな声で続ける。
「ここは年上のわたしたちに任せてくれてもいいんだぞ? 蒼空はまだ『流』の経験も浅いし……」
「良いんです、行かせてください。夜鑑さん、氷室さん」
蒼空はこちらを振り向いて、爽やかに笑ってみせた。
「好きな人の前でくらい、カッコつけさせてくださいよ」
これを聞いたハルとアキは顔をしかめ、三笠だけがキョトンと何もわかっていない様子だった――が、しかし。戦いの火蓋は切られようとしている。
〈あれぇ、誰か来たねぇ〉
突如、廻廊内に響き渡る禍々しい声。しゃがれているような、しかしまだあどけないような少年の声が、三笠たちの鼓膜を揺らした。
「誰だっ――!?」
先頭を歩いていた蒼空が足を止め、御札を構える。まだ呪鬼の姿は見えないが、ここは既に大呪四天王の呪詛結界内――片時も、油断はならない。
〈ボクが誰かって……? もうさすがに陰陽師さんたちの組織にも報告、いってるっしょ?〉
馴れ馴れしく、軽口を叩くような口調で言う声。華白も一歩踏み出し、黒マントの中から御札を取り出す。
「報告は来ている。だからわたしたちが、ここに来たんだ」
すると声は再び高らかに笑った。
〈はっ、なーるほどね。足音からすると……六人? 意外に少ないね。ってことは、精鋭を遣わしたってことかなぁ? ま、どーせボクには関係ないけど?〉
「なんだと……?」
〈だって、相手の陰陽師が強かろうと弱かろうと、ボクがぶっ潰すという結末には変わらないんだから、ね〉
これを聞いたフブキが、青筋を立てる。
「おやおや、なんだって? アタシらがアンタにぶっ潰される事実は変わらない? ずいぶんと自信過剰なことで。ねぇ、呪鬼さん」
“呪鬼さん”と呼びかける『巴』。
三笠は身構える。
(やっぱり……姿は見えないけど、これは呪鬼の声なんだ……)
すると謎の声は、余裕たっぷりな笑みを含んで続けた。
〈自信過剰……ねぇ。過剰という言葉はボクには当てはまらないな。ちゃーんとキミたちをぶっ潰す自信はある――じゃなかったら、伊達に六百年間『大呪四天王』なんてやってないさ〉
「大呪四天王……やはりか……!」
蒼空が呟いた。
「六百年間? 何歳なんだよ、お前」
アキとハルも自分の御札をそれぞれ準備する。
〈そーだよ、ボクはずっと四天王。何歳だったかな、わーすれちゃったー☆ ってそれより!とにかくまずはキミたちを潰さないと! んじゃ、行くよ?〉
愉しそうに笑う“大呪四天王”の声。
〈『呪鬼術・北羅伝 傀儡ノ巻』〉
闇の中に、呪鬼の呟くような呪言が響いた――次の瞬間、廻廊の奥から猛スピードで“何か”が迫ってきた。
風を切り、まっすぐに六人に向かってくる“何か”。それは深い闇色の人形だった。白いマネキンを、ただ黒に塗りつぶしたような、簡素な操り人形。
「なんだこいつ――っ!?」
夜条蒼空が素早く対抗呪法を唱えた。
『和歌呪法・夜をこめて』
青い光がバリアのように彼の正面に広がり、迫りくる人形の動きを封じる――が、しかし。
〈それで止めたつもり?〉
呪鬼は嗤う。刹那。
ドゴッ――――!!
蒼空のバリアを物理的に突破したマネキンが、そのまま猛進し彼に正面衝突した。
「ぐあっ………!」
マネキンとともに吹っ飛ぶ夜条蒼空。
「大丈夫か!?」
華白が慌てて振り向く――が、その目には砂埃しか映らない。長い廻廊の端まで、彼らは吹っ飛んでいった。その先でもまた、戦闘が開始されたようだ。
(なに、あの速さ――。しかもアレは呪鬼本体じゃないんでしょ? 操り人形なのに)
三笠は震える。生きていないくせに、あの強さ。いや、“生きていないからこそ”限界がないのかもしれない。
〈あれー? もう一人脱落かなー?あははははっ〉
馬鹿にしたような笑みが、廻廊の闇に響く。
〈まだボクは『北羅伝』の『傀儡ノ巻』――操り人形しか出してないよ? この調子じゃぁ、他の五人もすぐ片付きそうだね〉
そして呪鬼は、続けた。
〈あっ、そうだ。まだ名乗ってなかったよねボク〉
フフフと嗤いながら、“彼”はその名を告げる。
〈大呪四天王『玄武』――ボクは北羅銀。よぉく、この名前を覚えておきな。自分を殺した相手の名くらい覚えてあの世へ行きたいでしょ?〉
呪鬼――北羅銀は、気色の悪い笑い声を立てた。
〈んじゃ、皆さん。仲良く死んでね☆さよーなら!〉
三笠たちの目の前に、今、大量のマネキンが迫る――――。




