030.珍しいお客様
「三笠ー、準備できたら、お盆を洗って持ってきてくれる?」
天乃三笠がキッチンの前でエプロンの紐を結んでいると、一階から母の呼ぶ声がした。
「はーい、わかったー」
ぱぱっとリボン結びをして、三笠は戸棚を開けてお盆を探す。あの木目の模様のまるい形を探しながら、三笠は考え事をしていた。
昨日の夜の、大宮駅での戦闘――――。
親友の霧花と埼玉へ遊びに行った帰り、駅の中で呪鬼と遭遇し、戦う羽目になってしまった三笠は、呪詛結界の中に囚われてピンチに陥っていたが……そこで助けてくれたのが桜咲舞桜と佐々木峻佑の二人組。同じ千葉県所属の陰陽師だという彼らとともに、三笠も自身の和歌呪法を放ち、なんとか勝利したのだった。
千葉へと帰れたのは夜遅くだったが、どうやら峻祐さんの連絡で、『祓』の人が上手くごまかしてくれたらしい。夜九時ごろに帰ってきた三笠を見て、両親が発した言葉はこうだった。
「電車、止まっちゃってたんでしょ。霧花ちゃんのところにも、一応そう連絡しておいたからね。大変だったわねえ。今日中に帰ってこれてよかった」
もちろん、京浜東北線は人身事故も信号機の不具合もなく、平常運転だったのだが……どうやら「電車が止まっちゃっていて、なかなか帰れなかった」設定になっているらしい。……うん、そういうことにしておこう。
幸い最寄りへ着くころになって霧花も目を覚まし、舞桜に心配されながらも二人で帰ることができたのだが……三笠には一つ、気がかりなことがあった。
――謝ってほしいわけじゃないの。ただね、羨ましいだけ。
耳の中でこだまする、ある呪鬼の声。
――素敵な仲間がいて、お友達がいて。
そう彼女は……早乙女ヒメカは、言ったのだ。自分には友達がいなかった。だから、三笠が羨ましいと。
(あれ……どういう意味、なんだろう。呪鬼って負の感情の塊なんでしょ?いろんな人のそういう感情が混ざり合って出てきたのが、あの言葉だったのかな)
そして、最後に現れた『巴』――古闇真白の発言も気になる。
(『大呪四天王』の『白虎』って、なんなんだろう……)
そこまで考えたとき、名前を呼ばれた。
「三笠ー?そろそろお店開けたいんだけどー」
母の急かすような声。
「はーい、今行くってばー」
三笠は戸棚からお盆を取り出すと、足音を立てて階段を下りた。
天乃三笠の両親は、この千葉県の小さな町で、小さなカフェを営んでいる。家の一階に店舗が入っていて、二階と三階が住居になっているのだ。向かいの公園は、休日になると子連れで賑わうところであり、静かな住宅街の中の行きやすいカフェとして、町の広報でも取り上げられたことがある。
引っ越してきてからオープンしたため、まだ開店三か月というところだが、常連さんも増え始め営業は順調なようだった。
「ごめん、お盆がなかなか見つからなくて」
そう言いながら三笠が階下に降りると、ちょうど父が店の玄関ドアを開けるところだった。ただいまの時刻は午前九時。定刻通りの開店、開け放たれたドアから、夏の爽やかな風が吹いてきた。
「三笠ー、今日はありがとねぇ」
カウンターの陰から、ぴょこんと母が顔を出した。
「せっかくの夏休みなのに、お店の手伝いしてもらっちゃって」
「いいのいいの」
三笠は笑いながら答える。
「昨日はキリカと遊びに行ったから今日はもともと家にいるつもりだったし」
「あらそう、でも宿題だって……」
「まあ、それはあるけど」
たまには、お母さんとお父さんと過ごしたいんだもん。
「せっかくの夏休みだからこそ、ね!」
元気よく言った三笠に、母は微笑んだ。
「ありがとう。じゃあ、今日はよろしくね」
「任せて!」
夏盛りの青空が、窓越しに光った。
◇◆◇
「いらっしゃいませー」
「ご注文は、いかがなさいますか?」
「クリームソーダと、アイスコーヒーですね」
「少々お待ちください」
「あ、いらっしゃいませー」
「お会計、八百円になります」
「ありがとうございましたー」
時間が、飛ぶように過ぎていく。客が目まぐるしく出入りしていく。夏休み期間中の日曜日だからか、常連さんに加え、親子連れも多く見られる。外気温は高く、今日の人気はアイスコーヒーだ。
「いらっしゃいませ!」
「伝票、ここに失礼します!」
三笠も、お盆を持って、注文票をもって、あっちへこっちへ大忙しだ。
(お母さんたち、すごいな……今日よりはお客は少ないだろうけど、いつもこのお店を二人で切り盛りしているんだもんね……)
ようやく客足が少なくなってきた、午後二時ごろ。
そんなことを考えながら、椅子に座って休憩していると――
カランカラン。
心地の良い鈴の音がして、新たな客の来店を知らせた。
「はーい、いらっしゃいませー」
三笠は立ち上がり、ドアの方に目をやる……そこにいたのは。
「いらっしゃってやったぞ、天乃三笠」
目を細めながらこちらを窺うメガネ男子――賀茂明と、
「うわああああああ!ミカサああ!」
彼の後ろから走ってきた明るい髪色の少年――賀茂晴。
「無事だったのかよおお!心配したんだぞおお!」
ハルは、そのまま三笠に抱きついた。
「きゃあ!?」
あっという間にハルの両腕に包まれ、三笠は思わず持っていたお盆を落とす。
「まじでさー、心配かけんなよ。ほんっとにまじで。ミカサが大呪四天王の眷属と戦闘中だって『祓』から連絡が来たからさ」
ハルは、三笠の肩に顔をうずめた。
「泣くかと思った。ミカサがやられたらどうしようって思って」
彼の両手は、いっそう強く三笠の身体を締め付ける。三笠は、ようやく自分が男子に抱きしめられていることに気づき、真っ赤になった。
「あの、ハル……」
「しかもさー、場所が遠いから俺たちは守れないし。ほんとに」
「ハル……手、離してほしいな」
三笠の恥ずかしそうな声に、ようやくハルの方も、自分がしたことに気づいたようだった。
「あ!ああ!?ごめん!ミカサ!つい……」
彼は慌てて手を離し、後ろへ下がる。そんなハルを、アキは冷ややかな目線で見つめた。
「衝動で動くから、そうなるんだ。馬鹿ハル」
三笠が落としたお盆を拾って、それでハルの頭をペシンと叩く双子の兄。
「いってぇ」
「当然の報いだ」
「つまりお前も抱きつきたかったと」
「そういう話じゃない」
ぎゃあぎゃあ言い合う賀茂双子に向かって、小さく手を挙げる。
「お、お二人とも、と、とりあえず座りませんか……?」
まだ赤い頬を押さえながら、三笠は賀茂双子を四人掛けのソファ席へと案内した。




