100.百戦不殆
「なに、『白虎』が現れた!?」
場面は変わり“もう一つの出雲大社”――。
そこに在る高層神殿の中に、そう叫びながら飛び上がった男が居た。彼の右手には、『祓』近畿支部の事務員と電話が繋がっているスマートフォンがある。
「それは本当かい?」
聞き返す男。電話の向こうの相手は緊迫した声で続けた。
「はい――こちらでの分析によりますと、まだ確定は出来ませんが『白虎』の呪詛結界はとても巨大で……おそらく近畿地方全土を包みこんでいるものと思われます」
「近畿、全部か。つまり上は滋賀や京都、下は和歌山くらいまで全部に闇の帳が降ろされているんだね」
「はい。あと……おそらく中には、『白虎』が選んだ者だけが囚われているとの予測を立てています」
男は目を細める。
「……というと?」
「おそらく一般人は無事です。陰陽師だけが結界内に招かれたものだと……。現に今、この近畿支部の建物には僕しか居ないんです!」
事務員が焦ったように告げた。
「午前零時より前……つまり結界が姿を表す前、ここには僕と二人の常駐陰陽師さんがいたんです。でも日付を超えたその瞬間、部屋に残されたのは陰陽師ではない事務員の僕だけでした」
「なるほどね」
男はゆっくりと頷く。事務員の言う通り、張られた結界に閉じ込められたのが陰陽師だけだとすると……滋賀、京都、兵庫、大阪、奈良、三重、和歌山の二府五県所属の者たちが、そこには居るはずだ。
「報告ありがとう。引き続き監視とバックアップを頼むよ、近畿支部」
「はい!」
近畿支部事務員の、不安とやる気が入り混じった返事を最後に電話は切れた。男はその画面の暗くなったスマートフォンを弄びながら一人つぶやく。
「大阪は蜜葉ちゃん、京都は一条家のやつがいるのか。三重も如月瑠音が居るし、『療』のアキラも居る……だが『白虎』か」
彼の脳裏に蘇るは、かつて件の呪鬼と一人で交戦し、大怪我を負い引退を余儀なくされた友人の顔だった。――今は、何処で何をしているんだったか。
「よし『巴』を派遣しよう」
彼は再びスマホを操作し、最強の陰陽師『巴』の一人に電話をかけた。
軽快な電子音が響いたあと。
『もしもし? 琴白サン、どうしたの?』
聞き慣れた少年の声が、スピーカーから流れ出した。
*
福井県と滋賀県の県境某所――月が朧げに明るく輝いている空の下、一人の少年があたりを彷徨きながら誰かと通話をしていた。グレーの髪色に、珍しい碧い眼を持った、まだあどけなさの残る彼は――その見た目とは裏腹に冷たい声を電話口に響かせている。
「『白虎』……ですか。それが近畿全土に結界を張っていると」
『そうなんだよ。その件で真白くん、君に任務を命じてもいいかな』
電話相手――『祓』のリーダー・琴白星哉が少年――古闇真白に指示を出した。
『近畿全土に呪詛結界を張った大呪四天王、西京明石を討伐してほしい。出来るか?』
「……琴白さん、泣いてます? 声震えてますよ」
『いや、……そんなことはない』
否定する琴白。しかし真白は、彼のやるせない顔が浮かんでくるように思えた。そういえば少し昔に聞いたことがあったか――四年前、『白虎』が東京都に襲来した際に、琴白の友人だった陰陽師が大変なことになったと。幸い命は助かったようだが、それをもって引退となってしまった――確かそんな話があった。
琴白は不安なのだろうか。
そんな『白虎』を、『巴』であるといえど、まだ十三年しか生きていない少年に討伐せよと命令をしなければいけない今の事態。それが“どうしようもない”ことなのだということに気づいて。
真白は、深く息を吸って口を開く。
「大丈夫ですよ、琴白さん」
同僚であり先輩である彼を、安心させようとして。
「オレのこと見くびらないで下さい、ちゃんと『巴』なんですから――もう二年、最前線に居るんですよ? もっと信頼してくださいよ」
琴白が電話の向こうで息を吐く音が聞こえた。
『そうだよね、ごめん。私が悪かったよ今のは』
再び仕切り直して――。
『では、古闇真白。……結界内には心強い陰陽師たちがたくさんいる。彼らの力も時には借りつつ、元凶にして、今の世で二番目に強い呪鬼――西京明石を祓え。君に四天王「白虎」の討伐任務を命じる!』
「はい」
鋭く短く、古闇真白は返事をする。
『ありがとう。じゃあ、結界内に入れるところを探して……そうだな、滋賀の上の方とか良いんじゃないかな?』
琴白星哉の声に、真白は冷静に答えた。
「そう言われるような気がして、もう現地についています。あと十歩ほど歩けば結界内です。……空間がわずかに歪んでるのが分かるので。あそこがおそらく境界かと」
一息でそこまで言うと……しばらくの沈黙の後、スマホのスピーカーから琴白の吐息が漏れる。
『真白くん……君はなんて優秀なんだ! 感動でなんだか眠くなってくるよ!』
「おやすみなさい」
『なんか冷たくない!?』
「いや、眠いって言ったのは琴白さんですし……それにいまからオレが命がけの任務に行こうとしてるのに寝ようとしている貴方のほうが冷たいですよ」
『うわぁぁ、真白くうぅぅん!冗談だってば、流石に分かってよ!』
慌てた声を出して喚く琴白。そんな彼に苦笑しながらも、真白は『境界』へと歩き出した。それは、生死のわからぬ世界への、波乱の戦いへの第一歩……。
「じゃあ、琴白さん。切りますね」
おそらく、結界内は電波も繋がらないだろう。万一繋がったとしても、中で待ち受けているのは四天王『白虎』だ――のんびりと通話をしている暇なんて無いのではなかろうか。
「……行ってきます」
強い決意と、相応の覚悟を持って――。
古闇真白は結界面の目の前に立った。
『真白くん……死ぬなよ』
「うん、分かってる」
それだけ言って、真白は一方的に電話を切った。スマホの電源を落としてポケットに入れる。代わりに取り出したのは、『呪鬼滅殺』の文字が書かれた除霊札。
(琴白さん……オレは、大丈夫だよ)
死んでも、大丈夫。
真白の片足が、境界を超える。
(だって、もしオレが死んでも……悲しんでくれる家族なんて、オレには“居ないから”)
とぷん、と微かに液体が弾ける音がして。四天王『白虎』の構える巨大呪詛結界が、また新たに陰陽師を呑み込んだ――。




