凄腕の冒険家、妻の反対も押し切り、自ら作った船で未知の大陸を目指そうとする
アレッジ王国にテリード・アベンという凄腕の冒険家がいた。
彫りの深い顔立ちで、眉は凛々しく、細身ながら鍛え上げられた肉体を備える豪傑。
その経歴がまず凄まじい。
五歳の時に、一人で家出をして、近隣にある大人でも険しい山を登頂。
十歳の時には学校の遠足の最中、未知の遺跡を発見してしまう。
十五歳の時には国の探検隊に見習いとしてついていき、探検百回分もの成果を挙げてしまった。
こんなテリードが冒険家を志すようになるのは当然の成り行きといえる。
少年期にテリードはすでにいくつもの難所を攻略していたが、二十歳の時、同じく冒険家のフィルナと出会って世界が変わった。
フィルナは気が強く、長い栗色の髪を後ろで縛り、勝気な美貌を持つ娘だった。彼女のしなやかな筋肉は、男顔負けの瞬発力と持久力を発揮する。
この二人のコンビはまさに相性抜群であり、どんな困難な冒険も達成していった。
アレッジ王国には、『四大未達冒険』というものがあった。
その名の通り、“誰も成し遂げたことのない四つの冒険”という意味である。
冒険家たちは、この四つのうちのどれかを達成することを、人生の目標と掲げていた。
しかし、テリードとフィルナは――
雲上にも届くヒルベート山、登頂成功。
広大な迷える森林、シャルクの森を横断。
滝を横にした川と称されるノディ川の川下りを成し遂げる。
熱と乾きが支配するザーミア砂漠、横断成功。
『四大未達冒険』を全て成し遂げてしまったのである。
いずれもきちんと証拠や証人があり、公式記録として認められている。
さらに、二人は冒険の最中、結婚していた。
切り出したのはテリードで、「俺たちももう長いし、結婚しちゃわない?」「しちゃいましょうか」という流れだったらしい。もちろん式など挙げなかった。
彼らを知る者は皆、「二人らしいや」と笑ったという。
『四大未達冒険』を達成し、妻も娶ったテリードの、次なる狙いは“海”だった。
テリードは陸は制覇したといっていい。しかし、海に出たことはまだなかった。
もちろん、漠然と海に出るわけではない。目標はあった。
海の向こう、水平線の彼方にあるとされる『銀の大陸』。
言い伝えで語られるような、伝説上の大陸である。海をずっとゆくとそこには大陸があり、たくさんの銀が取れ、銀色の人間が住んでいると。
過去多くの冒険家が、『銀の大陸』を目指して、文字通り帰らぬ人となった。
本当にあるのかどうかすら定かではない。
しかし、テリードの触角はこの伝説に向いていた。
「待ってろよ、『銀の大陸』……必ず俺たちがたどり着いてやる!」
アレッジ王国では、造船技術はそこまで発達していない。
なのでテリードは既存の船には頼らず、自分で船を作ることにした。
国内の大学にて造船の本を読み、専門家から知恵を借り、帆船の設計図を引く。
食事時になると今や妻となったフィルナに、こう話すのが日課になった。
「夫婦で自分で作った船に乗って、新大陸を発見できたら、それこそ最高だよな!」
しかし、フィルナは浮かない顔をして答える。
「ええ、そうね……」
とはいえ冒険に夢中のテリードは、そんな妻の様子には一切気づかなかった。
***
テリードが『銀の大陸』を目指し、船を作っているというニュースは国中に広まり、話題となった。
いくらなんでも無謀という意見もあったが、四大未達冒険を制覇したテリードには期待する声の方が圧倒的に大きく、彼の航海を後押しするムードは日に日に膨らんでいった。
テリードを金銭的に支援するという者が現れ、彼の冒険が成功するか賭けが行われ、国王でさえ「彼の航海の成功を祈る」と直々に声明を出すほどだった。
ある夜、テリードは喜び勇んで帰宅する。
「フィルナ、ついに船が完成したぞ! 名前は俺とお前の名前を取って、『テリーフィル号』に決まった! 出航が楽しみだな!」
ところが、夕食の支度をするフィルナの顔に喜びはない。
テリードは首を傾げる。
「どうした?」
フィルナはいつになく深刻な表情で振り返り、言った。
「テリード、この航海、やめましょう」
テリードは大きく目を見開く。
「何を言ってるんだ。冗談が上手いな、フィルナは」
「冗談なんかじゃないわ。本当にやめましょうって言ってるの」
妻が本気だと分かり、テリードは顔をしかめる。
「なんでそんなこと言うんだよ」
「だって……無理よ」
「無理?」
「海に出たこともないあなたが、誰も見つけたことのない伝説の大陸を見つけるなんて、不可能よ」
真っ向から言われ、テリードもつい声を荒げる。
「海に出てないって、ちゃんと訓練はしてるさ! 今日も漁師の船を借りて、操舵を習ってきた!」
「ちょっと沖に出るぐらいの船出と、水平線の向こうに行くような航海は全然違うわよ!」
「そんなことない。基本を抑えて航海すれば、絶対大丈夫さ! 今までだって、どんな苦難も乗り越えてきたんだ。あの四大未達冒険だって、俺たちは制覇してきたんだぞ!」
「それは陸での話でしょ。海はやっぱり違うわよ」
「お前こそ海の何が分かるってんだよ!」
テリードが怒鳴りつけると、フィルナは黙り込んでしまう。
「……急にどうした? なんでこんなこと言い出すんだよ」
フィルナは答える。
「私は、あなたと知り合って数々の冒険をしてきた。それは本当に充実した日々だったわ。でも、あなたと結婚して、こうして一緒に暮らすようになって……私の気持ちは変わっていったの。もう冒険はやめて、穏やかにあなたと夫婦として暮らしたいって……」
「……」
「だから……お願い! 『銀の大陸』探しはやめてちょうだい!」
テリードはフィルナに背を向ける。
努めて冷静に自分の意見を話そうとする。
「……お前の考えは分かった。だが、やめることはできない」
フィルナは黙って聞いている。
「俺は冒険しなきゃ生きていけない人種なんだ。だから、たとえお前が行かないとしても、俺だけでも『銀の大陸』は探しに行く」
さらに続ける。
「それに、仮に俺が望んだところで、もうやめられないよ。この話はもう、国のトップニュースになってるんだから。もし、やめたとしたら、俺は世紀の笑いものになっちまう。穏やかな生活なんてできるわけがない。どっちにしろ、俺は行くしかないんだよ」
冒険をやめることはできない。
それが自分の性質であり、世間も許さないだろう。
本当はテリードにも不安はある。だが、もう引き返せない。
相手が妻だからこそ、テリードはここまで話した。
すると、フィルナは――
「分かったわ……私は止めない。だけど、私は行くことができないわ。私の心はもう“冒険”から離れてしまった。きっとあなたの足手まといになってしまうから……」
テリードもこれを了承する。
彼も経験上、それは分かっていた。どんなに身体能力が高くとも、“心”が伴っていなければ、冒険は失敗する。土壇場で足がすくみ、あと一歩を踏み出せず、命を落とす。そんな冒険家をこれまで何人も見てきた。
テリードとて妻を愛している。できることなら死なせたくはない。心の折れたこの姿を見てしまったら、たとえ彼女が望んでも、航海には同行させなかっただろう。
これ以降、フィルナも「航海をやめて欲しい」とは言わなくなり、時は過ぎていった。
***
いよいよ『銀の大陸』探し、出航当日。
アレッジ王国で最も大きい港であるバンデル港には、多くの見物客が詰めかけていた。
すでに海にはテリードが大勢の手を借りて作った小型帆船『テリーフィル号』が浮かべられている。
妻フィルナの姿はない。「見送りに来るのは辛いだろう」とテリードが来させなかった。
白のバンダナをつけ、青い半袖のシャツに、ぶかぶかの黒いズボンというワイルドな出で立ちのテリードを、皆が激励する。
「必ず『銀の大陸』を見つけてくれよー!」
「あんたなら絶対できる!」
「テリードはアレッジの誇りだ!」
テリードは船に乗り込もうとする。
改めて『テリーフィル号』を見る。
テリード自ら船を勉強して設計し、多くの大工やパトロンの力を借りて組み立て、さらには四大未達冒険を制した夫婦の名まで冠した船。
この船で冒険が成功しないなんてあり得ない。これ以上のものはないといえる船だった。
だが、テリードが内に秘めていた不安が次々に噴出する。
本当に長期航海に耐えられるのか。もしも経験したことのない嵐に遭遇したら。大きな波が来たら一巻の終わりでは。
もっとはっきり言ってしまうと。
こんな船で、『銀の大陸』までたどり着けるのか――?
テリードの呼吸が荒くなる。
溢れる不安を必死に押さえつける。
大丈夫、やれる。今までだって、どんな冒険にも挑んできたじゃないか。あの四大未達冒険だって、成し遂げたんだ。勇気を出せば、どんな冒険だってできる。『銀の大陸』だって軽々と見つけてみせる。
それに、ここでやめたら俺はどうなる。国中を巻き込んで、こんな大冒険をぶち上げたんだぞ。ここでやめたら俺は終わる。俺だけじゃない。フィルナだって――
テリードの脳裏にフィルナの顔が浮かぶ。
フィルナ、ああ愛するフィルナ。冒険でも、家庭でも、いつも俺を支えてくれたフィルナ。愛情と気丈さに溢れ、作る料理は美味しく、明るい笑顔でいつも励ましてくれた。
だが、この航海に出れば、俺はもう二度とフィルナに会えないかもしれない。会えないまま海の藻屑になってしまうかもしれない。
テリードは気づく。
俺も心の奥底ではフィルナとの穏やかな生活を望んでいたんだ。
もっといえば、俺の冒険家としての心は、とっくに折れていたんだ。
テリードの足が震える。
今から俺は、人生で最も勇気を振り絞らねばならない。
そうしなければ、この一言は発せられない。
テリードは大勢の観衆に振り返り、こう告げた。
「皆さん。この私、テリード・アベンはこの『銀の大陸』探しを中止いたします!」
***
その後のテリードの人生は悲惨だった。
土壇場で冒険を中止したことで、バッシングの嵐が巻き起こった。
かつて、四大未達冒険を制覇したことなどなかったかのように、罵声が浴びせられる。
「臆病者!」
「冒険家じゃなく、ただの詐欺師だ!」
「いっそあの世に冒険しちまえ!」
テリードの冒険の成否を賭けにしていた連中から、賭けを台無しにしたとして、命を狙われる騒ぎまで起こった。
国王も「非常に残念だ」と、これまた異例の声明を出す。
海に出られなかった『テリーフィル号』は臆病者の象徴として博物館に展示され、多くの嘲笑を誘った。
嫌がらせは後を絶たず、テリードとフィルナはとても都会にはいられず、田舎に引っ越すしかなかった。
それでも行く先々で煙たがられ、彼らが落ち着けたのは航海中止から実に三年後のことであった。
しかし、テリードは決して辛くはなかった。
なぜなら、愛する妻と一緒だったから。
それはきっと、フィルナも同じ思いだっただろう。
フィルナはテリードが航海をやめてくれたことが、心から嬉しかった。
やがて、二人は三十過ぎで子供を授かる。アレッジ王国では高齢出産といえるものだったが、さいわいトラブルなく元気な赤ん坊が生まれた。
“ティック”と名付けられた少年はすくすくと育った。
物心ついたティックは船に興味を持つ。
テリードもフィルナも、息子に冒険や航海を強要するようなことはしていなかったが、彼が両親の過去を知ってしまったことも決して無関係ではなかっただろう。
ティックは、父の勇ましさと母の美貌を兼ね備えた青年へと成長を遂げる。
大学を首席卒業すると、本格的に船の研究に没頭する。
そして、父のように自分で設計して船を完成させる。
目的はやはり、『銀の大陸』発見。
テリードもフィルナも反対したが、ティックを止めることはできず、ティックは幾人かの乗組員とともに船を出す。
ティックの船は波や雷雨でもビクともせず、三十日後、彼はあっさりと『銀の大陸』発見を成し遂げてしまった。
『銀の大陸』にはやはり住民がいた。
銀色の甲冑を着た騎士が兵力の中心である、“騎士の国”が築き上げられていた。
古の伝説にある“銀色の人間”とは彼らのことでないかとティックは考えた。
ティックらは先住民たちに丁重に接し、彼らもまた紳士的で友好的な民族だった。
言い伝え通り、大陸には銀の鉱山が豊富なことも分かった。
そして、交易が始まる。
アレッジ王国とこの騎士の国は武力的には拮抗しており、それも幸いし上下のない、対等な関係を築くことができた。
この交易でもたらされたものは大きく、アレッジ王国は経済面、文化面で大きく成長することとなる。
ティックは“船王”“開拓王”などと称され、国中の尊敬を集めた。
ティックの偉業で、テリードの名誉回復も果たされた。
代替わりした国王が、テリードとフィルナ夫妻に謝罪の声明を出すという、王権の強さを考えるととてつもない事態も起きた。
年老いたテリードは、取材を受けた時、こう語っている。
「あの時、私が冒険をやめる勇気を出したからこそ、結果的に我が国は『銀の大陸』発見を成し遂げられたのかもしれません」
この言葉は多くの感動を誘い、臆病者の象徴だった『テリーフィル号』は勇気の象徴として称えられるようになった。
今や七十を過ぎ、老人になったテリードであるが、妻フィルナと共にまだまだ元気である。
息子との関係も良好だ。ティックは妻と三人の子供を連れ、しょっちゅう実家に遊びに来る。
ある日、孫を可愛がりつつ、テリードはティックに尋ねた。
ずっと確かめたかった疑問であった。
「なぁ、ティックよ。俺が『テリーフィル号』で『銀の大陸』探しに出ていたら、どうなってたかな? 見つけられたかな?」
「無理だね」
「え!?」
即答であった。
「『テリーフィル号』は実物も設計図も見たけど、あれで『銀の大陸』探しとか、海ナメてんのかって思ったもん。あんな船、三日で沈むよ」
あまりにずけずけと答えられてしまい、テリードは愕然とする。
「そんなことないだろ! あれでも俺は頑張ったんだぞ!」
「頑張ろうが、沈むもんは沈むんだからしょうがない。大きな波が来たら一日目でアウトだろうね」
「たとえそうだとしても、お前もうちょっと言い方ってもんが……」
「悪いけど僕、船に関しては嘘つけないから。あー、よかった。父さんがやめる勇気を出さなきゃ、僕は生まれてなかったんだから」
「俺は息子の育て方を間違えたぁ!」
年甲斐もなく大声を出すテリードに、孫たちはけらけらと笑った。
ティックの妻も口を手で押さえているが、笑っている。
そして、長年彼に付き添ってきたフィルナも、「あの時、私を選んでくれてありがとう」の意味も込めて、柔らかな微笑みを浮かべた。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。
小説家になろう20周年企画参加作品となります。




