怒涛の一日
なんとかローラルナの街に到着した。しかし、門は既に閉まっている。だが、そこはロマリアと紫苑。紫苑は彼女の力を使って門内に悠々と入ることが出来た。彼女は大公令嬢なのだ。
もし、職務に忠実な門番がいれば彼女の開門要請は一蹴されていただろう。そして、その門番は昇進していたはずだ。しかし、ローラルナの街にはそんな胆力のある門番は居なかった。
彼女が少しでも世間の荒波に呑まれていたのならば紫苑に攫われたと門番に言い放ち、牢に閉じ込めて悠々と城に戻っていただろう。
しかし、ロメリアは箱入り娘で蝶よ花よと育てられてきたのである。そのようなことを思い付く余地などなかった。そして悪いことを思い付くのはロメリアではなく、紫苑である。ロメリアにそっと耳打ちする。
「し、失礼致しました! こちらへどうぞ!」
大公の一門である証として指輪を見せるロメリア。多数の宝石が散りばめられ、緻密に作られているその指輪は誰が見ても高価な代物であるのが理解できるだろう。
門番は拒否することも考えた。しかし、紫苑の悪魔のような一言で思考を放棄してしまう。紫苑は何と言ったのか。それは容易に想像がつくだろう。
「彼女は本物の公爵令嬢ですよ。もし、そんな彼女の入場を拒否し、野営なんてさせた日には……。貴方の首と胴が繋がっていることをお祈りします」
門番に案内され、開門された僅かな隙間から街の中に入り込む。やることは二つ。お金の確保と寝床の確保だ。
特に馬が邪魔である。紫苑はこれを売り払いたいと思っていた。なので門番に尋ねる。
「なあ、この馬を買い取って欲しいんだが、何とかならないか?」
あくまで買い取ってくれる場所を教えて欲しい。紫苑はそう伝えたつもりであった。しかし、極度に緊張した門番は自分達に買い取って欲しいと懇願されたと誤解して責任者のもとへ駆け出す。
街の衛兵たちにとっても馬はなんぼあっても良いものである。提案は渡りに船であった。問題は価格が予算内に収まるかどうか、という点だけだ。
さらに滑稽なことに、大公令嬢から買い取って欲しいとの御達しがあったとも伝わっていた。そこまで言われたのならば、買い取らないわけにはいかない。
結局、門を守る責任者は相場よりもやや高い金額で馬を買い取ったのであった。最後に「ご当主様には何卒よろしくお伝えくださいますよう、お願い申し上げます」とロメリアに告げて。
彼女は元気良く「はい!」と応えた。言葉の真意を理解できていないようだ。
代金を受け取り、懐を潤した紫苑。ついぞ夜明け前までは一文無しだったのに対し、夜が更けた今となっては追手から奪ったお金に馬の代金、そして懐に温めてある貴金属と懐が重く感じるほどであった。
「で、街に来たは良いがどうするんだ?」
「……祖父と連絡を取りたいです」
「どうやって?」
「……それが思い浮かびません」
ロメリアが迂闊に街の権力者に会うなどと口にしていた日には、紫苑は全力で制止していただろう。誰が味方で誰が敵なのか定かではないのだ。その中で追われている人物が此処に居ますと宣伝するなど、馬鹿げている。
「まずは宿に入ろう。疲れた。考えごとは眠ってからだな」
「はい。私も疲れました」
紫苑とロメリアは街の大通りを闊歩する。家々からは光が漏れていた。おそらくは酒場だろう。陽気な男の声も聞こえてくる。
紫苑は手近にあった露店を覆っている布を掻っ払い、それをロメリアに被せる。彼女の素性が少しでもバレないように。
ロメリアは紫苑の意図を察し「すみません」とだけ呟いた。その言葉が紫苑なのか、あるいは露店の店主に向けられたのかは定かではない。
慣れない街を二人で歩く。何処に宿があるのかもわからず、闇雲に歩いていた。いよいよ極まった紫苑。目に入った居酒屋に入らないかとロメリアに提案した。二つ返事で承諾するロメリア。
紫苑とロメリアがベルを鳴らして居酒屋の戸を開ける。紫苑は彼女に配慮して、できる限り寂れた店を選ぶことにした。そして席について注文する。
「適当に食べ物と飲み物を二人前頼む。お代はこれで」
「この額に収まる範囲で持って来れば良いんだね。ちょっと待ってな!」
紫苑は気の良さそうな女将に銀貨を二枚手渡した。やっと揺れない椅子に腰を下ろせる。思わずほぅと溜息が出てしまった。ロメリアも疲れていたのだろう。今だけは安堵の表情を浮かべていた。
「さて、落ち着いたことだし話せるところまでは話してもらいたいものなんだがな」
紫苑が切り出す。もちろん、彼も此処で全てを話せと言ってるわけではない。何処に人の目が、人の耳があるのか重々承知している。だが時間は有限だ。今のうちに情報は整理しておきたいのである。
「あいつらに心当たりは?」
「……ありません」
そう答えるロメリア。それならば生き残った男から情報を聞き出しておくんだった。紫苑は後悔する。しかし、後悔したところで結果が変わるわけではない。直ぐに切り替えていく。
「となると、純粋に身代金目的か。それとも政争の道具にされているか。あるいはその両方か」
「どうでしょう」
紫苑はそんなことを述べているが、ロメリアは何故襲われたのかを薄々感じ取っていた。彼女は婚約が決まっているのである。相手は皇帝の息子。つまりは皇子である。
では、彼女が妃になるのかと言うと答えはノーだ。彼女は皇太子ではない皇子を婿養子として迎え入れるのである。
しかし、これが問題なのだ。誰を旦那に迎え入れるのか。どの派閥の皇子を旦那にするのか。彼女の旦那になるということは後継者争いから降りることになる。
皇子は三人居る。しかし、その三人とも母親が異なっているのだ。どうだ、この派閥争い。拗れる匂いしかしないだろう。
相手は大公の孫娘である。つまり、将来的には大公の地位を継ぐことができるのだ。逆に言うと皇帝の座に就くことはできない。
そして一番厄介なのは皇太子が決まっていないことである。つまり、三人の皇子は皇帝を目指すのか、それとも大公を目指すのか。
はたまた違う選択肢を選ぶのかを考えなくてはならないのだ。いや、考えているのは後ろに控えている大人たちだろう。
ロメリアはそのことを考えると溜息しか出てこない。そして出そうになる溜息を慌てて飲み込んだ。視線を紫苑に移す。彼はじっとロメリアを見ていた。
「ま、いいさ。オレは貰えるもんを貰ってずらかるだけだからな。さ、飯にしようぜ」
「あいよ、お待ち!」
そう言って屈託のない笑顔で運ばれて来た夕飯に齧り付く紫苑。野菜ばかりのシチューに固い黑パン。それから味が薄い割に酸味が強く、アルコールの弱いワインが運ばれて来ていた。庶民の夕食なぞこんなものである。
紫苑は嬉々とした表情で、ロメリアは眉間に皺をつくりながら運ばれてきた晩餐を胃の中に収めた。しかし、旅行の鉄則は飯より宿である。でなければ道端で野宿する羽目になるのだ。
紫苑もテレビ番組でそう叫んでいる人がいるのをうっすらと覚えていた。なので、夕飯を腹の中に収めつつも宿のことに思考をシフトしていく。
困った紫苑は現地のことは現地の人に尋ねるのが一番早いと考えた。そして女将を捕まえて尋ねる。何処かに良い宿はないかと。女将は紫苑とロメリアを交互に見てからこう述べた。
「うちの二階も宿だよ。アンタたちにはおあつらえ向きのね。安くしとくよ」
そう言って手を差し出す女将。それならばと紫苑はその手に硬貨を乗せた。これで契約は成立である。二人揃って夕飯を平らげた後、女将から鍵を受け取り階上へ向かう。
鍵には二〇五の文字が刻まれていた。対応する扉を探す。そして中に入り、驚いた。紫苑は一目で理解した。この宿はカップルがそれ用に使用するための宿だったのだ。
だから女将は紫苑とロメリアを交互に見ていたのだ。いらぬお節介というやつだろう。ベッドは一つ。そして身体を清めるための大きな桶には既に湯が張ってあった。
「あー、その、なんだ。お前はベッドで寝ろ。オレは床で寝るから」
「何故です? 今はそういうことを言ってられる状況ではないと理解しております。気にせず半分ずつ使いましょう」
「いや、そうじゃないんだが……」
ロメリアは頭に疑問符を浮かべている。しかし、柔らかい言葉を使って説得するのも難しいと判断した紫苑は説得するのを諦めた。そして服を脱ぎ散らかし、下着姿になって毛布を一枚剥ぎ取り、床に寝転んだ。
明らかにロメリアは狼狽している。見ず知らずの男性が下着姿になったかと思ったら毛布に包まって床で眠ってしまったのだから。
ロメリアは悩んだ挙句、紫苑が見ていないのを確認してから衣服を脱ぎ、お湯で身を清めてからベッドの中に潜り込んだのであった。
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