19(完) 魔王軍、進撃開始
次々と仲間が討たれ、残ったS級冒険者は二人だけになっていた。
【水流魔導】のグラットと【剣仙】ガールヴ。
どちらも俺が人間だったころ、その強さを何度も見てきた実力者だ。
「もういいだろう」
俺は一歩前に出た。
ティアやメルディアたちを下がらせる。
こいつらは、俺が殺る。
「魔王……自らが出てくるとはな」
グラットが警戒を強め、杖を構えた。
「ガールヴ、合わせるぞ」
「うむ。こやつ、今までの魔族とは格が違う」
剣仙ガールヴが静かに剣を抜く。
その瞳は、俺の実力を見極めようとしていた。
「ほう……俺の力量が分かるか」
「お主からは、死の匂いがする」
その通りだ。
お前たちの死が、ここにある。
「【水獄の陣】!」
「【剣仙流・無影斬】!」
二人の攻撃が同時に放たれた。
グラットが生み出した水の牢獄が俺を閉じ込めようと迫り、その隙を突いてガールヴの不可視の斬撃が襲い掛かる。
見事な連携だった。
並の魔族なら、なすすべもなく殺されていただろう。
「――無駄だ」
俺は右手を軽く掲げた。
「【魔力の壁】」
ごうんっ!
俺の周囲に展開された黒い障壁が、水の牢獄と無数の斬撃をいともたやすく弾き返した。
「なっ……!?」
「我らが渾身の一撃を、こうも容易く……!」
二人が驚愕に目を見開く。
その表情が、俺の心をわずかに満たした。
そうだ、もっと驚け。
そして絶望しろ。
お前たちが相手にしている存在の、絶対的な力を知れ。
「終わりだ」
俺は魔剣を呼び出す。
黒曜石の輝きを放つ大剣が、奴らの希望を砕くように鈍く光った。
「一瞬で片付けてやる」
俺は地面を蹴った。
魔法だけが俺の力じゃない。
人間だったころに培った剣術――それに魔王の力が加わった今、俺の剣技に敵う者などいない。
「速い……!?」
ガールヴが反応しようとするが、もう遅い。
俺の剣は、水の障壁を紙のように切り裂き、グラットの心臓を貫いていた。
「が……は……」
グラットは信じられないといった顔で俺を見つめ、そのまま崩れ落ちる。
「貴様……!」
ガールヴが怒りに燃え、剣を振るう。
だが、その剣筋は俺にはすべて見えていた。
きんっ!
軽い金属音とともに、俺は奴の剣を弾き返す。
「S級冒険者といえど――今や、俺の敵ではない」
俺は冷ややかに告げ、魔剣を振り下ろした。
断末魔が響く間もなかった。
こうして、魔界に侵攻してきた五人のS級冒険者は全滅した。
残された数万の人間兵は、ただ震えながら俺たちを見ているだけだった。
「――全軍、進撃せよ」
俺は振り返り、自軍に命じた。
「我らの世界を脅かす愚かなる人間共に、鉄槌を下す時だ!」
「「「おおおおおおおおおおっ!」」」
魔族たちの鬨の声が、大地を揺るがした。
メルディアも、アリアンロッドも、そしてティアも、誰もが誇らしげな顔で俺を見ている。
この軍勢を率い、俺は地上へと向かう。
復讐の、始まりだ。
魔界と人間界を繋ぐ扉を抜けたとき、俺は懐かしい空気を感じた。
湿った瘴気に満ちた魔界とは違う、澄んだ空気。
かつて俺が、ローグ・フレイルとして生きていた世界の空気だ。
空を見上げる。
血のように赤い月じゃない。青く、穏やかな空が広がっていた。
『お兄ちゃん、帰ってくるの……?』
ふいに、妹のレイの声が聞こえた気がした。
そうだ、俺は帰ってきた。
お前の仇を討つために。
俺を裏切り、お前を殺し、俺たちの故郷を焼いたあの者たちに、報いを受けさせるために。
ソル……オリヴィア……。
S級冒険者という英雄の仮面を被った、卑劣な裏切り者たち。
今、俺は魔王として、お前たちを断罪する。
同時に、ガーンドゥの言葉が頭をよぎる。
『人間の魂はもろく、弱い』
確かにそうかもしれない。
だが、俺はもうローグ・フレイルではない。
俺は魔王ディヴァインだ。
人間としての弱さは、この地に捨ててきた。
今の俺にあるのは、魔王としての圧倒的な力と、復讐を成し遂げるという鋼の意志だけだ。
遠くに、人間たちが暮らす王都が見える。
あそこに、奴らがいる。
「待っていろ」
俺は小さくつぶやいた。
「今から、本当の戦いを始めよう――」