黒
手っ取り早く言えば、こういうことか。
俺は御使いの子孫で、死にかけたけど先祖返りのお陰で命拾いした、と。……うん、なかなかにこれも非現実的じゃないか?
けどもそこでひとつの疑問が浮かんだ。
「じゃあ、あの刺青は……あの焼けるような痛みは」
「先祖返りした者は初めての神領に体が拒絶反応を示すのです。神領はその者の血に宿ります。私達は血魔と呼んでいますが。それによって、血管に沿って刻印が浮かび上がり、血が沸騰するかのように熱くなる。それを体に馴染ませるのが……さっき君がやった一連の行動なのです」
なるほど、俺の刺青と燃えるような痛みは、まさしくこれだったわけか。拒絶反応、……自分とは無縁の出来事だと思っていたが。
「もし神領を馴染ませられなかったら……」
「言うまでもなく、お陀仏だったでしょう」
その笑顔がリアルすぎて怖い。本当に俺は危ない橋を渡っていたのか。それにしても、御使いだの神領だのいまいち実感が湧かないんだが。何か力を試せるような方法はないのか?
しかし、そんな俺の意欲を制止するかのように男は俺に背を向けた。
「さて、お話もここまで。約束を守る時間です」
そういえばそんなことを言っていた。交渉成立って。一体どこに連れていかれるんだか。
男は俺に手を差し出す。
幾分か力が入るようになった俺の体は、その手を掴み立ち上がった。
「ありがとうこざいます。それで、俺はこれからどうしたらいいんですか?」
まるで生まれたての小鹿のように不安定な足はプルプルと震え、立っているのもやっとだ。出来れば長距離の移動は遠慮いただきたい。
「私、こう見えても指導員をやってまして。勤め先である封神簾へと向かいます。なーに、ほんのすぐそこです」
俺の足状況を知ってか知らずか、わざわざ最後の言葉を追加してくれた。
すぐそこ、ね。俺、頑張ります。
「そういえば、助けてもらったのに名乗りもしないで。すんません。俺、浅山善庵っていいます」
「おやおや、これは失礼を善庵さん。私は夜影カルマ、……あぁ。下の名前は秘密でしたっけ、ついうっかりです。今のは聞かなかったことにして下さい」
「はあ、わかりました」
「さぁ、封神簾へと向かいましょう。あそこは富士山のお膝元、景色が綺麗なんですよ」
富士山か。確かに今頃は雪化粧で、東京で見てもそれは綺麗だった。さらに近くで見れるとなると圧巻だろうな
……ん??富士山?
「もしかして、これから行く所って……静岡、ですか?」
「ええ、そうですよ」
全然すぐそこじゃないじゃん!!
これから車で行くにしろ電車で行くにしろ、2時間以上はかかる。
そんな呑気に鼻唄なんて歌って。頼む……せめて、せめて車移動にしてくれ。
半分涙目な俺。
それじゃあ行きましょう、と言いながらも夜影さんはその場を動かない。そしてドアを塞ぐように立ってるから俺も出れない。
「あのぉ、行くんじゃないんですか?」
俺が声をかけても振り返ってニコッとするだけ。しかも両手を広げて床に向けている。
むしろ、ポタポタと手から何か垂れてません?
刹那、その両手から溢れ出る黒い液体。
瞬く間に俺たちの足元を黒く染めていく。
「ちょっ、夜影さん!?何なんですこれ!」
しかし、返答はない。
とぷっと不気味に音をたて、波打ちながら広がる黒。
足はずっぽりと中に入っているはずなのに、何の感触もない。
「さぁ、行きましょうか。黒属、"虚空"!!」
夜影さんの言葉を合図に、その黒は視界全てを覆った。
音もない黒。
何も感じない黒。
嘘だろ。この状況ではぐれるとか俺ヤバくないか。夜影さんの姿どころか何も見えない。自分が目を開けてるかどうかすらわからない。
……五感が潰された。
途端、恐怖が絡み付く。
どんなに鍛練された人間でも、『無』の世界で平常心を保つことは困難。ごく普通の一般人となればなおのこと。
脳内が一つの感情に支配されていく。
怖い怖い怖い。
俺の脳が限界を向かえる直前、突如として黒かった視界が眩い白へと切り替わる。
「さぁ、着きましたよ。……んー!!やはり外の空気は良いですねー」
相変わらずの呑気な声が俺の緊張を一気に解きほぐす。
夜影さん!?着いたって、なにを言ってるんだ。
俺は恐る恐る目を開ける。暗闇になれていたせいか、とにかく眩しい!
なんとか目を細めて見た景色を俺は二度見した。
「じ、神社?」
本当に静岡に着いたのか?
ってか、え。なに、どーゆこと?
「そんなところで呆けてないで。中に入りますよ」
神社に向かってさっさと歩きだす夜影さん。
いや、なんか説明あってもよくないですか。
それにしても、連なった赤い鳥居がなんとも厳かな雰囲気だ。思わず見上げて首を痛める俺。
木に囲まれ、隠れるように佇む神社。……うん、こういうのを神秘的って言うんだな。
体もだいぶ動くようになった。
筋肉痛みたいな痛みが残ってるが、これで済んだのはホント奇跡的だ。ついでに神社でお参りでもさせてもらえないかな。
夜影さんのあとを遅れて追うこと数分。
俺は更なる驚きを味わうことになった。